プロテスタントとカトリックの違いは?

キリスト教に初めて触れる多くの人が、「プロテスタントとカトリックってどう違うの?」という質問をされます。同じキリスト教なのに、どうしてそのように教派が分かれているのだろう、と考えておられるのだと思います。

お答えする前に、興味深い事を話さなければいけません。多くのプロテスタントの教会の人が、「未信者の人から『カトリックとプロテスタントの違いは何ですか』と聞かれるのですが・・・」と質問を牧師に持ってくることがある、ということです。つまり、「自分はクリスチャン」という自覚はあるけれども、プロテスタントであるという意識は薄い、ということです。自分が「プロテスタント」という教会の組織に属しているわけでもなく、ただ、イエス・キリストという方に自分が個人的に出会ったという体験を持っており、そして教会は同じ体験を持っている者たちが集まり、互いに奉仕をして、共に礼拝を捧げる仲間であると思っています。

それに対してカトリックの人は、バチカンにいる法王を頂点とする「教会」そのものが大事です。教会の儀式を通して自分は救われているのだ、という意識があります。カトリック信者である麻生元首相は、首相の時に、ある国会議員に「あなたはクリスチャンでしょう。」と尋ねられたところ、「私はカトリックでして、クリスチャンではありません。」と答弁していました。ここに、個人的なイエス・キリストとの関係(プロテスタント)と、教会という組織(カトリック)の大きな違いが出ています。

 
 宗教改革の発火となった「95ヶ条の論題

そして次に、そこで行われている活動が大きく違います。カトリックの人たちが毎日曜日に行っているのは「ミサ」と呼ばれます。キリストが十字架で死なれる前に、最後の食事をされている時に、弟子たちに対してパンを裂いて、「これはわたしの体です。取って食べなさい。」と言われ、ぶどう酒の杯を回されて、「これは、あなたがたのために流される新しい契約の血です。」と言われました。これを行うことがミサの中心であり、ミサによって、司祭(神父)の仲介によってキリストと神に近づこうとしています。

プロテスタントの人たちの日曜日の様子は、カトリックと同じく主の晩餐にあずかる時間もありますが、神への賛美、祈り、聖書朗読、そして聖書説教という流れがあり、聖書の言葉を聞くことが礼拝の多くの時間を占めます。カトリックの人たちは、初代教会の継承としての教会を組織的に維持しているのに対して、プロテスタントの人たちは、教会の基準は初代教会の使徒たちの書いた「聖書そのもの」にある、と考えています。組織や儀式ではなく、使徒の教えを個々人が堅く守ることによってむしろ私たちが初代教会を継承しているのだ、と信じています。

そして聖書の中には、カトリックの儀式や教えの中にある伝承の多くが書かれておらず、してはいけないと禁じられている事柄も含まれているので、「それらをしてはいけない」と抗議して始まったのがルターなど宗教改革者らの行ったことです。その「抗議」から「プロテスタント」という名称が生まれました。

またカトリックの人たちには、イエスの母「マリヤ」が極めて重要な存在になります。プロテスタントの人たちにとっては、聖書に書かれてあるとおり、信仰深い、優れた人であることは認めていますが、あくまでも人間であり、彼女自身もイエスを主キリストであると信じ、その権威に服さなければなりませんでした。けれどもカトリックでは、神の御子を生んだ母なのだから、その母には罪がないとし、事実上、イエス・キリストよりも崇められている向きがあります。

そして最も大きな違いは、「イエス・キリストを信じることによってのみの救い」です。カトリックには秘蹟と呼ばれる七つの儀式を通して、また司祭という仲介を通して、またマリヤ様、また聖人の仲介により、というように神とキリストに近づくための「行い」があります。けれども、聖書ではこれらの儀式の行いによっては決して、完全な義であられる神に到達することはできないことを教えています。ゆえに、ご自身が神であるキリストが人の姿を取り、その罪のため十字架で死んでくださり、三日目によみがえられた、と信じています。この方の名を呼び求めれば救われるのであり、儀式によってではありません。

宗教改革者もこのことを、「聖書のみ」「信仰のみ」「キリストのみ」といって、その信条を打ち出しています。

では、どちらの教会が正しいのですか?と尋ねられたら、「聖書を信じている教会に通ってください」とお答えしたいと思います。プロテスタントを名乗る者たちであっても、続けて改革をしていかねばならない、弱き存在です。一心に聖書の御言葉に聞き、謙虚な心になって神を求めることによってしか、改革を保つことはできません。

そして人に与えられた初めの改革は、新しい創造です。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17」キリストにあって、人は全く新しい存在になることができます。神の霊によって再び生まれることができます。人間の子孫としてだけでなく、神につながれた、神の養子とされた子孫になることができます。ここからスタートです。

1度生まれた者は2度死ぬ。2度生まれた者は1度死ぬ。キリスト教ガイド 第十三章 新生

補足:プロテスタントとカトリックの違いについて、しっかとまとめてある記事がありますのでご紹介します。
  「カトリックとプロテスタント


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