明石清正(ハンドル名「きよきよ」)
ロゴス・ミニストリー 主任
カルバリーチャペル・ロゴス東京牧師
カルバリーチャペル・コスタメサ宣教師
1970年生まれ
大学卒業後、一般企業に約二年勤務
1995年、妻とともに渡米
1997年6月、カルフォルニア州カルバリーチャペル・コスタメサ付設の「スクール・オブ・ミニストリー」卒業。
1997年7月、東京都足立区にて、子供伝道を中心に開拓を開始。
2005年8月、長期海外宣教師として、日本と第三国の二国間を往来する。
2010年12月、日本に帰国、東京中心部での教会開拓を念頭に働きを再開。
2011年2月、ロゴス・クリスチャン・フェローシップの礼拝開始。
2017年12月、教会名を「カルバリーチャペル・ロゴス東京」に変え、現在の場所に引っ越し。
救いの証し(体験)は下にあります。
※カルバリーチャペル・ロゴス東京は、米国カリフォルニアから始まったカルバリー・チャペルの群れの一つです。
Calvary Chapel Association
日本のカルバリーチャペル
チャック・スミスについて
ロゴス・ミニストリーの信仰基準
カルバリーチャペルの信仰表明と同じです。
カルバリーチャペルは、イエス・キリストを主として信じている者たちの交わりとして、形成されています。私たちが最も願っていることはキリストを知ることであり、聖霊の力によってキリストの似姿に変えられることです。
私たちは教団ではありませんが、教団に反対しているのでもありません。教団が、キリストのからだに分裂をもたらしてきた教義的な違いをことさらに強調する点についてのみ、反対しています。
クリスチャンの交わりにおいて真の土台となるのは、キリストのアガペの愛だけであると私たちは信じています。これは、私たちが有するどのような違いも超えて大事なものであり、キリストのアガペの愛なくして、自分をクリスチャンであると呼ぶ権利はありません。
神への礼拝は、霊的なものであると信じています。したがって、礼拝を導くに当たって、聖霊の導きに柔軟になり、それに従っていくと信じています。
神への礼拝は、インスピレーションがあるもの(感応的)であると信じています。ですから、礼拝において、音楽は大きな位置を占めています。
神への礼拝は、知的であるべきだと信じています。したがって、私たちの礼拝は、神のみことばの教えを強調するようになっています。それは、神が、ご自分への礼拝がどのようになされるべきかを教えられるためです。
神への礼拝は、実りあるものでなければならないと信じています。したがって、生活の中で神の愛を求め、それによって、本当に神を礼拝していることの最高の現われとします。
私たちは、歴史的キリスト教の基本的教理をすべて信じています。
旧約・新約聖書による聖書は、霊感を受けた、誤りなき神のみことばであると信じています。
神は永遠に、三つの区別された位格(人格)において存在していることを信じています。三つの位格とは、御父と御子と御霊です。
神は位格を持ち、あらゆるものを超越し、万物に主権を持つ創造主であると信じています。
イエス・キリストは完全に神であり、完全に人です。処女から生まれ、罪なき人生を送り、十字架上の犠牲の死によって私たちの罪の贖いを備えられました。死者の中から体をもってよみがえられ、昇天し、御父の右の座に戻り、今でも生きておられ、私たちのために執り成しをしておられます。
私たちは、イエス・キリストが地上に再臨されることを信じています。その再臨は、個人的であり、目で見ることができ、千年期の前であると信じています。
イエスが昇天されてから、エルサレムにいる信者たちに、彼らが全世界への福音宣教命令を果たすことができるようにするため、ご自分の聖霊を注がれました。この宣教命令は、今日の信者全員に与えられているものです。
すべての人は、生まれながらにして、神から離れ、自分の罪に責任があると信じています。しかし、私たちの主イエス・キリストの恵みによって、すべての人に、救いと贖いと罪の赦しが無代価で与えられていると信じます。人が罪を悔い改め、イエス・キリストを個人的な救い主また主として受け入れ、この方が救ってくださると信じるなら、その人は、即座に新生し、聖霊の証印を押され、すべての罪が赦され、神の子どもとなり、永遠に主とともに過ごすように定められます。
聖書で言及されている聖霊の賜物があることを信じています。聖書に書かれている指針にしたがって用いるなら、これらの賜物は今日でも有効であると信じます。私たちは信者として、最もすぐれた賜物を求めなければいけません。キリストのからだ全体の徳が高められるように、愛をもって賜物を用いることを求めます。どんなにはなばなしい賜物よりも愛がもっと重要であり、愛がなければ、御霊の賜物を用いても価値は全くないと信じています。
あなたもあなたの家族も救われる−きよきよ
(ある韓国人教会で話したときの原稿です)
私の救い
はじめまして、今日は、主イエス様が私をどのように罪から救ってくださったのかをお話したいと思います。そして、私の両親の救いについてもお話したいと思います。
私は普通の一般的な日本人の家庭で育ちました。「普通の、一般的な」という意味は、特定の宗教を持っているわけではないけれども、仏教や神道の伝統や行事には参加するという意味です。
父は、パブレストラン(洋風の居酒屋)で経営者をしています。彼の働いている姿を見たりして、小さなころからお金をもうける仕事をしたいと思っていました。中学校に入ってから、部活動で卓球をし、また勉強も一生懸命しました。私が住んでいた地域で有名な高校に入るために受験勉強も一生懸命しました。
けれども、高校生の時に行ったアメリカ旅行を通して、そんな夢がいかにちっぽけなものかを知りました。何時間走っても同じ風景が続く、広大なアメリカの土地を見て、いい大学に行って、一流企業に勤めて、金を稼ぐという願いは、本当に狭い考え方だなと思ったのです。
その頃から、精神的に抑うつ状態になりました。勉強も部活動もやる気が出なくて、だからといって新たな人生目標もあるわけでなく、自分が嫌になってきました。夜、自分の勉強部屋の中で自傷行為(自分を痛めつける)行為をしていて、お店から帰ってきた父を心配させたものでした。
大学受験のプレッシャーがあまりにも大きくて、もし受験に失敗したら自殺してしまうかもしれないとまで思いました。けれども、一般受験の前に、東京にある大学に推薦入学することができました。本当に、神さまのあわれみがあったと思います。
大学に入ってから、これからの人生設計を立て直そうと思いました。中学校の部活動で頑張ったときのように、情熱を傾けることができる活動を捜しました。それで、英語で討論をするサークルに入りました。ところが、討論の大会の成績は良くなく、また悩む日々が続きました。
大学一年生の冬休みの時のことです。実家に戻って、高校生のときに英会話教室に参加しようと思って行ったことがある教会に行きました。クリスマス礼拝です。そのときに、イエス様が暗闇の世に来てくださった話を聞きました。そして自分の家に帰りました。一人、自分の部屋の中でこれまでの人生を振り返りました。何かが違う。何か、的をはずした、見当違いな人生を送っているのではないか?と思いました。そのとき、礼拝で語られていた神さまのことを思い出しました。
そこで一人で祈りました。「神さま、私は生まれてからずっと、あなたを無視していました。ごめんなさい。」と言いました。すると、頭からつま先まですっぽり自分を包んでくださっている神様の愛を感じました。私は泣きながら、「ありがとうございます」と祈りました。
人間に罪があると言われるけれども、私もいろいろ具体的な罪を犯しました。嘘をついたり、相手のことを考えないで独りよがりになったり、いろいろな罪がありますが、けれども、もっともっと根本的な罪、一番大きな罪は、この天地を造られた神さまを神さまとして認めず、自分自身で生きていると思っている高慢の罪です。ローマ人への手紙一章20節から、この罪についてパウロが次のように説明しています。「
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ1:20-23)」
そして新年を迎えました。いつもなら神社に元旦参りに行くところですが、私は教会に足を運びました。そして教会の人に、これから教会に通いたいことを伝えました。そうしたら私が東京近辺で行くことができる教会を紹介されました。
行ってみると、将来の妻がそこにいました。しばらくしてから、彼女は、三浦綾子さんの小説を僕に貸してくれました。とても感動して、他に自分で買って読みました。その中に、小説というよりも、福音の説明が書かれている本がありました。私は、自分の罪のためにイエス様が個人的に十字架にかかって死んでくださったことを知りました。
それで新学期にはいる直前、日曜日の礼拝で、イエス様にある救いを受け入れる招きがあったとき、前に出て行きました。牧師さんに何かを話したのですが、必死だったので何を言ったのか覚えていません。けれども彼は、私が「イエス様を受け入れない理由はない」と言ったことを、他の人たちに発表しました。私は、新たに生まれました!
両親の救い
イエス様を自分の主として生きていくことに際して、もちろんいろいろ悩むことはありました。それは、両親のことです。自分がクリスチャンになったことを両親に話しました。また、洗礼式にも参加してもらいました。イエス様のことを伝えて、いろいろ努力しましたが、本人が信じるというふうには全然なりませんでした。
クリスチャンになってから15年経ったころ、私の母方の祖母が亡くなりました。おばあちゃんにもイエス様のことをきちんと伝えたいと思っていたのに、私が病院に見舞に行く直前に死んでしまいました。死んだおばあちゃんの体を見て、とてもくやしかったです。後悔しました。
そこで真剣に祈り始めました。死んでからでは遅すぎる、まだ生きている両親が救われるように祈らなければ、と思いました。神様は祈りを聞いてくださいました。その祖母の死は、私の母にとってもショックだったようです。また、仏式の葬儀のやり方に疑問を持つようになりました。母が初めて、人間の死について深く考え始めたのではないかと思います。
ある時、東京にいる私たちに母が遊びに来ました。私たちは折を見て、両親を教会に誘いましたが、いつもあまり行きたがりませんでした。日曜日に妻が母を説得して、知り合いの韓国人の牧師が牧会されている、近くの教会に連れて行きました。
そして実家に戻った母は私に電話してきました。「近くに、おすすめできる教会はある?」と聞いてきたのです。父親もいっしょに通いたいとのことです。これには驚きました。主の御霊が彼女の思いを動かした以外に、他の説明はできません。
そして数ヶ月がたちました。聖書を勉強しているけれどもなかなか理解できずに、苦しんでいました。けれどもある礼拝の説教で、イエス様が天国に備えをしてくださっている話を聞いたとき、母は泣き崩れました。礼拝が終わっても、泣き止むことはなかったそうです。母から私に電話があり、泣きながら「私は生まれ変わりました。」と言いました。
そしてそれまでは、母の付き合いで教会に通っていた父も、真剣になりました。いろいろ悩んだみたいです。そして父も、三週間後に、牧師といっしょに罪の告白と神の救いを受け入れる祈りをして、彼も新たに生まれました。
二人は、同じイースター礼拝の日に洗礼を受けました。私は、その前日に実家に行きましたが、最初、二人が本当に自分の両親かと疑うほどでした。二人の顔が喜びに満ちています。心の中から洗われた表情をしています。そして、部屋にあった神棚も、仏壇もみな片付けられています。さらに母は、タバコとお酒の問題があったのですが、それをすっかり止めてしまいました。
そして今も、主に従い続けています。皆さんの励ましになればと思うのですが、日本人がクリスチャンになるのは難しいとよく言われますが、神の御霊が働いてくだされば、救いは一瞬の出来事です。どんなに心をかたくなにしている人でも、主が触れてくださったらその人は一気に変わります。
そして母が教会に行くきっかけを作ったのは、韓国人の教会です。その韓国の牧師さんは、日本語は上手ですが、いつも私に「日本人に細かいところで、なかなか伝えられない。」と悩んでおられました。けれども、神の霊が働くときには、そんなことは全く関係ありません。パウロがコリントの教会の人たちに、次のように言いました。
「
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
(コリント人への手紙第一1:18)」
「
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。(コリント人への手紙第一2:4)」
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