創世記 32−35章 「祈りの生活」


アウトライン

1A  神への信頼 (嘆願)  32−33
    1B  人の弱さ  32
       1C  聞かれない願い  1―21
       2C  肉体のとげ  22−32
    2B  神の導き  33
       1C  平和  1−11
       2C  分離  12−20
2A  神との交わり (礼拝)  34−35
    1B  人の知恵  34
       1C  邪悪な行い  1−12
       2C  秩序の乱れ  13−31
    2B  神の栄光  35
       1C  初めの愛  1−15
       2C  約束の実現  16−29

本文

 創世記32章をお開きください。今日は、32章から35章までを学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「祈りの生活」です。私たちは前回、神に仕える事、奉仕について見てきました。ヤコブがラバンの家で働く事によって、彼は神に仕えていました。ヤコブは、ラバンの家をだまって離れて、生まれ故郷へと出発しました。ラバンは怒り狂ってヤコブに追いつきましたが、神は、ヤコブを守り、平和を持ってラバンから立ち去るようにしてくださったのです。今から読むところは、その旅から始まります。

1A  神への信頼 (嘆願)  32−33
1B  人の弱さ  32
1C  聞かれない願い  1―21
 さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。

 御使い、あるいは天使が現れています。ヤコブがエサウから逃げて野宿をしていた時も夢の中でたくさんの御使いが現れました。御使いは、「救いの相続者となる人々に仕えるため使わされた霊ですが(ヘブル1:14)、ここでもヤコブに仕えています。

 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ。」と言って、そのところの名をマナハイムと呼んだ。

 ヤコブは、その御使いが戦いの陣営を組んでいるのを見ました。ヤコブは生まれ故郷に帰るさいに、一つの大きな悩みがありました。エサウのことです。エサウはヤコブにだまされて祝福を奪われたことを恨み、ヤコブを殺したいと思っていました。だから、ヤコブが帰って来るのを聞きつけて、エサウがヤコブを殺すために追ってくることは、十分ありえたことなのです。けれども、ヤコブは、神の陣営を見ました。それで、神が自分を守って下さっているのを知って、いくらか安心したのだと思います。そこでヤコブは次の行動に出ました。

 ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。そして彼らに命じてこう言った。「あなたがたは私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなたのしもべヤコブはこう申しました。私はラバンのもとに寄留し、今までとどまっていました。 私は牛、ろば、羊、男女の奴隷を持っています。それでご主人にお知らせして、あなたのご好意を得ようと使いを送ったのです。』」

 ヤコブは、平和の中でエサウに会いたいと願いました。まず、エサウを自分の「主人」と呼んでいます。ヤコブは、エサウの霊的な祝福を掴み取ったわけですが、権力や財力でエサウに勝ることを願ったのではありません。ヤコブは政治的な意図はないことを示すために、自分をしもべと呼びました。さらに、自分には家畜や奴隷などの財産があることを教えて、エサウの持っているものを奪う事はしない、奪う必要のないことを示そうとしました。神の陣営を見たので、こうしたことを考える余裕が与えられたのです。ところが、とんでもない知らせが届きます。

 使者はヤコブのもとに帰って言った。「私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。」

 エサウはヤコブが旅に出たのを聞きつけて、400人の剣や槍を持っている人を引き連れてやってきています。

 そこでヤコブは非常に恐れ、心配した。それで彼はいっしょにいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けて「たといエサウが来て、一つの宿営を打っても、残りの一つの宿営はのがれられよう。」と言った。

 ヤコブは、エサウから逃げ延びてから、心の中でずっと彼のことを恐れていたと思います。エサウによって殺されるかもしれない、と考えて、それが頭の中をもたげていたのでしょう。人は恐れている時、良い知らせよりも、悪い知らせに飛びつきます。ヤコブは、神の陣営のことを忘れてしまい、悪い予感があたったと思い込んだようです。それで、ヤコブは、生き残るための方策をいろいろ打ち立てます。先ず最初に、家畜の群や奴隷達を、二つの宿営に分けました。エサウが一つの宿営を襲っている隙に、もう一つの宿営は逃げられるかもしれないからです。ヤコブが次に考えた、生き残るための方法は、祈りです。ここから、私たちは祈りについて多く学ぶ事が出来ます。

 そうしてヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする。』と仰せられた主よ。

 ヤコブは、自分の祈っている相手を明確にしました。まず、それは、アブラハムの神、イサクの神です。神はアブラハムの生涯と、イサクの生涯を何回も守られたことを思い出して下さい。エジプトのパロにあったときも、ペリシテ人の王アビメレクに会ったときも、殺されずに送り返されました。また、アブラハムがイサクをささげるときも、別の羊を用意してくださり、イサクは死なずにすみました。そして、祈りの相手は、ヤハウェなる主であります。主は、ヤコブ自身に祝福に満ちた約束を与えられました。そして、ヤコブが生まれ故郷に帰るまで、決してあなたを見捨てないと約束されたのです。祈っている相手が、全能の神であり、約束を守る主であることを知るのは大切です。

 私はあなたがしもべに賜わったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。

 ヤコブは、次に神の恵みを思い出します。今、ヤコブが繁栄したのは、自分が何かすばらしいからではなく、よいことをおこなったからではなく、一方的な神の恵みであった事を思い出しているのです。ヤコブは、自分が汗をながして苦労して得た財産を、決して自分の努力の結実のようには、話しませんでした。ここに、ヤコブの高い霊性を見ることが出来ます。神は、私たちの正しさではなく、ご自分の恵みと真実さによって、祈りを聞かれるのです。

 どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。

 彼は次に、自分の願っている事をあきらかにしてから、自分の気持ちを正直に伝えました。

 「私は、彼を恐れているのです。」と言っています。祈りの中で、正直になることは大切です。「神の前で、隠せおおせるものは何一つなく、神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。(ヘブル4:13)」憎たらしくてたまらない人のことを考えて、「私は、あの人を愛するべきなのです。」と祈るのではなく、「あの人のことが憎たらしくて、ぶん殴ってやりたいのです。」と言って、それから悔い改めましょう。

 あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする。』と仰せられました。」

 ヤコブは最後に神のみことばを持ち出しました。ヤコブだけでなく、妻と子ども達が殺されたら、子孫が海の砂のようになるという神のみことばは無効なってしまいます。しかし、神の言い送った事は、雨が天から降って戻らず地面に落ちるように、実現されずに神の身元に帰ってくることはありません。必ず実現されます。ですから、祈りの中で神のみことばを持ち出すことは、とても大切です。ヤコブは祈ったことによって、生き残りのための新たな考えを思いつきました。

 その夜をそこで過ごしてから、彼は手もとの物から兄エサウへの贈り物を選んだ。

 エサウに贈り物を贈って、彼の怒りをなだめようというものです。さっきは、エサウが打ちかかってきたときどうやって逃げようか、というものでしたが、今は、もしかしたらエサウの気持ちが変わるかも知れない、と思ったのです。これこそ、神がなされようとしていたことです。ヤコブは、祈ったことによって、自分の考えが神の考えへと少し変えられたようです。

 すなわち雌やぎ二百頭、雄やぎ二十頭、雌羊二百頭、雄羊二十頭、乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭。

 乳を出し子を生む雌の方が価値が高いので、雌の数が多くなっています。

 彼は、一群れずつをそれぞれしもべたちの手に渡し、しもべたちに言った。「私の先に進め。群れと群れとの間には距離をおけ。」また先頭の者には次のように命じた。「もし私の兄エサウがあなたに会い、『あなたはだれのものか。どこへ行くのか。あなたの前のこれらのものはだれのものか。』と言って尋ねたら、『あなたのしもべヤコブのものです。私のご主人エサウに贈る贈り物です。彼もまた、私たちのうしろにおります。』と答えなければならない。」彼は第二の者にも、第三の者にも、また群れ群れについて行くすべての者にも命じて言った。「あなたがたがエサウに出会ったときには、これと同じことを告げ、そしてまた、『あなたのしもべヤコブは、私たちのうしろにおります。』と言え。」ヤコブは、私より先に行く贈り物によって彼をなだめ、そうして後、彼の顔を見よう。もしや、彼は私を快く受け入れてくれるかもわからない、と思ったからである。

 ヤコブの考えはわかったでしょうか。群がいくつかに分けられていて、贈り物が次々とエサウの手に渡ります。その度に、これは、ヤコブからの贈り物である事を伝えて、エサウがヤコブに対して気を取り直すかも入れない、と思ったのです。

 それで贈り物は彼より先を通って行き、彼は宿営地でその夜を過ごした。

 ヤコブは自分が守られるための方法を、こうして祈った結果によって得ることが出来ました。けれども、もっと大事なことがあります。それは、ヤコブの家族がエサウに殺されてしまう、という問題は、単にヤコブだけの問題ではなく、神ご自身の問題でもあるわけです。人間に与えられる祝福を、神は、アブラハムの子孫に与えることを約束されました。子孫である、キリストによって、全人類は呪いから救い出され、祝福を受けるのです。その約束の継承者として選ばれたのが、ヤコブです。もし、ヤコブとその子ども達が殺されたなら、この神の救いの計画は、たちまち崩れる去る事になります。ですから、この問題は、ヤコブ個人というよりも、神ご自身の問題であるのです。もちろん、神は石ころからでもアブラハムに子孫を生み出す事のできる全能者でありますが、神は、アブラハムに契約を結ばれています。神でさえ、この契約を破棄する事は出来ないのです。ところがどうでしょう。ヤコブはつねに、神のために一生懸命働く人物でした。神の考えておられることをすぐにキャッチし、それを自分の手で実行しようとする性格を持っていました。それゆえ、名前が「かかとをつかむもの」だったのです。御霊に対する事柄について無関心であったエサウを、生まれる前から神は退かれていましたが、ヤコブは、自分で彼を退けてしまいました。そして、ここでも、エサウの気持ちを変えてくださるのは神ご自身ですが、ヤコブは自分の手でエサウをなだめようとします。ヤコブは、神の言われることにすぐに聞きしたがう忠実なしもべでしたが、彼の長所は短所にもなったのです。神が、人の手を借りないで直接エサウの心を変えようとされているのに、ヤコブは、神が行動される前に、自分で行動してしまいました。ヤコブは、自分で行動しても、神の恵みであると言って、いつも神に栄光を返していたので、神は、ヤコブのことが可愛くてしかたがなかったのでしょう。けれども、今回は違います。神は、ご自身ひとりで事を行われるのを願ったのです。

2C  肉体のとげ  22−32
 それで次の話に戻ります。しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。

 ヤボク川は、ヨルダン川の東からヨルダン川に合流する川です。エサウは、ヨルダン川の南東にあるセイルというところからきているので、ヤボクの渡しをわたらせたということは、エサウと会う覚悟を決めていることを示しています。

 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。

 ヤコブは、ひとりだけヤボクの渡しの北側に残りました。おそらく、祈りのためにひとりになったのでしょう。彼の心にある恐れは、先ほどの祈りによってやや和らぎましたが、まだ取り除かれません。それで祈ったのでしょうが、その内容は、自分がエサウの手からまもられる事から、神の祝福へと変わりました。なぜなら、神が、ヤコブの祈りに介入されたからです。ヤコブは、力を尽くして祈っていると、神がそばにおられることを強く感じました。しかし、強く感じただけではありません。人となって実際にそこにいたのです。神は、ベテルにおいて夢の中に現れましたが、今度は実際に人となってお現われになりました。そこから、格闘が始まりました。神は、わたしひとりで事を行うから、あなたはさがっていなさい。というものだったのでしょうが、ヤコブは、「いや、しもべがやらせていただきます。」と食い下がったのです。

 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。 ヤコブが、決して折れなかったので、この方は、ヤコブの太ももの間接を打たれました。すると、関節が外れてしまったのです。 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」

 この方は、ヤコブを去ろうとしておられます。ヤコブよ、あなたがそんなに自分の働きでいきたいなら、そうしなさい。私は、続けてあなたを祝福するが、わたしひとりで働くことはすまい。私は去る。というようなことを、言われたかったのだと思います。

 しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」

 その人が去ろうとしているのを見て、ヤコブは悲しくなりました。いやだ、神が去っていったら、私に対する祝福も去っていくのではありませんか、と思ったのでしょう。ホセアは、「彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いてこれに願った。(11:4:)」と言っています。ヤコブは泣きました。ヤコブは、自分の手で祝福が得られなくなるのを悲しみ、しかしながら、神の祝福を求めたのです。

 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」かかとをつかむ者です、と答えています。その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

 
ヤコブにイスラエルという新しい名が与えられました。彼の名であると同時に、彼から出る子孫の名前として、約3500年間使われています。これは、二つの言葉サラ・エルから出てきた言葉です。サラは、「君主として戦う、支配する。」と言う意味です。エルは、勿論神のことです。したがって、イスラエルは、「神の君主」とか、「神の支配によって戦う」とかいう意味になります。神は、ヤコブの手の中の働きに祝福を与えるだけでなく、ご自身の支配によって、ご自身の力によって、彼を祝福されるようにされたのです。ですから、ヤコブの子孫であるイスラエルを見るときに、神がどのようなかたであるか、神がどのような働きをされるのかを見ていくことが出来ます。神は、イスラエルの民に、「あなたがたはわたしの証人(イザヤ44:8:)」と言われました。同じように、私たちはキリストの証人です。キリストの力と支配が、私たちによって示されることを、神は願っておられます。そのためには、ヤコブのように、主に、自分のふともものつがいを打ってもらわなければいけません。私たちはそれぞれ、神に与えられた性格の強さがあります。神は、その性格を用いられて、私たちを通して働かれるのですが、その強い性格は、ときに弱点になります。機転が利く人は、機転が利きすぎて、神の働きを妨げる事があります。意志の強い人は、神がなされようとしておられないことを、意地になって行おうとします。例えばパウロがそうでした。彼は小アジア地方に宣教に行こうとしましたが、御霊はそれを禁じられました。それは、パウロが、病気になって動く事ができなくなったから、と言う人がいます。そうでもしなければ、パウロは、どうしても小アジアに行ってしまったからです。こうして、神は、時に私たちのもものつがいを打たれて、ご自分が働く事ができるようにされます。こうして、私たちが、自分ではなく神により頼むようにさせて下さるのです。

 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。

 ヤコブは名前を尋ねましたが、もちろんヤハウェなる主であることは明白です。

 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。

 ヤコブは、この人は神であることを知りました。それなのに、自分はまだ生きている、と言っています。人間は、神を見ることはできません。神はモーセに、「人は私を見て、なお生きている事は出来ないからである.(出エジプト33:20)と言われました。しかし、ここでは人となった神でした。私たちはこの方が、イエス・キリストであることを知っています。ヤコブが戦っていたのは、実に、イエス・キリストご自身だったのです。

 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。

 彼は、夢の中ではなく、実際に格闘していた事がここからわかります。そして、彼は、一生の間、ずっとびっこを引いていたと言われます。そのびっこを見て、神がヤコブを取り扱われたペヌエルでの出来事を思い出し、神の豊かな祝福のことを思い出すことが出来るのです。パウロは、自分に与えられた肉体のとげ、おそらく目の病気だと思われますが、そのことについて、こう言いました。「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・・私が弱いときにこそ、わたしは強いからです。(2コリント12:9,10)」その弱さを見て、神の恵みをいつも思い出すのです。

 それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。

 創世記の編集者であるモーセは、その時代にイスラエルの民にあった習慣について触れています。腰の筋肉を食べない事によって、自分たちの父祖のことを思い出し、自分たちがイスラエル、神の君主であることを確認したのでしょう。

2B  神の導き  33
 こうして神は、ご自分が働かれることをヤコブに教えられました。それでは、実際の働きを見てみましょう。

1C  平和  1−11
 ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。ヤコブは子どもたちをそれぞれレアとラケルとふたりの女奴隷とに分け、女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをそのあとに、ラケルとヨセフを最後に置いた。

 ヤコブはラケルを一番愛していました。だが、ラケルとその子どもであるヨセフを最後に置いたのは彼らを守りたかった、と考えられます。あるいは、エサウが、より重要でない人物から見て、最重要の人物を最後に見てもらう、という配慮かもしれません。

 ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。

 これは、ヤコブがエサウを恐れて、卑屈になっているのではありません。アマルナ文字版という当時の文献には、王に近づくとき、7回お辞儀をして近づく事が記されています。エサウがその地域の支配者であることを認めて、習慣に従い、彼に尊敬を払っていると考えられます。いずれにしても、ヤコブは、自分の手でまだ働いています。しかい、次を見てください。

 エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。

 神は働かれました。エサウのこころに働かれました。エサウには、もはやヤコブに対する憎しみはありません。ただ、ヤコブに兄弟として、ずっと会っていなかった事を残念に思っていたのです。ヤコブが一生懸命、地にひれ伏しているのに、エサウはそんなことお構いなしに走りよって、ヤコブを抱き上げ、口づけをして泣きました。ヤコブも、エサウがまったく変えられてしまった事を見て、ただお兄さんとして会うことが出来たのを知り、彼も泣きました。すばらしい和解です。20年間、彼らの間にのしかかっていた重荷はここで下ろされました。神は生きておられます。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちにはたらいて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。(ピリピ2:13)」と使徒パウロは言いました。

 エサウは目を上げ、女たちや子どもたちを見て、「この人たちは、あなたの何なのか。」と尋ねた。ヤコブは、「神があなたのしもべに恵んでくださった子どもたちです。」と答えた。

 ヤコブは子ども達のことをエサウに聞かれて、神が恵んでくださった、と答えました。彼は、神のことを証言しています。

 それから女奴隷とその子どもたちは進み出て、おじぎをした。次にレアもその子どもたちと進み出て、おじぎをした。最後に、ヨセフとラケルが進み出て、ていねいにおじぎをした。

 彼らは、エサウに対する尊敬と礼儀を示しました。次にエサウは、ヤコブの持っている財産について聞きます。

 それからエサウは、「私が出会ったこの一団はみな、いったい、どういうものなのか。」と尋ねた。するとヤコブは、「あなたのご好意を得るためです。」と答えた。でも、エサウの心に神がはたらかれたので不必要になっていました。エサウは、「弟よ。私はたくさんに持っている。あなたのものは、あなたのものにしておきなさい。」と言った。ヤコブは答えた。「いいえ。もしお気に召したら、どうか私の手から私の贈り物を受け取ってください。私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから。

 ヤコブにとって、目の前にいるエサウは、神の働きそのものでした。それで、「神の御顔のように見ています。」と言って、神のあかしをしています。どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。面白いですね。エサウをなだめるはずの贈り物は、祝いの品に変わってしまいました。

 神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。

 
ここでも、神が恵んでくださったと言って、ヤコブは神のあかしをしています。そして、面白い事に、ヤコブがここで使っている「たくさん」という言葉と、9節でエサウが使った「たくさん」の言葉は、異なるヘブル語であります。9節のは、そのまま「たくさん」ですが、ここの説のは、「すべて」と訳すべきです。ヤコブは、今持っているものではなく、主ご自身のことをさしていたのです。アブラハムとイサクに現れた全能の神は、エル・シャダイと訳されます。これは、母親が赤ん坊に乳を飲ませて養う姿を示しています。そこから、神は、私たちの必要全て、満たす方であり、欠けることのない無尽蔵の資源を神が持っておられる事をあらわしています。ヤコブは、「わたしはすべてを持っている」といったのは、そのためなのです。そうです。私たちもキリストを持っているなら、私たちに必要なすべてを持っています。「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福を持って私たちを祝福してくださいました。(エペソ1:3)」とエペソ書には書いてあります。こうして、ヤコブは、心にあふれ出るあかしをエサウに話しました。

2C  分離  12−20
 こうして、神は、ヤコブが平和のうちにエサウに会うようにさせて下さいました。けれども、それは、彼らが一緒に住んだり、一緒に何かをする事を意味しません。

 エサウが、「さあ、旅を続けて行こう。私はあなたのすぐ前に立って行こう。」と言うと、ヤコブは彼に言った。「あなたもご存じのように、子どもたちは弱く、乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。一日でも、ひどく追い立てると、この群れは全部、死んでしまいます。あなたは、しもべよりずっと先に進んで行ってください。私は、私の前に行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、ゆっくり旅を続け、あなたのところ、セイルへまいります。」

 ヤコブの群は、ラバンの上から出て行って、かなり速いスピードで旅を続け、疲れていました。

 それでエサウは言った。「では、私が連れている者の幾人かを、あなたに使ってもらうことにしよう。」ヤコブは言った。「どうしてそんなことまで。私はあなたのご好意に十分あずかっております。エサウは、その日、セイルへ帰って行った。ヤコブはスコテへ移って行き、そこで自分のために家を建て、家畜のためには小屋を作った。それゆえ、その所の名はスコテと呼ばれた。

 ヤコブは、エサウについていかず、スコテに行きました。スコテは、ヤボク川の北にある、ヨルダン川西岸にある町です。つまり、カナンの地に向かいました。それでは、また、エサウをだましたのか、と思ってしまいますが、そうではありません。36章6節を読むと、エサウにもたくさんの財産が与えられていたので、一緒にカナンに住むには狭すぎるので、エサウは、セイルに住んだ事が書かれています。ヤコブは、後に、セイルにいるエサウに会って、エサウも別々に住む事に同意したのでしょう。ですから、だましたのではありません。ただ、ヤコブにとって何よりも大事なのは、生まれ故郷のカナンの地に戻る事です。主は、「生まれ故郷に戻りなさい。」と命じられました。神の祝福の一つは、カナンの地を所有すると言うものです。ヤコブは、この命令に聞き従わなければいけませんでした。そして、神の約束を受け継ぐものとして、エサウは、ヤコブと一緒にいてはいけませんでした。ですから、ヤコブは、エサウを丁寧に取り扱った後、彼と離れる事を決めたのです。クリスチャンも同じです。クリスチャンは、自分に関する限り、すべての人と平和を保つように命じられていますが(ローマ12:18)、それは、全て一緒の行動をする事を意味しません。むしろ、人々の行っていることに関わらないで、離れるべき時があります。パウロはこう命じています。「不信者と、つりあわぬくびきを一緒につけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗闇とに、どんな交わりがあるでしょう。」そして、イザヤ書を引用して、「それゆえ、彼らの中から出て行き彼らと分離せよ。」と言いました。

 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。

 シュケムの町は、ヨルダン川の東にあるカナン人の町です。ヤコブはようやく生まれ故郷に戻ってきました。そしてそこは、祖父のアブラハムに、主がはじめて現れた場所であります。

 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。

 ヤコブは、祖父のアブラハムとおなじように、土地の一部を購入しました。そして、そこは、町の名前と同じシュケムが支配しています。

 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。

 これは、「神はイスラエルの神。」という意味です。偶像が祭られているカナン人の町で、自分の神こそが真の神であるというあかしです。祖父アブラハムも、そこに祭壇を築きました。このように、ヤコブは、アブラハムが踏んだ道を歩んでいます。それは、一見立派な行為のようですが、実は逆で、とんでもない過ちです。他人が行ったことにしたがっても、それは信仰ではありません.神の言われる事に聞きしたがうことが、信仰です。神は、アブラハムをシュケムに導かれました。でもヤコブはどうですか。ヤコブに神があらわれてくださったのはベテルです。ベテルにおける神との出会いを出発点にして、彼は神との交わりを可能にさせました。ところが、彼の信仰生活にとって、一番大きなハードルであったエサウとの問題が解決して、ヤコブはほっとしてしまい、主を続けて求める事を怠ってしまったのでしょう。今、自分のある状況に満足してしまい、信仰の旅路をストップさせてしまいました。シュケムにたった祭壇の名前に、自分の名前イスラエルが入っています。暮し向きの自慢という世の欲に、彼は引寄せられたのです。次の章には、ヤコブがシュケムに住んでしまった結果が書かれています。

2A  神との交わり (礼拝)  34−35
1B  人の知恵  34
1C  邪悪な行い  1−12
 レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを尋ねようとして出かけた。

 ディナが最初に言及されているのは、創世記30章21節です。レアが産んだ最後の息子ゼブルンの後に、彼女は生まれています。この女の子がいくらか成長して、10代になっていたのでしょう。そこにいる土地の娘達を訪ねようとして出かけました。ヤコブの家族はお兄さんばかりなので、おそらく同姓の友達を探しに出かけたのだと思います。

 すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕え、これと寝てはずかしめた。

 これは、今でいうレイプです。どこかのならず者がおこなったのならまだしも、その土地を支配しているハモルの子シュケムが行っていました。ヤコブがこれで良かれと思って住み着いたシュケムは、実は、猛犬が這いつくばっているような汚れた町だったのです。

 彼はヤコブの娘ディナに心をひかれ、この娘を愛し、ねんごろにこの娘に語った。

 レイプをした後に、シュケムは、彼女を慰めようとし、彼女を愛していると語りかけました。この時点で、彼は自分の家にディナを連れて行っています。

 シェケムは父のハモルに願って言った。「この女の人を私の妻にもらってください。」

 この発言から、この土地では、レイプが犯罪どころか、結婚をするために正当化されているような習慣か、風潮があったことがわかります。

 ヤコブも、彼が自分の娘ディナを汚したことを聞いた。息子たちはそのとき、家畜といっしょに野にいた。ヤコブは彼らが帰って来るまで黙っていた。シェケムの父ハモルは、ヤコブと話し合うために出て来た。

 この話し合いは、謝罪ではなく、ディナを妻としてもらうための話し合いです。しかし、話し合う余地などあるのでしょうか。本当なら、すぐさまシュケムの家に押しかけ、ディナを連れ戻し、その土地を出て行くべきだったでしょう。状況をしっかり見分けていれば、妥協の余地は少しもないことに気づくはずです。しかし、ヤコブはすでに、彼らから土地を買ったりして、社会的なかかわりを始めていました。ハモルとの関係を悪くしたくないと言う思いがはたらいたのかもしれません。これが、一度、主の導きとは異なる方向に進んでいったものの姿です。ベテルに行き、父イサクの家に行く事を怠ったヤコブは、霊的感覚が鈍ってしまったのです。

 ヤコブの息子たちが、野から帰って来て、これを聞いた。人々は心を痛め、ひどく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥ずべきことを行なったからである。このようなことは許せないことである。

 息子たちは、事の重大性をすぐに理解しました。彼らは、父から自分たちを清く保つ事を教えられ、自分たちがイスラエル民族の先祖になることも知っていました。ですから、愛する妹が犯されたという怒りだけでなく、イスラエルが汚されたという怒りもあったのです。

 ハモルは彼らに話して言った。「私の息子シェケムは心からあなたがたの娘を恋い慕っております。どうか彼女を息子の嫁にしてください。

 父親も、シュケムがしたレイプに、何ら道徳的な問題を感じておらず、大胆に息子の結婚を申し出ています。

 私たちは互いに縁を結びましょう。あなたがたの娘を私たちのところにとつがせ、私たちの娘をあなたがたがめとってください。

 
これは、神がイスラエルのために考えておられることと真っ向から対立する事です。つまり、イスラエル人とカナン人の雑婚です。

 そうすれば、あなたがたは私たちとともに住み、この土地はあなたがたの前に開放されているのです。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」

 ハモルは、結婚のことを利用して、政治的な駆け引きに出ています。ここでの本音は、彼らを自分たちのものに吸収しようと言うものです。

 シェケムも彼女の父や兄弟たちに言った。「私はあなたがたのご好意にあずかりたいのです。あなたがたが私におっしゃる物を何でも差し上げます。どんなに高い花嫁料と贈り物を私に求められても、あなたがたがおっしゃるとおりに差し上げますから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」

 今度は、息子のシュケムが、この結婚を利用して、経済的な駆け引きをしています。彼らにとって、女性は、政治的な道具や金の取引の対象でしかなかったのです。汚れに満ちています。

2C  秩序の乱れ  13−31
 ヤコブが人間的な思いでシュケムに住んだ結果、このような邪悪な行いが家の中に入り込みました。けれども、それだけではありませんでした。次を見てください。

 ヤコブの息子たちは、シェケムとその父ハモルに答えるとき、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、悪巧みをたくらんで、彼らに言った。息子たちが悪巧みを考え始めたのです。「割礼を受けていない者に、私たちの妹をやるような、そのようなことは、私たちにはできません。それは、私たちにとっては非難の的ですから。

 彼らは、まず、ハモルとシュケムの申し出を断りました。

 ただ次の条件であなたがたに同意しましょう。それは、あなたがたの男子がみな、割礼を受けて、私たちと同じようになることです。そうすれば、私たちの娘たちをあなたがたに与え、あなたがたの娘たちを私たちがめとります。そうして私たちはあなたがたとともに住み、私たちは一つの民となりましょう。もし、私たちの言うことを聞かず、割礼を受けないならば、私たちは娘を連れて、ここを去ります。」

 もちろん、息子達は、彼らと一つの民になる意図はありません。ところで、この話を聞いた時点で、彼は、そんなことはおかしいと言うべきだし、いや、それ以前にハモルとシュケムの申し出を聞いたら、息子に話させる前に間髪をいれずにはっきりと断るべきでした。なぜなら、ヤコブこそが、この家の主人なのです。家を治める必要があったのです。しかし、彼は何の行動も起こしませんでした。ある注釈書には、ヤコブはこの時点で悲しみのあまり、ハモルとシュケムとの話し合いの席を出ているのではないか、と推測しています。これは、秩序の乱れです。父親のとるべき主導権が、代わりに息子によって握られています。家の頭であるやコブが、自分自身の頭である神から知恵や導きをいただいていなかったからです。

 彼らの言ったことは、ハモルとハモルの子シェケムの心にかなった。この若者は、ためらわずにこのことを実行した。彼はヤコブの娘を愛しており、また父の家のだれよりも彼は敬われていたからである。シュケムは、町全体の中で影響力をもっていたので、町の人々に割礼を受ける事を説得させる事が出来ました。ハモルとその子シェケムは、自分たちの町の門に行き、町の人々に告げて言った。

 当時、町の門は、その町をつかさどる政治的な機能を果たしていました。ロトが、ソドムの門のところにすわっているとき、ソドムの人人が、「こいつは、・・・さばきつかさのようにふるまっている。(19:9)」と言ったのを思い出して下さい。

 「あの人たちは私たちと友だちである。だから、あの人たちをこの地に住まわせ、この地を自由に行き来させよう。この地は彼らが来ても十分広いから。私たちは彼らの娘たちをめとり、私たちの娘たちを彼らにとつがせよう。ただ次の条件で、あの人たちは私たちとともに住み、一つの民となることに同意した。それは彼らが割礼を受けているように、私たちのすべての男子が割礼を受けることである。そうすれば、彼らの群れや財産、それにすべての彼らの家畜も、私たちのものになるではないか。さあ、彼らに同意しよう。そうすれば彼らは私たちとともに住まおう。」

 
シュケムは彼らの財産を得ることができる、といって人々を誘発しました。彼らにとっての政治倫理は、道徳やイデオロギーではなくお金だったのです。今の日本も、カナン人の価値観とさほど変わらないようですね。次に惨事が起こります。

 その町の門に出入りする者はみな、ハモルとその子シェケムの言うことを聞き入れ、その町の門に出入りする者のすべての男子は割礼を受けた。三日目になって、ちょうど彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブのふたりの息子、ディナの兄シメオンとレビとが、それぞれ剣を取って、難なくその町を襲い、すべての男子を殺した。こうして彼らは、ハモルとその子シェケムとを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出して行った。なんと、シメオンとレビがシュケムの町で大量虐殺をしました。ヤコブの子らは、刺し殺された者を襲い、その町を略奪した。それは自分たちの妹が汚されたからである。彼らは、その人たちの羊や、牛や、ろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、その人たちの全財産、幼子、妻たち、それに家にあるすべてのものを、とりこにし、略奪した。

 略奪もはかっています。彼らが、ディナにおこったことをひどく悲しみ、怒り、カナン人たちの汚れを憎んだ事は、正しいものでした。しかし、このような残虐な方法で行った事は、大きな罪です。シメオンとレビは、この行為のゆえに、彼らの子孫が土地を相続する権利を失います。

 それでヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは、私に困ったことをしてくれて、私をこの地の住民カナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。私には少人数しかいない。彼らがいっしょに集まって私を攻め、私を打つならば、私も私の家の者も根絶やしにされるであろう。」

 ここで、ようやくヤコブが口を挟みました。自分たちが、彼らの復讐によって根絶やしにされるのではないか、という訴えですが、「私」という言葉が繰り返されていることに注意してください。もはやそこに、霊的権威は存在しません。

 彼らは言った。「私たちの妹が遊女のように取り扱われてもいいのですか。」

 この一言で、ヤコブは黙らざるを得ませんでした。ヤコブは、娘のディナのことについて、なんの行動もしなかったからです。彼女がレイプされたこと、ハモルとシュケムが金で彼女を買おうとしたことに、ヤコブは何もしていなかったからです。シメオンとレビがしたことは明らかな罪ですが、このような騒動が起きたのは、ヤコブ自身が信仰によって歩まずに、シュケムにとどまったからです。

 ヤコブのことを、私たちが他人ごとのように扱ったら間違いです。主の導きを仰いでいない人すべてに、ここでの話しは当てはまります。ヤコブは、アブラハムの歩んだ道を歩み、それはすばらしいことのように見えました。多くの教会も、それぞれに与えられた行程を歩む事無く、他が成功しているからと言うだけで、それを真似したりします。プログラムを作って、神に働いてもらおうとします。表向きはよくなっており、自分たちは神に従っているように見えるのです。けれども、そうした人間的な知恵にしたがった結果、ヤコブの家に邪悪な行いと秩序の乱れが起こりました。教会の中に、不一致、不満、競争、噂、精神的披露、金銭面での失敗などが起こるのは、人の知恵によって物事を行っているからです。新約聖書のヤコブの手紙3章に、ここでの、まとめみたいな箇所が載っています。「あなたがたのうちで、知恵のある人、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。しかし、あなたがたのこころの中に、ねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らう事になります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪例に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。(3:13−16)。」ヤコブは、シメオンとレビに指摘されて、ついに、自分は肉の知恵によって歩んでいた事を発見しました。

2B  神の栄光  35
1C  初めの愛  1−15
 そして、このときに、主はヤコブを導かれました。神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」

 
神の最初の言葉は、「立ってベテルに上りなさい」でした。ベテルは、ヤコブがはじめて神とであった場所であります。そこは、第一に、自分のいやしい状態を思い起させてくれます。エサウから憎まれて逃げていた状態です。杖一本しかない状態です。石を枕にして寝た状態です。第二に、そこは、神と人との間にある隔たりを、埋めてくれる仲介者がいることを知ったのです。第三に、ベテルは、栄光に満ちた祝福を思い出させるものです。カナンの地が与えられ、子孫が世界中に広がり、全ての民族が子孫によって祝福される。つまり、将来についての希望です。そして、あなたとともにおり、決して見捨てない、と約束されました。そして、第四に、ベテルは、自分が誓願をたてた野を思い出す場所です。ヤコブは、父イサクの家に帰る事が出来てこのベテルが神の家であり、すべてのものの十分の位置をささげると言いました。この四つの事は、みごとに、私たちクリスチャンの初めての神との出会いとにています。罪の中で死んでいた、卑しい状態。神と人間の架け橋であるキリストの十字架。神の国の相続の希望と、ともにいてくださるという約束。そして、私はイエスを主として歩んでいきたい、という熱い想いです。この4つを一言でまとめるならば、「初めの愛」です。私たちは、しばしば、自分の悟りに頼って、単純な初めの愛を忘れてしまいます。だから、イエスさまは、次のように諭されます。「あなたには、非難すべきことがある。あなたは初めの愛からな離れてしまった。それで、あなたは悔い改め、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。(黙示録2:4、59)そして、神は、「現れた神のために祭壇を築きなさい。」といわれています。祭壇は、神への礼拝を示しています。私たちは礼拝をする事によって、初めの愛に戻る事が出来るのです。

 それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」

 
ヤコブの心にリバイバルが訪れました。父親としての霊的な権威が取り戻されました。ヤコブは、まず、異国の神々を取り除こうと言っています。ラケルがラバンの家から持ってきたテラフィムを、ずっと家の中に置いておいたのを、ヤコブは許容していました。また、シュケムで祭られていた偶像も家の中に入っていたのでしょう。その結果は、シメオンとレビのような不敬虔な行いです。偶像礼拝とは、自分に都合のよい神を拝んでいる事であり、つまり、自分自身を神にしていることです。私たちがはじめの愛に戻る時、自分の心のうちの偶像をとりのぞきます。そして、ヤコブは、「身をきよめなさい。」と言いましたが、それは耳輪などの身体装飾品のことをさしています。そして、「着物を着替え」るとありますが、彼らはシュケムの異教的な特色のある着物を着ていたのだと思います。パウロは、「悪はどんな悪でも避けなさい。(1テサロニケ5:22)」と言いました。自分の古い行いを思い出させるようなものから、一切、離れる事が必要です。そして、ヤコブは、「祭壇を築こう。」と言って、神に栄光を帰して礼拝をささげるように促しています。再び、「私」が繰り返されていますが、それは、自分を主張する私ではなく、個人的にそそがれた神の恵みを強調したものです。

 彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。ヤコブ自身が、偶像や耳輪を処理しました。理想的な霊的リーダーの姿です。彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。

 主に自分の身をささげた者達に対して、主は、盾となってくださいます。ヤコブが恐れていた彼らの復讐は、主によって妨げられました。

 ヤコブは、自分とともにいたすべての人々といっしょに、カナンの地にあるルズ、すなわち、ベテルに来た。ヤコブはそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それはヤコブが兄からのがれていたとき、神がそこで彼に現われたからである。

 エル・ベテルとは、「ベテルの神」と言う事です。先ほどの、エル・イスラエル「イスラエルの神」とは対照的です。自分の記念ではなく、神を記念する名で呼びました。このようにヤコブは奮い立ち、ベテルに到着しましたが、悲しい出来事が次に起こります。

 リベカのうばデボラは死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それでその木の名はアロン・バクテと呼ばれた。

  アロン・バクテとは、嘆きの樫の木という意味です。久しぶりにリベカの名前が出てきましたね。デボラは、リバカがラバンの家からイサクの住んでいるところに旅立つ時、一緒についていった侍女のひとりです。ヤコブが、生まれ故郷に戻ってきた時には、リベカは死んでいました。それを知ったヤコブは、残されたデボラを強いてシュケムに連れてきたのだと思われます。ところが、ヤコブがシュケムからベテルに旅したので、老衰していた彼女は何かのきっかけで死んでしまったものと思われます。となると、ヤコブが主にたちかえったのに、それがきっかけで、デボラが死んでしまった事になります。こんなことがあっていいのか、いいものか、と思ってしまいますが、実はヤコブにとってよかった事なのです。ヤコブは、母親リベカ同様、リベカの乳母デボラに愛されて育てられました。また、デボラがいてくれることで、ヤコブは、慰められ、また愛する亡き母リベカを思い起す事も出来たでしょう。イサクはエサウを愛していたが、リベカはヤコブを愛していましたね。こうした、肉親に対する愛着がヤコブの心の中にありました。しかし、今やヤコブは、主に立ち返り、主との親しい交わりの中に入ろうとしています。その親しい交わりの中に、他の何者をも立ち入る事は出来ません。ですから、肉親への愛着がそがれる事によって、ヤコブは、神とのさらに、密接な、深い関係の中に入っていく事が出来るのです。

 こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現われ、彼を祝福された。

 
デボラをなくして孤独になりながらも、主にあって堅く立とうとするやコブに、神は、豊かにご自身を現され、祝福されました。

 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。

 
イスラエル、それは神の君主です。勝利者です。神に支配されたものです。このような名誉ある地位に、ヤコブは召されました。地上に生きている間、旅人として、寄留者として生きています。けれども、その約束をはるかに見て、喜び、慰めを受けるのです。私たちも、「キリストとの共同の相続人(ローマ8:17)」と呼ばれ、高い地位が与えられています。

 神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。

 全能の神エル・シャダイです。神は、この名でもって、まず99歳のときのアブラハムに現れ、そしてヤコブを祝福するときにイサクにも現れ、今はヤコブに現れてくださいました。

 生めよ。ふえよ。

 これは、アブラハムよりもさかのぼって、アダムから受け継がれている祝福ですね。

 一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。


 これは、イスラエル国民が出て、さらに12部族の民のつどいがでてくることの約束です。また、サウルから始まって王たちが出てきました。

 わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。」

 最後に、土地を所有する祝福の約束が、ヤコブに受け継がれました。

 神は彼に語られたその所で、彼を離れて上られた。

 上がられた、とあるので、天からのはしごを上って天に戻られたのかもしれません。

 ヤコブは、神が彼に語られたその場所に柱、すなわち、石の柱を立て、その上に注ぎのぶどう酒を注ぎ、またその上に油をそそいだ。

 ヤコブはベテルで最初にしたように、再び石の柱に油を注ぎました。ここの、「注ぎのぶどう酒」は、レビ記に登場する「注ぎのささげもの(23:14)」のことです。自分を神にささげることを示します。

 ヤコブは、神が自分と語られたその所をベテルと名づけた。

 ヤコブは、以前一人でいるときベテルと呼んだこの場所を、今は、自分の家族と奴隷たちをともなって呼んでいます。

2C  約束の実現  16−29
 彼らがベテルを旅立って、エフラテまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛で苦しんだ。

 彼らはベテルを旅立ち、父イサクの家に向かいました。ヤコブは、父の家に帰ることをベテルにおいて誓っていたからです。ところが、その道中でラケルがひどい陣痛で苦しみました。これも、また、旅の疲れが重なったからかもしれません。また、高齢出産でもあります。

 彼女がひどい陣痛で苦しんでいるとき、助産婦は彼女に、「心配なさるな。今度も男のお子さんです。」と告げた。

 ラケルにとって2人目の子どもです。彼女がヨセフを産んだ時、主がもうひとりの子を加えて下さるという信仰を表明しました。

 彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。

 私の苦しみの子、という意味です。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。ヤコブが一番愛した妻である、リベカが天に召されました。これも、ヤコブにとってはとても辛い経験であることは間違いありませんが、その辛さは、後に来るキリストの誕生を予告していました。まず、場所についてですが、彼女が産んだのはベツレヘムに行く道です。ミカは、イスラエルの支配者がエフラテ、ベツレヘムから出てくることを預言し(5:2)、イエスは実際にベツレヘムでお生まれになりました。そして、苦しみと嘆きの出産は、エレミヤによって告げられています。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみと嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。(31:15)」子らがいなくなったので泣いている、というのは、ヘロデが幼子イエスを殺そうとして、ベツレヘムとその近辺にいる二歳以下の子どもを皆殺させた事によって成就しました(マタイ2:16−18)。

 こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に至っている。今日とは、創世記を編集したモーセの時代のことです。イスラエルは旅を続け、ミグダル・エデルのかなたに天幕を張った。イスラエルがその地に住んでいたころ、ルベンは父のそばめビルハのところに行って、これと寝た。イスラエルはこのことを聞いた。

 ヤコブは、ここからイスラエルと呼ばれるようになっています。そして、長子ルベンが、ラケルの女奴隷であったビルハのところに言って、性的関係を持ってしまいました。なんでそんなことになってしまったかは、わかりません。ただ、ラケルが死んでしまったことに、少し関係していそうです。イスラエルはこのとき、黙っていましたが、死ぬ間際にひとりひとりの子に預言したとき、ルベンのこのことの行為のゆえに、長子の権利がなくなったことを宣言しています(49:3,4)。その次に生まれたシメオンとレビも、シュケムで行った暴虐の故にその権利は与えられず、結局、4番目のこのユダに、その権利が与えられました。ユダについての興味深い記事は、38章と44章に出てきます。そして49章で、ユダからメシヤ、キリストが出てくる事を、ヤコブは預言しました。

 さて、ヤコブの子は十二人であった。ベンヤミンがひとり増えたので、12人になりました。12と言う数字は、聖書で人間の統治の象徴になっています。レアの子はヤコブの長子ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。ラケルの子はヨセフとベニヤミン。ラケルの女奴隷ビルハの子はダンとナフタリ。レアの女奴隷ジルパの子はガドとアシェル。これらはパダン・アラムでヤコブに生まれた彼の子たちである生まれた順で言うと、ラケルの子ヨセフとベンヤミンが一番最後に生まれています。この12人がイスラエル十二部族の先祖となります。

 ヤコブはキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンのマムレにいた父イサクのところに行った。そこはアブラハムとイサクが一時、滞在した所である。イサクの一生は百八十年であった。

 イサクはヤコブが帰ってきたとき、まだ生きていました。ただ、ヤコブを迎えいれたような表現はないので、ぼけてしまっている可能性があります。実際、彼がパダン・アラムを出発してからさえも、50年近く生きていた事になります。彼は、100歳ぐらいの時、自分の死が間近であると思って、エサウを祝福しようとしたのですから、随分計算を間違えたものです。けれども、あの間違いがなければ、あのヤコブの12人の子どもは生まれなかったのです。ここに、主がどのようなことをも、ご自分の栄光のために用いられる事を見ることが出来ます。

 イサクは息が絶えて死んだ。彼は年老いて長寿を全うして自分の民に加えられた。

 これは、死んだ後の黄泉にいる民の事です。キリストがよみがえってから、天国に行くように定められた聖徒たちの集まりです。

 彼の子エサウとヤコブが彼を葬った。

 ヤコブとエサウが一緒に葬りました。場所は、アブラハムとその妻サラが葬られている、マクベラの墓地です。そこに、リベカもレアも葬られました。(創世記49:30−32)。こうして、ヤコブの生涯を見てきました。彼は、祈りによって、自分の力でなく神により頼むことを学びました。また、同じく祈りのおなかで神を礼拝し、人の知恵ではなく神と交わることを学びました。次回は、エサウの系図に少し触れたあと、ヨセフの生涯を勉強します。



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