IMAX 3Dで見るエルサレム

2008年にイスラエル旅行に行った仲間から以下のビデオリンクが送られてきました。このプロジェクトは2013年に、IMAX 3Dで劇場で見せる目標を持っているようです。

Jerusalem | Filmed in Imax 3D from JerusalemGiantScreen on Vimeo.

ぜひ、上の映像をそのまま見るのではなく、最大化させてみてください。(映像の右下の拡大マークをクリックします。)

東北救援旅行 8月23-24日

遅れの報告ですが、私たちのところに8月22-25日、韓国にあるカルバリーチャペル天安(チョナン)の金インウォン牧師ご夫妻が来日され、23-24日に東松島市と石巻市に行ってきました。

インウォンさんとは長い付き合いで、以前、日本でカルバリーチャペルのカンファレンスに参加されたとき、私たちの家に泊まったこともあり、最近は今年一月末に私どもが来韓した時、お世話になりました。

韓国での宣教報告

月浜仮設住宅

今回は前回と同じように、宮戸島の月浜地区にある仮設住宅の木村さん宅をお借りして宿泊しました。そして東京で用意したキムチと、韓国から持ってきた団扇と高麗人参茶を用意して、そしてトラクトも用意し、その仮設住宅を一軒一軒廻り、挨拶しました。

大きな収穫は、そこの区長さんとじっくり月浜の状況をお話しできたことです。6月20-22日の旅行で月浜海岸を掃除したのですが、今回の台風などでまた汚くなっているとのこと。これを、数回に渡り掃除をすることによって、また、東日本の海岸地域の人たちが同じように掃除することによって、海にあるごみが全体的に減ることによってきれいになる、とか、貴重な情報をいただきました。

そして、月浜地区は民宿の密集地域でしたが、軽トラックが走ることのできるような網目状の道路があったけれども、それは他の地区にはないとのことです。何百年前に大火事によって集落が焼かれた時に、それを契機にして宅地整備をしたのではないかという推測をされていました。したがって、このような災害が、地域復興の根本的な改革をすることのできる契機として捉えていることなども教わりました。

さらに、仮設住宅には十畳ほどの談話室があり、水道もガスもあるので、そこで炊き出しができる可能性があること、またボランティアが宿泊もできるのでは、と提案してくださいました!仮設の人々とほとんど寝食をともにする奉仕で、これほどすばらしいことはありません。

世界的にも有名な建築家である妹島和代さんが、宮戸島全体の復興プランに携わっており、ちょうどその日が彼女のプランのプレゼンテーションとのことで、お誘いを受けました。言ってみると、NHKや河北新報、TBCなど地元のマスコミも集まっていました。

そしてそこで、月浜避難所の担当者の方にも再会できましたが、前のキムチがおいしかったのでぜひおみやげをもらいに行きたいとのこと!それで、私たちが泊まっているところまで来てくださり、初めて個人的に団欒の時を持つことができました。

今回は、最近、沖縄カルバリーチャペルでご奉仕されていた日系アメリカ人のロイ・トマさんが仙台に引っ越し、宣教拠点を移したのですが、彼が23日の夜、この仮設住宅に泊まり、いっしょに時間を過ごすことができました。そして次の日、石巻に連れて行っていただきました。

石巻渡波地区訪問

ロイさんは、コミッティド・リリーフという、米国側のカルバリーチャペルで、日本への救援活動を取りまとめている組織の中で奉仕されています。石巻には既に、カルバリーチャペル国分寺の牧師、桜井知主夫さんが取りまとめている「カルバリー東北リリーフ」が長いこと奉仕している渡波地区があります。そこにロイさんは連れて行ってくださり、これまで見慣れてきた東松島とは違う被災状況を眺めることができました。やはり大きな違いは、石巻は大きな都市だという事です。そのためか、東松島よりもまだまだ実際的な奉仕(泥出しや家屋の改修など)が必要であることを感じました。

そして、今建設中のカフェも見学しました。渡波地区の交通の多い通りに面しているので、これから良い働きができるのではないかと思います。

さらに、その日ちょうど、サマリタン・パ―スの人たちが渡波地区等で同じく救援活動をしているキリスト教会の人々を集めて、顔合わせと交わりをする会合を用意されていました。そこに少し顔を出し、そして私たちは、引き返して牛網地区に行きました。

牛網の仮設住宅へ

8月の初めに牛網の避難所でわずかに残っていた人々は、すぐ近くにある仮設住宅の完成を待っていました。大きな所帯も入居できる住宅なので、それを狙っていたわけです。それで、ようやく私たちが長いこと奉仕していた牛網学習等には、ちょうど私たちが尋ねた24日で最後の一人が出所され、誰一人もいなくなったそうです。

そこには、牛網地区の人たちの他に宮戸島の付け根にある野蒜地区の人々も入居しているそうで、その人たちはもっと大変なところを通られています。その被害状況の大きさは私たちが第一回目の救援旅行でも目撃しました。米軍や自衛隊がその救援のためにかなり関わったところです。

この仮設住宅にも、月浜のよりもさらに大きい談話室があり、使えそうです。ただ問題なのは、牛網の避難所にいた人々は、複数の仮設住宅にばらばらになったので、元の人たちにどのようにしてまた接することができるのか、ということです。それで、牛網の人は「続けて牛網学習等で活動されたら、いかがでしょう。」という提案をしてくださいました。そうすれば、仮設に移った人々もその日だけ元避難所を訪問できるし、また自宅に住んでいる近辺の人々も訪ねることができるのでは、とのこと。一案として考えてみたいと思っています。

そして私たちは東京に戻りました。

また、秋の季節のための継続的な救援活動のために祈っていきたいと思います。

恵比寿バイブル・スタディ 8月31日

皆さんへ

こんにちは!
みなさん、お元気ですか?
少しずつ涼しくなってきましたね。

次回の恵比寿バイブルスタディの予定をお知らせします。

日時:8月31日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:詩篇111篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

次回は9月14日を予定しています。

主に感謝。

新シリーズ <使徒の働き>

明日から、毎週土曜日の聖書の学びは「使徒の働き(口語訳は「使徒行伝」)」を始めます。

これまでは、新しく信じた人たちのために、救いの教理を体系的に知らせるため、ローマ人へ手紙の学びを行なっていました。けれども、これからは「教会」を知るために、その誕生の歴史を知ることによって今の教会への原動力になればと願い、使徒の働きを学びます。

誰でも「教会」について知りたい方はぜひお越しください。この学びによって、教会が霊的復興する渇望が心の中に起こされることを強く願います。そして学ぶだけでなく、それを実際の行動に移すことができるようなご聖霊の働きを待ち望みます。

日時: 毎週土曜日午後2時から
場所: 足立区 こども家庭支援センター 別館

以下は、カルバリーチャペル・コスタメサの牧者チャック・スミス氏による著書、「カルバリーチャペルの特徴」からの抜粋です。

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 ヨハネの黙示録の中で、イエスはアジアにある七つの教会に対して、彼らの問題を語っておられます。使徒ヨハネがまだ地上に生きている時代においてさえ、イエスは教会に悔い改めを呼びかけて、彼らの中に存在する致命的な欠陥を指摘されました。イエスご自身や使徒のものとは明らかに違う教えが忍び込み、すでに教会の中に腐った種が蒔かれていたのです。・・・・

 これは最初の教会の基礎が据えられてから、六十年も経っていない時期に起こったことなのです。ということは、教会が腐って生ぬるくなるまでにそれほど時間がかからなかったわけです。主はいつでも彼らを口から吐き出すことができたのです。このような教会の実態は、イエスに吐き気をももよおさせたのです。教会の歴史を眺めるとき、現在も少しも向上していないように思えます。逆に教会は、道徳や倫理に関して悪化の一途をたどっているようです。主が七つの教会に語られたことは、そのまま現代の教会にも当てはめることができます。

 教会の歴史を見直しても、よいお手本を見つけることはできません。それは人間の歴史を見ても人間は堕落しているので、神の願いと意図をそこに見出すことができないのと同じです。・・・教会についてもそのまま言えることです。神が願っておられる教会は、教会史の中にお手本を見つけることはできないのです。

 あるべき姿の教会は、新約聖書の使徒の働きの中にあります。これは力みなぎる教会です。この教会は聖霊によって導かれ、聖霊によって権威を与えられた教会です。この教会が、よい知らせである福音をこの世に示したのです。パウロは、ペンテコステの出来事から三十数年後に、コロサイの人々に手紙を書きました。「それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。(コロサイ書1章5-6節)」初期の信仰者たちは、福音をこの世に力強く表わしていた教会を体験したのです。

http://calvarychapel.com/pdf/translations/ja_distinctives.pdf 「第一章」神が与えておられる教会のモデルより)
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2011年マラナサ・バイブル・フェローシップ 第二・第三日目

2011年マラナサ・バイブル・フェローシップ 第一・二日目」の続きです。

私たちが野外散策を終えたその時に、菊地さんが到着しました。道がよく分からなくなっていたけれども、ちょうどクリスチャンぽい(?)輪が見えたので近づいたら私たちだったとのこと。その後、男たちの何人かが濃霧の中、ソフトボールを楽しみました!

二日目の夜は、ノアのメンバーでもある牧者、石原さんと奥様が歌ってくださいました。

二曲目はこちらをクリック

そして菊地さんことカズさんが、患難前携挙説の基本的教理を上手にまとめてくれました。

患難前携挙説の根拠

患難前携挙説の霊的効果

こんなに淡々と、患難前携挙説をきれいにまとめてくださったことを、主に感謝しています!私自身、このようなシンプルな教えは久しぶりで、新鮮で、改めて、悔い改めに導かれ、また携挙の希望に心が燃やされました!

説教中のカズさん

蛇を掴むカズさん!

コテージの下から這い出てきたとのこと。幼い頃から蛇を掴んでいたので慣れているそうです。

そして私たちは三日目、午後に解散しましたが、多くの人は朝霧高原の富士ミルク・ランド白糸の滝に立ち寄りました。白糸の滝の辺りは、雪解け水の冷却効果でとても涼しく、五合目にある富士山麓の山の村といい、私たちは下界の暑さから実に癒されました。

2011年マラナサ・バイブル・フェローシップ 第一・第二日目

8月14-16日に、静岡県富士山麓山の村で、無事にMBF(Maranatha Bible Fellowship)を終えることができました。この集まりは、10年以上も前に、当時イエス福音教団であった静岡県にある教会の方々が主催して、かつ他の教会の人々とも交わりをする集まりとして出発しました。とても穏やかで、ゆったりとした、そして笑いの耐えない交わりが魅力で、私も何度も行かせていただいています。

そしてその名称のように、「主が来られる」ことを思いながら、聖書を中心にした交わりということで、聖書の学びもしっかり行います。今回は、改めて「携挙」の希望を学ぶ趣旨で、わたくしと、マラナサ・グレイス・フェローシップの菊地さんが講師として話させていただきました。

まずご紹介したいのは、富士市のシオンチャペルの牧者、望月さんと奥様が演奏してくださいました。

讃美一曲目

二曲目はこちら

三曲目はこちら 

そして私が、「携挙」をテーマにして、テサロニケ人への手紙から二回に渡って御言葉を取り扱わせていただきました。

テサロニケ人への手紙第一 「携挙の慰め」

テサロニケ人への手紙第二 「携挙の救い」

メッセージの前に私の席から撮った皆さん

食事の準備

野外散策

2011年マラナサ・バイブル・フェローシップ 第二・第三日目へ

皮膚の中のコンピューター

聖書に記されている終わりの日の徴は数多いですが、その中の一つは「皮膚下に人の売買行為を制御できる何かを埋め込む」というものがあります。

「また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。(黙示録13:16-17)」

下の写真をご覧ください。すでに先端技術はここまで発達しました。

Computers get under our skin からの記事です。

A small electronic device slapped onto the skin like a temporary tattoo could bring us closer to a future that melds body and machine, a cyborg world where people have cell phones embedded in their throats and Internet browsers literally at their fingertips.(訳:仮の入墨のように、皮膚にぴったり引っ付いている小さい電気装置は、肉体と機械を融合させる将来を一歩近づけた。それは喉に携帯電話を埋め込み、インターネットを文字通り指先で操作する、サイボーグの世界である。)

しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。(ルカ21:36)

ハーベスト・クルセード @ アナハイム(8月12-14日)

いつも8月になるとやってくるハーベスト・クルセード・・・

今年は少し特別です。去年、ハーベスト・クルセードに参加したある日本人の女性が、今、私たちの教会に来ています。正月に渡米した時に、カリフォルニアにいる知人の日系の方が「姪が東京に住んでいるから、教会を始めるんなら誘ってください。」と頼まれました。すると、昨年末に信仰告白をしたお二人のために始めた学びに来てくださり、それからずっと来てくださっています!

明日、渡米します。そして再びこの伝道集会に参加できることを楽しみにしているとのこと。

Harvest Crusade Anaheim 2011

私たちもインターネットで実況中継を見ることができます。終わった後も、録画されているものが残っていますから安心です。カリフォルニアは今サマータイムなので日本時間に直すと・・・

第一回目: 8月13日午前11時から
第二回目: 8月14日午前11時から
第三回目: 8月15日午前10時から

となります。通訳を見ると、残念ながら日本語はありませんが、私の友人の夫婦(カルバリーチャペル・コスタメサの奉仕者)が、数日前、右の写真を送ってきてくれました。「この日本語の意味は確かに”Harvest”で良いのか?」と確認のメールだったのですが、「そのとおり!」と答えました。

地震・津波・原発事故があったからなのでしょうか、日本人への愛を伝えたいという気持ちから作成したTシャツのようです。今年も魂の収穫を多く見ることのできる集会となりますように!

改めて「戦争」を考える その2

改めて『戦争』を考える その1」の続きです。

それでは、戦争をなくし、平和を希求するためにはどうすればよいのでしょうか?

1)「戦争」は、一人一人の心の中にある

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。(ヤコブ4:1-2)

国と国との戦いを論じる前に、自分の身の周りで不和の関係になっている人はいないか?私たちの個人生活で、また自分の属している組織の中にさえ平和が存在しないのに、ましてや一・二億人の人間を抱える国家間に、争いをなくすべきだと言ってどうすんでしょうか?まず、根っこにあるのは一人一人の「心の中にある貪りや欲望」なのです。

そして人間関係以前に、「神との関係」はどうなっているのか?自分をこの地上に誕生させてくださったのは神であり、今に至るまで生かしてくださっているのも神であります。この神に背を向けていれば、それは完全な不和状態です。神は、その反抗のゆえに裁かなければいけません。

そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。(ローマ2:3-5)

2)キリストが罪を取り除き「平和」となってくださった

キリストがその敵意を代わりに十字架上で負ってくださいました。ゆえに、罪は取り除かれました。国の戦争行為がなくなることが平和ではなく、「キリスト」=「平和」なのです!

キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。(エペソ2:15)

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(コロサイ3:15)

3)平和の君キリストを受け入れるよう招くことこそが、「平和を造る者」である。

イエス様は「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)」と言われました。それは、使徒パウロが言っているように、「足には平和の福音の備えをはきなさい。(エペソ6:15)」というものです。

私も信仰を持つ前は、ヨーロッパにおけるキリスト教に絡んだ戦争の歴史を聞き、またアジア諸国にも帝国主義と共にキリスト教が伝播したのを知るにつけ、戦争についての疑問を持っていました。けれども私が聞かされていなかったのは、例えば中国内陸に入り、現地人と同じように辮髪にして福音を伝えたハドソン・テーラーの話
など、数多くの宣教師の個人犠牲の歴史です。

ですから、私はイラク戦争にしても、その戦争の是非は問いたくありませんでした。それは、それが私たちキリスト者の中心点ではないと思っているからです。むしろ、そのイラクに福音を携えて入っていった宣教師たちに注目しています。これは、はっきりした神の御心だからです。

4)キリストのうちにあるからこそ「一つ」になれる

ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ3:28)

かつて敵同士であった者がキリストを信じて、親愛の仲になったという証しは数知れません。例えば、真珠湾攻撃を指揮した淵田美津雄氏と、日本軍の捕虜となり拷問を受けたジェイコブ・デシーザー氏の出会い、元パレスチナテロリストと、元モサド工作員のユダヤ人がそれぞれキリストに回心し、親愛の仲になることなど、キリストが平和の源であるからこそ、この方を主とする者たちの間には、私たちの理解を超えた深い平和で結ばれるのです!

5)「平和」は、「自分に関するところ」から

国家の戦争をどのように平和裏に解決するのか、ということを考える時があっても良いでしょう。けれども、キリスト者は自分の身の周りで平和を保つように命じられています。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)

そして国に対しては、「服従」と「執り成し」そして「感謝」によって平和をもたらします。

人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。(1ペテロ2:13-17)

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。(1テモテ2:1-3)

6)「主よ、来りませ!」

そして、この世界全体に平和が来ることを求めるのであれば、それはまさに神が望まれていることです!神は初めに、アダムを造られた時にその平和な楽園を与えられました。けれどもアダムが罪を犯したために、この世界がサタンの傘下に入ってしまい、それで国家間にも不和が生じるのです。

キリストは、初めに来られた時に、私たちにある争いの心を取り除くために来られました。それから次に、この世界をご自分のものし、世界の争いを終結されます。

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。(1コリント15:23-25)

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。(イザヤ2:4)

したがって、世界平和を願うのであれば、世界の王であり、平和の主権者であられるイエス・キリストの到来を、熱烈に慕い求めることです!

主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、マラナ・タ(来てください) (1コリント16:22)