ヨシュア記13−19章 「残っている土地」

アウトライン

1A 土地占領の命令 13
   1B 相続地の割り当て 1−14
      1C ヨシュアの晩年 1−7
      2C モーセが占領した地 8−14
   2B モーセが与えた地 8−33
      1C ルベン族 15−23
      2C ガド族とマナセ半部族 24−33
2A ユダ族 14−15
   1B 占領した土地 14
      1C ヨルダン川東岸 1−5
      2C 主に従い通した者 6−15
   2B 割り当て地 15
      1C 境界線 1−12
      2C 家族による占領 13−19
      3C 相続の町々 20−63
3A ヨセフ族 16−17
   1B エフライム族 16
      1C まとめ 1−4
      2C 境界線 5−10
   2B マナセ族 17
      1C ヨルダン川西岸への割り当て 1−6
      2C 境界線 7−13
      3C 安易な要求 14−18
4A 七つの部族 18−19
   1B ベニヤミン族 18
      1C 土地の調査 1−10
      2C ユダとヨセフの間 11−28
   2B その他の部族 19
      1C くじによる割り当て 1−48
      2C ヨシュアの相続地 49−51

本文

 ヨシュア記13章を開いてください。今日は、13章から19章を取り扱います。ここでのテーマは、「残っている土地」です。前回の学びで、ヨシュアたちがエリコとアイを滅ぼした後、五人の王を倒し、さらに南と北の王たちを倒したところを読みました。そして11章の最後に、「その地に戦争はやんだ。」と書いてあります。戦争はやみ、ヨシュアは約束の地をイスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えました、とあります。13章から19章には、その土地の割り当てについて書かれています。

 ここの箇所を読んだ人は、退屈でつまらないと感じるかもしれません。部族ごとの境界線や町々の名が連ねられているのですが、まるで土地の登記簿を読んでいるかのようです。けれども、思い出していただきたいのは、この土地の割り当てをもって、神がアブラハムに約束してくださったことが実現するのです。主はロトと分かれたアブラハムに、「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。(創世記13:17)」と言われましたが、それが今、実現しているのです。

1A 土地占領の命令 13
1B 相続地の割り当て 1−14
1C ヨシュアの晩年 1−7
 ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。その残っている地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域、ゲシュル人の全土、エジプトの東のシホルから、北方のカナン人のものとみなされているエクロンの国境まで、ペリシテ人の五人の領主、ガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地、それに南のアビム人の地、カナン人の全土、シドン人のメアラからエモリ人の国境のアフェクまでの地。また、ヘルモン山のふもとのバアル・ガドから、レボ・ハマテまでのゲバル人の地、およびレバノンの東側全部。レバノンからミスレフォテ・マイムまでの山地のすべての住民、すなわちシドン人の全部。わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう。わたしが命じたとおりに、ただあなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。今、あなたはこの地を、九つの部族と、マナセの半部族とに、相続地として割り当てよ。」

 ヨシュアは、老人になって死ぬのもそう遠くなくなりました。けれども、まだ占領すべき土地がたくさん残っています。彼が生きていれば、彼が指導して戦うのですが、それができない今、主は、イスラエルに相続地を部族ごとに割り当て、それから彼らにその住民と戦うことを命じておられます。ですから、まだ占領していないのですが、まず割り当ての土地を与え、相続地を定めて、それから中にいる敵を倒すのです。

 ここに書かれている、まだ占領していない、残っている土地は、南は海岸地域のペリシテ人が住んでいるところであり、そして北は現在のレバノンやシリアの地域です。またガリラヤ湖北西にいるゲシュル人もまだ征服していません。地図をごらんください、色がついた部分がまだ占領していない地域です。さらに、中間のカナン人が住んでいるところは、占領していても、ある町や村には住んでいるという状態で、そこも攻略しなければいけませんでした。(下線が引いてある町々がそれです。)

 ヨシュア記において私たちが学んでいるのは、「神が約束されたものを、信仰によって相続する。」ということです。私たちがキリストにあって神から約束されていることは、たくさんあります。御霊に導かれて、信仰によって、まだ肉の思いや行ないが支配している部分を殺し、支配するように召されています。神が約束してくださっているものを、実際に自分のものにするには、信仰によって踏み出さなければいけません。そして今、まだ残っている土地について読みましたが、私たちにもたくさん、まだ残っている地があります。そこを私たちは支配することができます。神が約束されているからです。けれども、それを信仰によって勝ち取っていかねばならないのです。ヨシュアが老人になった今、彼は次世代のものたちに、土地の占領をゆだねていかなければいけませんでした。

2C モーセが占領した地 8−14
 マナセの他の半部族とともにルベン人とガド人とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、モーセが彼らに与えた相続地を取っていた。主のしもべモーセが彼らに与えたとおりである。

 主はヨシュアに、ヨルダン川の西の土地をイスラエルに分け与えることを命じられていますが、東の土地についてはすでに、モーセを通して与えられていました。マナセの半部族とルベン族とガド族です。ヨルダン川の向こう側にいたエモリ人の王シホンと、またゴラン高原であるバシャンのオグの王国を打ち、彼らを追い払いました。

 12節に飛びます。アシュタロテとエデレイを治めていたバシャンのオグの全王国。オグはレファイムの生き残りであった。モーセはこれらを打って、追い払った。しかし、イスラエル人は、ゲシュル人とマアカ人とを追い払わなかったので、ゲシュルとマアカとは、イスラエルの中に住んだ。今日もそうである。

 イスラエル人が追い払わなかった住民がいました。ゲシュル人とマアカ人です。ゲシュル人は、後にダビデが結婚する妻の一人がそうでしたが、その息子がアブシャロムであり、彼は父の怒りを買ったときに、ゲシュルに逃げ帰っていたという話が第二サムエル記に書かれています(13:37−38参照)。同じように、ダビデに謀反を起こしたシェバも、マアカ人の住むところに逃げています(2サムエル20:14−15)。このように、イスラエルにとって、彼らを追い払わなかったことが後で苦痛となってきます。今日、読むところには、このように「追い払わなかった」という箇所が何回か出てきます。イスラエルは相続地は与えられたのに、敵がそこに住むのを許していたのです。そのために、後でその地域の住民によって苦しみを受けたり、また支配されたりしました。その歴史が、ヨシュア記の次の「士師記」に書かれています。

 同じように、私たちは、肉の働きを殺すか、あるいは妥協して生かしておくことによって、後で支配されるようになるかの選択が与えられています。多少残しておいても、さほど問題ではないと思っているのは、とても危険です。けれども、私たちはそのように油断する性質を持っています。全き心になれないのです。

 ただレビの部族だけには、相続地が与えられなかった。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であった。

 レビ人には相続地はなく、住む町々と、家畜を放牧することによって生きました。住む町々については、次回学ぶヨシュア記21章に詳しく書かれています。そして、「主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であった」とありますが、彼らはイスラエル人が携えてくる、いけにえの分け前を受け取ることによって、生きていました。礼拝の奉仕に専念し、そこで生活も支えられていたのです。

2B モーセが与えた地 8−33
1C ルベン族 15−23
 モーセはルベン部族の諸氏族に相続地を与えた。

 ルベン部族に対する相続地です。彼らは、ちょうど死海の東側、モーセが最後に上ったネボ山があるところに割り当てられました。町々の名前が並んでいるので飛ばして、22節を読みます。

 イスラエル人は、これらを殺したほか、ベオルの子、占い師のバラムをも剣で殺した。

 エモリ人の王シホンを打っていた時に、イスラエル人はバラムを殺していました。彼はモアブの王バラクに助言して、イスラエルの宿営にモアブの娘を起こり込ませた人間です。金によって盲目になり、悪を行なった人間です。彼は褒美をたくさん受け取ったことでしょうが、すぐに殺されて、お金を使うこともできなかったことでしょう。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。(1テモテ6:10)」とパウロは言いました。貪りの後には、すぐに滅びが襲いかかります。

 ルベン人の地域は、ヨルダン川とその地域であった。これはルベン族の諸氏族の相続地であり、その町々と村々であった。

 ところでルベンは、ヤコブから最初の生まれた長子でした。長子は二倍の分け前を受け取りますが、彼はヤコブのそばめビルハと寝たために、ヤコブが死ぬ直前に、預言によって、「あなたは他をしのぐことはない。(創世49:4)」と言われています。事実、ルベン族ではなく、ヨセフ族がマナセとエフライムの二部族によって、二倍の分け前を受けました。

2C ガド族とマナセ半部族 24−33
 24節に飛びます。モーセはまた、ガド部族、ガド族の諸氏族にも相続地を与えた。

 ガド族への土地の割り当てです。ガド族はヨルダン川東岸沿いの地域を相続し、北は、「キレネテ湖(27節)」つまりガリラヤ湖の南端にまでいたる土地でした。・・・今、読んでいるときに、聖書地図の12部族の割り当て地で確認してください。地図を見れば、一目で分かります。

 29節に飛びます。モーセはまた、マナセの半部族にも、相続地を与えた。マナセの半部族の諸氏族のものである。

 マナセの半部族は、ガド族のさらに北の地域、バシャン(現在のゴラン高原)の土地を得ました。

 これらは、エリコのあたりのヨルダン川の向こう側、東のほうのモアブの草原で、モーセが割り当てた相続地である。

 このように、ヨシュアが割り当てをするまでもなく、すでにモーセが二・五部族に割り当て地を与えていました。けれどもこれは主によって命じられたのではなく、彼らが、土地が肥沃なのを見て、モーセに要求したためです。ここはモアブ人、アモン人、アラム(シリア)人などの外敵にさらされている地域であり、後にアッシリヤが最も先に征服した地域でもあります。そして完全に異邦人化された地域であり、「見ためは良いけれども、破滅にもっとも近かったところ」と言って良いでしょう。私たちも、肉が働きやすい場所に自分を置けば、このようになってしまいます。なるべく、神がおられるところ、聖いところに自分を置くことが大切です。

 14、15章にてユダ族を見ていきますが、この地域がかつて、アブラハムやイサクが住み、主と交わっていたところです。そして、ユダ族が最後まで生き残っていたのであり、霊的な強さは、主のところに自分を置くことであることが分かります。

 レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。

 先ほどと同じように、レビ族には相続地が与えられていないとの記述です。ここでは、「イスラエルの神、主が彼らの相続地である」とあります。土地という財産はありませんでしたが、主ご自身という、最も尊い財産をレビ人は得ていました。彼らは主を礼拝するという特権にあずかっていたのです。私たちクリスチャンは、キリストにあって祭司とされていると新約聖書に書かれています。私たちにとっての最大の富は、主とともにいること、主ご自身を得ていることです。目に見える祝福が時にないのかもしれませんが、主がともにいられるという祝福に変えることはできません。私たちは、主との交わりをもっとも楽しみとしているでしょうか?

2A ユダ族 14−15
1B 占領した土地 14
1C ヨルダン川東岸 1−5
 14章に入ります。1節から5節は、今読んで来た内容の繰り返しになっています。6節に飛びます。

2C 主に従い通した者 6−15
 ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。

 相続地の割り当てにおいて、12部族の中で最初に申し出てきたのは、ユダ族でした。彼らが一番、神の事柄について、神の約束について興味があったようです。イスラエル12部族に対するヤコブの預言(創世記48章)とモーセの預言(申命記33章)では、ユダが雄獅子のようであり、自分の手で戦っていると預言されています。またもちろん、ユダから王権が出て、メシヤが出てくることが約束されています。

 そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。」

 覚えていますか、イスラエルの12人のスパイの一人であった、カレブです。イスラエルがシナイ山から約束の地に向かって旅をし、約束の地への入り口に当たるカデシュ・バルネアで、モーセは12部族のかしらをその地に入って、探ってくるように命じました。ユダ族からはカレブがそのスパイでした。そしてヨシュアは、エフライム族から出て、彼もスパイだったのです。そのことを今、カレブはヨシュアに思い起こさせています。

 そして、ここで、「私は私の神、主に従い通しました。」とカレブが言っています。彼はすぐ後で二回、この言葉を繰り返しています。ただ「従う」ではなく、「従い通す」とあるところが味噌です。最後まで走り抜くこと、目標に向かって一心に進むことです。私たちは信仰の旅において、ちょうどイエスさまのたとえの、四種類の土地に出てくるような状況に出くわします。つまり、試練と、また世の思い煩いです。カレブのように、時に巨大な敵を見ます。信仰的に前進すれば、かならず敵が私たちの前に立ちはだかっています。そのときに、主を見上げて、ただ主に拠り頼み、主にあって安息していれば、御霊が導いてくださいます。しかし私たちは、楽な道を選びたいと願ってしまいます。私たちの思いが、主に対して一つではなく、何か他のことを考えてしまうのです。しかし、カレブは、主に従い通しました。心で確信していることを、そのまま行ないました。ここに信仰の勝利の秘訣があります。主にあって全き心で、すべてのことに臨むのです。

 そこでその日、モーセは誓って、「あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである。」と言いました。今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。

 カレブは当時は40歳で、今は85歳です。荒野で40年間、ヨルダン川のこちら側に入ってから5年経ちました。彼は、その間もひるむことなく、その約束から目を離すことはなかったのです。

 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。

 40歳のときと、85歳の体力が同じというのはすごいです。けれども霊的に、「内なる人が新たにされる」と約束されているクリスチャンにも、同じことが起こります。約束にしがみついて、忍耐するというと、何かとても疲れるように思ってしまいますが、いや、主に拠り頼むことは、とてもスムースなことです。たとえ目に見えることが前進していないように見えても、そこで疲れ果てることがないのです。主を待ち望む者は、わしのように羽ばたくことができる、とイザヤ書には約束されていますが、その通りなのです。

 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。

 カデシュ・バルネアで、ヨシュアとカレブのほかの10人のスパイが恐れたのは、このアナク人たちでした。いわゆる巨人です。そして堅い城壁を持っています。こんなところに行けるわけがない、エジプトに引きかえろう、と言い出したのがイスラエル人でした。けれども今、カレブは、楽なところではなく、むしろもっとも難関にさえ思われるところを願っています。なぜから、そこが、主が追い払うことができると約束してくださったところなのです。

 私たちの信仰の歩みがこのようなものでありたいです。霊的に、現状維持のために生きていれば、いつかその現状は死んでしまいます。けれども、信仰によって踏み出して、御霊が支配される新しい領域に侵入するのです。これは戦いです。霊の戦いをともないます。試練があるでしょう。夫婦の仲、金銭的なこと、また誘惑があります。今まで経験したことのないような誘惑もあるでしょう。けれども、それでも御霊によって進み出るのです。いつまでも戦う人なのです。私たちは、キリストにあって兵士です。休むところは、天に用意されています。

 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。

 ヘブロンの地は、アブラハムがかつて住んでいた場所であり、アブラハムが死んだサラを葬るために購入した土地があるところです。主がアブラハムに現われてくださったところです。たとえそこにアナク人が住んでいようとも、主ご自身が現われてくださった、そのところをカレブは欲していたのです。私たちは、目に見えることよりも、目に見えない、永遠に価値あるものに対して、どこまで情熱を持っているでしょうか?

 それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバであった。(今でも、ヘブロンの近郊の町で「キルヤテ・アルバ」と名づけられているところがあります。)アルバというのは、アナク人の中の最も偉大な人物であった。そして、その地に戦争はやんだ。

 ヘブロンは、実際にカレブが住むところとなりました。他の部族が敵を追い払わないのとは対照的に、彼は実際に追い払ったのです。カレブが、信仰の戦いにおける私たちの模範です。

2B 割り当て地 15
1C 境界線 1−12
 そして15章に入ります。ここには、ユダ族の土地の境界線が書かれています。ユダ族が、他の部族の中で、もっとも広い土地を得ています。聖書地図をごらんください。南のネゲブ地方、そして北上してよく「シェフェラ」と呼ばれる平地があります。そして西は海岸地域で、ここにペリシテ人が多く住み、東は山地になっています。さらに東は死海のところで、荒野になっています。ここ一体がすべてユダ族の土地です。

2C 家族による占領 13−19
 それでは13節に飛びましょう。ヨシュアは、主の命令で、エフネの子カレブに、ユダ族の中で、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナクの父であった。カレブは、その所からアナクの三人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払った。これらはアナクの子どもである。その後、その所から彼は、デビルの住民のところに攻め上った。デビルの名は、以前はキルヤテ・セフェルであった。

 カレブがアナク人を打ち破っていることが書かれています。

 そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」ケナズの子で、カレブの兄弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、彼に妻として与えた。

 カレブは、自分自身だけではなく、家族の者にも、アナク人を打つ情熱を伝授していました。自分の娘は、同じ情熱を持つ者に与えると言って、神の約束を愛する者を求めたのです。カレブの兄弟オテニエルが取りました。

 彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。

 オテニエルがそそのかした、とありますが、これは他の訳では出てきません。娘が畑を父に求めた、ということだけしか書かれていません。

 彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか。」と尋ねた。彼女は言った。「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこで彼は、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。

 娘は、ネゲブ地方に住むことを、夫オテニエルとともに願いました。ネゲブ地方は、砂漠地帯です。ここに泉が必要でした。こうして、カレブは、自分の家族にも神に対する情熱と信仰を伝えていました。私たちも、周りの人々や家族に、神に与えられたビジョンへの情熱を伝播させたいものです。

3C 相続の町々 20−63
 20節からは、ユダ族の相続地にある町々が連ねられています。これをすべて飛ばして、最後の節63節に行きます。

 ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである。

 エルサレムは陥落させることはできませんでした。あそこは、地理的に最高の要塞です。ケデロンの谷、ヒノムの谷に囲まれており、エルサレム自体が自然の城壁のようになっています。けれども、カレブがアナク人を打ったように、主に従い通せば、エブス人を打つことができたはずです。エルサレムは、ダビデがやって来て、将軍ヨアブが夜中に井戸の下から這い上がって、エブス人を急襲したことによって、ようやく陥落しました。

3A ヨセフ族 16−17
1B エフライム族 16
1C まとめ 1−4
 
それでは16章に入ります。ヨセフ族が、くじで割り当てられた地の境界線は、東、エリコのあたりのヨルダン川、すなわちエリコの水から荒野に出、エリコから山地を上ってベテルに至り、ベテルからルズに出て、アルキ人の領土アタロテに進み、西のほう、ヤフレテ人の領土に下り、下ベテ・ホロンの地境、さらにゲゼルに至り、その終わりは海であった。こうして、ヨセフ族、マナセとエフライムは、彼らの相続地を受けた。

 16章と17章に、マナセとエフライム族の相続地が書かれています。彼らの地は、ヨルダン川の東から地中海に至るまで、ちょうど約束の地に真ん中を、帯で締めるように占めています。ヤコブのヨセフ族に対する預言、またモーセの預言を思い出してください。天からの賜物、自然がもたらす賜物に満ちていると約束されていますが、イスラエルの土地の良い部分を彼らが得ることになりました。

2C 境界線 5−10
 エフライム族の諸氏族の地域は、次のとおりである。

  ここから9節までエフライム族の相続地の境界線が書かれています。そして10節に飛びます。

 彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。

 エフライムは、カナン人を追い払わず、むしろ奴隷としました。ここに、彼らが神の約束に情熱を抱くのではなく、物質的な繁栄を求めている動機を覗くことができます。奴隷とすることで、彼らを征服していると思っていたかもしれません、「私たちは彼らを支配している。だから大丈夫。」と、本当は世の思い煩いが心の中に忍び込んでいたのに、自分なりの方法で主に従っていると自負しているようなことが起こっていたのではないかと思います。自分を欺いているのです。私たちの身にもよく起こります。私は、そこそこにクリスチャンらしい生活をしている、と思っています。そして、本当は主に言われたことに従わなければいけないのに、心のどこかで主から距離を置いて、それらしく、したがっているように動いている場合があります。そうすると、エフライム人たちのようになってしまうのです。主に従わなければ、どんなに繕っても、無理です。そこには命がありませんから、必ずボロが出ます。士師記において、そのボロが出てくる話を、嫌になるほど読むのです。

2B マナセ族 17
1C ヨルダン川西岸への割り当て 1−6
 マナセ部族が、くじで割り当てられた地は次のとおりである。

 17章は、マナセ族の相続です。マナセはヨセフの長子であった。マナセの長子で、ギルアデの父であるマキルは戦士であったので、ギルアデとバシャンが彼のものとなった。さらにそれはマナセ族のほかの諸氏族、アビエゼル族、ヘレク族、アスリエル族、シェケム族、ヘフェル族、シェミダ族のものになった。これらは、ヨセフの子マナセの男子の子孫の諸氏族である。

 ヨルダン側の東側の相続地のことです。

 ところが、マナセの子マキルの子ギルアデの子ヘフェルの子ツェロフハデには、娘だけで息子がなかった。その娘たちの名は、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。彼女たちは、祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、族長たちとの前に進み出て、「私たちの親類の間で、私たちにも相続地を与えるように、主はモーセに命じられました。」と言ったので、ヨシュアは主の命令で、彼女たちの父の兄弟たちの間で、彼女たちに相続地を与えた。こうして、マナセはヨルダン川の向こう側のギルアデとバシャンの地のほかに、なお十の割り当て地があてがわれた。マナセの娘たちが、彼の息子たちの間に、相続地を受けたからである。ギルアデの地は、マナセのほかの子孫のものとなった。

 覚えているでしょうか、民数記の最後のところで、昔、息子を生まず、娘しか与えられなかった、ツェロファデに対する土地を、その娘たちが与えて欲しいと願い出たところがありました。モーセが主に伺って、主がそれはもっともなことであると認められたのですが、それをヨシュアは実行しています。このため、ヨルダン側の西側にもマナセ族は土地が与えられたのです。

2C 境界線 7−13
 7節から相続地の境界線が書かれています。そして11節に飛びます。またマナセには、イッサカルとアシェルの中に、ベテ・シェアンとそれに属する村落、イブレアムとそれに属する村落、ドルの住民とそれに属する村落、エン・ドルの住民とそれに属する村落、タナクの住民とそれに属する村落、メギドの住民とそれに属する村落があった。この第三番目は高地であった。

 マナセ族は、イッサカル族とアシェル族の相続地の中にも、以上の村々が与えられました。それは、その地にカナン人が住んでおり、彼らを占領するだけの力を、大きな部族であるマナセ族は有していたからです。

 しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。イスラエル人は、強くなってから、カナン人に苦役を課したが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。

 マナセ族は、エフライム族と同じようにカナン人を追い払うことをせず、かえって苦役を課しました。

3C 安易な要求 14−18
 そこで次の要求があります。ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」ヨセフ族は答えた。「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」

 エフライム族とマナセ族は、もっと相続地がほしいと願っています。確かに、彼らは人数が多く、主が祝福されています。ヤコブとモーセが預言したとおりです。しかし、実は土地はあったのです。自分で開拓して、先住民を追い出せば、土地はあったのです。けれども、彼らは、それはたいへんすぎる、カナン人は鉄の戦車も持っていると言っています。

 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」

 ヨシュアは、「戦え」と命じています。数が多いのに、何を怠慢なことを言っているのか!戦いなさい、追い払いなさい、と言っています。カレブとは対照的ですね。カレブは、あえて難しいところを選び、戦うことを選びました。ヨセフ族は、主に豊かな土地を与えられているから、安易になり、安住して、戦うことを忘れていました。自分の豊かさを求めて、神を求めていない証拠です。私たちにも起こる現象です。自分が主によって多くのものを与えられているのに、その能力にしたがって、主にあって戦おうとしない。そして、「これが足りない、あれが足りない。」と不満を述べる。住民に戦うことができるのに、それを避けるのです。覚えておかなければいけないのは、クリスチャンとは戦う存在だ、ということです。戦士であり、信仰による戦いを繰り広げていく存在なのです。

4A 七つの部族 18−19
1B ベニヤミン族 18
1C 土地の調査 1−10
 それでは18章に入ります。さて、イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らによって征服されていた。

 ユダ族がヨシュアのところに来たときは、ヨシュアはギルガルにいました。エリコを攻め、他の町々を攻めたところの戦いの拠点です。今はシロにいます。これはエフライムの土地にあり、イスラエルのほぼ真ん中に位置する場所です。エルサレムから北上して、バスで30分くらいのところでしょうか、99年のイスラエル旅行で私はシロに行きました。ここでずっと、神の幕屋が立てられていました。

 イスラエル人の中で、まだ自分たちの相続地が割り当てられていない七つの部族が残っていた。そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」

 ユダ族とヨセフ族は割り当てが与えられ定住しはじめましたが、他の七つの部族は、ベトウィン的な移動生活のまま、何も行動に移していなかったようです。何か困難なことがあったり、妨げられるようなことが起こると、人は気落ちして前進したくないものです。彼らもそのような気持ちになっていたかもしれません。そこでヨシュアが、土地の占領を「いつまで延ばしているのか」を叱っています。

 部族ごとに三人の者を選び出しなさい。彼らが立ってその地を行き巡るように、私は彼らを送り出そう。彼らはその地についてその相続地のことを書きしるし、私のところに来なければならない。彼らは、それを七つの割り当て地に分割しなさい。ユダは南側の彼の地域にとどまり、ヨセフ家は北側の彼らの地域にとどまらなければならない。あなたがたは、その地の七つの割り当て地を書きしるし、それをここの私のところに持って来なければならない。私はここで、私たちの神、主の前に、あなたがたのために、くじを引こう。

 土地の調査に行かせます。部族ごとに三人の者を選び、その土地を調べ、それに基づいて七つの割り当て地を書き記します。そして、くじを引いて、どこをだれの土地にするか決めます。

 しかしレビ人には、あなたがたの中で割り当て地がない。主の祭司として仕えることが、その相続地だからである。また、ガドと、ルベンと、マナセの半部族とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、すでに彼らの相続地を受けている。それは、主のしもべモーセが、彼らに与えたものである。

 13章にあったように、レビ族には相続地はありません。けれども、「主の祭司職」そのものが相続であるとヨシュアは言っています。主にあって働くこと、また礼拝するその財産は、非常に尊いものです。

2C ユダとヨセフの間 11−28
 11節に飛びます。ベニヤミン部族の諸氏族がくじを引いた。彼らのくじに当たった地域は、ユダ族とヨセフ族の間にあった。

 ベニヤミンの土地は、二つの大きな部族に挟まれたようなところになりました。ユダ族とヨセフ族の間です。12節から境界線が書かれていますが、小さな土地なのに、非常に詳しく境界線が説明されています。ここから、エルサレムがユダ族ではなく、ベニヤミン族のほうに入っているのがわかります。ユダ族のダビデがエルサレムの町を取りましたが、町自体はベニヤミン族の相続でした。モーセがかつて、「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。(申命記33:12」と言ったとおりです。

2B その他の部族 19
1C くじによる割り当て 1−48
 それでは19章に入ります。19章では残りの部族の割り当てが書かれています。

 1節から9節までは、シメオン族の相続地です。9節に、「ユダ族の割り当て地から取られた。」とあるとおり、ユダ族の地の中から取られました。10節から16節までが、ゼブルン族です。その土地は、マナセ族の北であり、ガリラヤ地方になります。後にイザヤが、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。(マタイ4:15)」と預言しましたが、ゼブルンのところからガリラヤ地方になります。

 そして17節から23節までがイッサカル族です。イッサカルはゼブルンの東、非常に肥沃なガリラヤ湖に面した南西の地域です。今でもそこの農耕地帯はとても美しいです。そして24節から31節までがアシェルで、海岸地域、現在のレバノンのところにまで及ぶ地域です。32節からは、ナフタリです。これはガリラヤ湖の西側の平地一体となっています。

 そして40節からダン族です。彼らは、ペリシテ人が住んでいる海岸地域を相続し、ユダ族とエフライム族の間にあります。けれども、敵があまりにも多く、戦いが多かったので北上して、ナフタリの北の方に住むところを探します。47節です。「ダン族の地域は、さらに広げられた。ダン族は上って行き、レシェムと戦って、これを取り、剣の刃で打ち、これを占領して、そこに住み、彼らの先祖ダンの名にちなんで、レシェムをダンと呼んだ。」彼らが攻め取る様子は、士師記にも書かれています。

2C ヨシュアの相続地 49−51
 そして最後の49節から、51節を読みましょう。この地について地域ごとに、相続地の割り当てを終えたとき、イスラエル人は、彼らの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。彼らは主の命令により、ヨシュアが求めた町、すなわちエフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼はその町を建てて、そこに住んだ。

 イスラエルの各部族には、広大な土地を与えたのにも関わらず、ヨシュアは自分自身の土地は、小さなティムナ・セラフという町だけでした。別段に肥沃なところでもありません。山地ですから切り開く必要もあります。これが、ヨシュアが偉大な指導者であることを物語っています。ただ主の命令を守ることに心を留め、イスラエル人の福利だけを考えていた人物です。私たちは神を愛し、それから自分自身のように隣人を愛する召しを受けています。自分ではなく、他の人のためにささげる人生です。

 これらは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエル人の部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入口、主の前で、くじによって割り当てた相続地であった。こうして彼らは、この地の割り当てを終わった。

 これで割り当てが終わりました。ところどころで、先住民をそのままにしていた記事を読みました。これが後で命取りとなります。ヨシュアも、死ぬ間際に彼らが主から離れることを預言しました。土地が残されているのに、占領しなかったのです。これが私たちに対する教訓です。そして私たちが模範とすべきは、カレブです。主に与えられたすべてのものを得たいという情熱です。主を全き心でもって求めるその姿です。現状に満足することなく、天からの宝を得ようと一心に走っている姿です。私たちも、現状に満足することがないようにしましょう。まだ敵が陣取っている部分がたくさんあります。攻め入りましょう!


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