礼拝時間・場所の変更

みなさん、お祈りありがとうございます。昨夜、無事に自宅に到着しました。

昨年、発表しましたように、今年から昨年土曜日晩に御茶ノ水クリスチャンセンターで行っていた礼拝を、日曜日午前に移動することにしました。明後日15日もそのようになるので、何卒よろしくお願いします。だいたい、次のような活動内容になります。

毎週土曜日
場所:足立区こども家庭支援センター別館
14:00 弟子訓練のための聖書の学び
16:00 祈り会

毎週日曜日
場所:三つのいずれかの場所(いずれも千代田線・JR線「綾瀬駅」付近)
  1)足立区こども家庭支援センター別館
  2)足立区勤労福祉会館(綾瀬プルミエ内)
  3)明石の自宅
11:00 第一礼拝
14:00 第二礼拝

※土日のメッセージは「LCF内の聖書メッセージ」に、音声・原稿ともに掲載しています。

月に二・三回、水曜日(恵比寿バイブルスタディ)
場所:目黒区田道三田分室
19:00スタート

※恵比寿BSのメッセージは「恵比寿バイブルスタディ」の中に音声を掲載しています。

参加される時には、出発前に「LCFのカレンダー」で場所をご確認ください!

米国旅行の報告(1月2‐10日)

今、アメリカから報告しています。ほぼ全てのイベントが終わり、明日の午後発で帰国します。充実した日々でした。

まず初めに、カリフォルニアのMurrietaにおける宣教会議に参加しました。今年から一日さらに延びて、月曜日から金曜日までありました。各セッションの合間の自由時間が多くて、ゆっくりと過ごせました。交わりでいろいろな人と、鎌倉カルバリーのジャックさんを始め、日本の人たちとも交わりができて、良かったです。さらに、時差ぼけも手伝って、一番目が冴えていたのは早朝祈祷会でした!祈りあって、あっという間に一時間半が経っていき、非常に恵まれました。

セッションの聖書メッセージも非常に御言葉の真理による深い慰めを得ました。賛美によっても慰めを受け、本当に地上においても聖霊の喜びの御国を味わいました。

セッションの中で特にすばらしかったのは、メインスピーカーのパム・マーキーさんとブライアン・マクダニエルさんです。パムさんは、幼い時をアフリカへの宣教師の両親に育てられ、夫ジョージさんと結婚後、8人(後に9人)の子を連れて、初めはウクライナで教会開拓、そしてカザフスタンで開拓をしました。ジョージさんが突然死で、家族を母親として養い育てる中で、また夫を失った中で与えられている神の愛を証しされました。

ブライアン・マクダニエルさんは、ぜひここに証しの要約を記したいと思いますが、普通の、平凡で熱心な伝道者なのですが、なんとハイチに聖書訓練センターを主が彼を用いて設立できた、聖霊に導かれることの偉大な奇跡を証ししてくださいました。その中で、大統領の片腕の側近が信仰を持っています!ハイチを変えた男と言っても過言ではありません。私はこの兄弟から、「御霊に服従するというへりくだりと弱さの中に、神の恵みが力強く働き、国そのものを動かす」という流れを感じ取ることができました。


(メッセージの後の祈りと賛美の様子。祈っているのがブライアンさん)

そして週末はコスタメサで過ごしました。去年お世話になったホスト・ファミリーに再びお世話になり、濃密な交わりのときを持ちました。そこの大学一年生のサム君がいわゆる「軍事オタク」で、本物のライフル銃とピストルを見せてもらいました。日本では、本物の「ラスト・サムライ」木村さんが武士道を語ってくださったように、アメリカ版の木村さんがこちらにもいます!

そして土曜日(7日)に、「宣教者の日」つまり、カルバリーチャペル・コスタメサの教会の人々が宣教師たちに会える日がありました。久しぶりに会えた人々、そして日本に熱い思いを持っている人々に会えました。


(写真は2000年に日本で子供伝道の奉仕に来てくれたテビー、11年来の再会です)

日曜日(8日)は、コスタメサで第一礼拝に出た後、アナハイムにある、私たちの長年の友人でもあるステーブンズ・オウ牧師のカルバリーチャペル・グレイスに行きました。そこの第一礼拝で英語で説教、そして第二礼拝では韓国語で説教しました。(後者の準備とても大変でしたが、ちゃんと意思疎通はできたようで安心しています。)救援活動の証しも交えて、生まれつきの盲人を直されたイエス様の情熱について語りました。

それから、夕方にコスタメサの教会で行なわれている宣教者のための祈り会に参加しました。ここがまさに、宣教の働きの発電所です。私が彼らのために出した祈りの要請は、ことごとく聞かれていきました。その感謝の思いをみなさんに分かち合いました。

そして夕拝です。牧者チャックが朝も夕も礼拝で御言葉を取り次いでくださいました。実は1月1日の日曜礼拝で、肺がんになったということを明かしていたので、心配していました。けれども予断は全然許さない状態です、ぜひ彼の体と家族のためにお祈りください。久しぶりに聞けた、彼を通しての神の御言葉が心に沁みました。

そして月・火(9‐10日)は、在米の日本人の方々に聖書セミナーを行ないました。ダニエル書1-7章から、主題は「終末に生きる主の証人」です。聖霊の励ましを大いに受けて、兄弟姉妹が大変喜んでいました。

メッセージは「ダニエル書」のところにあります。

月曜の晩には、10年近く続いている恒例の「長谷川さん夫婦、ジム&ジャン、明石夫婦」のディナー会を持ちました。同じ教会奉仕者、そして同じスクール・オブ・ミニストリーの仲間で、いつも本当に心温まる、励ましの交わりになっています。

私が不在の間、ジェレマイヤご家族がいらしたことの報告を、LCFの仲間とジェレマイヤさん本人から聞きました。ものすごく濃密な交わりと祈りの時間を持ったようで、本当に僕はこの教会が好きになりました!

明日、戻ります。どうか、無事に次週の礼拝の備えができるようお祈りください。

新年の挨拶 & 1月8日の礼拝のお知らせ

主にあって、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

主が新年礼拝も祝福してくださり、良い出発を切ることができました。ところで、現在私たち夫婦はカリフォルニアのMurrieta(ミュリエッタ)というところにいます。カルバリーチャペルの宣教会議に参加中です。土曜日にはカルバリーコスタメサの教会で「宣教者の日」があり、教会で宣教者のために祈ってくださっている人々が本人たちに会うことができるための日です。そして日曜日に私は、知り合いの韓国人の牧師さんに説教を頼まれています。それから月・火に、在米の日本人向けの聖書セミナーがあります。ダニエル書から教えるつもりです。どうぞ、お祈りください。

ということで、次回の礼拝予定ですが私の知り合いの方を招いています。

ジェレマイアさんという方です。2003年に来日し、英語礼拝の牧師を務めておりましたが、主に示されて鹿児島への宣教の準備をしておられます。今回は、ご家族の方もいらっしゃって賛美を導いてくださいます。説教は日本語でするそうです、どうぞ彼のためにお祈りください。

そして、ぜひいらしてください。場所と時間は以下の通りです。

1月8日(日)午後2時より 足立区こども家庭支援センター 別館三階

新年礼拝のお知らせ

新年礼拝を、以下の日時で行います。

1月1日(日)午後2時より
場所:足立区の明石宅(詳しい住所は、info@ logos-ministries.orgへ)

礼拝後、交わりと軽食、そしてカルバリーチャペル・コスタメサの大晦日礼拝をインターネットで鑑賞しようかと思っています。

感謝。

クリスマスの報告

昨日は、とってもすばらしいクリスマスの一時を過ごすことができました。土曜日にはいつもの聖書の学び会をして、それから祈り会をして、7月に信仰をもった唯さんが初めて祈ったりと、とっても祝福された時を過ごしました。

25日当日は、2時から礼拝、5時からディナーとパーティーを行ないました。礼拝前に、私たちが約10年前、小学校の子供たちに英語と聖書を教えていた、その教え子が来てくれました。なんと今はもう大学一年生です!あと、来られなかったけれども、メールで連絡をくれた子(今、高校二年生!)もいて、本当に嬉しくなりました。

礼拝は、私は伝統的な讃美歌と、クリスマスに関する聖書の箇所の朗読を交互に行う形を取りました。それからルカ2章1-20節から説教しましたが、私自身、「謙りの中に、王をも打ち倒す神の力があるのだ」という確信を深めることができました。

9月から直人さんという兄弟が教会の一員になりましたが、彼の知り合いの知り合いが何と足立区綾瀬に住んでいて、その女の子が来てくれました。香港からの語学留学生です。ディナーの時まで楽しく過ごすことができました。

そして、メンバーの一人ひとりがしっかりとディナーの為の準備をしてくださり、本当に主への感謝に満たされています。ディナーの後には、ビンゴゲーム&プレゼント交換、そして聖書クイズ&罰ゲームの「変顔」、最後に習字をチームで一角ずつ書くという習字ゲームをしました。聖書クイズは、メンバーが最低一問出題したのですが、なんとオタク的な質問なのか、と私が言ったら、「だって、あなたが聖書オタクだから、そうなったんじゃない。」という私の妻の発言で、みなが大笑いしていました。

罰ゲーム「変顔」は、メンバーの沙耶花さんの発案で、指示されたとおりの状況を顔や体で表し、それからいっしょに写真を撮る、というものです。そしてメンバーが変装用の道具も買ってきたので、変装した私たちの写真も撮りました!(私のデジタルカメラが故障していて、白飛びになっているのが残念です。)

ところで話はずれるのですが、今、牧者チャック・スミス著の”LOVE“という本を翻訳、校正しています。いつか出版できるよう、今、熱心に祈っていますが、その中に御霊の愛の現れとしての「親切」の説明で、こうあります。

アガペの愛は親切です。配慮があります。他の人の必要を感じとります。そしてその必要を満たそうと本当に配慮します。

LCFは、祈りによって、互いに配慮して、互いの必要に敏感になって、仕え合っている姿、そしてもう一つの聖霊の愛の現れである「喜び」もある交わりです。

本日、女性会(?)の三人が木村さん宅に訪問、お母さんが着付けの専門家なので、ばっちり写真を撮ってきました。とっても綺麗です!

LCFクリスマス礼拝・ディナーの案内

間もなく、クリスマスですね。ロゴス・クリスチャン・フェローシップでは、次の予定でクリスマスの時を守りたいと思っています。

12月25日(日)
足立区こども家庭支援センター 別館三階にて
14:00- 礼拝
17:00- ディナー&ゲーム・プレゼント交換

持ち物:プレゼント交換用のプレゼント(500-1000円のものを一つ)

初めての方もぜひおいでください!

【クリスマス物語の豆知識】

日本ではクリスマスと言うと、「クリスマスツリー」と「サンタクロース」のことが想起されますが、これはキリスト降誕を思いながら、キリストを礼拝する日のことです。欧米ではこの知識は定着し、次のような聖誕の様子が家や街角で飾られます。

「小屋」にイエス様、そして両親がいますね。それはルカによる福音書2章7節に「飼葉おけに寝かせた」とあるからです。飼葉桶ということは家畜小屋にいたのだろう、という考えですが、実は当時の庶民の家は洞窟でした。(イスラエルは岩や石の多いところであり、私たちが考えるような木製の建物はありません。)そして家の中の奥に家畜が飼われていました。したがって「小屋」ではなかった、と言えます。私が2010年に行ったイスラエル旅行で、ベツレヘムで撮った当時の一般的な家の写真が下です。

有神的進化論について その3 - 創世記1章と2章の矛盾?

その2の続き)

そして、「(創世記1章と2章の内容を簡単に紹介した後)・・もし文字通りであるなら、なぜ完全に一致しない二通りの話があるのか。」という発言があるそうです。この発言には、私には良い思い出があります。

私が以前、故郷で通っていた教会は純粋な福音主義ではなく、自由主義神学をやや取り入れている所でした。そこで若い奉仕者が、信仰歴も浅い大学生の私に対して、(私が福音主義と自由主義の違いを尋ねたんだと思います)、創世記1章と2章の記述の矛盾についてでした。

これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を造られたとき、地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。ただ、霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(創世記2:4-7)

これが、1章の記述と異なるではないか、ということでした。私には、その疑問そのものが理解できませんでした。新しく信じた私にとっては、「だって、1章で天地創造全体の話をして、2章で人間の創造に焦点を合わせて話しているんじゃないの?」という逆質問でした。なぜ1章の次に2章が起こった、と、あたかも1章27節の男女と2章のアダムとエバが別人物のように考える必要があるのか?という疑問でした。

私たちが話を進めるときに、一通り全体の話を順番に説明して、それから少し戻ってある部分を詳しく話すってことはないでしょうか?実はこの書き方が聖書には数限りなく続きます。黙示録は時間を進めては少し戻り、詳しく話し、また全体を話してさらに前進し、また少し戻る、という方法で話しています。

また、ちなみに、私たちがいろいろなことを話した後で、再びそれを話す時に、一番最初に話した内容から始めるのではなく、記憶に新しいすぐ手前で話したところから戻って、そして逆方向に思い出しながら初めに戻って話していくことはないでしょうか?ちなみに、これも聖書の中でたくさん出てくるものであり、実に聖書全体が「初め」と「終わり」が一つの話になっています。そして真ん中に「イエス・キリストの福音」があり、救いと回復の分岐点となっています。黙示録22章と創世記1章を比べてみてください、酷似しています。ここで初めてようやく神が語られたい初めの内容に戻られた、という感じです。

このように、聖書は一貫性のある、生き生きとした書物であり、博士論文や会計報告のような見取り図ではなく、話を聞かせているようなかたちで心に残るような形式になっています。もっと詳しくお知りになりたい方は、さきに引用した「ゲノムと聖書批判」のブログ記事の続きをご覧ください。

創世記1章と2章の矛盾?

創世記1章と2章の構造

有神的進化論について その2 - 「ゲノムと聖書」批判

その1の続き)

ここでの講演者が、日本語にも訳された「ゲノムと聖書」”Language of God”という本の著者ということですが、この書物の率直な感想、そして批判をしているブログ記事があります。

「ゲノムと聖書」批判(1)(2)(3)(4)

私も進化論について、その基礎知識を学ぼうとして、例えば「現在の進化論入門 豪快痛快進化論」というサイトを読みました。「進化は今も謎だらけ。難しいことをごそっと無視して進化の基礎から問題点まで」とホームで紹介されていると通り、はっきりいって謎だらけでした。文章が分かり易く書かれてはいるのですが、まずもって論理が付いていけないのです。問題点はどんどん浮き彫りにされていくのですが、こんなに分からない科学理論て何なのだろう?というのが感想です。

簡単に「神が創造した」といえば、それで終わりです。その説明の一つ一つに、「その一言ですべて論理がつながる」と感じました。そうすると「進化論と創造論」というコラムもあるのですが「宗教であり科学ではない」と言われます。でも私が言いたいのは逆に、「神なしで説明しようと恣意的に行っているから、謎がただ深まるばかりで迷宮入りしているのでは?」ということでした。

それで、進化論をなるべく偏見なしにその初歩知識を得ようとしたところ、かえってますます、神の創造への確信がかえって強まってきました!

そこで、この「ゲノムと聖書」に戻ると、著書についての読後感想もネット上でたくさん見つけました。信者ではない方のほうが、信者の人たちよりも率直で、的を射た意見を言っておられます。

ここまでの話を著者は誠実に正直に書いているんだろうなと言う事は感じられました。ただ、もう少し突っ込んで説明して欲しいという箇所は残ってしまいました。例えば、創世記を字句通りに信じる必要はないとするならば、新約聖書に書かれたキリストの復活はどうなのでしょう。クリスチャンにとってはここは信仰の本質に関わる部分ではないのかなと想像するのですが、生物学者として筆者はこれも象徴的・寓話的と考えるのでしょうか。また、神の存在を証明する人間のみが持つ特質として道徳が挙げられていますが、これらをすら進化論的な枠組みで説明しようとする(つまり、道徳を持ちえた人間こそが生き残りの確率を高める事が出来、それが子孫に広まった)多くの科学者の試みをどう考えるのでしょう。

う~む、これらもすれ違いの議論になってしまいそうです。ドーキンスの本を読んで棄教する人が殆ど居ないのと同様に、本書を読んで信仰の道に入る人もやはり少ないのではないのかなと想像するのでした。(注:太字は私がしました)
http://www.onsenmaru.com/book/B-300/B-323-genomebible.htm

ちなみにリチャード・ドーキンスとは、欧米では有名なバリバリの無神論者、いや反キリスト教論者です。私たち信者は、そういった反対論者の意見に萎縮してしまい、つい妥協点を計ろうとして調整していく傾向があるのですが、真理というのは「地の塩」であり「世の光」なのです。折衷するときに、信仰の妨げを取り除いているつもりで、実は何の効果もないことに気づくのです。

もう一つ読後感想を紹介します。

 ほんとまじめなんですよ、この先生。自分の良心の落としどころを求めて、あれやこれや試行錯誤に調整を試みた末の、せいいっぱいの”有望な”神の延命計画を提案しているんですよ。インテリジェント・デザイン(ID)説に苦言を呈しーの、有神論的進化論を試しーの、バイオロゴスはどうかと打診してみーの。
 そこには、どこか、人類には共通の性向があり、共通項を確立すれば幸福がもたらされるのであり、という楽天的な妄念がどっぷりしいの、そしてあくまで、どこまでもどこまでも一神教圏の神設定から抜け出す気はいっさいございません状態で徹底しいの、なんだけれども、とりあえず、まあ、あちらのお国事情では、これもひとつありかな、というところで、見ておいて損はない一冊。
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1344.html

「ご本人の良心の落としどころの試行錯誤」というのは、まさにその通りではないでしょうか。周囲の人々に神の真理を伝えるべく奉仕をする、というのではなく、自分自身の信仰の模索をただ言い表しているような気がします。これまでの保守的な教会のあり方に対する漠然とした疑問があるが、けれども自分は神を信じている、という表明であるような気がします。そういった意味で本人には同情しますが、まだ信仰の若いクリスチャンへのつまずきになり、教会全体にも益をもたらさない、と言えるのではないでしょうか?

その3に続く)

有神的進化論について その1

前の記事で触れた「有神的進化論」についてですが、在米日系教会の牧師さんが、その講演を聞きに言った時の話がネット上にありました。(こちら

そこにこの考えの骨子が書かれています。
1)宇宙は、140億年に何も無いところから始まった。
2)宇宙の様々な常数(光速、重力、電磁力等々)は生命が出現できる環境を作りだすために精確に調整されている。
3)生命が始まったメカニズムは解明されていないが、一旦生命が始まると進化と自然選択により多種多様、複雑な生命体が出現した。
4)生命は創造者が特別な時に、特別介入するという方法ではなく、進化という方法で複雑化、多様化した(つまり神が進化したという方法を選んだ)
5)人間もこのプロセス上に出現し、類人猿と共通の祖先を持つ
6)人間は霊的な存在であり、時代・文化を越えて「神を求める」ユニークな存在である

ありゃりゃ、これはもうキリスト教の基礎そのものを否定しているのではないか?と思いました。

1)宇宙は、「はじめに、ことばがあった(ヨハネ1:1)」とあるように、「何も無い」のではなく、神とキリストがおられるところから始まっている。

2)については、生命が出現する環境が常数によって作り出されている、とあるが、創造の第一目の「光」を神が造られ、そして三日目に植物、五日目、六日目と生物を造られたということの写しである。しかし同時に歪曲であり、「作り出された」のではなく「神が造られた」のだ。

3)「進化と自然選択による、多種多様、複雑な生命体」ではない。神は「区別される方」であることが創世記1章では強調されている。ゆえに「種類ごと」に造られたと強調されているのであり、最終傑作品は、「神のかたち」そのものに似せて造った人である。これは創世記1章の字義解釈の話ではなく、神は秩序をもって世界を支配しておられるという聖書全体に流れる神の特質なのだ。簡単に断定してほしくない。

4)「創造者が特別な時に、特別介入するという方法ではない」という。おい、そしたらそのあとの話、ノアの洪水、紅海が分かれること、ヨシュアの時代、日がとどまったこと。エリヤの天からの火、ヒゼキヤの日時計が逆戻りしたこと、そして何よりも、主ご自身が処女から生まれ、数々の奇蹟をなし、死者の中からよみがえられたこと・・・これらをみんな否定するんですか??

この論者が分かっていない、あるいは気づいていないのは、「聖書の初めの記述は、その後に続くすべての神の働きの始めになっていること」であります。聖書をそのまま読むことによって、極めて統一性のある、不変で真実な神の御姿が浮き彫りになってくるのに、聖書が、不作為な文献の寄せ集めのような文書に成り下がってしまいます。

5)は極めつけです、話になりません。人は「神のかたちに造られた」という真理の真っ向からの否定です。その独自性があって初めて、人に対する神の贖いの計画が成り立つのであり、黙示録に至るまでの救済に妥当性を与えるのです。つまり、「初めがあって終わりがある」のであり、「初めを壊すと、終わりも壊れる」のです。

6)最後に付け足したように、人は霊的な存在であり、神を求めるユニークな存在である、と言っていますが、神が人をユニークに造られた、とは言っていない。あたかも人間肉体にある物質が神を求めるようにさせている、という唯物的な考えが見え隠れしています。

その2に続く)

「東アジアキリスト青年大会」の案内(2012年1月1‐3日)

年末・年始はいろいろな行事・活動がありますが、まずは1月1-3日に行われる大会のご案内です。先日の東松島救援旅行で知り合いになった朴樹民(パク・スミン)牧師の華人教会と、彼を派遣している韓国の教会の主宰で、東日暮里にある教会で、日中韓の青年キリスト者が集い、交わりを深める集会があります。先ほど朴牧師とお会いし、元旦の晩はわたくしが説教をさせていただくことになりました。

チラシ(クリックすれば、大きくなります)

中国人は、朴さんが牧会されている中国人信者の若者が、韓国人は主に韓国から来日する派遣教会の若者が集うそうです。日本人の若者、いや若者だと思う人であれば大歓迎だとのこと。

中国と韓国に関心のある方々、そのキリスト教に触れてみたいと願われる方々はぜひ参加してみてください。2日は朴牧師が説教、3日は派遣教会の牧師さんが聖書研究をされるそうです。そして多くの時間を、三カ国のキリスト者たちが交わるために用いたいと願っている、とのこと。

第一回目の大会の後、その後にも互いに連絡を取り合えるような仲になっているとのこと。主がもしかしたら、後に韓国や中国に行って会いに行くというようなつながりもできるかもしれません!参加される方は、下のリンクから申込書をダウンロードして、メールアドレスに送付してください

申込書(ワード文書) Eメール:soominpark88@ gmail.com

参考
第一回の大会の時の写真

第一回の大会の時の動画

大会趣旨(日本語訳)