士師記9−10章 「霊的悪循環」


アウトライン

1A 悪霊による横暴 9
   1B 感謝なき欲望 1−21
   2B 内部抗争 22−57
2A 多数の神々 10
   1B 士師の再登場 1−5
   2B 非常な苦境 6−18

本文

 士師記9章を開いてください。今回は12章まで学ぼうと思いましたが、長くなってしまいそうなので10章までにします。後半の士師エフタの話にも共通するテーマでもありますが、今日の題名は「霊的悪循環」です。

1A 悪霊による横暴 9
1B 感謝なき欲望 1−21
 さて、エルバアルの子アビメレクは、シェケムにいる自分の母の身内の者たちのところに行き、彼らと母の一族の氏族全員に告げて言った。「どうかシェケムのすべての者に、よく言って聞かせてください。エルバアルの息子七十人がみなで、あなたがたを治めるのと、ただひとりがあなたがたを治めるのと、あなたがたにとって、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こしてください。」

 エルバアルとはギデオンのことです。前回の士師記の学びを思い出してください。ギデオンはミデヤン人との戦いにおいて勝利を収めました。そして、イスラエル人たちはギデオンに自分たちを治めてほしいと願い出ました。ギデオンはそれを断わりましたが、彼はその後多くの妻を得て、息子を70人持ちました。(ギデオンは、信仰によって勇敢に戦った英雄ですが、それでも自分の弱さを持っていました。)そして8章31節に、「シェケムにいたそばめもまた、彼にひとりの男の子を産んだ。そこで彼はアビメレクという名をつけた。」とあります。このシェケムのそばめの子アビメレクが、シェケムの人々に話しかけています。ギデオンは自分が王になることを好まなかったし、その息子も好まなかったでしょう。イスラエルは士師を指導者として仰ぎましたが、自分の王は神であり人ではありません。けれども異邦人たちには王がいました。アビメレクは王がいないところで、自分が王になろうとしていたのです。

 アビメレクの母の身内の者たちが、彼に代わって、これらのことをみな、シェケムのすべての者に言って聞かせたとき、彼らの心はアビメレクに傾いた。彼らは「彼は私たちの身内の者だ。」と思ったからである。

 自分の母がシェケム出身であるということで、シェケムの者たちはアビメレクになびきました。

 彼らはバアル・ベリテの宮から銀七十シェケルを取り出して彼に与えた。アビメレクはそれで、ごろつきの、ずうずうしい者たちを雇った。彼らはアビメレクのあとについた。それから、アビメレクはオフラにある彼の父の家に行って、自分の兄弟であるエルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。しかし、エルバアルの末子ヨタムは隠れていたので生き残った。それで、シェケムの者とベテ・ミロの者はみな集まり、出かけて行って、シェケムにある石の柱のそばの樫の木のところで、アビメレクを王とした。

 シェケムにある石の柱というのは、ヨシュアがモーセの律法を書き記した石の柱のことです。ヨシュアが、死ぬ間際にイスラエル人に対して、「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。(ヨシュア記24:15」と言いましたが、イスラエル人は、「外国の神々に仕えるなど、絶対にそんなことはありません。」と答えました。そこでヨシュアは、「それでは、この石が私たちの証拠となる。」と言って立てたのが、この石の柱です。

 そして今、この石の柱のところで、偶像の宮からのお金で70人を殺害した血によって王の即位が行なわれています。ひどく堕落した状態です。

 このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、彼らに叫んで言った。

 ヨタムは、ギデオンの末子でしたがアビメレクの殺害から免れていました。そして彼は今、ゲリジム山に上っています。シェケムの町のちょうど南のところにゲルジム山があり、シェケムの町を見下ろすことができます。そこから叫ぶ声は、透き通った水のように、ふもとにまで届きます。ヨタムがシェケムの者たちに警告のことばを投げかけます。

 シェケムの者たち。私に聞け。そうすれば神はあなたがたに聞いてくださろう。木々が自分たちの王を立てて油をそそごうと出かけた。彼らはオリーブの木に言った。「私たちの王となってください。」すると、オリーブの木は彼らに言った。「私は神と人とをあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」

 ここに出てくる木々はシュケム人たちのことです。そしてオリーブの木はおそらくギデオンのことでしょう。そして、「神と人とをあがめるために使われる私の油を」というのは、オリーブ油を神へのささげものとして用いるときがあるし、また人のためにも使われます。

 ついで、木々はいちじくの木に言った。「来て、私たちの王となってください。」しかし、いちじくの木は彼らに言った。「私は、私の甘みと私の良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」

 いちじくの実はとっても甘くておいしいですね。それをさしおくことはできないと言っています。

 それから、木々はぶどうの木に言った。「来て、私たちの王となってください。」しかし、ぶどうの木は彼らに言った。「私は、神と人とを喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」

 ぶどう酒は、もちろん人が飲み楽しむものでありますが、注ぎの供え物にぶどう酒が使われます。神と人とを喜ばせるものです。

 そこで、すべての木がいばらに言った。「来て、私たちの王となってください。」すると、いばらは木々に言った。「もしあなたがたがまことをもって私に油をそそぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。そうでなければ、いばらから火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くそう。」

 すべての木がいばらに言っています。これまでは一部の人々が人を王にしたいと願っていましたが、今シェケムの人々は全員がアビメレクを王としました。そしてアビメレクは「いばら」とたとえられています。いばらは、火が回っていくのを助ける可燃材の役割を果たしていました。

 今、あなたがたはまことと真心をもって行動して、アビメレクを王にしたのか。あなたがたはエルバアルとその家族とを、ねんごろに取り扱い、彼のてがらに報いたのか。私の父は、あなたがたのために戦い、自分のいのちをかけて、あなたがたをミデヤン人の手から助け出したのだ。あなたがたは、きょう、私の父の家にそむいて立ち上がり、その息子たち七十人を、一つの石の上で殺し、女奴隷の子アビメレクをあなたがたの身内の者だからというので、シェケムの者たちの王として立てた。

 ギデオンは良いことをしたのに、それに感謝せず、あなたがたは自分たちの欲望を満たすためにむしろそむきの罪を犯した、とヨタムは言っています。良いことをしてもらったことを感謝することと、貪欲との間には密接な関係があります。主が良いことをしてくださったことを私たちが忘れてしまうとき、現状の目の前に見えることばかりに心を留め、不満になります。そして自分が持っていないものを欲して、それを手に入れるために罪を犯すのです。ダビデはこう歌いました。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」主がよくしてくださったことを忘れてはいけません。

 もしあなたがたが、きょう、エルバアルと、その家族とにまことと真心をもって行動したのなら、あなたがたはアビメレクを喜び、彼もまた、あなたがたを喜ぶがよい。そうでなかったなら、アビメレクから火が出て、シェケムとベテ・ミロの者たちを食い尽くし、シェケムとベテ・ミロの者たちから火が出て、アビメレクを食い尽くそう。」それから、ヨタムは逃げ去り、ベエルに行き、兄弟アビメレクを避けてそこに住んだ。

 いばらによって木々が焼き尽くされるように、シェケムの者たちも火で焼かれます。またアビメレクも殺されます。

2B 内部抗争 22−57
 アビメレクは三年間、イスラエルを支配した。神は、アビメレクとシェケムの者たちの間に悪霊を送ったので、シェケムの者たちはアビメレクを裏切った。そのためエルバアルの七十人の息子たちへの暴虐が再現し、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに加勢して彼の兄弟たちを殺したシェケムの者たちの上に臨んだ。

 神の権威の下にとどまらず、神にそむくときに、ここに書かれている「悪霊」のしわざがあります。悪霊がどのような混乱をもたらし、人々を横柄にさせていくかをこれから見ていきます。

 シェケムの者たちは、山々の頂上に彼を待ち伏せる者たちを置いたので、彼らは道でそばを過ぎるすべての者を略奪した。やがて、このことがアビメレクに告げられた。

 アビメレクを待ち伏せしていた者たちは、盗賊行為を働いていました。

 エベデの子ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムを通りかかったとき、シェケムの者たちは彼を信用した。そこで彼らは畑に出て行って、ぶどうを収穫して、踏んだ。そして祭りをし、自分たちの神の宮にはいって行って、飲み食いし、アビメレクをののしった。そのとき、エベデの子ガアルは言った。「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。アビメレクはエルバアルの子、ゼブルはアビメレクの役人ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えなさい。」

 ハモルは、ヤコブがまだ生きているとき、ラバンのところから約束の地に帰ってくるとき、シェケムのとどまっていたときの首長です。娘ディナが、ハモルの息子によって犯された話を思い出せますか(創世記34章)、そのハモルの人々が現地人であり、アビメレクではないとガアルが言っています。

 「なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。だれか、この民を私の手に与えてくれないものか。そうすれば私はアビメレクを追い出すのだが。」そして彼はアビメレクに言った。「おまえの軍勢をふやして、出て来い。」この町のつかさゼブルは、エベデの子ガアルの言ったことを聞いて、怒りを燃やし、トルマにいるアビメレクのところに使者を送って言わせた。ゼブルは、アビメレクの下で働いていた高官です。「今、エベデの子ガアルとその身内の者たちがシェケムに来ています。今、彼らは町を、あなたにそむかせようとしています。今、あなたとあなたとともにいる民は、夜のうちに立って、野で待ち伏せなさい。朝早く、太陽が上るころ、町に突入しなさい。すると、ガアルと、彼とともにいる民は、あなたに向かって出て来るでしょう。あなたは好機をつかんで、彼らを攻撃することができます。」そこでアビメレクと、彼とともにいた民はみな、夜のうちに立って、四隊に分かれてシェケムに向かって待ち伏せた。

 明け方、また薄暗いときにシェケムに突入できるようにアビメレクは整えました。

 エベデの子ガアルが出て来て、町の門の入口に立ったとき、アビメレクと、彼とともにいた民は、待ち伏せしていた所から立ち上がった。ガアルはその民を見て、ゼブルに言った。「あれ、山々の頂から民が降りて来る。」すると、ゼブルは彼に言った。「あなたは、山々の影が人のように見えるのです。」ガアルはまた言った。「いや。人々がこの地の一番高い所から降りて来る。また一隊がメオヌニムの樫の木のほうから来る。」すると、ゼブルは彼に言った。「『アビメレクとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。』と言ったあなたの口は、いったいどこにあるのですか。あなたが見くびったのは、この民ではありませんか。さあ、今、出て行って、彼と戦いなさい。」

 ガアルが酔った勢いでアビメレクをののしったのですが、ほらあなたはそのとおりにしなさい、あなたのその大きな口はどうしたのですか?とゼブルは言っています。

 そこで、ガアルはシェケムの者たちの先頭に立って出て行き、アビメレクと戦った。アビメレクが彼を追ったので、ガアルは彼の前から逃げた。そして多くの者が刺し殺されて倒れ、門の入口にまで及んだ。アビメレクはアルマにとどまったが、ゼブルは、ガアルとその身内の者たちを追い払って、彼らをシェケムに住ませなかった。まずガアルの一味をシェケムから追い出しました。翌日、民は、野に出かけて行って、アビメレクに告げた。そこで、アビメレクは自分の民を引き連れて、それを三隊に分け、野で待ち伏せた。すると、民が町から出て来るのが見えたので、彼らを襲って打った。

 人は町の外に畑を持っていますから、シェケム人たちは町の外に出てきました。彼らは、「ガアルをアビメレクがしとめたのだから、彼の怒りは収まっているだろう。」と安心していたのかもしれません。けれどもアビメレクは違いました。裏切ったシェケム人に対する復讐心に燃え上がります。

 アビメレクと、彼とともにいた一隊は突入して、町の門の入口に立った。一方、他の二隊は野にいたすべての者を襲って、打ち殺した。アビメレクはその日、一日中、町で戦い、この町を攻め取り、そのうちにいた民を殺し、町を破壊して、そこに塩をまいた。

 シェケムの町の中にも入り、塩をまいて、もう再建されないというジェスチャーをしました。

 シェケムのやぐらの者たちはみな、これを聞いて、エル・ベリテの宮の地下室にはいって行った。シェケムのやぐらの者たちがみな集まったことがアビメレクに告げられたとき、アビメレクは、自分とともにいた民とツァルモン山に登って行った。アビメレクは手に斧を取って、木の枝を切り、これを持ち上げて、自分の肩に載せ、共にいる民に言った。「私がするのを見たとおりに、あなたがたも急いでそのとおりにしなさい。」それで民もまた、みなめいめい枝を切って、アビメレクについて行き、それを地下室の上に置き、火をつけて、地下室を焼いた。それでシェケムのやぐらの人たち、男女約一千人もみな死んだ。

 ヨタムの警告どおりになりました。シェケムの者たちは、自分たちが選んだ王によって、火によって焼き尽くされました。

 それから、アビメレクはテベツに行き、テベツに対して陣を敷き、これを攻め取った。この町の中に、一つ、堅固なやぐらがあった。すべての男、女、この町の者たちはみなそこへ逃げて、立てこもり、やぐらの屋根に上った。そこで、アビメレクはやぐらのところまで行って、これと戦い、やぐらの戸に近づいて、それを火で焼こうとした。そのとき、ひとりの女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。アビメレクは急いで道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私を殺してくれ。女が殺したのだと私のことを人が言わないように。」それで、若者が彼を刺し通したので、彼は死んだ。イスラエル人はアビメレクが死んだのを見たとき、ひとりひとり自分のところへ帰った。

 アビメレクもシェケムの者によって殺されるというヨタムのことばが実現しました。

 こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行なった悪を、彼に報いられた。神はシェケムの人々のすべての悪を彼らの頭上に報いられた。こうしてエルバアルの子ヨタムののろいが彼らに実現した。

 神にそむいて王となった者、そしてそれに共謀したシェケムの住民がともどもさばきを受けました。そしてその暴虐の中で悪霊が働いていました。私たちが神にそむき、自分のむさぼりを満たすのであれば、同じように悪霊の影響を大きく受けてしまいます。ヤコブの手紙3章にはこう書いてあります。「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。(14−16節)

 そして敵対している者どおしの間に、勝利者はいません。どちらも滅んでしまいます。パウロがガラテヤ書で、「もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。(5:15)」と言っています。またローマ書で、すべての人が罪を犯したと言ったところで、「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。(3:15−16)」と言いましたが、流血は戦争の場だけでなく、私たちの心にも起こります。

2A 多数の神々 10
1B 士師の再登場 1−5
 さて、アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んだ。彼は、二十三年間、イスラエルをさばいて後、死んでシャミルに葬られた。

 アビメレクの後にギデオンに代わる新たな士師が登場します。王が悪者であっても、それが倒れない限り新たな指導者を神は起こされませんでした。王が滅びるのに神が任せられました。すべての権威は神から来ているとローマ13章1節にありますが、その通りのことがここで起こっています。

 そしてギデオンの後の士師はトラという人でした。次にまた別の士師が登場します。彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間、イスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいて、三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていたが、それは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。ヤイルは死んでカモンに葬られた。

 ヤイルは、ヨルダン川の東にあるガト族の相続地に当たるギルアデの人でした。三十頭のろばと三十の町を持っていたということは、彼は富と権力を持っていたような人でありますが、士師でさえ異教の影響を強く受けていたことがここから分かります。

2B 非常な苦境 6−18
 またイスラエル人は、主の目の前に重ねて悪を行ない、バアルや、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。

 これで六回目の背きです。イスラエルが主の目の前に悪を行ない、それで彼らは外国の敵によって苦しみ、そして助けを主に呼び求めると、主が士師を送ってくださり、彼らに平和が戻ってくる。けれども士師がいなくなると、再び偶像を拝んでしまう、という循環です。

 そしてここでは、バアルやアシュタロテだけでなく、アラム(あるいはシリアの)神々、シドン(今のレバノン)の神々、今のヨルダンに当たるモアブとアモンの神々、そして地中海の沿岸地域を中心にいたペリシテ人の神々を拝んでいました。彼らの霊的状況がさらに悪化しています。

 主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡された。

 ペリシテ人のことについては、13章からのサムソンの話から始まりますが、アモン人からの救いについては次回11章と12章の士師エフタの話にあります。

 それで彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、苦しめた。彼らはヨルダン川の向こう側のギルアデにあるエモリ人の地にいたイスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた。アモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったとき、イスラエルは非常な苦境に立った。戦って、疲れて、苦しみの中に入りました。そのとき、イスラエル人は主に叫んで言った。「私たちは、あなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」すると、主はイスラエル人に仰せられた。「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモン人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」

イスラエルが苦しみの中にはいってようやく、叫び声をあげましたが、主は、「あなたがたが選んだ神々に叫べ」と半ば、見捨てられています。ここで大切なのは、主が彼らが嫌いになって、そのまま苦しいままにさせているのではない、ということです。主がもっとも望んでおられるのは、ご自分との愛の関係、契約にもとづいた関係をイスラエルと持つことです。そのために、彼らを救われて、主がおられることを知らせたいと願われています。けれども救われても彼らが外国の神々のところに行ってしまわれるのであれば、救われた意味がまったくなくなってしまいます。それで苦しむままにさせているのです。

 すると、イスラエル人は主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。

 主は怒るにおそく、あわれみ深い方です。彼らの姿を見て、冷酷になることなく見るに忍びなくなっておられます。

 
ここでイスラエルが、外国の神々を取り去って、それで主に仕えているところに注目してください。むろんこれは後に再び外国の神々に戻ってしまうので、本当の意味で神々を捨て去ったわけではないのですが、けれども捨てていることは事実です。それではじめて、主があわれんでおられるのです。箴言には、「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。(28:13)」とあります。罪を告白し、その告白にそった行動を取る、つまり捨てるときに私たちは神のあわれみを受け、さばきを受けずに済みます。

 このころ、アモン人が呼び集められ、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。ギルアデの民や、その首長たちは互いに言った。「アモン人と戦いを始める者はだれか。その者がギルアデのすべての住民のかしらとなるのだ。」

 ギルアデの住民が、アモン人の戦うときに、その軍事的指導者がいないと言っています。そしてその指導者が12章に出てくるエフタになります。それは次回学びましょう。

 ギデオンが死んでから、その霊的堕落と霊的混沌は、さらにその酷さを増しています。士師でさえ影響されています。そしてエフタの次にサムソンが出てきますが、彼が主に力強く用いられながら、なおかつ肉の欲望に捕らわれている人として出てきます。霊的悪循環です。

 イエスさまがよみがえられた後に、ペテロに対して、「あなたはわたしを愛しますか」アガペしますか、と聞かれました。ペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存知です。(ヨハネ21:15)」と答えましたが、その愛はフィレオでした。好きです、という意味です。ペテロはイエスさまを好きだったのですが、では魚の漁にまさって愛していたのか、自分のいのちにまさって愛していたのかを、イエスさまは聞いておられました。イスラエルの人たちも、苦しみのときに偶像を捨てましたが、本当に心の奥底で主を一番にしていないために、霊的悪循環の中に陥りました。主に、私たちの心を探っていただきましょう。


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