恵比寿BSのお知らせ 8月5日

みなさん、お元気ですか?

イザヤ書28~29章の学び、いつものパワーが更に三倍ぐらいになっていて、心に強く迫るメッセージでした。
「神さま以外のものに頼ると、それが後になって不自由を与えてくる」・・・ほんとにそうだなと痛感しました。
みことばに依存しているつもりが、気付くと何か他のものに頼っていて、握っているものに振り回されることを繰り返してしまいます。
そういう自分を見て、ああまた同じことを・・・と悲しくなりますが、それでも諦めないで、すぐにイエスさまのところに走って行くようになりたいです。

では、今週の学びのお知らせです。
〇8月5日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第1会議室〇聖書箇所 イザヤ書30章~

※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆8月の学び
8月5日・19日・26日
全て水曜日です。

みなさん守られますように。

7月27日から8月1日までにメールを送られた方へ

ロゴス・ミニストリーのサーバのメールが、ここ一週間ダウンして、受け取り不可となっていました。
朝チェックしたら、回復されたようです。

この期間、メールアドレスinfo @logos-ministries.orgにメールを送られた方がおられましたら、こちらで受け取っていない可能性が大です。申し訳ありませんが、再送していただけますでしょうか?よろしくお願いします。

ナルニア国物語

これまで書籍をご紹介してきましたが、これまで心に残った映画もご紹介したいと思います。書籍と同じく、信仰的に役立つ方面からのものと、私の興味の範囲内のものがあります。

初めは「ナルニア国物語」です。
第一章:ライオンと魔女
第二章:「カスピアン王子の角笛」

narnia1私が第一章を見たのが、2006年1月アメリカに行った時の映画館です。何気なく行ったのですが、涙があふれてどうしようもありませんでした。

映画にしろ、小説にしろ、芸術作品というのは、目に見えない神を描くことは非常に難しいです。だから、キリスト教関連の作品であっても、人間が中心に置かれがちです。けれども、この寓話的物語は見事に壮大な、キリストの贖いによる神の国の全体的ご計画を鮮やかに描いています。

C.S.ルイスが、キリスト教弁証家であることは知っていましたが、彼は本当に天才だと思いました。非常に細部に渡り聖書を反映させた物語を書いています。

この物語の解説でサイトの中で最もしっかりしているなと感じたのは、次です。

「富山鹿島町教会・エトセトラ」

牧師さんがお書きになっている文章ですが、聖書的にしっかりしているし、また伝道用にもなるでしょう。

この解説に付け加えるならば、私は「神の国の壮大な計画」というテーマが、特に第一部に流れていると思います。

ナルニアという国は冬でした。そこに「世」があります。そしてエドマンドは女王に会い、彼女の誘惑に負けるのですが、その女王は「悪魔」です。アダムが罪を犯すことによって、人に地の支配を任せておられた神のご計画が、その支配権が悪魔に譲られることによって、「世」が始まったという始まりです。そしてその中で悪魔の支配のままにされている人間がいる、ということです。

けれども、ナルニアの住人(動物的存在や、自然によって構成)らは預言を信じていました。アスラン(獅子の姿をしている)が来るということ。そしてそのアスランがアダムと子、つまり人間が来ることによって、ナルニアを回復させるという預言を受けていました。これは、神がキリスト(アスラン)にあって人に地を支配させるという、キリストの来臨、そしてその後の神の国を預言しているものです。

被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。(ローマ人への手紙8:19-22)

ナルニア国の住人で、反逆罪によって女王(魔女)に氷漬けにされる人がたくさん出てきます。それは、キリストと御国のゆえに迫害・殉教をした人々です。

彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。(黙示録6:10-11)

そしてアスランの到来が間近になっているため、雪が解け春が近づいています。そのため魔女は焦っています。これは、キリストの到来のゆえに悪魔が最後のあがきをしている、最後の戦いを表しています。

悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。(黙示録12:12)

そしてアスランが、魔女からナルニアを奪還するにあたって、エドマンドを取り返すための、魔女とアスランの熾烈な駆け引きが、実は、ローマ書で論じられている、神の義に対する大きな挑戦であり、神の贖罪の根幹を成すものです。これは上のサイトの解説にも詳しく説明されていますが、「罪から来る報酬は死である」という原理はキリストとて変えることはできません。

だから取り引きは、「自分自身が支払う」というものだったのです。それでアスランは死にます。そして後に生き返ります。「罪のない者が死ぬ」という犠牲によって、「死と罪の法則」が塗り替えられます。「命の御霊の法則」が働き(ローマ8:2)、「死が勝利に飲み込まれる(1コリント15:54)」ことが始まったのです。

氷漬けにされていたナルニアの人々は、アスランの息で生き返ります。これは次の御言葉の成就です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。(1コリント15:20-21)

そしてこれら生き返った人々が、アスランを筆頭とし最終戦争に参与します。

見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。(ユダ14)

戦争はナルニア側が苦戦を強いられますが、アスランの一つ吼えで魔女を始め、瞬く間に決着が付きます。

この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。(黙示19:15)

そしてナルニア国が回復します。四人の兄弟姉妹が王戴冠を受け、ナルニアの住民(動物・植物)が慶び踊ります。

全地は安らかにいこい、喜びの歌声をあげている。(イザヤ14:7)

クリスチャンの中で動物や植物を擬人化しているのに抵抗を感じる人がおられるかもしれませんが、いや、聖書は自然界、被造物の賛美をたくさん描いており、実に聖書的なのです。詩篇148篇を読んでみてください。

そしてアスランがなぜ獅子なのか?黙示録4章5節にイエスが「ユダ族から出たしし」とあるゆえです。ここからしてナルニア国物語は、「キリストの再臨による地上における神の国」回復の物語であり、特に黙示録に詳細に描かれている、そこに至るまでの最終的な戦いを描いていることが分かります。

この枠組みから、キリストの十字架と復活(アスランの死とよみがえり)が描かれており、「世における神の国の到来」という壮大なご計画があってこそのキリストの贖罪を描き出しています。

ここまで立体的に、神の視点からあの二千年前の出来事を表した映画には出会ったことがありません。

C.S.ルイスは、この物語を第二次世界大戦直後に書いていますから、余計に戦いの部分を鮮明に描きやすかったことでしょう。けれどもこれは本質的に聖書が描く世界観であり、私たちは今、戦いの中にいるという認識が非常に必要です。戦い抜いて、前進していくという信仰生活が今、私たちに日本人のクリスチャンには本当に求められていると感じています。

あっ、そして第二部についてですが、テーマは少し異なり、預言的よりも教訓的な話になっています。また記事を変えて、後々お話したいと思います。

現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義

エジプトに少し興味を持ったきよきよは、以前読んだ以下の本をまた読み返しました。

現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義(池内恵著 講談社現代新書)

改めて読んでみて、こんな分かりやすい本だったのだと感心しました。イスラエル・アラブ紛争の書物を何冊か読んだので、その歴史の背景についての知識が増えたからかもしれません。

内容は、アラブ民族主義とイスラム主義が主ですが、彼の留学先と研究をした現地がエジプトのため、その国で起こっていることを機軸にして書かれています。他の人たちがたくさん書評を書いています。

1)全体の流れを知りたい方はこちら
世界的な流れでもありましたが、資本主義が崩壊するかと思っている時に社会主義・共産主義が台頭しましたが、日本では安保闘争などをしている時期に、アラブではエジプト革命が起こりました。そしてパレスチナ・ゲリラもこの流れです。

日本にとって大きな思想の転換は、①敗戦②安保闘争、そして後は③地下鉄サリン事件、を境にして起こったような気がしますが、アラブ社会も似ています。アラブにとっては、①1948年の独立戦争での敗戦、②1967年の六日戦争での大屈辱、そして③湾岸戦争、でしょう。①でアラブ版の社会主義革命的な動きが芽生え、②でその革命理論が衰え始め、代わりにイスラーム主義が台頭、③でイスラム教終末論に基づく陰謀論・オカルト関係に傾く、と言えると思います。

2)非常に共感する書評がありました、こちらです。

池内恵氏は1973年生まれで、僕と同じ世代です。だから感覚がとても似ています。彼の他の書物も好きなのですが、安保闘争とそれ以後の時代に生きていた50-60代の人々と私たちは少し感覚が違います(注:大雑把過ぎる類型化で申し訳ありません、当てはまらない人々もたくさんいるでしょう)。国や権力に対する生理的な嫌悪感があまりないのです。むしろそのような、権力に反発する人々の偽善性や嫌な部分を逆に見てきているので、きれいに権力・権威を批判する人々にきな臭さを感じるのです。

池内氏は、陰謀論を多く取り上げるのですが、上の書評では「しかし基本的に「資本家=悪」「労働者=善」という善悪二元論を採用するマルクス主義は陰謀論との親和性が高いのではないでしょうか。」とあります。学生闘争を上手に避けて生きてきた人々の中にも、上の権威を否定する傾向があり、それゆえ「自分自身」に対する自負心・信仰があり、それ以前の伝統的・保守的な世代の人にはない利己性を感じます。(その反発が、あの90年代に若者の間で起こった新興宗教ブームであったような気がしないでもありません。)

同じ方の書評で池内氏のもう一つの著作「アラブ政治の今を読む」にも、こう引用されていました。

国際政治の現状分析というものは、不確かな「機密情報」や裏話などに頼って行うべきものではない。公開情報を広く集め、現地調査で培った判断基準によって情報を選択し、解釈することによって生み出されるものである。

そして、

「権力」からの情報は端から疑ってかかり、逆に「批判勢力」を称する側の主張は検証なしに全面的に承認し、そこから断定的結論を導いていく議論は著しく公平さを欠く

とあります。最近読んだ本、例えばSix Days of Warは、公開された一次資料に基づくものであり、それで十分以上に国の指導者の思惑を読み解くことができます。そしてしかも、その指導者をありのままに見ることができ、たとい悪い指導者であっても、怒りや嫌悪感と同時に哀れむ心も生まれてくるので、安心して読めます。

3)あと、本書の一部を批判している記事があり、興味深いことが書かれていました。

エジプトでは首都カイロですら信号なんてほとんどないし、あっても完全に無視されています。圧倒的な車優先政策で、歩行者保護の観念はほぼ皆無です。交通マナーも道路事情も劣悪、保険制度も無いも同然で、交通事故の被害者は泣き寝入りするしかありません。警察は基本的に事故の捜査はしませんので、ひき逃げも日常茶飯事です。そんな道路が村を分断しているのですから、住民がどれだけ苦しめられてきたか、察するに余りあるところです。

これを、にやにやしながら読みました。私が去年経験したカイロそのものだったからです。そして、

エジプトはファラオの昔から、圧倒的多数の農民を、ほんの一握りの都市民が支配する専制国家で、今でもその構造は基本的に変わっていません。中央は農村の富と労働力をほぼ一方的に吸い上げるヤクザの親分みたいなもんで、しかも1952年までずーっと異民族が入れ替わり立ち替わり親分の地位に就いてきたわけなので、エジプト農民にとって彼らはよそ者。生き延びるために「お上」には徹底的に服従しへつらうが、そのかわり村落共同体という「内輪」のある領域については手出しさせない。お上といえどもここを犯したら命を張る、という絶対に譲れない「聖域」があるわけです。

私がエジプト博物館を訪れた時、「パロの時代と今のエジプト、もしかしてあんまり変わっていない?」と感じたその勘が当たっていたみたいです。

エジプト・・・一日いるだけでも大変な国ですが、一度は体験してみる価値のある面白い国です。

エビスBSのお知らせ 7/29

みなさん、お元気ですか?

『イザヤの黙示録』とも呼ばれる27章までの学びが終わりました。
終わりにイスラエルの回復が描かれている、本当に素晴らしい箇所でした。
心に響くメッセージの連続でしたが、特に心に残ったのは・・・
「思いが神さまのところに固定されること」が、私たちの平安の源であること・・・分かっているようでいて、できていないことです。
いつもいつも神さまを見つめている癖がつくように祈っていきたいと思います。

では、今週の学びのお知らせです。
〇7月29日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第二会議室 〇聖書箇所 イザヤ書28章~

※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆7月と8月の学び
7月29日
8月5日・19日・26日
全て水曜日です。

今の政治(そして福音宣教に)必要なのは?

先日の都議会議員選挙は、自民党大敗という結果が出ましたが、私が今感じている日本の政治の動きについてお話したいと思います。

結論から申し上げますと、次のパウロの言葉です。
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1テモテ2:1 )」

今の政治、国民世論には「感謝」が足りないのではないか、と感じています。

今の日本がどこに行けば良いのか分からないままに、国民に税金の無駄を強いてきたのを止めさせるというのが、民主党が掲げる政権奪取の理由です。それも一国の整理としては大切なことだと思いますが、やはり国全体の舵取りを担う政権にするには、あまりにも将来的理念がなさすぎます。

保守(右派)も革新(左派)も、「これまでの米国追従のあり方を変えるべきである。」というものがあり、前者は戦後レジームからの脱却、後者は米国との対等な関係を訴えます。

けれども、そんなに簡単に日本が戦後歩んできた道を捨てて良いものなのでしょうか?戦後民主政治に取って代わる、強固な理念があるのでしょうか?どちらも理想的であり聞くに良い言葉なのですが、日本人の間だけで通用する考えにしか過ぎません。他の国々の間を渡り歩くための説得力のある価値観には到底至りついておらず、必ず孤立化を招きます。

右派の考えで顕著に現れた例では従軍慰安婦問題でしょう。その是非はともあれ、米国の新聞紙に国会議員らが広告を出すに至っては、当時の副大統領で保守派のチェーニー氏でさえ嫌悪感を抱かせました。

左派の、自国の責任を明示しない「米国との対等」論は、日米同盟の根幹さえ揺るがしかねない危険を孕んでいます。リベラル・マスコミが褒め称えているオバマ政権が、自分たち(日本)を極めて冷たくあしらっていることに気づいているのでしょうか?

日本人が、日本人に与えられている自然の才能、特質をわきまえ知るべき時に来ています。

それは、今の日本がどれだけ豊かであり、平和と社会的秩序を保った国であり、今でもアジア諸国を始めとして、世界の国々から模範として見上げられていることに気づくべきです。

右派は「伝統的価値観の回復」を公約に掲げていますが、なぜか不思議なことに、その自信を戦前・戦時中に求めます。なぜ戦後にも求めないのでしょう?

明治維新の時もそうだし、敗戦後もそうですが、「屈辱を味わっても、すぐに外国の制度を取り入れ、それを自分なりに創意工夫し、自らの繁栄に役立てた」歴史を辿りました。戦後で言うならば、戦後初代首相の吉田茂がおり、保守本流と呼ばれる戦後政治の流れの大枠を作った人々がいます。そして日本人の大方は、特定の政治理念を持っていない人であれば、彼らが作った日本を静かに支持しています。

かつてNHKでプロジェクトXという番組が放映されていました。戦後の日本で、苦労して技術開発などを行なってきた人々を辿る番組ですが、今の発展した日本を支えていた背景を見ることができます。けれどもそういう産業界や経済界の人々だけでなく、政治の中にも戦後日本の中にいます。

まず、そうした功績を認め、感謝する時に来ているのではないでしょうか?

日本には黙々と働く人々が大勢おり、誰の目から認められなくてもとにかく最後まで貫徹しようと努力する態度があります。あまり言葉を使わないので、外の人に対しては説得力を持ちません。けれども実績を持っているので、他国の人々は静かにその力を認めざるを得ないのです。

この日本の国力をただ認める時を少し持つべきではないか?と考えるのです。コップに半分水が入っている状態を「半分しか入っていない」ではなく「半分も入っている」と考える時に来ているのではないかと思うのです。

私は変革をするな、ということを言っているのではなく、「今あるものに感謝しない変革は、今あるものをも失ってしまう」という教訓を話しています。これは隣国の韓国で起こった「失われた10年」(金大中・盧武鉉の革新政権がもたらした10年間)にもいえますし、今、オバマ大統領がアメリカ国内外で行なっていることにもいえます。

政治だけではなく、日本の福音宣教も同じです。今のクリスチャン人口の少なさを憂えて、あれこれ考えて、大きなことをしようとしている姿を見ます。その人たちの努力はすばらしいですが、残念ながらどこかでおかしくなってしまう話が、あちらこちらから聞こえます。そして、こうした日本キリスト教の動きを、必要以上にこき下ろしている姿も見ます。

しかし、そんな議論を交わしている間に、こつこつと一人ひとりに伝道をして、一人の魂をキリストに導こうとしている牧会者、伝道者、そして一般の信徒がいます。その人たちは目立ちません。「塵も積もれば山となる」の塵にしか見えないでしょう。けれども実際に、着実に魂の収穫をもたらしているのです!私はこの人たちに軍配を上げたいと思います。この働きを感謝し、喜びたいのです!

小さな教会だけれども、地道に働き、尽力されている牧師先生を私は本当に尊敬しています。わざわざ日本に来て、物価の高さで支援金も足りない状態で、また文化・習慣の違いで不便を強いられながらも福音を伝えようとしている宣教師の方々も尊敬しています。自分の伴侶、親、子息のために、十何年も祈り続けてまだ実を見ていない人たちを、本当に尊敬します。

政治から福音宣教へ話が移ってしまいましたが、「感謝」が今の日本に必要なテーマかな?と思ったので書きました。

Six Days of War(戦争の六日間)

次に紹介する本はこれです。

“Six Days of War: June 1967 and the Making of the Modern Middle East ” (by Michael B. Oren)
(「戦争の六日間:1967年7月と現代中東の発展」マイケル・オレン著)

六日戦争を知るには、これが「ザ・ブック」だそうです。日本語に訳されていないのが残念!(注:2012年12月24日後記:なんと邦訳が今年の始めに出ていました!!!「第三次中東戦争全史」ぜひ、次の日本語の書評をお読みください。内容と概要がよく分かります。「日本経済新聞」「弁護士会の読書」)

6day_war
中東情勢を知るのに、独立戦争だけでなく六日戦争についての知識は絶対です。聖書を学ぶ人にとっては、独立戦争が「1948年のイスラエル建国」という出来事、そして六日戦争が「エルサレムがイスラエルの主権に入る」ということで、非常に大きな意義を持ちます。前者の代表的な聖書箇所は、エゼキエル37章の涸れた骨が肉を持つ幻、そして後者はイエス様が、「異邦人の時が終わるまで、エルサレムは踏み荒らされる」と言われたことに関連します。では、感想をかいつまんでお話します。

1)前の「おおエルサレム!」と同じく、単に六日戦争の軍事行動だけでなく、むしろその戦争に至った文脈、そしてその戦争がもたらした中東全体への影響を教えてくれます。こちらも小説のように読み進めることができ、一つの小さい出来事が他の出来事に関連し、それが発展・拡大して戦争にいたる様子を描いています。

2)彼は公開された文献をものすごく調べています。これまでの英文とヘブル語の文献のみならず、アラブ語そしてロシア語の文献も調べています。なので、イスラエル側だけでなくアラブ側の指導者層の動きも生きているように読むことができ、興奮しました。

3)この本や、他の文献を通して、アラブ諸国におけるエジプトの地位を知ることができました。聖書時代と同じく、エジプトは大国として大きな役割を果たしています。六日戦争はナセル大統領がイスラエルを挑発したわけですが、彼の心の動きなど詳細に描かれており、非常に興味深かったです。

また、イザヤ書・エレミヤ書にあるエジプトの預言、また私が去年訪問したエジプトから、その預言に書かれているエジプトが近現代のエジプトに重なります。国民性、国家の性格は昔と今は変わっていません。

4)イスラエルの指導層の動きも生きています。彼らが全滅させられるという危機感を抱きながら、大勝利を得られるという大胆さを同時に持っているのですが、その背後に神を見るのです。聖書に出てくるイスラエルの戦いの歴史が、それだったからです。「選びの民でありながら、自分たちが選ばれていることに気づいていない」ことを思います。

5)六日戦争でもアメリカ政府内のさまざまな動きがあったのですが、この時アメリカはベトナム戦争によって気を反らされていました。ですから、アメリカの支援をほとんど受けることなく戦争が始まったというのがこの戦争の大きな特徴です。

6)日本で売られている書籍、インターネット情報は、こうした偶発的にも思える出来事を、「何か合理的な説明ができなければいけない」という前提から「陰謀があった」と見ます。けれども著者は(おそらくは世俗的ユダヤ人なのですが)、政治決断は必ずしも合理的判断によるものではないことが分かった、という感想を述べています。これがまさしく私たちが信じる神の御手のことを指しており、人間の恣意的な操作を超えたところにある歴史の必然です。

著者について少し説明しますと、マイケル・オレン氏は歴史家です。もともとユダヤ系アメリカ人でしたが、イスラエルに移住し、イスラエル国籍を得ました。軍部にも従事しそして今は、ネタニヤフ政権によって在米イスラエル大使に任じられています。彼の新しい著作”Power, Faith, and Fantasy: America in the Middle East: 1776 to the Present“(「力・信仰・空想:中東にあるアメリカ:1776年から現代まで」)を買いました。アメリカ建国以来の中東への関わりを追っています。これから読むのが楽しみです。

(後記)「「六日戦争」は1967年6月5-10日 その2」に、Amazon.comにある本書の書評を意訳しました。

おおエルサレム!

今の中東情勢を知りたいと願われる方は、次の本をぜひ読んでください。必読です。

「おおエルサレム!(上)」(ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ著 早川書房
「おおエルサレム!(下)」

二冊とも絶版になっていますが、図書館や古本屋にはあります。(ちなみに私は原書を読みました。)

なぜ必読かと言いますと、今起こっている中東紛争の始まりは全て1948年のイスラエル建国直後に起こった独立戦争に起因しており、この戦争とその周囲で起こったことを知らなければその後のことは何も分からないからです。この本は、独立戦争について調べる時、資料として必ず出てきます。

そしてこの本は、詳細な軍事行動よりも、当事者の人物の生きた動きを中心に描いているため、小説のように非常に読みやすく、その時の状況を肌で感じることができます。ユダヤ人・アラブ人・英国のそれぞれの立場から、同時進行で話が展開していきます。

(詳細な軍事行動については、他の中東戦争も含めて、ハイム・ヘルツォール著の「図解 中東戦争」が定番です。今、読んでいますが、軍事作戦の位置関係を追うのが難しくかなり苦しんでいます。(汗)ちなみにもっと平易なもので「中東戦争全史」(山崎雅弘著 学習研究社出版)というものもあるらしいです。)

そしてなんと、映画化もされていました!
http://www.ojerusalemthemovie.com/
ojerusalemアメリカでDVDになったようですが、日本にはまだ来ていないようです・・・。(残念)ただ、予告編を見た限りはやはり本そのものを読んだようがよさそうです。ちょっと脚色が多いような気がしますし、映像化したので内容も薄められている感じです。

この本の感想をかいつまんで話しますと・・・

1)イスラエルは、まだ独立していていなかったので「国家」になっていない状態で、戦争の準備をしなければいけなかったという大きなハンディ(障害)を背負っていたこと。統治している英国は武器所有を認めていなかったし、武器売買をする商人たちは、非合法の組織ではなく国家との取り引きしかしませんでした。けれども、奇跡的にそのルートを得ます。

2)アラブ諸国は、非常にまとまりがなく「イスラエルを倒す」ということ以外は自分たちのやりたい放題だったこと。「アラビアのロレンス」の映画でも感じましたが、アラブ人の良さでもありますがあの民族的誇りが彼らを邪魔します。けれども、この本でアラブ人たちにもっと親近感と好感が出てきました。(去年、エジプト旅行に行ったことも手伝っているかな?)

3)戦争勃発後、エルサレムは絶対絶命状態であったのに、国連による28日間の第一次休戦合意で、九死に一生を得ました。これがなければ、イスラエルは文字通り残滅していたことを思うと、神の御手を感じざるを得ません。

4)しばしば誤解そして歪曲されているのが、「イスラエルは在米ユダヤ人の支援があったからこそ、戦争に勝つことができたのだ。」ということ。結果として、部分的にはそう言えるのですが、在米ユダヤ人のほとんどがシオニズム(イスラエル建国)に冷淡だったという背景が見えてきます。けれども、後に首相となるゴルダ・メイアー女史がたった手持ち金10ドルでニューヨークに到着、5000万ドルを得て帰国するという奇跡的な話が出てきます。

5)アメリカがイスラエルを支援するから、イスラエルが戦争に勝つのだ、というのも誤解・歪曲です。アメリカ政府内の熾烈な確執を生々しく描いています。純粋のアメリカの国益を考えたら、イスラエルは捨てたほうが良いのです。国務省グループはみなそう考えていたところ、時のトルーマン大統領は逡巡しながら、独立宣言後すぐにイスラエルを認知する苦渋の決断を出した、という背景があります。

とにかく、この本はお勧めです。・・・あと、建国時のことをを描いたハリウッド映画で「栄光への脱出」がありますね。若き頃のポール・ニューマンを楽しめます。

次に、もう一つ大事な「六日戦争」についての本を紹介したいと思います。

ユーフラテス川が涸れる

下の写真は、ニューヨーク・タイム誌の記事”Iraq Suffers as the Euphrates River Dwindles“(ユーフラテス川がやせ衰え、イラクが苦しむ)からです。

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その記事はその中で、聖書の黙示録16章12節を引用しています。

第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。

これは、大患難の時、世界中の国々の王たちがイスラエルのメギドに集結し、神とキリストに対して戦争を行なう、ハルマゲドンの戦いにおける一場面です。ユーフラテス川が世界を西と東に分け、それが軍事行動の障害になっていましたが、それが涸れるので、東からの国々も困難なくイスラエルに行くことができる、というものです。詳しくは、「黙示録16章」の学びをご覧ください。

今回の枯渇が、必ずしも上の預言の成就ではありませんが、その兆しであることは間違いありません。

ところで、一昨日の「世界統一通貨」についての記事と今回の記事は、ジョエル・ローゼンバーグ(Joel C. Rosenberg)氏のブログにあったものです。

彼が書いた”Epicenter“(震央)についても後ほどご紹介したいと思いますが、イラクについては最近「バビロンの再建」についての記事も書いています。

私が以前「聖書の中のイラク」という題でエッセイを連載しましたが、聖書預言からのイラクを解説しました。その時イラクは戦争中、また直後であり、到底、復興は考えられない状態でした。しかし、今、着実にイラクは復興しています。不安定要因であったシーア派勢力は和解し、経済的にも順調です。

インターネット・サイトや書籍などで国際情勢読み解きの類のものがありますが、必ず書いている人の「物差し」があります。いわば眼鏡をかけているわけです。でも、永遠の生きておられ、初めから終わりを告げておられる(イザヤ46:10)神の御言葉の眼鏡が、私たちにはあるわけです。

六千人の命のビザ

これは、外交官杉原千畝氏の妻、幸子夫人が著した本です。

「六千人の命のビザ」(大正出版)

この本の内容については、いろいろな人がネットで紹介し説明しています(一つ例を挙げるとこちら)。なので内容は割愛しますが、自分がここから興味を持ったこと、教えられたことを書いてみます。
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1. 彼の外交官として働きに感銘を受けました。このような有能な外交官が日本の国のために奔走していたのか、と感心しました。今でも似たような働きをしておられる外交官がいると察します。(私が感銘を受けた元外交官による本では、砂川昌順氏による「極秘指令~金賢姫拘束の真相」があります。またあの有名な佐藤優氏もいますね、彼は特に自分の親イスラエル的な立場から逮捕されています。)

2. 世における自分の働きも優れているが、神から与えられた心の良心に対して彼はさらに忠実でした。(聖書ではダニエルが私たちの模範です。)それが、彼を延べ六千人に至るユダヤ人の救出に至らせました。

3. この書では、ビザ発行後のエピソードを、外交官夫人ならではの視点で描かれています。その中で彼女が、敗走しているドイツ軍と行動を共にし戦闘に巻き込まれた時、自分の体に覆いかぶさった若い将校が気がついたら死んでいたという話には感動しました。彼女はその後、シベリア経由で帰国する時、すけべ心を出す日本兵捕虜と少し対比させながら、欧米にある紳士精神を浮かび上がらせています。

4. そしてこの本で一番驚いたのは、実は千畝さんが行なわれた偉業(本人も「ごく当たり前のことをしたまでだ」という立場であったように)よりも、救出されたユダヤ人の執拗さです。杉原氏は戦後、外務省免職。その後職を転々とし、日本の商社のモスクワ事務所で働いていた時、ユダヤ人たちは彼を突き止めます。そして彼をイスラエルに迎え、イスラエルの最高栄誉賞である「諸国民の中の正義の人」に選びます。

救った本人は「ああ、こんなことがあったな。」という昔の記憶として覚えているだけだったのに、彼に大きな栄誉を与えるべく動き回る姿は、あの、神がアブラハムに語られた「あなたを祝福する者は祝福され」の実現に他なりません。本人たちがこれを意識しているようには思えないので、やはり神がご自分の選びの民として、彼らに神のDNAを与えられていることには間違いありません。

ちなみに、ドラマにもなったようです。(Venohで視聴可