士師記19−21章 「ギブアの日」


アウトライン

1A 女性蔑視 19
   1B そばめとの和解 1−15
      1C 義父のもてなし 1−9
      2C エブス人の回避 10−15
   2B ソドムの罪 16−30
      1C 広場にすわる旅人 16−21
      2C 性の物品化 22−30
2A 過剰な懲罰 20
   1B イスラエルの団結 1−11
   2B 敗北 12−28
      1C 悪の除去 12−16
      2C へりくだりと悔い改め 18−28
   3B 勝利 29−48
      1C 賢い戦略 29−35
      2C 壊滅 36−48
3A 作為的解決 21
   1B 性急な誓い 1−7
   2B さらなる罪 8−25
      1C 虐殺 8−15
      2C 強奪 16−25

本文

 士師記19章を開いてください。今日は士師記の最後の学びになります、21章まで学びます。ここでのテーマは、「ギブアの日」です。ベニヤミン族の相続地にあるギブアという町で、恐ろしい罪が行なわれました。数百年後にイスラエルについて預言をしたホセアが、「彼らはギブアの日のように、真底まで堕落した。主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。(9:9)」と言いました。これから、悪い意味で記念すべき日となった出来事について読みます。

1A 女性蔑視 19
1B そばめとの和解 1−15
1C 義父のもてなし 1−9
 イスラエルに王がなかった時代のこと、ひとりのレビ人が、エフライムの山地の奥に滞在していた。この人は、そばめとして、ユダのベツレヘムからひとりの女をめとった。

 前回から私たちは、士師記を年代順に追ってではなく、士師の時代に起こった事件を取り上げている箇所を読んでいます。前回の17章と18章は、エフライムにいたミカという人が、ユダのベツレヘム出のレビ人を雇って、自分の祭司にしたことを読みました。その後で、ダン族がやって来て、その祭司をミカから奪い取って、イスラエル北部のライシュという町を自分たちの領土としたところを読みました。それ以来、その町はアッシリヤによって滅ぼされるまでずっと、偶像崇拝が行なわれ続けた町となりました。

 そして19章は、「イスラエルに王がなかった時代のこと」という言葉から始まっています。17章と18章にも繰り返し、この言葉が出てきました。王がおらず、イスラエルの人たちは自分の目に正しいと思うことを行なっていった、ということが書かれていました。まるで現代の思想を表現しているようです。絶対的な基準はなく、おのおのが正しいと感じるところを行なえばよい、という状況倫理です。しかし、そのような考えの下、社会がいかに混乱するかは、士師記に如実に現われています。

 前回と同じく、19章には、レビ人が登場人物として現われます。もちろん前に出てきたレビ人とは違う人物です。そして彼は、エフライムの山地の奥に滞在していたとありますが、ミカが同じところに住んでいました。ミカの祭司になったレビ人は、ユダのベツレヘム出の人でしたが、ここに出てくるレビ人は、ユダのベツレヘム出身の女をそばめに迎えています。似たような舞台設定で起こった出来事です。

 ここで書かれている「そばめ」は、結婚している相手と考えて大丈夫です。妻に与えられている特権は付与されていないけれども、その他は夫婦としての関係を持っている人です。

 ところが、そのそばめは彼をきらって、彼のところを去り、ユダのベツレヘムの自分の父の家に行き、そこに四か月の間いた。

 きらって」と訳されている箇所は、原語では「姦淫をして」となっています。そばめは姦淫の罪を犯してしまったようです。それで彼のところを去りました。

 そこで、彼女の夫は、ねんごろに話をして彼女を引き戻すために、若い者と一くびきのろばを連れ、彼女のあとを追って出かけた。彼女が夫を自分の父の家に連れてはいったとき、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。

 夫は女と和解するためにベツレヘムにまで下ってきました。

 娘の父であるしゅうとが引き止めたので、彼は、しゅうとといっしょに三日間とどまった。こうして、彼らは食べたり飲んだりして、夜を過ごした。四日目になって朝早く、彼は出かけようとして立ち上がった。すると、娘の父は婿に言った。「少し食事をして元気をつけ、そのあとで出かけなさい。」それで、彼らふたりは、すわって共に食べたり飲んだりした。娘の父はその人に言った。「どうぞ、もう一晩泊まることにして、楽しみなさい。」その人が出かけようとして立ち上がると、しゅうとが彼にしきりに勧めたので、彼はまたそこに泊まって一夜を明かした。五日目の朝早く、彼が出かけようとすると、娘の父は言った。「どうぞ、元気をつけて、日が傾くまで、ゆっくりしていなさい。」そこで、彼らふたりは食事をした。それから、その人が自分のそばめと、若い者を連れて、出かけようとすると、娘の父であるしゅうとは彼に言った。「ご覧なさい。もう日が暮れかかっています。どうぞ、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まって、楽しみなさい。あすの朝早く旅立って、家に帰ればいいでしょう。」

 娘の父は、中近東の習慣にあるように訪問者を篤くもてましました。それに、自分の義理の息子なのですから、愛情もあって、彼が帰るのを引き止め、長引かせました。けれども彼は立ち去ることにします。これが、残念なことに悲劇のきっかけになります。

2C エブス人の回避 10−15
 その人は泊まりたくなかったので、立ち上がって出て行き、エブスすなわちエルサレムの向かい側にやって来た。

 当時、エルサレムはエブス人の町でした。ヨシュアを通して主が攻め取りなさいと命じられた土地や町々をイスラエルは攻め取らなかったことを、士師記の最初の部分で学びましたが、エルサレムがイスラエルのものとなるのは、ダビデが王となってからです。

 鞍をつけた一くびきのろばと彼のそばめとが、いっしょだった。彼らがエブスの近くに来たとき、日は非常に低くなっていた。それで、若い者は主人に言った。「さあ、このエブス人の町に寄り道して、そこで一夜を明かしましょう。」すると、彼の主人は言った。「私たちは、イスラエル人ではない外国人の町には立ち寄らない。さあ、ギブアまで進もう。」それから、彼は若い者に言った。「さあ、ギブアかラマのどちらかの地に着いて、そこで一夜を明かそう。」

 イスラエル人として、正しいことを行なっています。外国の人々と関わりを持ってはいけない、というモーセの律法を彼は知っていました。エルサレムよりさらに北にあるギブアは、ベニヤミンの子らが住んでいます。そこに向かうことに決めました。

 こうして、彼らは進んで行った。彼らがベニヤミンに属するギブアの近くに来たとき、日は沈んだ。彼らはギブアに行って泊まろうとして、そこに立ち寄り、町にはいって行って、広場にすわった。だれも彼らを迎えて家に泊めてくれる者がいなかったからである。

 不穏な空気がただよっています。今話したように、中近東の文化では旅人をもてなすことは、非常に大切なことでした。(現在でも、ベトウィンはこの習慣を守っています。)当時は旅館のようなものはなかったので、自分の家の屋根の下に宿泊させるのは、絶対にしなければならないことと考えられていました。たとえ自分が憎んでいる相手でも、自分の屋根の下にいるかぎり、何の手も出してはいけないことになっていました。ところが、今、レビ人たちを泊めてくれるところが何一つないのです。当時の習慣だけでなく、彼は、ベニヤミン人にとって、自分たちの隣人であるイスラエル人です。泊めないのはおかしいです。

2B ソドムの罪 16−30
1C 広場にすわる旅人 16−21
 そこへ、夕暮れになって野ら仕事から帰ったひとりの老人がやって来た。この人はエフライムの山地の人で、ギブアに滞在していた。この土地の者たちはベニヤミン族であった。目を上げて、町の広場にいる旅人を見たとき、この老人は、「どちらへおいでですか。どちらからおいでになったのですか。」と尋ねた。そこで、その人は彼に言った。「私たちは、ユダのベツレヘムから、エフライムの山地の奥まで旅を続けているのです。私はその奥地の者です。ユダのベツレヘムまで行って来ました。今、主の宮へ帰る途中ですが、だれも私を家に迎えてくれる者がありません。私たちのろばのためには、わらも飼葉もあり、また、私と、妻と、私たちといっしょにいる若い者とのためにはパンも酒もあります。足りないものは何もありません。」すると、この老人は言った。「安心なさい。ただ、足りないものはみな、私に任せて。ただ広場では夜を過ごさないでください。」こうして彼は、この人を自分の家に連れて行き、ろばに、まぐさをやった。彼らは足を洗って、食べたり飲んだりした。

 たまたま、レビ人と同じエフライム出身の老人と出会わせました。彼はレビ人を迎え入れました。そして、「広場では夜を過ごさないでください」と言っています。その理由が次に出てきます。

2C 性の物品化 22−30
 彼らが楽しんでいると、町の者で、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで、戸をたたき続けた。そして彼らは、その家の主人である老人に言った。「あなたの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」

 この「知りたい」は、陵辱したい、レイプしたい、ということです。つまりこの男たちは、ホモ集団でした。似たような出来事を思い出せるでしょうか、そうです、ソドムでの出来事です。二人の御使いがソドムの町に行きました。ソドムの町にはロトが住んでいましたが、二人は彼のところにやって来ました。家でお泊りになるようにとしきりに勧めるロトに対して、二人は、「いや、わたしたちは広場に泊まろう」と言いました。けれどもロトは、なんとしてでも広場では泊まらないでほしい、自分の家で泊まってほしいと言って、二人は彼の家に泊まる人にしました。

 ロトが広場で泊まらせなかった理由が、ここで書かれているのと同じです。ソドムの男たちがその家を取り囲んで、ロトに向かって叫びました。「今夜お前のところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。(創世記19:5」この恐ろしい罪のゆえに、ソドムの町は火と硫黄によって滅ぼされました。ところが、今、なんとこの罪がイスラエルの中で、ベニヤミン人の間で行なわれていたのです。

 そこで、家の主人であるその人は彼らのところに出て行って言った。「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。この人が私の家にはいって後に、そんな恥ずべきことはしないでくれ。ここに処女の私の娘と、あの人のそばめがいる。今、ふたりを連れ出すから、彼らをはずかしめて、あなたがたの好きなようにしなさい。あの人には、そのような恥ずべきことはしないでくれ。」

 ここで老人が話していることも、ソドムでロトが話したことと同じです。宿泊している旅人を守ることは至上命令であると話しましたが、それは自分の娘や妻よりもさらに大事なものとされていました。しかしもちろん、神の律法の下では女性の権利は守られています。このエフライム人は、当時の習慣においては正しいことをしているのですが、神の目にはそうではないことを行なっています。

 しかし、人々は彼に聞こうとしなかった。そこで、その人は自分のそばめをつかんで、外の彼らのところへ出した。すると、彼らは彼女を犯して、夜通し、朝まで暴行を加え、夜が明けかかるころ彼女を放した。

 なんとレビ人は、自分のそばめを外に出してしまいました。おそらくは、老人のことを思い図って、彼の娘ではなく自分のそばめが犠牲になってもらおうと思ったのでしょう。彼の目には正しいことですが、もちろん神の目には悪です。それで、彼女は一晩中、集団暴行を受けました。

 夜明け前に、その女は自分の主人のいるその人の家の戸口に来て倒れ、明るくなるまでそこにいた。その女の主人は、朝になって起き、家の戸を開いて、旅に出ようとして外に出た。見ると、そこに自分のそばめであるその女が、手を敷居にかけて、家の入口に倒れていた。それで、彼はその女に、「立ちなさい。行こう。」と言ったが、何の返事もなかった。それで、その人は彼女をろばに乗せ、立って自分の所へ向かって行った。

 レビ人の、そばめに対する態度に注目してください。彼は、女のことはどうなったかをまったく考慮に入れていないようです。家の戸を開いたら、そのまま旅に出ようとして外に出ています。そして、倒れている女を見て、どうしたのか?とも聞かずに、「立ちなさい、行こう」と言っています。

 彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分のそばめをつかんで、その死体を十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った。それを見た者はみな言った。「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考えて、相談をし、意見を述べよ。」

 レビ人は、この陵辱をとてつもない大きな罪であることを認めました。それで彼女の体を12に切り分けて、各イスラエル部族に送りつけました。どれだけ恐ろしい罪が行なわれたかを知らせるには、非常に効果的な方法ではありますが、自分のそばめの死体をこうも残虐に取り扱うことができるものかと驚いてしまいます。

 私たちは前回、ダン族が強引にミカの家から偶像を取り出し、祭司を盗み、ライシュの人々を虐殺した箇所を読みましたが、イスラエルの中にこのような残虐性や横暴がはびこっていたことが、このギブアの出来事を見てもよく分かります。神がなぜソドムの人々を滅ぼし、またイスラエルに、カナン人をことごとく打ち殺せと命じられたのかが、理解できます。このような恐ろしいことが日常茶飯事の出来事として起こっており、その猛毒からイスラエルを守らなければいけないことを主はよくご存知だったからです。けれども、イスラエルが主の命令を守ることに不完全であったために、自分のたちの中に、知らず知らずのうちにこのような残虐性を持ち込んでしまったのです。

2A 過剰な懲罰 20
1B イスラエルの団結 1−11
 そこで、ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に至るイスラエル人はみな、出て来て、その会衆は、こぞってミツパの主のところに集まった。

 イスラエル人たちが、その全域から集まってきました。「ダンからベエル・シェバ」というのは、前回学びましたが、イスラエルの北端から南端まで、イスラエルの全域を言い表す言葉です。そして、ギルアデの地とは、ヨルダン川東岸、ルベン族、ガテ族、マナサ半部族が住んでいる地域です。(そして、ここの「ミツパ」は、ヨルダン川の東にあるミツパではなく、ベニヤミン族の相続地の中にある町です。)

 イスラエルの全部族、民全体のかしらたち、四十万の剣を使う歩兵が神の民の集まりに出た。・・ベニヤミン族は、イスラエル人がミツパに上って来たことを聞いた。・・イスラエル人は、「こんな悪い事がどうして起こったのか、話してください。」と言った。殺された女の夫であるレビ人は答えて言った。「私は、そばめといっしょに、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。すると、ギブアの者たちは私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと計りましたが、彼らは私のそばめに暴行を加えました。それで彼女は死にました。そこで私は、そばめをつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの相続地の全地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で、みだらな恥ずべきことを行なったからです。さあ、あなたがたイスラエル人のすべてよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」

 イスラエルはレビ人に、事の次第を説明させました。そこでベニヤミン族を除くイスラエル人たちは、全会一致で結論を出しました。

 そこで、民はみな、こぞって立ち上がって言った。「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。今、私たちがギブアに対してしようとしていることはこうだ。くじを引いて、攻め上ろう。私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人をとって、民のための糧食を持って行かせ、民がベニヤミンのギブアに行って、ベニヤミンがイスラエルでしたこのすべての恥ずべき行ないに対して、報復させよう。」こうして、イスラエル人はみな団結し、こぞってその町に集まって来た。

 イスラエルは、このことに対して懲罰を与えなければいけないと判断しました。攻め入って、悪いことをした者どもを滅ぼさなければいけないと判断しました。十分の一のイスラエル人は、戦いにいく人々のための糧食を持って行かせました。

2B 敗北 12−28
1C 悪の除去 12−16
 それから、イスラエルの諸部族は、ベニヤミンの諸族のすべてに人をやって言わせた。「あなたがたのうちに起こったあの悪い事は、何ということか。今、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡せ。彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去ろう。」

 イスラエル人たちは、ベニヤミン族に対して、その悪いことをした者どもを引き渡しなさい、と説き勧めています。ちょうど米同時多発テロが起こった後に、アメリカがアフガニスタンのタリバン政権に対して、アルカーダの一味を引き渡すように要求するのと似ています。悪を取り除く、という原則です。

 ベニヤミン族は、自分たちの同族イスラエル人の言うことに聞き従おうとしなかった。それどころか、ベニヤミン族は町々からギブアに集まり、イスラエル人との戦いに出て行こうとした。

 ベニヤミンは、その悪い者どもを引き渡すのではなくかえって、かえって守ろうとしてしまいました。自分たちの仲間を守ることは大事なことでありますし、人間や動物に与えられた自己保存の欲求です。けれども、私たちが、神が言われていることよりも、自分たちを守ることを優先するなら、それは間違いです。これは教会の中でも起こるでしょう。自分の家族の中でも、自分の社会や国でも起こるでしょう。神が言われていることを、最優先しなければいけません。

 その日、ベニヤミン族は、町々から二万六千人の剣を使う者を召集した。そのほかにギブアの住民のうちから七百人の精鋭を召集した。この民全体のうちに、左ききの精鋭が七百人いた。彼らはみな、一本の毛をねらって石を投げて、失敗することがなかった。

 ベニヤミンが用意したのは二万六千人の兵士と精鋭部隊でした。

2C へりくだりと悔い改め 18−28
 イスラエル人は立ち上がって、ベテルに上り、神に伺って言った。「私たちのため、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うのでしょうか。」すると、主は仰せられた。「ユダが最初だ。」朝になると、イスラエル人は立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。イスラエル人はベニヤミンとの戦いに出て行った。そのとき、イスラエル人はギブアで彼らと戦うための陣ぞなえをした。ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエル人二万二千人をその場で殺した。しかし、この民、イスラエル人は奮い立って、初めの日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。

 イスラエルには40万の兵がいます。けれども惨敗してしまいました。2万2千人も殺されました。ギブアの町がその地形上、そこから攻めやすいという利点がありました。人数の多い、少ないはあまり関係なかったようです。

 そしてイスラエル人は上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺って言った。「私は再び、私の兄弟ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」すると、主は仰せられた。「攻め上れ。」そこで、イスラエル人は次の日、ベニヤミン族に攻め寄せたが、ベニヤミンも次の日、ギブアから出て来て、彼らを迎え撃ち、再びイスラエル人のうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。

 再び負けてしまいました。1万8千人の尊い命が奪われました。

 それで、すべてのイスラエル人は、全民こぞってベテルに上って行って、泣き、その所で主の前にすわり、その日は、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげた。そして、イスラエル人は主に伺い、・・当時、神の契約の箱はそこにあった。

 ベテルは、ミツパよりもさらに北にあります。かつて主がヤコブに、天のはしごによって現われてくださったとことです。そこに神の契約の箱がありました。そして泣いています。全焼のいけにえと和解のいけにえもささげて、また断食をして彼らは泣いています。

 なぜ主は、二度も負け戦であることをご存知であったのに、「攻め上れ」とおっしゃったのでしょうか?おそらくは、彼らがこのようにへりくだって、悔い改め、主に願い求めるように導かれたものと思われます。ベニヤミンが犯した罪は、決して彼らだけの罪ではありません。イスラエル全体の罪です。そしてイスラエルが身をもってこのことを自分たちの罪であることを知るために、自分たちが霊的に弱くなってしまっていることを知るために、また主に心と尽くして拠り頼むようにさせるために、主があえて彼らが自分たちの方法で戦いに出て行くことをお許しになったのではないでしょうか?

 私たちも、教会の中で、家族の中で、自分たちの仲間で罪が見出されたとき、それを自分たちのものとして、神の前でへりくだることができるかどうかが試されます。その罪や悪によって、自分たちが心に抱いていた高慢や、その他の罪が明らかにされることがあります。

 当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた。・・

 ピネハスが祭司であったということは、士師記のかなり早い時期であることが分かります。ピネハスは、モーセがまだ生きているとき、ヨルダン川の東で、モアブ人の娘がイスラエルの宿営にはいってきて不品行を行わせたとき、神のねたみを自分のものとして、イスラエル人の男とモアブ人の女のカップルを剣で刺し通して、神罰をしずめた人物です。ですからヨシュアが死んでそう長い年月が経っていない時に起こった出来事であることが分かります。

 そして言った。「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は仰せられた。「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」

 主は今度は、「あす、彼らをあなたがたの手に渡す」と勝利を約束されました。

3B 勝利 29−48
1C 賢い戦略 29−35
 そこで、イスラエルはギブアの回りに伏兵を置いた。三日目にイスラエル人は、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣ぞなえをした。すると、ベニヤミン族は、この民を迎え撃つために出て来た。彼らは町からおびき出された。彼らは、一つはベテルに、他の一つはギブアに上る大路で、この前のようにこの民を打ち始め、イスラエル人約三十人を戦場で刺し殺した。ベニヤミン族は、「彼らは最初のときのようにわれわれに打ち負かされる。」と思った。イスラエル人は言った。「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう。」イスラエル人はみな、その持ち場を立ち、バアル・タマルで陣ぞなえをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバからおどり出た。こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かってやって来た。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気がつかなかった。こうして、主がイスラエルによってベニヤミンを打ったので、イスラエル人は、その日、ベニヤミンのうち二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。

 主が勝利を約束されてから、イスラエルには神からの知恵が与えられたようです。ギブアは攻略しにくい地形になっていますが、おびきよせてその町から出て行くようにさせて、待ち伏せしていた伏兵たちがその間にギブアの町の中に攻め入るようにさせる、という戦法です。これが効をなしました。覚えていますが、ヨシュアがアイの町を攻略するときに、同じ方法を使いました。彼らは、伝え聞いていたであろう戦術を、主の前でへりくだったときに、思い起こさせていただいたのです。

2C 壊滅 36−48
 次に、今の勝利がさらに詳しく説明されています。ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見た。イスラエル人がベニヤミンの前から退却したのは、ギブアに対して伏せていた伏兵を信頼したからであった。伏兵は急ぎギブアに突入した。伏兵はその勢いに乗って、町中を剣の刃で打ちまくった。イスラエル人と伏兵との間には、合図が決めてあって、町からのろしが上げられたら、イスラエル人は引き返して戦うようになっていた。ベニヤミンは、約三十人のイスラエル人を打ち殺し始めた。「彼らは、きっと最初の戦いのときのように、われわれに打ち負かされるに違いない。」と思ったのである。そのころ、のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンは、うしろを振り向いた。見よ。町全体から煙が天に上っていた。そこへ、イスラエル人が引き返して来たので、ベニヤミン人は、わざわいが自分たちに迫っているのを見て、うろたえた。それで、彼らはイスラエル人の前から荒野のほうへ向かったが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して、彼らを殺した。イスラエル人はベニヤミンを包囲して追いつめ、ヌアから東のほうギブアの向こう側まで踏みにじった。こうして、一万八千人のベニヤミンが倒れた。これらの者はみな、力ある者たちであった。また残りの者は荒野の方に向かってリモンの岩に逃げたが、イスラエル人は、大路でそのうちの五千人を打ち取り、なお残りをギデオムまで追跡して、そのうちの二千人を打ち殺した。こうして、その日ベニヤミンの中で倒れた者はみなで二万五千人、剣を使う力ある者たちであった。それでも、六百人の者は荒野のほうに向かってリモンの岩に逃げ、四か月間、リモンの岩にいた。

 ベニヤミンに残された戦士は六百人のみで、彼らはリモンの岩に隠れていました。

 イスラエル人は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町をはじめ、家畜、見つかったものすべてを剣の刃で打ち、また見つかったすべての町々に火を放った。

 ここに行き過ぎがあります。ベニヤミンの戦う者たちだけでなく、そこに住む者たちみなをすべて滅ぼしてしまいました。過剰な懲罰です。必要以上に報復を与えました。ここに、他のイスラエル人もまた、ベニヤミンにあった残虐性や、横暴から無関係でなかったことが分かります。

3A 作為的解決 21
 この愚かな行為のために、また、次に見る愚かな誓いのために、イスラエル人たちはさらに自分たちの首をしめるようなことをします。

1B 性急な誓い 1−7
 イスラエル人はミツパで、「私たちはだれも、娘をベニヤミンにとつがせない。」と言って誓っていた。そこで、民はベテルに来て、そこで夕方まで神の前にすわり、声をあげて激しく泣いた。そして、彼らは言った。「イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが起こって、きょう、イスラエルから一つの部族が欠けるようになったのですか。」

 イスラエル人たちは、自分たちの娘をベニヤミンにとつがせないという誓いを戦いの前に立てていたようです。それなのに、ベニヤミンの女たちを家畜などとともに殺してしまったのです。それで、「なぜイスラエルにこのようなことが起こって、一部の部族が欠けるようになったのですか?」と主に聞いているのです。彼らの主の前における涙は真実なものでしょう。けれども、自分たちの思いが主と一つになっておらず、自分たちの方法で推し進めたために、このような面倒なことになってしまいました。

 私たちも同じように、御霊に導かれたのではなく、自分たちの方法、自分たちの能力、自分たちが良いと思っていることで、神のみこころを行なおうとしてしまう傾向を持っています。伝道、祈り、礼拝などの、主に喜ばれる活動でさえ、自分たちの方法で成し遂げようとする傾向を持っています。方法をも、主の御霊によって導かれるよう、一歩、一歩、祈っていかなければいけません。

 翌日になって、民は朝早く、そこに一つの祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。そこで、イスラエルの人々は、「イスラエルの全部族のうちで、主のところの集まりに上って来なかった者はだれか。」と言った。彼らがミツパの主のところに上って来なかった者について、「その者は必ず殺されなければならない。」と言って、重い誓いを立てていたからである。

 
彼らはもう一つ、性急な誓いを立てていました。ミツパのところに来なかった者たちは必ず殺されなければいけない、という誓いです。これも不必要な誓いです。私たちが主から、やりなさいと命じられたことは、「はい、わかりました。」と言って行なえば良いのです。何か大きな約束事をして行なう必要はないのです。

 イスラエル人は、その兄弟ベニヤミンのことで悔やんだ。それで言った。「きょう、イスラエルから、一つの部族が切り捨てられた。あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうすればよいだろうか。私たちは主にかけて、彼らに娘をとつがせないと誓ったのだ。」

 主には不可能なことはあろうか、とアブラハムとサラに主が言われましたが、彼らも同じように考えれば良かったのです。けれども、自分たちの誓いでがんじがらめなっているので、また人間的な、作為的な方法を考え付きました。

2B さらなる罪 8−25
1C 虐殺 8−15
 ついで、彼らは言った。「イスラエルの部族のうちで、どこの者がミツパの主のところに上って来なかったのか。」見ると、ヤベシュ・ギルアデからは、ひとりも陣営に、その集まりに、出ていなかった。

 ヤベシュ・ギルアデは、ヨルダン川の東岸、ガド族の相続地の北端にある町です。

 民は点呼したが、ヤベシュ・ギルアデの住民はひとりもそこにいなかった。会衆は、一万二千人の勇士をそこに送り、彼らに命じて言った。「行って、ヤベシュ・ギルアデの住民を、剣の刃で打て。女や子どもも。あなたがたは、こうしなければならない。男はみな、そして男と寝たことのある女はみな、聖絶しなければならない。」こうして、彼らはヤベシュ・ギルアデの住民のうちから、男と寝たことがなく、男を知らない若い処女四百人を見つけ出した。彼らは、この女たちをカナンの地にあるシロの陣営に連れて来た。

 愚かなことです。彼らはさらに、イスラエルの数を減らすような行為に走りました。これは言い訳ができません、虐殺です。自分たちが愚かな誓いを立てたために、さらに罪を重ねました。

 それから、全会衆は、リモンの岩にいるベニヤミン族に使いをやり、彼らに和解を呼びかけたが、そのとき、ベニヤミンは引き返して来たので、ヤベシュ・ギルアデの女のうちから生かしておいた女たちを彼らに与えた。しかし、彼らには足りなかった。民はベニヤミンのことで悔やんでいた。主がイスラエルの部族の間を裂かれたからである。

 残っているベニヤミン人は600人いて、今、ベヤシュ・ギルアデの女は400人しかおらず、200人足りない、ということになります。

2C 強奪 16−25

 そして、イスラエルは、さらに愚かな案を思いつきます。そこで、会衆の長老たちは言った。「あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうしたらよかろう。ベニヤミンのうちから女が根絶やしにされたのだ。」ついで彼らは言った。「ベニヤミンののがれた者たちの跡継ぎがなければならない。イスラエルから一つの部族が消し去られてはならない。しかし、私たちの娘を彼らにとつがせることはできない。イスラエル人は、『ベニヤミンに妻を与える者はのろわれる。』と言って誓っているからだ。」それで、彼らは言った。「そうだ。毎年、シロで主の祭りがある。」・・この町はベテルの北にあって、ベテルからシェケムに上る大路の日の上る方、レボナの南にある。・・

 シロは、ベテルからさらに北上したところ、エフライムの割り当て地の中にあります。ここに幕屋が張られます。サムエル記第一1章には、サムエルの母ハンナとその家族がシロに上って、礼拝を捧げている場面がでてきます

 
それから、彼らはベニヤミン族に命じて言った。「行って、ぶどう畑で待ち伏せして、見ていなさい。もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕え、ベニヤミンの地に行きなさい。もし、女たちの父や兄弟が私たちに苦情を言いに来たら、私たちは彼らに、『私たちのため、彼らに情けをかけてやってください。私たちは戦争のときに彼らのひとりひとりに妻をとらせなかったし、あなたがたも娘を彼らに与えませんでした。もしそうしていたら、あなたがたは、罪に定められたでしょう。』と言います。」

 とんでもないことですが、人さらいをイスラエルはベニヤミン人たちにアドバイスしました。

 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。

 これで体裁は整えられたようですが、めちゃくちゃです。主がイスラエル12部族を立てられたのですから、主の方法でそれが保たれなければいけません。けれども、自分たちの方法で彼らは一部族がなくならないようにしたのですが、その結果、とんでもないことを行なってしまいました。そこで次に、まとめが、士師記全体のまとめが書かれています。

 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。

 「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なった」です。私たちの基準は、人間の知性ではありません。感情や経験でもありません。教会の教えでもありません。聖書学者でもありません。神のみことばである、聖書そのものです。ここに何が書かれているかが、最高の基準であるべきで、実際の生活においても二元論的にならず、聖書が生活全体の基準であるべきです。絶えず、自分たちが、神の目に正しいことを行なっているのか、それとも自分勝手な解釈で信仰生活を歩んでいることはないのかを吟味してみる必要があるでしょう。

 次回はルツ記を学びます。同じ士師の時代の出来事であり、またイスラエル人ではないモアブ人のルツが登場します。しかし、神を恐れ、神についていく彼女の姿は、どんな暗黒の中あっても、光の中を歩むことができるという希望を与えてくれます。


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