民数記1−5章 「荒野の旅の備え」

アウトライン

1A 人口調査 1−4
   1B 軍務 1−2
      1C 人数 
         1D 各部族のかしら 1−16
         2D 登記 17−46
         3D レビ人の除外 47−53
      2C 宿営の配置 2
   2B レビ人 3−4
      1C 登録 3
         1D 一ヶ月以上の男子 1−39
         2D 初子 40−51
      2C 氏族ごとの奉仕 4
         1D 仕事 1−33
         2D 人数 34−49
2A 宿営の清め 5
   1B 宿営からの除去 1−10
   2B ねたみの捧げ物 11−31 

本文

 民数記1章を開いてください。私たちはモーセ五書の第四巻目である、民数記を学びます。さっそく、本文をご覧ください。

1A 人口調査 1−4
1B 軍務 1−2
1C 人数 1
1D 各部族のかしら 1−16
1:1 人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。1:2 「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。1:3 あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。

 私たちは前回、レビ記を学び終えました。もう一度、出エジプト記からの全体の話を思い出してください。エジプトから出たイスラエル人は、これから神がアブラハム、イサク、ヤコブに約束してくださったカナン人の地に向かおうとしています。けれども、神はシナイの荒野にあるホレブの山で、この民と契約を結んでくださり、律法を与えてくださいました。

 そしてレビ記において、主は、ご自分が住むとおっしゃってくださった幕屋において、どのようにいけにえを捧げなければいけないのか、礼拝をしなければいけないのかを教えてくださいました。また、イスラエルの民が他の国々の行っている慣わしから離れて、神の民として聖く生きることについて教えられました。私たちキリスト者も同じように生きています。キリストが私たちをこの世から救い出してくださいました。救い出された私たちは、聖なる神の中で生きるように召されています。

 そして民数記に入りますが、時は「二年目の第二月の一日」です。出エジプト記402節に、幕屋を建てたのが、「第一の月の一日」とありますから一ヶ月後の話であります。その間にレビ記に書かれていた、神からの数々の教えがあったわけです。これから主は、イスラエルの民を荒野の旅に出て行かせ、約束の地まで導かれます。民数記は、シナイ山から約束の地までの道程を描く書物です。

 民数記1章から10章までは、実際に旅に出て行く準備を神がさせておられます。初めに主がモーセに命じられたことは、成年男子の人口調査でした。その目的は、軍務につくこと、つまり徴兵です。今、成年男子だけで六十万人以上のイスラエル人がいます。子供と女を合わせると二百万人から三百万人はいたことでしょう。これだけの人数が大移動するのです。回りには、敵がたくさんいます。既に私たちは、レフィディムにおいてアマレク人から襲われた出来事を読みました。初めにしなければいけなかったことは、イスラエルの民が敵から守られることでした。

 救われた人々、神の所有の民とされた人々は必ず戦いがあります。イエス様は、この世はあなたがたを憎むと言われました。「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。(ヨハネ15:18-19」私たちは不信仰との戦い、この世の誘惑や試練との戦い、また迫害も受けるかもしれません。世の背後で働いている悪魔や悪霊が何とかして、私たちが知った神から私たちを引き離そうと躍起になるのです。

 したがって、私たちは神の武具を身に付ける必要があります。エペソ人への手紙6章を読みたいと思いますので開いてください。10節から読みます。
 

10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

 このように、私たちがこの世において生活すれば、必ず悪魔が策略をもって私たちに対抗してきます。それは混乱、不安、不信、争い、汚れなどの形によって現れますが、私たちがそれに対して自分自身の力で対抗するのではなく、神の力で対抗しなさいと命じられています。
 

14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

 真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の履物、信仰の大盾、救いの兜をかむります。そして、神の言葉という剣を持ち、悪魔や悪霊どもに対抗します。そして何よりも大切なのは祈ることです。単に自分自身のために祈るだけでなく、他の聖徒のために祈ります。ですから、私はみなさんに強く勧めているのは、私たちが互いのために祈ることです。一週間、できれば毎日、私たち一人一人のことを覚えて、名前をあげて祈ってください。これは、この世においてはそれぞれに戦いがあるからです。

1:4 また部族ごとにひとりずつ、父祖の家のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。1:5 あなたがたの助手となるはずの者の名は次のとおりである。ルベンからはシェデウルの子エリツル。1:6 シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。1:7 ユダからはアミナダブの子ナフション。1:8 イッサカルからはツアルの子ネタヌエル。1:9 ゼブルンからはヘロンの子エリアブ。1:10 ヨセフの子のうちからは、エフライムからアミフデの子エリシャマ、マナセからペダツルの子ガムリエル。1:11 ベニヤミンからはギデオニの子アビダン。1:12 ダンからはアミシャダイの子アヒエゼル。1:13 アシェルからはオクランの子パグイエル。1:14 ガドからはデウエルの子エルヤサフ。1:15 ナフタリからはエナンの子アヒラ。」1:16 これらの者が会衆から召し出された者で、その父祖の部族の長たちである。彼らがイスラエルの分団のかしらたちである。

 イスラエル十二部族のそれぞれに頭が選び出されます。

2D 登記 17−46
1:17 さて、モーセとアロンは、これら指名された者を伴い、1:18 第二月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。1:19 主がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。1:20 イスラエルの長子ルベンの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられた二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。1:21 ルベン部族で登録された者は、四万六千五百人であった。

 ここから、各部族の軍務につくことのできる者たちが登録を受け、そして人数が記されています。ルベン族、シメオン族、ガド、ユダ、イッサカル、ゼブルン、エフライム、マナセ、ベニヤミン、ダン、アシェル、そしてナフタリ族です。

 ここで注目していただきたいのは、18節に「二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて」という言葉がある事です。名前がひとりひとり登記されます。私たちはもちろん、ひとりひとりの名が日本という国の地方自治体の中で住民登記されているわけですが、ここでは意味が違います。神ご自身の民としての登記です。主ご自身が、ひとりひとりの名前をご自分の書物に記しておられるということに他なりません。

 私たちは、神のいのちの書に名が書き記されています。天において、私たちは永遠の命を受け継ぐ者として、それぞれ自分の名前が憶えられているのです。イエス様は、「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。(ルカ10:20」と言われました。もし書き記されていなければ、黙示録20章によると、行ないの書にしたがって裁かれて、火と硫黄の池に投げ込まれなければいけないことが書かれています。

 主は、私たちのことをすべて書き記してくださっておられる方です。詩篇13916節にはこう書いてあります。「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」なんと、母親の胎の中で胎児として神が組み立てられている時に、すでに死ぬ時までの一日一日を、私たちが何を行ない、何を話し、何を考えているのかをすべて知っておられ、それを書き留めておられるというのです。これは、神を知っている人、神の救いを受け入れた人にはとてつもない慰めですが、神を拒む人にとってはとてつもない恐ろしいことです。このように、私たちは神の手の中に抱かれています。

3D レビ人の除外 47−53
 それでは47節に飛んでみましょう。先ほど読んだルベン族と同じように、46節までは各部族の人数が記されていますので、飛ばします。(みなさんにお渡しした紙に、それぞれの部族の人数を記していますのでご参照ください。)

1:47 しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。1:48 主はモーセに告げて仰せられた。1:49 「レビ部族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録してはならない。また、その人口調査もしてはならない。1:50 あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびそのすべての付属品を管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これを管理し、幕屋の回りに宿営しなければならない。1:51 幕屋が進むときはレビ人がそれを取りはずし、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。これに近づくほかの者は殺されなければならない。1:52 イスラエル人は、軍団ごとに、おのおの自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、1:53 レビ人は、あかしの幕屋の回りに宿営しなければならない。怒りがイスラエル人の会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋の任務を果たさなければならない。」1:54 イスラエルの人々は、このようにし、すべて主がモーセに命じられたとおりに行なった。

 ヤコブの息子十二人の中にレビがいました。レビから出た子孫が、レビ族です。モーセとアロンもレビ族でした。アロンの家系は祭司として、幕屋の中で奉仕をしなければいけませんが、それはレビ記に詳しく書かれていました。その他の人々、レビ族だけれどもアロンの家系でない人たちを、神は今、幕屋を運搬する奉仕につかせておられます。

 幕屋というのは、取り外し、組み立てができる住まいです。イスラエルはまだ荒野の旅をしているので、一つの所に定住することはもちろんできません。神を礼拝する所も移動しなければならないのです。それで一般のイスラエル人を軍務につかせると同時に、幕屋の部品を運ばせる奉仕もさせるわけです。それで神はレビ人を選ばれました。

 52,53節を読みますと、「イスラエル人は、軍団ごとに、おのおの自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、レビ人は、あかしの幕屋の回りに宿営しなければならない。怒りがイスラエル人の会衆の上に臨むことがあってはならない。」とあります。私たちは、幕屋によって、神が住まわれるところからイスラエル人が、区別されていたことを学びました。私たちの信じている神は、聖なる神です。少しでも近づくと殺されてしまうほど、私たちは罪や汚れを持っており、神は欠点が何一つありません。ゆえに、いけにえが流される血によって、そして祭司という仲介者によって神に近づくように幕屋を神が造りなさいと命じられたのです。

 けれども幕屋は移動します。移動する時に、もしや一般のイスラエル人が幕屋の一部に触れるようなことのよう、そして死ぬことのないように神はレビ人を選ばれました。そして、幕屋の回りにイスラエルが宿営する時、レビ人が幕屋のすぐそばに宿営して、イスラエル人は距離を離して宿営するようにされました。そのようにして、イスラエルが死ぬことがないようにされました。詳しいことは、3章、4章に出てきます。

2C 宿営の配置 2
2:1 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。2:2 「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。2:3 前方、すなわち東側に宿営する者は、軍団ごとにユダの宿営の旗の者でなければならない。ユダ族の族長はアミナダブの子ナフションである。2:4 彼の軍団は、登録された者が、七万四千六百人である。2:5 その隣に宿営する者は、イッサカル部族であり、イッサカル族の族長はツアルの子ネタヌエルである。2:6 彼の軍団は、登録された者が、五万四千四百人である。2:7 ついでゼブルン部族がおり、ゼブルン族の族長はヘロンの子エリアブである。2:8 彼の軍団は、登録された者が、五万七千四百人である。2:9 ユダの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十八万六千四百人。彼らが先頭に進まなければならない。

 2章は、イスラエル十二部族が宿営をする時の配置について書いてあります。皆さんにお渡しした紙が、その配置を表しています。今、読んだところは幕屋の東に宿営する三つの部族です。ユダの旗を掲げて、その隣にイッサカル、そしてゼブルンが位置します。

 10節には南側のルベン族を中心にした三部族が書かれています。そして18節には西側のエフライム族を中心にした三部族、そして25節から北側にダン族を中心にした三部族が宿営します。そして17節をご覧ください。「次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない。」イスラエルが旅に出る時に、まず東側の部族が出発して、それからレビ族がこのように幕屋の道具を担ぎながら出発します。そして西側の部族、北側の部族と続いて、そして荒野を行進します。つまり、幕屋の道具が彼らの行進の列のほぼ真ん中に来るようにしているのです。

 そして東側にユダ族が中心になっていることは大事です。幕屋の入口は東にあります。ユダ族がもっとも人数が多く、そして覚えていますかユダ自身が、エジプトにいるヨセフのところにヤコブの家族を連れて行く時に彼が主導しました。そしてヤコブは死ぬ間際に、ユダ族から王が現われ、そしてメシヤも現れることを預言しました。ユダからダビデ王が出て、そしてダビデの子孫にイエス・キリストがお生まれになったのです。

 このように宿営は非常に整然としています。幕屋の中もとても幾何学的に美しい形を取っています。後に高い所からイスラエルを眺めて預言したバラムは、「なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。(民数24:5」と感嘆しました。先週、私は未信者の人、求道者の人向けに、科学とキリスト教についての記事を書きましたが、近代科学はキリスト教の信仰が動機となって数々の発見をした科学者によって生み出されました。数字や幾何学にあるあまりにも整然とした秩序は、世界は確かに無秩序や偶然の産物ではなく、その創造主がおられることを認めざるを得ないのです。

 幕屋の聖所の中にある至聖所は、立方体をしていることを学びました。神の玉座には、ケルビムという天使がいますが、エゼキエル書を見るとケルビムには四つの顔を持っています。そして世の終わりにある新しいエルサレムも同じく、立方体になっている神の都があり、四つの方面に、それぞれ三つの門があり、イスラエル十二部族の名が書き記されています。そして興味深いことに、イエス・キリストの生涯を伝える福音書はいくつありますか?四つですね。マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネです。このような配置にも、私たちの主イエス・キリストの栄光が現れています。

2B レビ人 3−4
 それでは3章に入りましょう。

1C 登録 3
1D 一ヶ月以上の男子 1−39
3:1 主がシナイ山でモーセと語られたときのアロンとモーセの系図は、次のとおりであった。3:2 アロンの子らの名は長子ナダブと、アビフと、エルアザルと、イタマルであった。3:3 これらはアロンの子らの名であって、彼らは油そそがれて祭司の職に任じられた祭司であった。3:4 しかしナダブとアビフは、シナイの荒野で主の前に異なった火をささげたとき、主の前で死んだ。彼らには子どもがなかった。そこでエルアザルとイタマルは父アロンの生存中から祭司として仕えた。3:5 主はモーセに告げて仰せられた。3:6 「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。3:7 彼らは会見の天幕の前で、アロンの任務と全会衆の任務を果たして、幕屋の奉仕をしなければならない。3:8 彼らは会見の天幕のすべての用具を守り、またイスラエル人の務めを守って、幕屋の奉仕をしなければならない。3:9 あなたは、レビ人をアロンとその子らにあてがいなさい。彼らはイスラエル人の中から、正式にアロンにあてがわれた者たちである。3:10 あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。」

 私たちはレビ記まで、祭司たちを神が任命され、幕屋における奉仕を任じられました。けれども、これからは祭司たちのみではできない、幕屋を運搬するという具体的な奉仕が必要になります。そのために神は、祭司たちを補佐する奉仕者としてレビ人を召し出されました。

3:11 主はモーセに告げて仰せられた。3:12 「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。3:13 初子はすべてわたしのものだからである。エジプトの国でわたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは、人間から始めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である。」

 覚えていますか、主はイスラエル人に対して、初子つまり初めに生まれてきた男の子は神のものである、と言われていましたね。イスラエル人は、エジプトから出て行く時に、神がエジプトにいる初子をみな殺されることによって彼らを救い出されました。初子を救い出されたのは神ですから、その初子は神のものです。同じように、私たちの命を救い出されたのは神ですから、私たちの命は神のものになりました。けれども、ここでその初子の代わりに、神の前に奉仕する者としてレビ人を聖別したと言われます。初めに生まれてきた男の子を神の前で奉仕させるのではなく、レビ人を代わりに奉仕させるということです。

3:14 主はシナイの荒野でモーセに告げて仰せられた。3:15 「レビ族をその父祖の家ごとに、その氏族ごとに登録せよ。あなたは一か月以上のすべての男子を登録しなければならない。」3:16 そこでモーセは主の命により、命じられたとおりに彼らを登録した。3:17 レビ族の名は次のとおりである。ゲルションと、ケハテと、メラリ。3:18 ゲルション族の氏族名は次のとおりである。リブニとシムイ。3:19 ケハテ族の諸氏族はそれぞれ、アムラムとイツハル、ヘブロンとウジエル。3:20 メラリ族の諸氏族は、それぞれ、マフリとムシ。これらがその父祖の家によるレビ人の諸氏族である。

 一般のイスラエル人は二十歳以上の登録でしたが、レビ人は初子の代わりとして登録するので一か月以上をみな数えます。そして父祖レビには三人の息子、ゲルションとケハテとメラリがいましたが、それぞれゲルション族、ケハテ族、メラリ族として異なる役割を分担します。

3:21 リブニ族とシムイ族はゲルションに属し、これらがゲルション人の諸氏族であった。3:22 数を数えて登録された者は、一か月以上のこれらすべての男子で、登録された者は、七千五百人であった。3:23 ゲルション人諸氏族は、幕屋のうしろ、すなわち西側に宿営しなければならなかった。3:24 ゲルション人の、一族の長は、ラエルの子エルヤサフであった。3:25 会見の天幕でのゲルション族の任務は、幕屋すなわち天幕と、そのおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕、3:26 庭の掛け幕、それに幕屋と祭壇の回りを取り巻く庭の入口の垂れ幕、そのすべてに用いるひもについてである。

 ゲルション族は西側に宿営して、そして彼らが行なうことは「幕の運搬」です。聖所にかける幕を始めとして、入口の幕、外庭の掛け幕や入口の幕がありましたね。

3:27 アムラム族、イツハル族、ヘブロン族、ウジエル族はケハテに属し、これらがケハテ人の諸氏族であった。3:28 これらの一か月以上のすべての男子を数えると、八千六百人であった。彼らが聖所の任務を果たす者である。3:29 ケハテ諸氏族は、幕屋の南側に沿って宿営しなければならなかった。3:30 ケハテ人諸氏族の、一族の長は、ウジエルの子エリツァファンであった。3:31 彼らの任務は、契約の箱、机、燭台、祭壇、およびこれらに用いる聖なる用具と垂れ幕と、それに関するすべての奉仕である。3:32 レビ人の長の長は祭司アロンの子エルアザルであって、聖所の任務を果たす者たちの監督であった。

 ケハテ族は、聖所や庭の中にある用具を運搬します。これは聖なるものですから、非常に気を付けて運ばなければいけませんが、それで祭司アロンの子エルアザルが監督します。

3:33 マフリ族とムシ族はメラリに属し、これらがメラリの諸氏族であった。3:34 数を数えて登録された者は、一か月以上のすべての男子で、六千二百人であった。3:35 メラリ諸氏族の父の家の長は、アビハイルの子ツリエルであった。彼らは幕屋の北側に沿って宿営しなければならなかった。3:36 メラリ族に任じられた務めは、幕屋の板、その横木、その柱と台座、そのすべての用具およびそれに用いるすべてのもの、3:37 庭の回りの柱とその台座、その釘とそのひもについてである。

 メラリ族は、幕屋の骨格になっている部分、幕屋の板や横木、台座、また庭の回りの柱と台座などを運びます。彼らは北側にいます。

3:38 幕屋の正面、すなわち会見の天幕の前方に当たる東側に宿営する者は、モーセとアロンまたその子らで、イスラエル人の任務に代わって、聖所の任務を果たす者たちであった。ほかの人でこれに近づく者は殺される。3:39 モーセとアロンが主の命により、氏族ごとに登録した、すべての登録されたレビ人は、一か月以上のすべての男子で、二万二千人であった。

 東側が入口なので最も大切な方角ですが、そこにはアロンの祭司の家族が位置します。

 こうやって見ますとイスラエルの宿営が幕屋を中心にして、そしてレビ人を中心にして存在していることがよく分かると思います。朝起きて、天幕から出てくると、そこには雲の柱が立っている幕屋の姿を見ました。そしてその回りはレビ人が宿営していました。彼らは、自分たちの真ん中に神がおられることを生活の真ん中で実感していたのです。

 このように、私たちの信仰生活は頭だけではないことが分かります。朝起きたら、そこに主がおられることを意識するわけです。自分の住まいそのものが、神が中心になっているものになっていなければいけないのです。私は、例えば神の御言葉を壁にかけておくというのも良いと思います。クリスチャンの音楽を日頃からかけるのも良いでしょう。インターネットも、他のクリスチャンとの交わりを促進させつつ行うと良いでしょう。電車の中では、聖書を読んだり、音声メッセージを聞くのも良いでしょう。職場では、他の同僚に自分がクリスチャンであることをまず告げる、自分がクリスチャンであることを分かるようにさせるのも必要でしょう。いろいろな方法がありますが、日常の生活に主がおられることを認め、主に感謝することのできる心を維持する努力が必要です。

2D 初子 40−51
3:40 主はモーセに仰せられた。「イスラエル人のすべての一か月以上の男子の初子を登録し、その名を数えよ。3:41 あなたは、わたしのために、わたし自身、主のために、イスラエル人のうちのすべての初子の代わりにレビ人を取り、またイスラエル人の家畜のうちのすべての初子の代わりに、レビ人の家畜を取りなさい。」3:42 モーセは主が彼に命じられたとおりに、イスラエル人のうちのすべての初子を登録した。3:43 その登録による、名を数えられたすべての一か月以上の男子の初子は、二万二千二百七十三人であった。3:44 主はモーセに告げて仰せられた。3:45 「レビ人をイスラエル人のうちのすべての初子の代わりに、またレビ人の家畜を彼らの家畜の代わりに取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である。3:46 レビ人の数より二百七十三人超過しているイスラエル人の初子の贖いの代金として、3:47 ひとり当たり五シェケルを取りなさい。これを聖所のシェケルで取らなければならない。一シェケルは二十ゲラである。3:48 そして、この代金を、超過した者たちの贖いの代金として、アロンとその子らに渡しなさい。」3:49 こうしてモーセはレビ人によって贖われた者より超過した者たちから、贖いの代金を取った。3:50 すなわちイスラエル人の初子から、聖所のシェケルで千三百六十五シェケルの代金を取り、3:51 モーセは、主の命により、この贖いの代金を、主がモーセに命じられたように、アロンとその子らに渡した。

 主は、イスラエル人の初子をご自分のものであるとエジプトを出られる時に言われましたが、今、レビ人をご自分のものとすることによって、取って替えることを話されています。それで具体的に初子をささげるとき贖い金を支払っていたのですが、レビ人を受け入れたので、その差額の人数分だけの贖い金を神は受け取ります。レビ人のほうが余計に273人いました。一人当たり五シェケルとして、273かける51365シェケルの代金を受け取ります。

 ちなみに、ここで主が語られている一ヶ月以上の初子は、エジプトから出て今にまで至る二年の間に生まれた子であると考えられます。神はこのように、専属で幕屋のために仕える者たちを聖別することによって、礼拝の大切さをイスラエル人に教えられたのです。

2C 氏族ごとの奉仕 4
1D 仕事 1−33
4:1 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。4:2 「レビ人のうち、ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。4:3 それは会見の天幕で務めにつき、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。

 主は、一歳以上のレビ人の人口調査のみならず、実際に仕事をすることをできる者たち、三十歳から五十歳までの奉仕者の人口調査をさせました。初めはケハテ族です。

 興味深いことに、ここにイエス・キリストの姿を見ることができます。主は約三十歳になって、初めて公の場で活動を始められました。そして、イエス様がユダヤ人の前で、「アブラハムは、わたしの日を見た」と言われたので、ユダヤ人たちは、「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」と尋ねています。そしてイエス様はその時に、「アブラハムが生まれる前から、わたしはあるのです。(ヨハネ8:58参照)」と答えられました。なぜイエス様が三十になるまで、公の宣教を行われず、またユダヤ人が「あなたは五十になっていないのに」と尋ねているのかと言えば、こうして主のしもべとして奉仕をする年齢が、三十歳以上五十歳以下だからです。

4:4 ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものにかかわることであって次のとおりである。4:5 宿営が進むときは、アロンとその子らははいって行って、仕切りの幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、4:6 その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真青の布を延べ、かつぎ棒を通す。4:7 また、供えのパンの机の上に青色の布を延べ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のためのびんを載せ、またその上に常供のパンを置かなければならない。4:8 これらのものの上に緋色の撚り糸の布を延べ、じゅごんの皮のおおいでこれをおおい、かつぎ棒を通す。4:9 青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切りばさみ、心取り皿およびそれに用いるすべての油のための器具をおおい、4:10 この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮のおおいの中に入れ、これをかつぎ台に載せる。4:11 また金の祭壇の上に青色の布を延べなければならない。それをじゅごんの皮のおおいでおおい、かつぎ棒を通す。4:12 聖所で務めに用いる用具をみな取り、青色の布の中に入れ、じゅごんの皮のおおいでそれをおおい、これをかつぎ台に載せ、4:13 祭壇から灰を除き、紫色の布をその上に延べる。4:14 その上に、祭壇で用いるすべての用器、すなわち火皿、肉刺し、十能、鉢、これら祭壇のすべての用具を載せ、じゅごんの皮のおおいをその上に延べ、かつぎ棒を通す。

 ケハテ族は、聖所の中にある用具を運ぶ奉仕です。けれども、彼らがそれらを運ぶ前に必ず覆いをしなければいけません。聖なる神がおられること、臨在を表す祭具をそのまま外に見せれば、周りにいる人々はみな死んでしまうことでしょう。そこで覆いをする必要がありますが、それはケハテ族ではなくアロンとその子ら、祭司たちが行います。

 契約の箱は、至聖所と聖所の仕切りとなっている垂れ幕をかけ、そしてじゅごんの皮で覆い、さらに真青の布を延べます。他の用具は一番上にじゅごんの皮ですから、契約の箱だけが表から見ると真青なのです。これによって、契約の箱がまさに天そのものであることを表しています。神の御座のある天です。

4:15 宿営が進むときは、アロンとその子らが聖なるものと聖所のすべての器具をおおい終わって、その後にケハテ族がはいって来て、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死なないためである。これらは会見の天幕で、ケハテ族のになうものである。4:16 祭司アロンの子エルアザルの責任は、ともしび用の油、かおりの高い香、常供の穀物のささげ物、そそぎの油についてであり、幕屋全体とその中にあるすべての聖なるものと、その用具についての責任である。」4:17 ついで主はモーセとアロンに告げて仰せられた。4:18 「あなたがたは、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。4:19 あなたがたは、彼らに次のようにし、彼らが最も聖なるものに近づくときにも、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが、はいって行き、彼らにおのおのの奉仕と、そのになうものとを指定しなければならない。4:20 彼らがはいって行って、一目でも聖なるものを見て死なないためである。」

 アロンとその子らのみが、聖なる祭具を見ることができます。彼らは聖別されているからです。ケハテ族は主の臨在の中に入る聖別は受けていないので、それで彼らが死なないように十分に注意しなさい、と主は戒めておられます。それで彼らがそれらの祭具を一目でも見ることのないように前もって入り、覆いをかけなさいと命じています。そして、この奉仕の監督は、アロンの子エルアザルが受け持ちます。

4:21 ついで主はモーセに告げて仰せられた。4:22 「あなたはまた、ゲルション族の人口調査を、その父祖の家ごとに、その氏族ごとに行ない、4:23 三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で務めを果たし、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。4:24 ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕とそのになうものに関しては次のとおりである。4:25 すなわち幕屋の幕、会見の天幕とそのおおい、その上に掛けるじゅごんの皮のおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕を運び、4:26 また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の回りを取り巻く庭の門の入口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運び、これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。4:27 彼らのになうものと奉仕にかかわるゲルション族のすべての奉仕は、アロンとその子らの命令によらなければならない。あなたがたは、彼らに、任務として、彼らがになうものをすべて割り当てなければならない。4:28 以上がゲルション諸氏族の会見の天幕においての奉仕であって、彼らの任務は祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある。

 ゲルション族は、幕を運搬する奉仕です。

4:29 メラリ族について、あなたはその氏族ごとに、父祖の家ごとに、彼らを登録しなければならない。4:30 三十歳以上五十歳までの者で、務めにつき、会見の天幕の奉仕をすることのできる者たちすべてを登録しなければならない。4:31 会見の天幕での彼らのすべての奉仕で、彼らがになう任務のあるものは次のとおりである。幕屋の板、その横木、その柱とその台座、4:32 庭の回りの柱と、その台座、釘、ひも、これらの用具と、その奉仕に使うすべての物である。あなたがたは彼らがになう任務のある用具を名ざして割り当てなければならない。4:33 これが会見の天幕でのすべての奉仕に関するメラリ諸氏族の奉仕であって、これは祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある。」

 メラリ族は、板や横木、台座などを運ぶ奉仕です。ゲルション族とメラリ族は、祭司イタマルが監督します。

2D 人数 34−49
 そして次からそれぞれの人数が書き記されています。それぞれ、三十歳から五十歳までの人数です。ケハテ族が2750人(36節)、ゲルション族が2630人(40節)、メラリ族が3200人(44節)います。そして合計も書かれています。48節に8580人とあります。そして49節を読みます。

4:49 モーセを通して示された主の命令によって、彼は、おのおのその奉仕とそのになうものについて、彼らを登録した。主がモーセに命じたとおりに登録された者たちである。

 こうして、レビ人の人口登録が終わりました。

2A 宿営の清め 5
 次は荒野に旅立つに先立ち、宿営の中に主がおられることを示すため、聖めを行わなければならないことを教えておられます。

1B 宿営からの除去 1−10
5:1 ついで主はモーセに告げて仰せられた。5:2 「イスラエル人に命じて、らい病人、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営から追い出せ。5:3 男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出して、わたしがその中に住む宿営を汚さないようにしなければならない。」5:4 イスラエル人はそのようにして、彼らを宿営の外に追い出した。主がモーセに告げられたとおりにイスラエル人は行なった。

 ここに書かれている人々はみな、レビ記において汚れているとされている人々であることにお気づきください。らい病人、漏出を病む者、死体によって身を汚している人は、みなレビ記の中で汚れているとみなされていました。その教えを旅立つにあたって実行せねばなりません。

 レビ記の学びにおいて私たちは詳しく学びましたが、イスラエルの民は、人が内側で、心の中で汚れているものを目で見える形で表しているものをもって、神の聖さを現さなければいけなかったということです。例えばらい病は、らい菌によって人々に潜伏し、人々の痛みの感覚を麻痺させ、それで手足を削ぎ落とし、死に至らしめます。それは私たちの内に住んでいる罪と同じで、初めは小さな症状しかでてきませんが、それが私たちを麻痺させ、ついに体全体に広がり、自分を滅ぼしていきます。ですから、らい病人本人が罪人というよりも、らい病が罪を表していたということです。

 私たちは、信仰者の共同体として、聖なる主が真ん中におられることを現していかなければいけない存在です。具体的に教会が前進している時に、その中に罪があれば大きな妨げになります。使徒の働きで、アナニヤとサッピラが、地所を売った財産の代金をすべて売ったのではないのに、すべて売ったと偽ったので、その場で倒れて死んでしまいました。聖なる神が真ん中におられることを示されたのでした。もちろん私たちは、愛し合う仲です。お前はどんな罪を犯したのか?と問い詰めることはありません。けれども、その愛は聖い愛です。愛を持ちつつも、互いに聖めの中にとどまるよう勧めるのです。

5:5 ついで主はモーセに告げて仰せられた。5:6 「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、5:7 自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。5:8 もしその人に、罪過のための弁償を受け取る権利のある親類がいなければ、その弁償された罪過のためのものは主のものであり祭司のものとなる。そのほか、その者の罪の贖いをするための贖いの雄羊もそうなる。5:9 こうしてイスラエル人が祭司のところに持って来るすべての聖なる奉納物はみな、祭司のものとなる。5:10 すべて人の聖なるささげ物は祭司のものとなり、すべて人が祭司に与えるものは祭司のものとなる。」

 この教えも既に、レビ記の中に出てきました。罪のためのいけにえは、単に神に対して犯した罪を告白することに対して、罪過のいけにえは、他の人に具体的な被害を与えた場合において捧げるものです。弁償額を支払うだけでなく、その五分の一を加えます。

 これも旅立つ前に行わせていることに注目してください。私たちが共に信仰の歩みをしている時に、その共同作業を妨げるのは人間関係です。損害関係です。イエス様が祈りなさいと命じられた祈りに、「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ」であります。人との和解ができないままで、神との関係をきちんと持つことはできないということです。「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。(マタイ5:23-24

2B ねたみの捧げ物 11−31
 そして次は、夫婦間に「ねたみ」が生じた時の捧げ物の掟です。

5:11 ついで主はモーセに告げて仰せられた。5:12 「イスラエル人に告げて言え。もし人の妻が道をはずして夫に対して不信の罪を犯し、5:13 男が彼女と寝て交わったが、そのことが彼女の夫の目に隠れており、彼女は身を汚したが、発見されず、それに対する証人もなく、またその場で彼女が捕えられもしなかった場合、5:14 妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こって妻をねたむか、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こって妻をねたむかする場合、5:15 夫は妻を祭司のところに連れて行き、彼女のために大麦の粉十分の一エパをささげ物として携えて行きなさい。この上に油をそそいでも乳香を加えてもいけない。これはねたみのささげ物、咎を思い出す覚えの穀物のささげ物だからである。

 確固たる証拠がないけれども、疑いが生じて夫が妻をねたむ場合は、二人は神の前に出て問題を処理します。夫が大麦の粉を捧げますが、普段、主に対して携える穀物の捧げ物とは違い、油や乳香は加えません。罪の問題を取り扱っているからです。

5:16 祭司は、その女を近寄らせ、主の前に立たせる。5:17 祭司はきよい水を土の器に取り、幕屋の床にあるちりを取ってその水に入れる。5:18 祭司は、主の前に女を立たせて、その女の髪の毛をとかせ、その手にねたみのささげ物である覚えの穀物のささげ物を与える。祭司の手にはのろいをもたらす苦い水がなければならない。

 苦い水が用意されます。そこには、幕屋の床の塵が入れられます。つまり、主ご自身が歩かれている床ですから、主がこのことを見通しておられるということです。そして、この塵は、蛇がエバを惑わした後に、地を這って塵を食べると神は呪いを宣言されましたが、同じように女も呪いを受けるという意味です。

5:19 祭司は女に誓わせ、これに言う。『もしも、他の男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにありながら道ならぬことをして汚れたことがなければ、あなたはこののろいをもたらす苦い水の害を受けないように。5:20 しかしあなたが、もし夫のもとにありながら道ならぬことを行なって身を汚し、夫以外の男があなたと寝たのであれば、』5:21 ・・そこで祭司はその女にのろいの誓いを誓わせ、これに言う。・・『主があなたのももをやせ衰えさせ、あなたの腹をふくれさせ、あなたの民のうちにあって主があなたをのろいとし誓いとされるように。5:22 またこののろいをもたらす水があなたのからだにはいって腹をふくれさせ、ももをやせ衰えさせるように。』その女は、『アーメン、アーメン。』と言う。5:23 祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦い水の中に洗い落とす。

 腹が膨れ、腿がやせ衰えるというのは、おそらく子宮に障害が出て、子を産めなくなるような状態になるということでしょう。そして、この言葉が彼女の体の中に入るように、象徴的にその墨を苦い水の中に洗い落とします。

5:24 こののろいをもたらす苦い水をその女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中にはいって苦くなるであろう。5:25 祭司は女の手からねたみのささげ物を取り、この穀物のささげ物を主に向かって揺り動かし、それを祭壇にささげる。5:26 祭司は、その穀物のささげ物から記念の部分をひとつかみ取って、それを祭壇で焼いて煙とする。その後に、女にその水を飲ませなければならない。5:27 その水を飲ませたときに、もし、その女が夫に対して不信の罪を犯して身を汚していれば、のろいをもたらす水はその女の中にはいって苦くなり、その腹はふくれ、そのももはやせ衰える。その女は、その民の間でのろいとなる。5:28 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、害を受けず、子を宿すようになる。5:29 これがねたみの場合のおしえである。女が夫のもとにありながら道ならぬことをして身を汚したり、5:30 または人にねたみの心が起こって、自分の妻をねたむ場合には、その妻を主の前に立たせる。そして祭司は女にこのおしえをすべて適用する。5:31 夫には咎がなく、その妻がその咎を負うのである。」

 これはおまじないでも何でもありません。確かに、この儀式を通して主が働かれて、実際に不信の罪を犯しているのであれば、子を産めない呪いを受け、そうでなければ害を受けません。神の裁きというのはこのようなもので、私たちがキリストにあって良心に咎めがなければ、たとえどんなことがあっても、何の害もなく通り抜けることができます。

 そして、主は宿営の中で、夫婦関係に不和があってはならないことをここで戒めています。このような苦い水を飲まなければいけなくなるようなことになる前に、互いに意思疎通を深めて、夫婦の仲につねに平和があるように最善の努力を行うはずです。夫婦の仲で平和が保たれていれば、家族全体が安定します。家族全体が安定していれば、イスラエル共同体全体が安定します。ですから、この心にあることを、夫婦の間にあることを主の前で整理していただくことは極めて重要なのです。

 苦い水を飲むという行為に関連して、聖書の中で「杯を飲む」という表現が出てきます。神の裁きをまともに受ける時は、ぶどう酒を飲み、それで酔いしれていくことに例えられています。実は、私たちのために神の呪いの杯を代わりに受け取られた方がいました。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。(マタイ26:39」十字架という神の呪いをもろ受け取られたのがイエス様です。神の裁きをご自分の体で受けられ、不信の罪を犯した妻の体が醜くなったように、ご自分の肉体も損なわれました。それらはみな、私たちが神の呪いを受けなくても良いようにしてくださったのです。

 皆さんの中で、心に抱いている怒り、ねたみ、苦みはあるでしょうか?それを、今、主の前で捨て去り、キリストが飲み干された苦い杯を受け入れて、神の前に赦しを請いましょう。

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