士師記13−16章 「まき散らされた命の泉」


アウトライン

1A ナジル人 13
   1B 生まれながらの神の人 1−7
   2B 主の使い 8−25
2A 他国の女 14−16
   1B なめらかな唇 14
      1C 一目ぼれ 1−4
      2C 死体の中の蜜 5−9
      3C ごまかし 10−20
   2B 憤り 15
      1C 落ち込み 1−8
      2C 疲れ 9−20
   3B 死への道 16
      1C あからさまな罪 1−3
      2C デリラの誘惑 4−22
         1D 盲目 4−14
         2D 束縛 15−22
      3C 神のあわれみ 23−31

本文

 13章を開いてください。今日は16章まで学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「まき散らされた命の泉」です。13章から16章までのサムソンの話は、士師記の中ではクライマックスになっています。17章以降は、士師の時代に同時進行で起こっていた出来事をいくつか列挙されており、それによってイスラエルの霊的状態がどのようなものであるかが描かれていますが、サムソンが士師記に出てくる最後の士師です。彼がこれまでの士師の中でもっとも力が強いですが、今までの士師の中でもっとも惨めな終わりを遂げています。士師自身が霊的にかなり弱まっており、自分の肉の欲にひかれています。

1A ナジル人 13
1B 生まれながらの神の人 1−7
 イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なったので、主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。

 イスラエルは再び堕落しました。これで七度目の背教です。ペリシテ人の支配下ということですが、ペリシテ人は地中海に面している地域に住んでいた民族であり、イスラエルの地においてもガザやアシュケロンなど、沿岸地域に住んでいました。

 さて、ダン人の氏族で、その名をマノアというツォルアの出のひとりの人がいた。彼の妻は不妊の女で、子どもを産んだことがなかった。

 ダン族は、エルサレムの西の地中海に面する地域を相続地として割り当てられましたが、後にペリシテ人の支配によってガリラヤ上部へと住む場所を移します。そのダンの地に、ツォルアという町がありますが、これはエルサレムから西に約30キロメートルほどのところにあります。

 そこに住んでいたマノアの妻は不妊でした。けれども、サラやリベカ、ハンナやエリザベツなど、聖書に出てくる他の女たちがそうであったように、主が子を宿してくださり、しかも神にささげられた子が与えられるようになります。

 主の使いがその女に現われて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊の女で、子どもを産まなかったが、あなたはみごもり、男の子を産む。今、気をつけなさい。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」

 男の子は、ぶどう酒や強い酒を飲んではいけない、いやこの子を胎に宿している母親も飲んではいけません。そして汚れた物を食べてはいけないとあります。さらに、産まれてくる子の髪をそり落としてはならない、とありますが、それは神へのナジル人であるから、とあります。

 民数記6章を開いてください。ナジル人の説明がそこに書かれています。「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。主のものとして身を聖別している間は、死体に近づいてはならない。(1−6節)

 ここに書かれているように、自分自身を神におささげしたいときに、ある一定の期間を自分で定めて、ナジル人になります。彼は髪の毛をそって、ぶどうから出てくるものを避けて、また死体に近づかないようにします。例えばそれを50日と定めて、その間、神に祈ったりして、時間を過ごすのです。そしてその間に伸びた髪の毛は、祭壇で火によるささげ物として祭司にささげてもらいます。これがナジル人の誓いですが、サムソンは生まれながらにしてのナジル人、つまり、いっさい髪の毛を剃らず、ぶどうの木から出てくるものを避け、死体には触れないことを、一生の間行なう人として選ばれました。

 このような人物には、第一サムエル記に登場するサムエルや、新約聖書の預言者であるバプテスマのヨハネがいます。彼らは神にささげ、神に背いている人々に悔い改めをとなる、神の代弁者としての働きをしていました。

 
その女は夫のところに行き、次のように言った。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いの姿のようで、とても恐ろしゅうございました。私はその方がどちらから来られたか伺いませんでした。その方も私に名をお告げになりませんでした。けれども、その方は私に言われました。『見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。今、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神へのナジル人であるからだ。』」

 女は主の使いが告げたことを夫に伝えました。彼女は彼が単なる人ではなく、神からの方であることに気づきました。

2B 主の使い 8−25
 そこで、マノアは主に願って言った。「ああ、主よ。どうぞ、あなたが遣わされたあの神の人をまた、私たちのところに来させてください。私たちが、生まれて来る子に、何をすればよいか、教えてください。」神は、マノアの声を聞き入れられたので、神の使いが再びこの女のところに来た。彼女は、畑にすわっており、夫マノアは彼女といっしょにいなかった。それで、この女は急いで走って行き、夫に告げて言った。「早く。あの日、私のところに来られたあの方が、また私に現われました。」マノアは立ち上がって妻のあとについて行き、その方のところに行って尋ねた。「この女にお話しになった方はあなたなのですか。」その方は言った。「わたしだ。」マノアは言った。「今、あなたのおことばは実現するでしょう。その子のための定めとならわしはどのようにすべきでしょうか。」すると、主の使いはマノアに言った。「わたしがこの女に言ったことすべてに気をつけなければならない。ぶどうの木からできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命令したことはみな、守らなければならない。」

 主の使いは、マノアの願いに答えて彼に直接、会ってくださいました。

 マノアは主の使いに言った。「私たちにあなたをお引き止めできますでしょうか。あなたのために子やぎを料理したいのですが。」すると、主の使いはマノアに言った。「たとい、あなたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のいけにえをささげたいなら、それは主にささげなさい。」マノアはその方が主の使いであることを知らなかったのである。

 マノアは、彼がまだ尊い人であるかのように思っています。

 そこで、マノアは主の使いに言った。「お名まえは何とおっしゃるのですか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちは、あなたをほめたたえたいのです。」主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞こうとするのか。わたしの名は不思議という。」そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主にささげた。主はマノアとその妻が見ているところで、不思議なことをされた。炎が祭壇から天に向かって上ったとき、マノアとその妻の見ているところで、主の使いは祭壇の炎の中を上って行った。彼らは地にひれ伏した。・・主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。・・そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。

 不思議という名を持った方は、食事ではなく全焼のいけにえをお受けになりました。彼は主の使いであり、主ご自身です。ベツレヘムでお生まれになる前の、イエス・キリストの姿です。(イザヤ書にも、イエスさまが「不思議な助言者(9:6)」と呼ばれています。)

 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のいけにえと穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、いましがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったでしょう。」その後、この女は男の子を産み、その名をサムソンと呼んだ。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。

 バプテスマのヨハネが、その誕生を御使いガブリエルに告げられたように、サムソンもペリシテ人からイスラエルを救う、選ばれた人として生まれてきました。主は彼の成長を豊かに祝福されました。

 
そして、主の霊は、ツォルアとエシュタオルとの間のマハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。

 大人になって、彼は主の霊によって、イスラエルを救うところの働きを始めようとしています。

2A 他国の女 14−16
 ここまでがサムソンに対する神の選びと、その大きな使命と祝福についてです。これからの話は、このようなすばらしい、神の預言者となるように備えられている人が、自ら滅びを招いていく悲劇を読んでいきます。

1B なめらかな唇 14
1C 一目ぼれ 1−4
 サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘でティムナにいるひとりの女を見た。彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。

 サムソンはペリシテ人が住んでいるティムナの町に下っていきました。彼がいたツォルアとアシュタオルの間に谷がありまして、その谷の突き当りがティムナの町です。ダン族は谷の斜面に住んでいましたが、ペリシテ人が平地に住んでいました。サムソンは、敵がいるところに入っていったのです。

 戦いに行くわけでもないのに、ただ遊びに行ったのですからお粗末ですが、もっと悪いのは、そこにいるペリシテ人の女に一目ぼれしたことです。彼の弱さは、外国の女にありました。聖書には、神を畏れない、男を誘惑するような女に近づかないようにとの警告が書かれています。例えば箴言5章です。「他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。(3−6節)」けれども、サムソンはまさに箴言の警告に反したことを行なって、それが彼の命取りとなります。

 サムソンは両親に妻を与えてくれるよう頼んでいますが、当時は親によってお見合い結婚するというのがならわしでしたから、サムソンが頼んでいます。けれども両親は、なぜイスラエルから妻を迎えないのか、と言っています。それもそのはず、申命記には、土地の住民とは決して縁を結んではならない、という戒めがあるからです(7:3−4)。けれどもサムソンはお構いなしです。自分の肉の欲望を、ロマンスと性欲を求めた男でした。

 こうした欲望を満たすことを行なって、なおかつ主の器として用いられていこうとしていたのがサムソンです。これはちょうど、クリスチャンで教会でも奉仕をしているのに、この世も愛していて、それで平気という人と同じです。外側では主にお仕えしているのですが、内面において自分を優先させている姿であります。

 ところが神には、サムソンのこのような性向もすべて見据えた上で、ご自分の計画を立てられていたようです。「主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられた」とあります。サムソンの罪と肉の弱さをも用いて、彼をご自分の栄光のためにお用いになろうとしています。これはちょうど、創世記に出てくる、ヨセフの兄弟たちのようです。ヨセフを奴隷として売った兄弟たちですが、それによってヨセフはエジプトの支配者となり、ヤコブの家族が飢え死にすることなくエジプトに移り住み、生き長らえることができました。主は人の悪をもお用いになることができます。サムソンは、自分が神に選ばれているという自負はありましたが、肉の欲を満たすままにしていた人物でした。

2C 死体の中の蜜 5−9
 こうして、サムソンは彼の父母とともに、ティムナに下って行き、ティムナのぶどう畑にやって来た。見よ。一頭の若い獅子がほえたけりながら彼に向かって来た。このとき、主の霊が激しく彼の上に下って、彼は、まるで子やぎを引き裂くように、それを引き裂いた。彼はその手に何も持っていなかった。サムソンは自分のしたことを父にも母にも言わなかった。

 父母とともにティムナに下ったようですが、途中で彼一人が道をそれてか、先に進んでかして、ぶどう畑の中に入っていきました。ここら辺も、サムソンの、神の戒めに対する無神経さを伺えます。ナジル人は、ぶどうから出たものは、いっさい口にしてはいけません。けれどもぶどう畑にいました。そして、主の霊による怪力によって、ライオンを子やぎのように引き裂きました。

 サムソンは下って行って、その女と話し合った。彼女はサムソンの気に入った。しばらくたってから、サムソンは、彼女をめとろうと引き返して来た。そして、あの獅子の死体を見ようと、わき道にはいって行くと、見よ、獅子のからだの中に、蜜蜂の群れと蜜があった。彼はそれを手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに来て、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を、獅子のからだからかき集めたことは彼らに言わなかった。

 あのライオンが死体となって横たえていましたが、そこに蜜蜂が巣をつくっていました。そこから蜜をかき集めて、指をしゃぶりながら食べていたのですが、ナザレ人の「死体にふれてはいけない」という戒めを破っています。

3C ごまかし 10−20
 彼の父がその女のところに下って行ったとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。人々は、サムソンを見たとき、三十人の客を連れて来た。彼らはサムソンにつき添った。サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに、一つのなぞをかけましょう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを解いて、私に明かすことができれば、あなたがたに亜麻布の着物三十着と、晴れ着三十着をあげましょう。もし、それを私に明かすことができなければ、あなたがたが亜麻布の着物三十着と晴れ着三十着とを私に下さい。」すると、彼らは言った。「あなたのなぞをかけて、私たちに聞かせてください。」そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、そのなぞを明かすことができなかった。

 サムソンは祝宴パーティーの場で、ライオンから蜜が出たことをなぞなぞにしました。「食らうもの」とはもちろんライオンのことです。

 四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「あなたの夫をくどいて、あのなぞを私たちに明かしてください。さもないと、私たちは火であなたとあなたの父の家とを焼き払ってしまう。あなたがたは私たちからはぎ取るために招待したのですか。そうではないでしょう。」

 恐ろしいですね、なぞを明かしてくれなければ火で焼き払うなどと言っています。彼らがやーさんのような人々だったのか、それともペリシテ人自体がそのように暴力的であったのか分かりませんが、火で焼くと脅かされています。

 そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を憎んでばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の民の人々に、なぞをかけて、それを私に解いてくださいません。」すると、サムソンは彼女に言った。「ご覧。私は父にも母にもそれを明かしてはいない。あなたに、明かさなければならないのか。」そうですね、両親にさえ言っていませんでした。彼女は祝宴の続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はそのなぞを自分の民の人々に明かした。

 女は、自分の願いが聞かれるまでサムソンにせがんでいます。先ほど読んだ箴言5章の言葉で、「他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。」とありますが、本当にそのとおりになっています。甘いのは実際の蜂蜜だけでなく、女の唇もです。

 町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、私のなぞは解けなかったろうに。」この「雌の子牛」とは、ティムナの女のことです。そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らからはぎ取って、なぞを明かした者たちにその晴れ着をやり、彼は怒りを燃やして、父の家へ帰った。

 主の霊が下りました。すると、アシュケロンにいるペリシテ人を打ち殺して、それで晴れ着をはぎとりました。主がペリシテ人を倒すというのが、みこころだからです。

 それで、サムソンの妻は、彼につき添った客のひとりの妻となった。

 サムソンの怒りを見て、女の父親はそこの客に彼女を与えてしまいました。

2B 憤り 15
1C 落ち込み 1−8
 しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは一匹の子やぎを持って自分の妻をたずね、「私の妻の部屋にはいりたい。」と言ったが、彼女の父は、はいらせなかった。彼女の父は言った。「私は、あなたがほんとうにあの娘をきらったものと思って、あれをあなたの客のひとりにやりました。あれの妹のほうが、あれよりもきれいではありませんか。どうぞ、あれの代わりに妹をあなたのものとしてください。」

 サムソンは少し頭を冷やして、それからティムナの女のところに戻りました。ところが、彼女は他の男の妻となり、妹を与えると言っています。

 すると、サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私には何の罪もない。」それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕え、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二つの尾の間にそれぞれ一つのたいまつを取りつけ、そのたいまつに火をつけ、そのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放して、たばねて積んである麦から、立穂、オリーブ畑に至るまでを燃やした。いたずらに近い、ものすごいことをしています。それで、ペリシテ人は言った。「だれがこういうことをしたのか。」また言った。「あのティムナ人の婿サムソンだ。あれが、彼の妻を取り上げて客のひとりにやったからだ。」それで、ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。彼らは脅したとおりのことをしました。彼女と父を火で焼きました。すると、サムソンは彼らに言った。「あなたがたがこういうことをするなら、私は必ずあなたがたに復讐する。そのあとで、私は手を引こう。」そして、サムソンは彼らを取りひしいで、激しく打った。それから、サムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。

 サムソンは怒り狂ってペリシテ人を殺しました。そしてその怒りのために、落ち込んでいるようです。岩の裂け目の中に住んで、独りぼっちになっています。

 

2C 疲れ 9−20
 ペリシテ人が上って行って、ユダに対して陣を敷き、レヒを攻めたとき、ユダの人々は言った。「なぜ、あなたがたは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」

 サムソンは、ティムナの女とその父に対してしたことに対する復讐のみで、その後は手を引こうと思っていました。けれどもペリシテ人はそれで終わらせようとしませんでした。今、ユダの人々のところまで来て、サムソンを引き渡すように脅しています。

 そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか。あなたはどうしてこんなことをしてくれたのか。」すると、サムソンは彼らに言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」

 イスラエルはもちろんペリシテ人の支配下にあります。彼らを怒らせるようなことはしないでくれ、とサムソンに頼んでいます。

 彼らはサムソンに言った。「私たちはあなたを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは彼らに言った。「あなたがたは私に撃ちかからないと誓いなさい。」すると、彼らはサムソンに言った。「決してしない。ただあなたをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。私たちは決してあなたを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。

 再び主の霊が彼に臨み、彼に怪力が与えられました。

 
サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。そして、サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」こう言い終わったとき、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。

 生新しいろばのあご骨ということは、これまた死体にサムソンが触れていることになります。彼には、ナザレ人としての神への献身は眼中にないようです。

 そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復して生き返った。それゆえその名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。

 サムソンが激しい戦いの後、疲れ切ってしまいました。もうこれ以上戦えない、自分がペリシテ人の手に落ちてしまうと主に訴えたら、主は彼に水を下さいました。

 こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間、イスラエルをさばいた。

 40年間ペリシテ人から支配を受けていたイスラエルは、その後の20年間、サムソンの働きにより、やや自由が与えられたようです。

 
こうしてサムソンは、自分の女のこと、また復讐のことを考えていただけなのに、ペリシテ人が襲い掛かってくることによって、さらに多くのペリシテ人を打ち殺していきました。イスラエル人たちは、ただペリシテ人の支配の中でじっと我慢しているしかなかったのですが、サムソンがその支配から抜け出て、たった一人で戦いました。サムソンの動機は非常に個人的で、自分中心的なものでありますが、その悪い動機をも主が用いられて、ペリシテ人からイスラエルを救おうとされたのです。

 ここでもう一度覚えておくべきことは、サムソンはまったく神のことを考えていなかった粗暴な者ではなかった、ということです。ペリシテ人に勝った後に、「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。」と言いました。彼には信仰があったのです。いや、ヘブル11章の信仰の英雄の中に、彼の名が連ねられています。彼の問題は、外側の働きについては忠実だったのですが、内側の主への献身、主とのいのちある関係に対して無頓着であったということです。これは先ほども話しましたが、伝道には熱心で、多くの人が救われているのに、個人の霊的生活においてきわめて粗暴になっている人のような状態です。

3B 死への道 16
 けれども、このような状態をずっと続けられるものではありません。サムソンが、死への道を歩み始めるところを見ていきます。

1C あからさまな罪 1−3
 サムソンは、ガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところにはいった。このとき、「サムソンがここにやって来た。」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、「明け方まで待ち、彼を殺そう。」と言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。しかしサムソンは真夜中まで寝て、真夜中に起き上がり、町の門のとびらと、二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩にかついで、ヘブロンに面する山の頂へ運んで行った。

 サムソンは、ペリシテ人が住む地域に再び行きました。そこで女を再び見つけました。今度は遊女、売春婦です。彼の罪はますます、大きく、あからさまになっています。けれども、彼に与えられた神の力は備えられています。彼は、自分が何をしても神に選ばれたナジル人であるという自負は持っていたようでした。

2C デリラの誘惑 4−22
 しかし、その欺きはついに終わります。彼はデリラという女のところに入ります。

1D 盲目 4−14
 その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」

 ペリシテ人の領主は五人いたので、全部で銀五千五百枚、デリラが受け取ることになります。

 そこで、デリラはサムソンに言った。「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」

 この女の言っていることをよく見てください。「どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう」と、はっきりと自分が彼を苦しめたい意図を明らかにしています。信じられませんが、サムソンはその質問に平然と答えています。これが、罪を犯している者に起こることです。つまり、盲目になってしまうことです。人には、識別力が与えられています。知的な識別力だけでなく、霊的な識別力も与えられています。それはヘブル書5章14節に書いてあるように、みことばによる霊的成熟によって可能になります。けれども私たちが罪を犯しているとき、「ちょっとぐらいいいだろう」と罪をもてあそんでいるとき、あまりにもはっきりしていることが見えなくなります。判断力が鈍くなります。自分がどのような危険に置かれているか、分からなくなります。使徒ヨハネは、兄弟を憎む罪についてこう言いました。「兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。(1ヨハネ2:11)

 そこで、ペリシテ人の領主たちは、干されていない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、奥の部屋に待ち伏せしている者をおいていた。そこで彼女は、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」と言った。しかし、サムソンはちょうど麻くずの糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力のもとは知られなかった。

 これでサムソンは気づけば良いのですが、だめなようです。次を読みましょう。

 デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして、うそをつきました。さあ、今度は、どうしたらあなたを縛れるか、教えてください。」すると、サムソンは彼女に言った。「もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンはその綱を糸のように腕から切り落とした。

 綱も糸のように切り落としました。

 デリラはまた、サムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のおさで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のおさで突き刺し、彼に言った。「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた。

 サムソンは自分が嘘をつきつづけられる、自分は大丈夫だと思っていたことでしょう。けれども、自分がどれほど弱くなっているかに気づいていませんでした。ついに、真実に近いことを明かしました。自分の髪をなんとかすれば、力がなくなるとばらしてしまったのです。私たちも罪を犯すときに、自分をごまかすことがあります。「私は罪を直接、犯していない。思いの中で弄んでいるだけだから、大丈夫だ。」という具合に、です。けれども、それは間違いです。

2D 束縛 15−22
 そこで、彼女はサムソンに言った。「あなたの心は私を離れているのに、どうして、あなたは『おまえを愛する。』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのかを教えてくださいませんでした。」こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。

 サムソンは、先にティムナの女になじられたように、デリラによってなじられました。そして同じ過ちを繰り返します。

 
「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」デリラは、サムソンが自分の心をみな明かしたことがわかったので、人をやって、ペリシテ人の領主たちを呼んで言った。「今度は上って来てください。サムソンは彼の心をみな私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来た。そのとき、彼らはその手に銀を持って上って来た。彼女は自分のひざの上でサムソンを眠らせ、ひとりの人を呼んで、彼の髪の毛七ふさをそり落とさせ、彼を苦しめ始めた。彼の力は彼を去っていた。

 彼の力が髪の毛に物理的に存在するということではありません。神に髪をそってはいけないと言われ、その神への献身を捨ててしまったことによって、力を失ってしまいました。

 彼女が、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」と言ったとき、サムソンは眠りからさめて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう。」と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。

 恐ろしいことですが、これが、罪が私たちに行なうことです。自分は大丈夫だと思っているのですが、実は主の御霊が自分から去っていっている、ということです。主が去られたことさえ、気づいていないことです。私たちが罪を悔い改めなければ、外側では敬虔であるかのように振舞っても、内側は枯れた、実を結ばない木のように、神とのいのちの関係がなくなっていることがあるのです。自分の内にある命の泉を外にばらまけば、いつかその泉さえが取り上げられることがあります。

 そこで、ペリシテ人は彼をつかまえて、その目をえぐり出し、彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。

 罪を犯し続けると、自分が気づいたときには、そこから抜け出すことができない、束縛された状態になります。サムソンが気づいたときには、臼をひいているようにです。

 しかし、サムソンの頭の毛はそり落とされてから、また伸び始めた。

 ここに神のあわれみと恵みがあります。失格者となったサムソンですが、それでもここで毛が伸び始めているところに、神が彼を完全にはお見捨てになっていないことを表しています。そこで、彼は最後に主に大きく用いられることになります。

3C 神のあわれみ 23−31
 さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえをささげて楽しもうと集まり、そして言った。「私たちの神は、私たちの敵サムソンを、私たちの手に渡してくださった。」民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「私たちの神は、私たちの敵を、この国を荒らし、私たち大ぜいを殺した者を、私たちの手に渡してくださった。」

 ダゴンはペリシテ人の偶像です。人魚のように下半身は魚ですが、上半身は人の姿になっています。でも、人魚は女性ですが、ダゴンは男性です。

 ここで、ペリシテ人がダゴンのほうが強いことをほめたたえています。これがクリスチャンが罪を犯したときに起こることです。私たちの神の名を不信者によってそしられることです。「クリスチャンなのに、こんなことしているの・・・」と言われて、キリストの御名が汚されます。

 彼らは、心が陽気になったとき、「サムソンを呼んで来い。私たちのために見せものにしよう。」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で戯れた。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、サムソンは自分の手を堅く握っている若者に言った。「私の手を放して、この宮をささえている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」

 サムソンには、彼を抑えているのに強い男は必要ありませんでした。若者、男の子の力で十分でした。神の力がないサムソンは、こんな弱い者だったのです。

 宮は、男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、サムソンが演技するのを見ていた。

 ペリシテ人は、これまで苦しめてきたサムソンが見るも無残な格好になっているのを見て、本当にうれしかったようです。「サムソンめ、ざまあみろ!」と言って、非常に喜んでいます。

 サムソンは主に呼ばわって言った。「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」

 主は、サムソンをあわれんで、この祈りに答えてくださいます。

 そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかった。そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう。」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。

 サムソンの最後はなんとむなしいことでしょうか?自殺行為によって彼は死にました。けれども、神はそれでもサムソンを大いに用いられました。これまで殺した数の総計よりも、さらに多い人数をサムソンは最後に殺すことができたのです。

 そこで、彼の身内の者や父の家族の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルとの間にある父マノアの墓に彼を運んで行って葬った。サムソンは二十年間、イスラエルをさばいた。

 家族の人たちは、サムソンのことをどう思ったのでしょうか?もちろん非常に悲しかったに違いありません。主の使いが現われて、ナジル人として生まれて来たのに、最後の姿はあまりにも惨めです。それでもペリシテ人を多く倒したことを思い、彼らは主のみわざを思ったことでしょう。

 こうしてサムソンの生涯を見てきました。パウロは、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(1コリント10:12)」と言いましたが、主の霊を受けて力強い働きをしているからと言って、決して、主とのいのちの関係が保障されているものではないことを、学び得たかと思います。

 数回、引用しました箴言5章の言葉、他国の女に近づくなという戒めの中に、こういう言葉があります。「あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてもよいものか。(16節)」あなたの泉、というのは、ここでは自分から出る精液のことであり、外の通りというのは、他国人の女のことを指しています。けれども霊的にも、神とのいのちの関係、神に一途になって、他のものに自分の命を売ってはならない、霊のいのちを育みなさい、という教訓としても受け止められます。お祈りしましょう。


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