イスラエル首相ネタニヤフ氏による国連演説

 現在、ニューヨークで国連総会一般討論演説が進行中です。

 イラン大統領のアフマディネジャドが演説を行い、次の日パレスチナ自治政府のアッバス議長が演説を行いましたが、ネタニヤフ首相がその同日、23日に行いました。

全文と動画(イスラエル外務省サイト内)

彼の政治人生において、また現イスラエル国にとっても最も重要な演説の一つだったことでしょう。彼は、かつてイスラエルの国連大使を務めたことがあり、それゆえに重層感のある主張と反駁を展開させています。重要な点を列挙します。

・ イザヤ書9章から「死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」を引用し、「この光が和平の光となるようにしよう。」と呼びかけた。(メシヤ到来の有名な聖句です。)
・ イスラエルは、ユダヤの民にとって「古の聖書的郷土」であることを説明。
・ パレスチナ人との和平を達成する方法を説明。
・ 遅すぎないうちに、イランの核兵器取得を阻止することを促す。
・ 国連は、平和と安全のために尊厳をもって働く、優れた外交官がその中に多くいる一方で、極めて頻繁に「嘘の家」であり「愚の劇場」である。

鍵となる引用

・ 私は今、いささか数分であろうとも、我が国にとって長いこと暗黒の場であった会場に真実の光が輝くことを願っています。ですから、私はイスラエルの首相として、拍手喝采を得るためにここに来たのではありません。真実を語るためにここに来ました。真実とは、イスラエルが平和を望んでいるということです。真実は、私が平和を望んでいるということです。真実は、中東においては常に、特にこの騒然とした時に、平和を安全保障という錨でしっかりつなぎ留めておかねばならない、ということです。真実とは、和平が国連決議を通じて達成できるものではなく、当事者間の直接交渉によってのみ達成できるということです。真実は、これまでのところパレスチナの人々が、交渉を拒否してきたということです。真実は、イスラエルはパレスチナ国と和平を得たいと思っているが、パレスチナは和平なしの国家を欲しているということです。そして真実は、あなた方はそのことを放置してはならない、ということです。

・ まさにここ(国連)で1975年に、長い歳月を経た我が民の熱望が、古の聖書的郷土における民族的生活を回復させたいという切望が、その年に、恥ずかしくも人種主義という烙印を押されました。そして1980年、まさにここで、歴史に残るイスラエル・エジプト平和条約が称賛されるのではなく、弾劾されたのです!ここでイスラエルだけが、何年も、不正に非難の標的にされました。世界の他の諸国を全て合わせても、イスラエルが最も非難を受けているのです。二十七の国連総会非難決議のうち、二十一が、中東で唯一の民主主義国であるイスラエルに対するものです。

・ これは愚の劇場であります。イスラエルが悪党に仕立てあげているのみならず、本当の悪党を指導的な役目として、しばしば仕立てあげています。リビアのカダフィが、国連人権委員会の議長を務めました。サダム政権下のイラクが、国連軍縮委員会の長だったのです。「それは過去のことだ」とおっしゃるかもしれません。そうでしょうか、今、たった今、これが起こっているのです。ヒズボラの支配下にあるレバノンが、今、国連安保理の議長になっています。つまりは、テロ組織が、世界の安全保障を担保するよう任じられている組織の座を占めているのです。こんなことを作り上げることは到底できません。

・ 東西間に今、その全ての平和を脅かす憎悪が増えてきています。これは、解放するのではなく虐げることを求め、建て上げるのではなく、破壊することを目的にしています。その憎悪とは戦闘的イスラム教です。これは、偉大な信仰という衣を着て見せてつけているけれども、ユダヤ人、クリスチャン、ムスリムを見境なく、赦しがたい偏見でもって殺害しています。9月11日に、何千人ものアメリカ人を殺しました。あのツインタワーを、煙がくすぶる廃墟とせしめました。昨夜、九・十一の記念碑に花輪を残しました。心が動かされました。けれども、そこに行くにあたり、私の思いには一つのことが響き渡っていました。この演説台から発せられた、イラン大統領による悪逆無道な言葉です。彼は、九・十一をアメリカの陰謀だとほのめかしました。あなた方のうち何人かはこの会場から出てゆきました。全員が出て行くべきだったのです。

・ 国際社会は、遅すぎないうちにイランを止めさせなければいけません。イランを阻止できなければ、私たちは皆、核テロリズムを目撃することを余儀なくされるでしょう。そして「アラブの春」はたちまち「イランの冬」になるでしょう。イスラエルを取り巻く世界は、さらに危なくなっています。戦闘的イスラムは既にレバノンとガザを乗っ取りました。そして、イスラエルとエジプト間の平和条約と、イスラエル・ヨルダン間の平和条約を引き裂くことを決意しています。多くのアラブ人の思いに、ユダヤ人、イスラエル、アメリカ、西欧に対する憎悪を吹き付けました。それは、イスラエルの政策に反対しているのではなく、イスラエルの存在そのものに反対しているのです。

・ イスラエルは2000年、パレスチナの要求をほとんど全て呑んだ、破格の和平の申し出を行いました。アラファトは拒否しました。それからパレスチナ人は、千人のイスラエル人の命を取ったテロ攻撃を開始しました。オルメルト首相はその後2008年、さらには破格の申し出をしました。私たちは領土を実際に手放したのです。アッバス大統領は反応さえ示さなかったのです。しかし、イスラエルはさらに破格の申し出をしました。2000年にレバノンから撤退し、2005年にガザからは一平方インチも主張することなく、全域から撤退したのです。これでイスラムの嵐、私たちを脅かすイスラムの嵐は静まることはなかったのです。このことによって、その嵐はますます接近し、強大になってきたのです。

・ イスラエルのユダヤ人国家は、少数民族の権利を常に守ります。そこには、イスラエル国籍を持つ百万人以上のアラブ人が含まれています。私は、同じことをパレスチナ国家に言えればよかったのに、と思います。なぜなら、パレスチナの役人は先日、― 実は彼らはここニューヨークにやってきていますが、― パレスチナ国家にはただ一人のユダヤ人も受け入れないと言ったのです。つまり、ユダヤ人追放、ユダヤ人フリーだというのです。これこそ民族浄化です。今日、ラマラ(訳注:自治政府の首都)には、ユダヤ人に土地を売却するならば死罪に値するという法律があります。これこそ人種差別です。この法律が何を想起させるかはお分かりでしょう(訳注:ナチスの定めた法律のことです)。

・ アラブ人の古くからある諺で、「片手で拍手喝采することはできない」というものがあります。和平でも、同じことが言えます。私は独りで平和を造ることはできません。アッバス大統領、私は私の手を差し出します、イスラエルの和平の手を差し出します。あなたがこの手を握ってほしいと願います。私たちはどちらもアブラハムの子なのです。我が民は、彼をAvrahamと呼びます。あなたの民は彼をIbrahimと呼びます。同じ族長を持っているのです。同じ土地に住んでいるのです。私たちの運命は織り交ぜられているのです。イザヤの幻を実現しましょう、「死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」
(参照記事: NETANYAHU COMES TO U.N. TO SPEAK THE TRUTH: ISRAEL WANTS PEACE, BUT THE U.N. IS THE “THEATER OF THE ABSURD”

【補足】
 イラン大統領、アフマディネジャドによる国連演説全文を私は読みましたが、実に酷いものでした。 次は演説の要約ですが、日本語のイラン・ラジオの記事で読むことができます。 → 国連総会でのイラン大統領の演説

 彼は、イスラムの終末である「マーディが、イエス・キリストとともに再来する」と言っていますが、その他は世界に流布している反米主義を寄せ集め、翻案しているだけです。世界の不平等と暴力の全てを、欧米ことに米国が引き起こしたものとする極左思想を取り入れ、「ホロコースト」の捏造、「シオニズム」の悪魔化などの陰謀論もたくさん取り入れています。九・十一もアメリカの陰謀であるとほのめかしています。そして、「共同と集合の世界管理」という言葉を頻繁に使い、新世界秩序すなわち世界政府を強調しています。

 まさに、聖書が終わりの日に起こると告げる、反キリストの台頭を体現するような発言です。

 けれども、私が空恐ろしいと思ったのは、彼が取り寄せた流布している思想というのは、実は、世界の数多くの人々に断片的に受け入れられ、信じられているという事実です。イスラム過激主義が今、元々反イスラエル感情を抱いていたアラブ人やイスラム教徒に、イスラエルという存在に対する潜在的憎悪を注入していると同じように、私たちが漠然と抱いている反感や怒りを利用して、危険な思想を私たちの思いに毒のように注入しているのです。

 アフマディネジャドには、欧米の帝国主義を非難する資格など微塵たりともありません。国内の改革派を武力で押さえ込み、十代の少女にさえ拷問を加えることを控えず、蹂躙の限りを尽くしています。そして核兵器開発を異常な速度に推進し、それをイスラムのマーディ到来のために、イスラエルとアメリカに使用することさえ明言しているのです。

 そしてアッバス議長もイスラエルを非難する資格はありません。自治政府を批判する人々を逮捕するなど、国連総会演説にあった「アラブの春」から「パレスチナの春」などよく言えたものです。

 真に苦しみを受けている「声なき声」を聞き取ることのできる人になりたいと願います。

LCF修養会(9月22-23日)

先日、秋分の日をはさんで、ロゴス・クリスチャン・フェローシップの修養会を行いました。場所は、足立区の経営する、「鹿沼野外リクリエーションセンター」というところです。祝日前日ということもあり、泊まっていたのは私たちだけで、お風呂もその他の施設も思う存分、楽しむことができました。

私は、本格的に教会開拓をしたのは今回が初めてなのですが、親ばかならず、牧者ばかなのかもしれませんが、私はこんなにすばらしい兄弟姉妹に巡れて本当にうれしいです!いつも明るく、そして御言葉の学びと交わりに熱心な人々を私たちに与えてくださった神に感謝しています。

山崎さんが自分の車で私たちの所まで来てくれて、食材を調達し、そして高速道路に乗りました。途中で大雨になりました。施設に着いてからも雨は続きましたが、6時頃には小雨になり助かりました。他のメンバーは午前中に用事があったり、また仕事があるので、それぞれ直接、東武線に乗って最寄り駅に夜、到着しました。

泊まったのは二つのコテージです。夜遅くに、一つ聖書の学びというか、分かち合いをしました。箇所はサムエル記第一24章で、ダビデの子としてキリストをお与えになる神は、ご自分の国を柔和な者に受け継がせるという内容でした。ダビデが、サウルの衣のすそを一部切っただけで心を痛めたというところに、ダビデには復讐を嫌う思い、さばかれる方は主のみであるという柔らかい心があることを学びました。

それから、兄弟の一人が自分の友人で上司についての悩みを打ち明けられたことを話しました。そこから私たちが赦すことについて、また裁かないことについて話し合いました。

それから次の日の朝、ご飯をいっしょに食べた後に、聖書の学びを続きで25章を読みました。そこでは、ダビデは怒ってナバルを殺そうとしましたが、妻アビガイルを通して過ちを知るところとなり、主が直接、ナバルを打たれたところを読みました。復讐は主がなさることを知ることはとても大切です。

そして私は、かねてからLCFの仲間に教えたかったことがあり、それは、「聖書の学びを自分で行っていく方法」です。ロゴス・ミニストリー内の音声や原稿を熱心に聞いている人々ばかりなのですが、自分自身で読んで、そこに書かれてあることを発見する喜びを知る必要があります。いわゆる「帰納的聖書研究法(Inductive Bible Study)」を、私がかつて教科書として読んで使った、”Joy of Discovery“を使って紹介しました。

それからコテージの前にあるバーベキュー場で昼食の準備です。韓国風バーベキューにしようと当初思いましたが、普通の日本のバーベキューも加わり、さらに食後にマシュマロを焼くアメリカ式もやったので、多国籍バーベキューになりました。けれども、こんなにキムチをみんなが好きとは思いませんでした!

それから、キャンプ場の側を流れている川を見に行きました。台風のせいで水が濁っているとのことですが、それでも十分きれいでした。いつもは、信じられないぐらい透明できれいだそうです。

そして、川遊びをずっとしていました。のんびりして、とても気持ちよかったです。いつの間にか、向こう岸にいる兄弟二人が、こちら側にいる姉妹と、「石投げ合戦」が始まりました。石を川に投げ入れ、飛び散った水を相手にかかるようにする合戦です。大人たちが童心に返ったような、楽しいひと時でした!

Israel now and then (イスラエルの今と昔)

先ほど、すごい良いチャンネルをYoutubeで見つけました。

Israel now and then

説明は次の通りです。

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このチャンネルは、イスラエル全史と近接のメソポタミアと地中海地方の文化と諸民族に捧げています。レヴァントことにイスラエル全域の、聖書また古典における考古学の発見の話題、そして、ユダヤ文化、宗教、また、過去のユダヤ・イスラエル王国と現代イスラエルにおける日常生活が、現代イスラエル社会の技術的、社会的、生活基盤の発展への洞察として取り扱われています。
(This channel is dedicated to Israelite history through the ages, and also to our neighbouring Mesopotamian and Mediteranean cultures and peoples. Topics as Biblical and Classical archaeological discoveries across Levant and Israel in perticular, aspects of Judean culture, religion and everyday life in the past Judean and Israelite Kingdoms and modern Israel are presented, with the insight to technological, social and infrastructural advances of modern Israeli society.)
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まずは、ヨセフスの「ユダヤ戦記」の紹介です。私は途中で読むのが止まっていますが、イエス様が「エルサレム、エルサレム」と呼ばれながら嘆き悲しまれた歴史を、第一次ユダヤ反乱の当事者であるヨセフスが劇画的な描写で書き記しています。それをBBCが映画として製作したようです。

「非寛容・圧力・暴力」

 先日、御茶ノ水クリスチャン・センターの前で、ばったり、拙書「聖書預言の旅」を編集・出版してくださった、地引網出版(当時は「リバイバル新聞」)の方と久しぶりに会うことができました。まだ在庫がたくさんあるとのことですが、地震と津波が起こった後で少し注文する人たちがいたとのことです。聖書ではこれらの出来事について預言は何と言っているのか、という関心があったのだろう、とのことです。

 この場を借りて申し訳ありませんが、ぜひ拙書をご購入してみてください、ネット購入できます。 → 地引網出版社

 聖書預言また終わりの日、というと、私が注目してきたのは、「イスラエル建国」「政治や経済の世界化」「世界宗教」「コンピューターチップに代表される世界管理」「地震、飢饉、戦争」等です。けれども、終わりの日についての徴でもう一つ気づいて来たのは、次の聖句に代表される言葉です。

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。(2テモテ3:1-4)

 ここにある特徴をまとめると、「自己愛」と「反抗心・言葉の暴力・憎しみ」になるでしょうか?「自己愛」については、後で取り扱いたいと思いますが、ここでは後者について考えてみたいと思います。

 現在進行中の日本の問題は、もちろん放射能汚染の問題と政府の対応です。このことについて、先日、鉢呂経産相が失言で辞任したニュースがありました。ところが、記者会見でヤクザまがいの言葉を使う記者がおり、それが逆に問題となりました。そして、先日は、JR北海道社長が自殺した事件が起こりました。そしてもちろん東電の問題がありますが、そこに共通していることは、「過ちを追及している者たちの尊大な言動」です。本人は謝罪しているにも関わらず、さらに追い詰め、圧力をかけていきます。「赦し」がありません。(参照記事:「JR北海道社長の自殺に思う」)

 そして今の政治界には、対抗している相手に対しての敬意が欠如しています。民主党の党内選挙の政局争いにも見られますし、野党となった自民党には極めて顕著になっています。

 さらにもちろん、週刊誌の表紙にある扇情的な言葉があり、インターネットにおける匿名を良いことに暴力的な言葉を使用するようになっています。

 物理的な暴力は使っていないのですが、言葉を武器にして相手をなぶっています。終わりの日の特徴は反キリストの台頭ですが、彼の特徴は「言葉による支配」です。

この角には、人間のような目があり、大きなことを語る口があった。」(ダニエル7:8)

 彼は「小さな角」と言われるように、政治的には小さい力しか持っていません。けれども、「人間のような目」というのは「人間の知性」を表していて、非常に頭脳は明晰です。そして、口を開かせると実に人々を説得させるような言葉を話します。この特徴をもって、彼は「全土を食いつくし、これを踏みつけ、かみ砕く(23節)」のであり、「いと高き方に逆らうことばを吐き(25節)」ます。そして既存のものを否定しながら、のし上がります。「彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。(11:37)」彼は自尊心の塊なのです。

 イエス様は、「このような小さな子のようにならなければ、神の国に入ることはできない。」と言われましたが、そのように神の権威の中にへりくだり、服従し、人間の知性にある高慢を取り除いていただくことが人間に対する神の命令であり、神のように賢くなるという蛇の言葉を聞いて、善悪の知識の木から実を取って食べたエバは、この反抗心から来る罪だったのです。

 相手を批判している本人たちは、権威者に対して対抗する権利があると思っています。政府、行政、与党、大企業、有名人など、自分よりも強い者であるから彼らこそ悪なのだと決め込んでいます。これこそが、小さな角からのしあげる反キリストの霊であり、そして「あなたは知らないのだ」という知的高慢、そして手は出さないけれども同じように魂に傷を与える言葉使いは、終わりの日に出現する反キリストの霊に服従しているにしか過ぎないのです。

 そして、私は中東情勢を追っていますが、そこには私たち日本国にある閉塞状態が目で見える形で、何十倍にも膨れ上がって現れ出ています。

 「アラブの春」というのは、反イスラエル感情の噴出に他なりませんでした。たった今、パレスチナ自治区のアッバス氏が国連に国家としての認知を承認してもらうべく申請しましたが、それにまつわりアラブ・イスラム諸国は、イスラエルに対して大きな牙を向いています。トルコが豹変しました。エジプトも豹変しました。イスラエル軍が誤って国境地域でエジプト人の兵士を射殺してしまったら、彼らは在エジプト・イスラエル大使館を襲撃しました。なんと、平和条約も見直すことをほのめかす発言を暫定政権の首相が行いました。サウジアラビアは、アメリカにパレスチナ独立国家案に拒否権を出すならば、親米路線を転換するという脅しをかけました。

 おそらく反イスラエル姿勢を貫いている本人たちでさえも、「ここまで言ったらやばいだろう」と思っていても、周囲に対する面子、過激なことを言わねば後で暗殺されるかもしれないという恐れも重なって、歯止めがきかないのです。

 ところで昨日、非常に興味深い記事を読みました。今、池田恵著の「イスラーム世界の論じ方」を読み始めましたが、結構先の「中東 危機の震源を読む」と重なる内容が多く、飛ばし読みすることになりそうです。けれども第一章「メディアの射程」の「アラブが見たヒロシマ」が極めて新鮮です。

アラブ世界では日本のことはほとんど報道されない。日本にはあまり関心がないのである。しかし、広島と長崎への原爆投下には関心が高い。「ヒロシマを世界へ」ということばは、戦後の平和運動の主要スローガンである。これにより「ヒロシマ」ということばはアラブへ広がった。日本人はヒロシマを通じて平和主義を訴えている。しかし、アラブ世界では違う意味で捉えられている。アメリカの残虐性の証明として、アメリカへの復讐の正当性を証するものとして、理解されている。(書評

 具体的に、ビン・ラディンが攻撃を米国にしかけた声明にもヒロシマが含まれている例を出しています。イラン大統領アフマディネジャドも何度となく米国とイスラエルへの攻撃と共にヒロシマを言及しています。

 このように正反対の意味として広島の声が伝播している状況は、アラブ世界だけの問題ではありません。むしろ、発信地に内在的問題があるように思われます。筆者もこう言及していました。

 この理解は、従来の日本の平和主義・反核反戦運動の立場からは「誤解」と言い切ってしまってよいはずである。しかし九・十一事件後に日本の知識人の間で公然化した「テロはやられたほうが悪い」とでも言いたげな議論を見ていると、アラブ世界の「ヒロシマ」受容はあながち誤解でもないのかと思う。
 考えてみれば、日本の反核運動は核兵器廃絶の要求を「アメリカ」あるいは「西側」にもっぱら突きつけ、ロシアや中国の核については追及の矛先が鈍ったり、場合によっては弁護さえしかねなかった。アメリカにのみ非難と攻撃の矛先を向けるというのは、純粋に核兵器の廃絶を求める運動と考えるならば論理的・倫理的一貫性に欠け、理解が困難であるし説得力もないだろう。
 しかし、敗戦国による「復讐」を目的とする運動として理解すれば、一転、非常に納得がいく。アラブ世界では非西洋諸国の反西洋・反米的な民族主義運動の一環として、「ヒロシマ」は理解されてきた。今後の日本の思想・政治的状況の展開によっては、その理解は結果的にまったく正しかったことになるのかもしれない。(本書28-29頁)

 事実、911に際して、先日、石原自民党幹事長があのテロを「キリスト教世界に対するイスラム教の反抗という歴史の必然」としましたが、上の態度に通じる見方です。

 このように日本人が心に秘めた怒りは、世界を巻き込む復讐劇の一部になっています。これからますます、隠れていることが外に大声で叫ばれるような時代になっています。私たちが力を尽くして守り、見張らなければいけないのは自分自身の「心」なのです。

 キリスト者は、主の到来が近いことをふまえて、「寛容でありなさい」という命令を受けています。

あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」(ピリピ4:5)
兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。」(ヤコブ5:9)

 終末について語る人々の中には、キリスト教徒でも堕落する者が多く現れて、一部の者だけが神の怒りから免れるというエリート主義を掲げています。確かに多くの者が滅びの道を選ぶと主は言われているのですが、しかしそれに矛盾するかのように、主は徹底的に私たちには寛容と受容を命令されているのです。多くの人々がふるい落とされる終わりの日にだからこそ、むしろ心を砕き、広い心で人々に接していく使命を帯びています。

 これに必要なのは、徹底的なへりくだりと神への服従です。

 例えば、続けて反核運動の話題で言うなら、以前から私は、原爆に関しての平和の希望は、広島ではなく長崎から発信される声にあると思っていました。それは「赦しと愛」です。

原爆の被害は人間の想像を越えるものであった。特に放射線が人体をむしばみ続ける恐ろしさ。しかし日本の侵略と加害による虐殺の数は原爆被害をはるかに越えるものであった。
 今我々がやらなければならないことは、中国はじめアジア、太平洋の国々に謝罪することである。心から赦しをこうことである。日本の過去と未来のためにも。
 しかし、そのための条件は、日本人が真珠湾攻撃について謝罪し、広島と長崎が原爆投下を赦すということである。怒りや悲しみは個人にとっても国家にとってもよいことではない。娘を殺された父親が相手を赦すというように、赦しえないことを赦す考え方、それが必要である。
広島、長崎は「和解の世界」の先頭に立つべきであろう。21世紀は「和解の世代」でなければならない。
核兵器のない世界への努力と「和解の世界」への努力は同一のものでなければならない。
(本島元市長「広島よ、おごるなかれ」まとめ)

お互いに許し合おう…お互いに不完全な人間だからお互いに愛し合おう…お互いにさみしい人間だから
けんかにせよ、闘争にせよ、戦争にせよ、あとに残るのは後悔だけだ。  (「平和塔」より)
敵も愛しなさい。愛し愛し愛し抜いて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。
愛されたら、滅ぼされない。愛の世界には敵はない。敵がなければ戦争も起こらない。
永井隆

 もしこのことが日本全体で実践され、それが反核のメッセージとして世界に伝播していたのであれば、今、テロリストの口から「ヒロシマ」の言葉は消えていたことでしょう。

 私たちは、自分の周囲からこの態度を実践することができます。気の合わない人に忍耐できるか。聖書的に明らかに間違ったことを行っている人に対して、罪には決して妥協しないけれども、その人格を受け入れているか。意見が異なる人に対して敬意を表しているか。自分の上にいる人々に対して、反抗心を捨てて、主に対するように仕えているか。心にあるあらゆる悪意、ねたみ、無慈悲、怒り、そねみを捨てているか?そして、主を知らない人々に対して、福音を紹介しているか?

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)

A Time to Betray (裏切る時)

先ほど、この本を一気に読み終わりました。妻から「昼は暑かったのに、よく我慢できたわね。」と言われたぐらい、のめり込みました。

A Time to Betrayのサイト

イラン革命防衛軍内部のCIAスパイの驚くべき二重生活を送った、レザ・カーリリ(Reza Kahlili)氏による自伝です。現在進行中のイランの動き、つまり、イスラム過激派と世界テロリズムを裏で操っているという背景を踏まえれば、この本は多くの人に読まれるべきでしょう。

ブログでは何度となく、1979年に起こったイラン・イスラム革命を言及しましたが、この自伝によって、国内で起こっていたその空気を肌で感じ取ることができました。パーレビ国王下の独裁制から始まり、ホメイニ師のカリスマ性によって達成した革命は、すぐにこれらムッラー(イスラム宗教家)による乗っ取りによって、とてつもない専制が敷かれます。そして、この自伝に出てくる悲劇は、レザともう二人の間にある友情が、この革命によって引きちぎられていくことです。その一人カゼムはイラン革命防衛軍の中枢に入り、もう一人ナセルはイスラム革命の幻滅し、その反対派に属したためエビン刑務所で拷問を受け死亡します。

十代の女の子たちは、兄や彼氏が反対派にいたからという理由で同じように拷問を受け、処女は天国に入ることができるというイスラムの教えがあるため、処刑の前に強姦するというおぞましい仕打ちをします。

レザは、アメリカでコンピューター工学を専攻したため、カゼムの誘いで革命防衛軍に入りましたが、ナセルの死とその残虐な行為を目撃し、心の中でこの体制に反逆することを、自分の信じている神に誓います。彼は在米のおばの病の世話をするという機会を捉えて再び渡米し、そこでCIAに接触しました。CIAが彼に再び革命防衛軍に入って情報を提供し続けてくれという願いに応えて、それからスパイ活動の生活が長年のこと続きます。

けれどもその二重生活は、自分の友人、自分の最愛の妻や両親、そして祖国を裏切っているのではないかという重圧との格闘であり、けれどもイランが再び自由を取り戻さなければいけないという切望は途切れることなく続き、家族でアメリカに亡命し、十数年後、妻が乳癌を患うときに始めてその心の苦しみを打ち明けました。今は家族で幸せに暮らしていますが、妻の励ましの言葉にも支えられて、偽名を使い、顔も声も隠しながらでありますが、数多くのニュースに登場し、イランの自由のために内部情報を提供しています。

そして幸いなことに、この長年の良心の葛藤の中で、彼はイスラムを捨て、キリストに従う決断をしました!(ブログ記事)本書にはキリスト信仰についての直接の内容は出てきませんが、彼がなぜキリスト者になったのかが分かる、彼の心の飢え渇きの姿も垣間見ることができます。そしてリンク先のブログによると、おばあさんからイスラムについて教わり、愛や正義、平和を信じていましたが、イスラムの名を借りて行っている残虐行為に幻滅した一方で、コーランに書かれている教えと、イエス様の教えを比較して、後者の言葉に魂が捉えられていったそうです。

イスラム革命後のイランをその中枢から見ている姿を、肌で感じ取ることができるのですが、レザが働いていたとき、イラン・イラク戦争が起っていました。
そして革命防衛隊は、シリアはもちろんのこと、レバノン、パレスチナ過激派など、世界テロリズムを後ろで操作するまでに膨張していきます。
ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件パンアメリカン航空103便爆破事件を含め、その裏でイランが関わっていたのが手によるようにして分かります。

それから、レザは欧米諸国、特に米国が強く介入することによって、イランの自由化が達成できると信じていたけれども、歴代の米政権がイランに対して強い姿勢で臨まなかったために、その「ごろつき政体(thugocracy)」がますます力を増していったことを暴いています。それは民主党や共和党、保守やリベラルを問わず、カーター大統領から歴代の政権が犯した過ちでした(レーガン政権時のイラン・コントラ事件の内情も明かしています)。オバマ現政権に対してもその融和の姿勢に警鐘を鳴らしています。

最近のイランを米国のクリスチャン番組から紹介したハーベストタイムを見れば、その雰囲気とさらにイランという国のために祈る思いが与えられるかと思います。

「イランの今」

イランについて取り扱っているのが、次のブログ記事です。

イラニウム(Iranium)
エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ
Inside the Revolution(革命の内幕)
エゼキエルの見た幻(36-39章)
2010年に核戦争の可能性
安定経済と核戦争危機

「中東 危機の震源を読む」

先ほど完読しました。「現代アラブの社会思想」を読んで以来、池内恵氏による著書は、アラブとイスラムに関わる情勢分析としてとても役に立っています。内容については、以下の書評から一部をご紹介します。

新潮社サイト

「イスラーム」を知るための必読書。
「論壇」を考えるための必読書。

本書は、中東・イスラームの「入門書」として最適の一冊です。
パレスチナ紛争・自爆テロ・イラク戦争・イラン核疑惑・新疆ウイグル・ソマリア海賊・ドバイ経済など、日本の読者が知りたいと思うであろう諸問題が、ほぼすべて網羅されています。
特に「イスラーム世界と西欧近代社会の価値観の衝突は回避できるのか?」というテーマについては、深く考察されています。日本の言説空間でまかり通っている「イスラーム教は他宗教に寛容」「テロの原因は格差と貧困」「すべてはイスラエルとアメリカが悪い」というような一面的な議論に満足できない読者にとって、本書は必読書です。

これは、「フォーサイト」という雑誌に2005年一月から2009年五月までに掲載された記事を編集したものですが、エジプトの国内事情を読むと、今年から起こっているアラブの民主化を容易に予測できそうな雰囲気です。事実さえ知っていれば、今回の出来事は不意に湧き上がった話ではないことがわかります。上の書評記事はこう続けています。

 また、本書の「むすびに」に書かれている、日本の論壇に対する鋭い批判にも要注目です。
著者は、論壇誌が次々と廃刊になるのは、空疎な「論争」の軸を提起して盛り上がり、乏しい事実認識からなされる短絡的で情緒的な主張を「想像力」ともてはやすばかりで、肝心の「事実」に到達するための営為を軽視しているからではないのか、と問います。

――「単なる事実」を求める「レポート」の価値を感じられない人は、何か大きなものへの怖れを失った人であると私は思う。――(349頁より)

その他、具体的記事の紹介については、次の書評が良いでしょう。

書評216:池内恵『中東 危機の震源を読む』その1
書評217:池内恵『中東 危機の震源を読む』その2

ただ、イスラエルについては、流布している論評に比べると、確かに政治的公平さと客観性に極めて優れていますが、イスラエル事情を追ってきた者としては、前提の事実が違うのでは疑問に思うものも結構あります。それでもやはり、「イスラム・アラブ研究者」という限界もあるでしょうし、そして単なる知的作業以上の、聖書信仰者であるからこそ見えてくる霊的ダイナミズムが見えない点もあるでしょう。

もう一冊、「イスラーム世界の論じ方」も図書館から借りています。

恵比寿バイブルスタディのお知らせ(9月14日)

みなさんへ

おはようございます。秋になりつつありますが、皆さんはどうお過ごしですか?私は読書の秋になっています。図書館から借りたり、アマゾンで古本を買ったり、そして自分の本棚にある本を久しぶりに取り出してみたりと、楽しくやっています。

次回の恵比寿バイブルスタディのお知らせをします。

日時:9月14日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:詩篇116篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

次回は9月28日を予定しています。そして10月は、12,26日の仮予約をしました。
主に感謝。

LCF活動場所一部変更(9月10,11日)

次回のLCFの活動場所ですが、一部変更があります。いつも使っている「足立区 こども家庭支援センター」の部屋が10,11日は一切貸し出しをしていないため、足立区の私たちの自宅で行ないます。

10日(土)14:00 使徒の働き2章
11日(日)13:30 第二礼拝

住所は、こちらまで問い合わせてください。→ info@logos-ministries.org
(綾瀬駅から徒歩約12分です)

その他の活動(10日の祈り会と第一礼拝)は、いつもの通り、御茶ノ水クリスチャンセンター307号室で行ないます。

「疑問シリーズ」

「ナザレのイエスは神の子か?」の記事で書いたとおり、リー・ストロベル著の「それでも神は実在するのか?」を古本で購入してみました。少し読み始めましたが、ものすごく面白く、実に今日の多くの人が抱く疑問に答えています。

そして予告したとおり、「イエス様を知らない方へ」に、「疑問シリーズ」を始めてみました。キリスト教に対する疑問にお答えするコーナーです。第一弾として、次の題名で記事を書きました。

人はなぜ苦しむの?

その他これから

「宗教はなぜ戦争するの?」
「地獄の教えは恐い」
「一神教は排他的だ」
「『罪』というのが分からない」

なども取り上げてみたいと思います。もし未信者や求道者の方で、自分の質問に答えて欲しいと思われる方は、次のメールに連絡してください。 → info@logos-ministries.org