キリスト教はなぜ戦争をするの?

 「キリスト教」に触れる時に、必ず日本の人たちから受ける質問はこれです。キリスト教史には十字軍遠征を始めとして、キリスト教国と呼ばれる国々が抑圧と暴力を行なってきたために、そう思います。

 まず確認したい大事な事実があります。それは、宗教戦争は歴史の中でごく一部であったということです。キリスト教関係のものは、世界で起こった戦争の2%程度であることが統計として出ています。

   
   (「3分でわかる聖書」から)  

 次に考えなければいけないことは、「キリスト教徒」あるいは「クリスチャン」と名乗っていても、必ずしも真に信仰を持っている人たちではない、という点があります。

 「あなたは、どんな宗教を持っていますか?」と尋ねられたら、「仏教徒です」と答える人が多いのではないでしょうか?「では、仏陀が説いたことは何ですか?どのような教えを実践しておられるのですか?」と尋ねたら、きちんと答えられる人はどれだけおられるでしょうか?

 大抵、「習慣的に、文化的に仏教徒だと言っているに過ぎない。」と答えられるでしょう。そして、自分の家の墓が檀家に入っている、というのがその根拠になるかもしれません。檀家制度は、江戸幕府がキリスト教禁止令に伴い、武士・町民・農民といった身分問わず特定の寺院に所属し、寺の住職は彼らが自らの檀家であるという証明として寺請証文を発行したのが始まりです。したがって、事実上国民全員が仏教徒となることを義務付けるものであり、仏教を国教化するのに等しい政策でした。(参照:Wikipedia

 実は、これと同じことがキリスト教の中にも起こったのです。教会が誕生したのはローマ帝国時代でした。キリスト者はローマ皇帝崇拝を拒んだために、恐ろしい迫害を受けました。ところが信者は増え続け、ついに皇帝本人がキリスト者となるに至りました。コンスタンティヌス一世です。そして、テオドシウス一世がキリスト教を国教化し、他の宗教を排除し、ローマの住民をすべてキリスト教徒として登録させました。

 聖書には、キリスト者となる条件について、「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1:13」とあります。キリスト者となるのは、神の霊による一新、心の回心であり、「人の意欲」つまり、他者が恣意的に人をキリスト者にすることはできないのです。ところが、ローマがキリスト教を国教にしたことによって、真にキリストを信じていない人も、文化的に、社会的にキリスト教徒と呼ばれるようになりました。

 実は、このこと自体を主イエス・キリストは予め知っておられて、下のように警告されました。

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:21-23

 そして、「組織としての教会」は膨張するけれども、そこには良い麦の他に毒麦も混じっていて、世の終わりの時にその裁きを行なわれる話をされました(マタイ13:24-32)。ですから組織としての教会が行なっていることが、真のキリスト者が行なったことでは必ずしもないのです。

 真に信仰を持っている人であれば、次の言葉に対して「まったくその通り」と言うでしょう。イエス様が十字架刑に処せられる前に、ローマ総督ピラトに対して言われた言葉です。

わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。(ヨハネ18:36

 ですから、十字軍遠征などと言うものは、新生したキリスト者にとってはあまりにも滑稽で、愚かしいものにしか写りません。

 次に、例え本当に信仰を持つに至った人であっても、完成されているのではなく罪の性質を持っているために過ちを犯す、こともあります。このことについては真に謝罪する必要があります。過去の日本の戦争において、日本のキリスト者の多くが一般の人々と共に是認、あるいは支持しましたが、戦後、キリスト教会の多くが、そこにあった侵略行為について謝罪をしました。米国の南部バプテスト教会は、かつて黒人奴隷制度を積極的に否定しなかったことを謝罪しています。

 そして、キリスト教史において一般に知られていないのは、これらの失態をはるかに超える無尽蔵の良い行いです。近代科学の礎を築いた科学者の多くがキリスト者でした。教育機関や医療機関も宣教師によるものです。奴隷制廃止もキリスト者によるものです。赤十字社を含む数多くの慈善団体も、キリスト者によるものでした。そして、日本近代化の中枢に宣教師がおり、日本人で中心的人物はほとんど全員、宣教師に触れ、その影響を受けています。

 欧米列強の侵略行為は知られていますが、同じ時期に、純粋に人の霊の救いだけを願って入って行った個々人の宣教師が大勢いました。福音宣教行為のみならず、上に挙げた教育や医療、貧困救済、そして人権向上のために貢献しました。多くの場合、それらの侵略行為と宣教師派遣が同時期に起こっているために、「キリスト教が侵略した」と混同されるのです。(例:映画「ミッション」)

 そして文化を破壊したという批判がありますが「霊の救い」が宣教師の主眼であり、ほとんどの場合は尊重しています。それを止めさせる時というのは、その文化に不正を見出すからです。かつてインドでは、先に夫がなくなると妻も追って火の中で自害するという習慣がありましたが、それを止めさせるのに貢献したのは英国の宣教師です。

 現代を見てみましょう。東日本大震災の被災地で救援活動を行っている奉仕者の一割強は、外国人です。その外国人のほとんどはキリスト者であることをご存知でしょうか?彼らは東北の文化や習慣を破壊しているでしょうか?いや、むしろその地域の美しさを取り戻すことに貢献をしています。同じように、無名の宣教師たちが、歴史を通じて数多くの良い遺産を与えてきたのです。

 最後に、私がこれを読まれている方にお勧めしたいことは、キリスト教の国であるとか社会や文明を受け入れろとことでは決してなく、「イエス・キリスト」という方にのみ目を留めていただくことです。組織としてのキリスト教、社会や文明としてのキリスト教を受け入れてほしいとは、これぽっちも思っていません。

 イエス・キリストはこう教えられました。「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:33-44」そして、自分を十字架につけ、自分を罵っている群集に対して、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34」と祈られ、自分の教えられたことを実践されたのです。

 この方が人に個人的に触れてくださる時、その人は真のクリスチャンになれます。

参照:「それでも神は実在するのか?」リー・ストロベル著 いのちのことば社

)日本の過去の戦争については、その行為を擁護する人もおられると思います。歴史の見方はいろいろ意見が分かれるものです。それは欧米諸国でも同じです。一つの戦争について様々な意見がありますが、キリスト者の間にもそれを擁護する人もいれば反対する人もいます。けれども、それはあくまでも見解の違いであって、その人の情報や歴史の受け取り方に拠るものです。キリスト教信仰では、戦争を積極的に支持することも、また反対することもしていないこと、「神の国はこの世のものではない」という立場であることを知ってください。

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