恵比寿バイブル・スタディ 5月25日

いかがお過ごしでしょうか?

今日は、昨日からの雨で少し涼しくなりましたね。しばらく暑い日が続いていたので、とても気持ち良いです。

私どもは、妻が例の国に今日から金曜日まで行って来ます。元々は入院している友人と時間を過ごし、また妻にもちょっとした休養を与えたいという私の気持ちがありましたが、そちらの教会のほうで、これまでの救援活動報告と、御言葉の取次ぎを頼まれました。私が最近、行なった説教を題材にして一生懸命、現地語の原稿を書き上げていました。

そして私は間もなく仙台に発ちます。今回は東松島ではなく、沖縄カルバリーのリックさんのお手伝いのために行きます。アメリカが6月下旬から夏休みに入り、全米のカルバリーチャペルが来仙した際に必要な宿泊の家を確保しようとしているのですが、仙台人の私がちょっと一役買おうかな、という感じです。

けれども水曜日は新幹線に乗って、必ず次の学びに間に合わせます。

日時:5月25日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第二会議室
聖書箇所:詩篇89篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

それでは。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月18日

この日は現場における仕事はありません。それぞれが、自分たちの所に出発するだけです。けれども、お仕事はいろいろあります。瀬谷さんは、第二回目の旅行で私の両親の家でお会いになった近所の方にぜひ会いたいとのことで、東北本線の松島駅から仙山線の最寄駅まで行き、実家に一泊しました。そして、木村さんとお母さんは20日まで滞在予定です。私たちは、晩にある恵比寿バイブルスタディに間に合わないといけません。さらに静岡のチームは、東京の木村さん宅に荷物を下ろしに行く前に、同じ教団の仲間だったシーサイド・バイブルチャペルに訪問しました。

シーサイド・バイブルチャペルと言えば、今や一般の新聞にも出た「荒れ野での十字架」で有名になった、仙台沿岸部に位置する教会です。私も見城さんから、被災している教会の話を聞いていました。そして今回もどんな感じなのか彼からいろいろ聞くことができました。見城さんは冗談で、「ちょうど観光地の案内人のように、牧師の内藤さんは訪問する大勢の人々の案内をしている。」とおっしゃっていました。

私は、「なぜ他の教会と共に働かないのか?」と聞かれたことがあります。私は震災直後から、すぐに仙台の教会の人たちに連絡したり、その情報を得ようと努めました。単純に、「道が開かれなかった。」ということです。そして情報を追っていくと、数多くの教会が既存の教会を支援しており、むしろその支援教会の対応で忙しくなっている様子を見聞きしていました。教会が教会を助ける働きは、使徒の働きでエルサレムの教会を手助けした話が出てくるように非常に聖書的であり、すばらしいことですが、やはり「御霊によって導かれなかった」と言って良いでしょう。直接、キリストを知らない被災者の方々へ福音を伝えるように導かれています。

けれども、Facebookで何人かの牧師さんと連絡を取ることができているのは幸いです。

朝は、見城さんがデボーションで御言葉から分かち合ってくださいました。木村さんが、またご自分の気持ちを話してくださいましたが、「私は、クリスチャンたちを見てきて、確実に神・キリストが働かれているのを見ている。そして私はその世界とは別であると思ったが、私自身がその働きの中に取り囲まれているのを感じる。」とのことです。つい一ヶ月前までは、キリスト教会とは無縁の生活を送られていた方が発する言葉です。

そして最後に、木村さんが松島の絶景を楽しめる見晴台へと連れて行ってくださいました。確かに、「日本三景」に数えられるだけある風景です。そして何とここは元々彼らの土地だったのこと。ずっと前に行政に売り渡しました、とのことです。

そして私たちは植田さんを運転手にして東京に戻りました。途中、妻が高速道路の一部を代わりに運転しました。年に一度だけアメリカだけで運転していた彼女は、今回初めて日本で運転です。それから瀬谷さんは無事に私の実家に到着し、福島県相馬市の農家で出会った私の母の友人にも会うことができ、そこで母が自分の救いの証しをすることができたとのことです。そして夜に近所の方にも会うことが出来たとのことです。・・・ずっと「証し」と「福音宣教」の旅になっていました。

今度は、来週の月曜から水曜まで、トラビス、リッチ、山東さん、そしてカルバリー所沢のマイケルが東松島牛網に行きます。そして六月第四週目に、ハワイからのチームが5-7名来る予定です。けれども、これまでもそうでしたが、主がまた新たなことを行なわれるかもしれません。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月17日

朝7時に自炊の朝食を皆でいっしょに取り、デボーションをして、それから活動開始です。昨日の「炊き出し部隊」は、昨日、牛網避難所を訪れたところ「炊き出しはお昼より夕のようが良いのに。」という要望を聞いて、それで人数が増えるため、再びマックス・バリューで買出しに行きました。そして、仙台お住まいの武田さんも合流し、牛網避難所に戻ってさっそく夕食のための準備を始めました。

メニューは「イタリアン風マカロニサラダ」です。これまでの炊き出しのメニューはずっと醤油チキンだったので、ちょっと趣向を変えようという妻のアイデアでした。サラダと言っても、チキンを中心にいろいろな素材の入っているボリュームのあるものです。当初、二時間で完成できると思っていたものが五時間ぐらいかかったのことです!

「木村宅所持品取り出し部隊」は、最終的な取り出しを行ないました。ダンボールに詰めて、それをコンビニまで運んでいき、そこから宅急便で木村さんの兄弟宅へ送付し、そして残りを静岡のグループが東京にある木村さんの仮住まい宅に18日に降ろす予定です。

それから牛網避難所に合流しました。まず、私たちは自分たち用の昼食(レトルトカレー)を食べ、それから作業にとりかかりました。女性三人と植田さんは、続けて夕食の準備をしました。木村さんのお母さんが、もう80歳なのに、ずっとお立ちになって皿等の洗い物をしてくださったそうです。

瀬谷さんは前回に引き続き、デザイン風の習字を教えました。それを後日、Tシャツにプリントして渡します。

他の男性陣は清掃のお手伝いがないか付近を歩き回りました。前回と前々回に来たところは、かなり片付いています。それでも避難所の目の前に住んでおられる方の庭の木々に津波による泥がついているのを払い落とす作業、そして千葉さん宅で残されているトイレの清掃がありました。トイレまで清掃するというのは、もちろん、後に使えるようにするためであり、私たちのようなボランティアがそこにテントで寝泊りできるようにするためでもあります。

そして見城さんと雅治さんは、他の家で、家の底にあるヘドロ取りが必要な人を見つめました。私も少しお手伝いしましたが、驚いたのはそこの被災者の人は、徒歩3分のところにある牛網避難所ではなく、他の避難所に行っているとのこと。避難所の存在さえ知りませんでした。

千葉さんからも今回話が上がってきたのは「在宅被災者」です。避難所、特に牛網の避難所はかなり祝福されています。けれども、彼が会議などに参加すると分かってくるのは、在宅の方々がまだまだ物資に困っているとのことです。次回以降、そのような人々にも届きたいという願いを千葉さんにお話しました。

そして夕食に近づき、人々がやってきました。自衛隊の人たちの炊き出しは、千葉さんによるとちょうど今日(19日)に終わり、これからは弁当の配布になるそうです。お風呂の部隊も人数を減らすとの事。次第に、自衛隊も違うことに部隊を動かす方法になっています。

そしてサラダは多く余ったので、自衛隊の人たちにおすそ分けし、私たち自身も自炊のご飯といっしょに食べました。そこにいつもいる小学校一年生のしょう君が、「さあ、おかわりをしなさい。」と命令口調で繰り返すので、しかたがなく(?)男性数人がそれに応じ、おなかがいっぱいになりました!

そして、避難所でのイブニング・ショーが始まりました。見城さん、望月雅治さん、そして望月誠司さんがミニ・コンサートを開いてくださいました。初めは一般のカントリー・ミュージックでしたが、すぐに賛美歌に移り、そして音楽の前説明の中に証しを盛り込みました。そして見城さんが最後に、はっきりと十字架のメッセージを語ってくださり、私たちは心の中で神をあがめました!

私はバンドの目の前でカメラを回していたのですが、隣にいるおじいさん(前回はフラランスを前に出ていっしょに踊った方)が私に話しかけてくださり、実に感謝していること、そして“教材”も読んでいて、その道についてもいろいろ考えているという話をしてくださいました。「教材」とは、もちろん私たちが第一回目、第二回目に渡していたトラクトのことを指しています。そして、「コンサートの終わりにお礼の一言をお話したい。」と申し出てくださったので、終わりに話していただきました。

そして避難所の人々と別れました。千葉さんも交えて、ここで別れる武田さんのために皆でお祈りしましたが、千葉さんが「いろいろな神様がいて、忙しい。」と冗談をもらしておられました。ちょうど前日に、仏式の葬儀に出席しなければならなかったそうです。そうは言ったものの、千葉さんはいつも「高台から津波を見ていた人と、実際に津波に飲まれてしまった人では違う。」とおっしゃいます。つまり、「生と死の捉え方が変わってしまった。」ということです。

そして宿に戻り、再び少し交わりをして床に就きました。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月16日

私たちは菅生PAにて、二つのグループに分かれて出発しました。一つは、「木村宅所持品取り出し部隊」で、もう一つは「牛網避難所炊き出し準備部隊」です。牛網での食事は17日に予定していますが、東京で買いきれなかったものを矢本にあるマックス・バリューで買い、そして東京で買った肉類を冷蔵庫に牛網で保存してもらうことが目的です。

奥松島の宮戸島の付け根には、野蒜という、運河の走っている地域があります。そこがニュースにもしばしば出てくる壊滅的被害を受けた所ですが、そこにようやく自衛隊や米軍が撤去作業を本格化させたようです。自動車や家の屋根などめちゃくちゃに落ちていた運河が少しだけきれいになっていました。

そして木村宅での作業が始まります。前回は日本刀の取出しが主でしたが、今回はお母さんの着物の取り出しを行ないました。二階の渡り廊下にあった家具など、邪魔になっていたものを取り除き、道を開きました。一部津波の水が被っているものもありましたが、かなり多くのものが被っていません。

そして一部をダンボールに詰め湯の原温泉の宿に持っていき、一回ピストン輸送をしました。

そして私たちは湯の原温泉に向かいました。妻と瀬谷さんと植田さんが、夕食の準備をしています。おかずはビーフンです。まず私たちは風呂に入って、皆でいっしょに食べておいしかったです。

その後に団欒の時間になりましたが、木村さんと植田さんから信仰に関わる話が出てきて、とても有意義な話の時となりました。木村さんとお母さんは基本的に、「このように皆さんと出会うことができたのは、絶対に神またイエス様以外に考えられない。」ということを仰っていました。そして植田は、「十字架につけられて死ぬということは、到底、人間にはできない犠牲の業だ。」という感想でした。

ですから、「救援活動」という目的で行なっているものを、主は、「伝道修養会」にしてくださいました。イエス様が弟子たちと寝食を共にされながらご自分を教えられたように、未信者の人々がクリスチャンと時間を過ごすことによって、良い行ないに裏付けされたキリストの教えを学ぶことができています。これが、前回と今回の旅行で最も大きな収穫でした。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月16-18日

昨日、東北地方から帰ってきました。これでLCFにとっては四回目です。(トラビス・リッチ・山東さん・CCBC沖縄の人たちが行っているのを含めると、合計五回行っています。)

今回の旅行で、神様が導かれているのは明らかに「伝道旅行だ」ということです。物質的な必要を満たすこと以上に、精神的さらに霊的必要を満たすように主が働いておられます。

メンバーはご自身が被災者である木村さんとそのお母さん、そして同じく被災者の福島県出身の植田さんがおられます。それから、今回は静岡から、長年交わりを持たせていただいている、元イエス福音教団の静岡にある教会の方々が来てくださいました。牧師の見城和人さんと望月雅治さん、そして教会員の望月誠司さんと、富山さんです。さらに、私たちLCFからは、瀬谷さんと長島さん、そして明石夫婦が参加させていただきました。

さらに、第一回目の旅行で訪問させていただいた、かつてカルバリーチャペル所沢でいっしょだった仙台在住の武田さんが、直接、現地集合で牛網の食事の準備を手伝ってくださいました。

初め私は五月下旬か六月初頭を次回の旅行にと考えていましたが、前回5月3-5日の旅行にて、奥松島の木村さんのお宅から所持品を取り出す仕事が完了していなかったこと、そしてその地域の撤去作業が間もなく始まることなどから、なるべく早く行く必要に迫られました。

そして、もちろん奥松島だけでなく、東松島牛網の避難所にも訪問を計画しました。和人さんと雅治さんは、それぞれゴスペルのカントリー・ミュージック、フォーク・ソングのバンドを組んでおられる方なので、牛網の避難所でぜひイブニング・ショーをしてほしいとお願いしました。

出発は静岡のグループは静岡から直接現地へ、そしてその他は足立区に集合し、そこから出発することにしました。車は木村さんがお兄さんから借りているものと、綾瀬東部教会が貸してくださった車に乗り込みました。初めに、朝8時に業務スーパーに行き、チキンとハムを受け取り(私たちが被災地救援活動をしていることを告げると、そのような取り計らいをしてくださいました。)、それから高速に乗りました。

現地集合とのことでしたが、電話で連絡した所、私たちより先に静岡のグループが先に進んでいます。それで仙台近くのインターで待ち合わせをすることになり、そこでいっしょに昼食を取りました。

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(5月18日)

今週の学びのお知らせです

日時:5月18日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第二会議室
聖書箇所:詩篇84篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

あと、16-18日まで再び救援旅行に行ってきます。18日は午後には戻ってこられるので、学びをすることに決めました。安全と健康のために祈っていただければ幸いです。

神によって立てられた権威

昨晩、久しぶりに恵比寿バイブルスタディを再開することができました。合計7名いて、同じく仙台出身のI兄弟も東京にいらして、出席することができました。終わりに、バーガーキングで交わりの時間も持つことが出来ました。

学びの後に、とても良い質問が出てきました。「権威」についてです。ローマ13章1節には、すべての権威は神から来ている、というところから、「人間の歴史の中には革命のようなものもあった。それはどう受け止めればよいのだろうか。」また、「ブッシュ大統領は神の名によってイラク戦争を正当化したが、そのような権威をどのように受け止めればよいのだろうか。」という質問です。

1)神の主権から漏れる権威はない

私の答えは、「ブッシュ大統領の権威も神から来たものであるし、イラクのフセイン大統領の権威も神から来たものである。」というものです。そしてダニエル2章にある、「神は王を立て、また倒す」という言葉を引用して、すべての指導者や王の営みは全て神の主権の中にあることを述べました。

そして、今回、オサマ・ビン・ラディンが殺害されたことにも触れ、「このような大きな人物が死ぬと、ヒトラーもそうであったが、必ず陰謀論のようなものも出てくるが、所詮、軍事機密などによって私たちには知り尽くすことのできない領域である。ある程度、状況を知ることは大事だが、残りは主に任せるべきだ。」と話しました。

2)深入りしない

そこで、横田めぐみさんのお母さん早紀江さんが信仰の支えとしている御言葉である、詩篇131篇を言及しました。「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。(1節)」市井の主婦が、北朝鮮の謀略の真っ只中に引き込まれたのですが、「なぜか?」という問いかけをするのではなく、主に委ねるところにある力が早紀江さんを支えています。

私たちが、米国の対テロ戦などで、他国の主権を逸脱した行為云々で批判をしている中で、実は私たち自身が知りもしないことに深入りし、自分を裁き主の立場においていることが多々あります。けれども、むしろその出来事をも神が支配されており、ご自分の栄光のために動かしておられることを観るべきです。

そして、知らないことに深入りするのではなく、すでに知っている神の御心を行なうべきです。「自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。(ヤコブ1:26-27)」論評や原因探しをしていると、必ず「舌」が達者になります。けれどもキリスト者は、慈善行為や福音宣教等の「実践」によって事態に対応することで忙しくなるべきです。

3)神の栄光という目的を知る

ヨハネ9章にある、「生まれつきの盲人」がそうなったことの原因をイエス様が語られず、むしろ「神のわざが現れるため」という目的を語られました。そしてそのわざは、単に目が開いたということだけでなく、イエスを神の御子キリストであると信じ、拝すことでありました。

今回の災害についても、なぜ津波が起こったのか、地震が起こったのか、原発は誰が悪いのか・・・という原因探しではなく、これらは神の主権の中で起こったことであり、必ず神の栄光が現れるために起こっていることに心を留めるべきです。

イラク戦争ではっきりしている神の栄光の一つは、「これによって宣教師がイラクに入り、福音を伝えることができるようになった。」ということです。ブッシュ大統領が行なったことが正しいか、間違っているかではなく、この出来事をも主は用いられ、魂の救いにおいて栄光を現しておられることは、明確な神の御心です。それは、東日本大震災でも同じであり、普通なら東京で五年ぐらいかかる福音伝道が、被災地では数週間で行なわれているという事実からでも明らかです。

このようにして、「権威」が神から来ていることを認めます。

4)迫害者にも憐れみと敬意を向ける

そして、国の権威が、例えばかつて天皇崇拝を強要するようなことの場合は、「人に従うのではなく、神に従う」という姿勢が必要になるのですが、それであっても、自分が権威に逆らっていることへの結果は責任をもって受けることによって、その権威に従います。

それで一つ目の質問である革命などについては、「キリスト者の良心的抵抗と共産主義者などの抵抗には、前者は迫害する人に対しても、一定の敬意を持ち、自らの抵抗の結果を甘んじて受けているのに対して、後者はただ闘争するだけだ。」と答えました。例えば、迫害国で投獄を受けているクリスチャンは、看守にでさえ憐れみの心を持つことが出来る証しを聞きます。なぜなら、そこに入っているのが神の御心であるという主権を認めているからです。

5)「感謝」がキリスト者の特徴

最後に、権威について、それを神から来たものだと認めれば、自ずと「感謝」の心が生まれます。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1テモテ2:1)」私たちは政府に対して、行政に対して、そして企業に対して、いろいろな分野で権限が与えられている人々に感謝しているでしょうか?そして、祈っているでしょうか?また「すべての人のために」とありますから、普段からいろいろな人に感謝の思いを言い表しているでしょうか?

そして興味深いことに、続けて読むと、「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(2-4節)」とあります。感謝を受けるべき人たちに、素直に感謝を表明することが、究極的には霊を救いに導いています。

私たちは、あまりにも否定的に人や物事を見て、その人や対象のために祈れない、とまでなっていたらこの御言葉に反することになります。祈り、願い、執り成しができるような感謝の心を保っていましょう。


(写真をクリックするとこの写真の背景記事が出てきます。)

恵比寿バイブル・スタディ 5月11日

ついに、恵比寿バイブルスタディが再開します!
計画停電・節電等で3月と4月の施設の使用不可が5月から解けています。

日時:5月11日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室

聖書箇所:詩篇81篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

ぜひお集まりください!

Worship in Hard Times(苦しい時でも賛美)

ゴールデンウィークのハードなスケジュールが終わり、今日も午前中に親しくしている日暮里の韓国人教会で説教をし、午後に第二礼拝を終えて、少しほっとしている時間になりました。

震災によってその救援活動で日本のカルバリーチャペルの人たちは物凄く忙しくなったと思います。元々、地震の起こる前に準備していた宣教活動や集会があって、それをこなしながら救援活動が加わったからです。

その一つが、カルバリーチャペル国分寺が主に奉仕をしてくださった「カルバリーチャペル・カンファレンス2011」でした。精力的に石巻への救援旅行をこなしています。間もなく、そちらのウェブサイトでカンファレンスでの牧師たちのメッセージを聞くことができるようになるでしょう。

そして、カルバリーチャペル宜野湾が主体となって行なっていたのが、”Worship in Hard Times”(苦しい時でも賛美)という主題の集会です。4月初めに、韓国のカルバリーチャペル大田(テジョン)にて、そして四月の最後の週には、長野のマラナサ・グレース・フェローシップで行なわれました。

そこの牧師は「カズ」こと菊池一徳さんです。私が1994年秋に初めてカリフォルニアのバイブルカレッジを訪れた時に出会った日本人学生の一人でした。私が親しくさせてもらっている静岡の牧師さんたちともつながりがあり、そこでも出会いました。彼のブログはいつも楽しみにして読んでいます。

そして五月のゴールデンウィークに、沖縄で、宜野湾・沖縄・那覇・名護のそれぞれのカルバリーで行なったようです。ブログに詳しくその様子が載っています。

題名から、私はピリピで鞭打たれたパウロとシラスが、牢屋の中で祈りと賛美をしていたことを思い出しますが、沖縄にいる兄弟がブログで少し紹介しています。

ワーシップ・カンファレンス①

そしてカルバリー西東京の牧師、山東さんが動画をYoutubeにアップしてくださいました!

私は「ハクガイジン」のティムが大好きです。今、名護で教会を開拓していますが、なんと日本語だけの礼拝を持っています。沖縄の人たちにはこのような宣教師魂を持っている人たちが多いです。

※ カルバリーチャペル宜野湾のチャックさん・由美さんのブログに、この集会についての報告があります。
CC Worship Conference “Worship in Hard Times” (CCワーシップカンファレンス”苦難の時にも賛美”)