先ほど、すばらしいお知らせをいただきました。マンガ「メサイア」など日本の漫画家による聖書物語が出てきていますが、ついにアニメも登場!!
イエス様の十字架の横で磔にされた囚人の目から、イエス様の姿を描いています。歴史的、考古学的にも正確さに拘っている点もすごいです!日本語だけでなく16の言語も訳されているので、外国の人に伝道する時もこのYoutubeをシェアしてみましょう!
http://www.youtube.com/jesusfilm
日本語用専用サイト: MyLastDay.jp
先ほど、すばらしいお知らせをいただきました。マンガ「メサイア」など日本の漫画家による聖書物語が出てきていますが、ついにアニメも登場!!
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最近、私たちの教会に、創造論とイスラエルについて強い関心を持っておられる兄弟が加えられました。彼の祈りを聞いても、教会内の事柄を超えた、神の創造や中東に対する神の御心を求めるものが多く、とても励まされます。
私も進化論についての記事を最近、書きましたので、その兄弟がいくつかDVDを貸してくださいました。私が進化論について調べていたとき非常に興味を持ったのは「ダーウィンという人物はどのような人なのか」というものでしたが、そのDVDの一つがすばらしいドキュメンタリーでした。
DARWIN: The Voyage That Shook The World(ダーウィン: 世界を震えさせた航海)
日本語の字幕もあるので、ぜひおすすめです。(Amazon.co.jp)
Watch The Voyage That Shook The World in 信仰・ライフスタイル | View More Free Videos Online at Veoh.com
ダーウィンの生涯の研究家は、「ダーウィンという人物をどんなに調べても、何か不思議な部分がある」というようなことを言っていましたが、やはりそうだったか、と思いました。このドキュメンタリーの話の全体の流れは、「彼が聖書の天地創造以外の、生命の起源の説明を求めた思索と思想の葛藤と追及」と言ったらよいでしょうか。当時は、あまりにも当たり前に神の創造が受け入れられていましたから、そこからの脱皮が彼の意識下にあった叫びであったような気がしました。
彼の時代に横たわっていた、キリスト教的世界観に対抗していた思想が「唯物論」でした。彼はそれを使って進化論を構築し始めました。そして専門家の一人が、「宗教と科学の対立、というけれども、実際は、宗教と唯物的科学思想との対立である。」と言っていますが、私は大きくうなずきました。
そこで次に、私がずっとこれまで気になっていた「唯物論」について述べてみたいと思います。
(次記事へ)
知る人ぞ知る、ハワイのプロサーファー「ベサニー・ハミルトン(Bethany Hamilton)」を描く映画です。DVDを観る機会にあずかりました。紹介サイトはたくさんありますが、一サイトから一部引用します。
感動の実話を豪華キャスティングで再現
ハワイで暮らすベサミー・ハミルトンは、幼い時から両親と共に大好きなサーフィンをしながら育つ。13歳の時、巨大なサメに襲われ左腕を食いちぎられてしまう。片腕では大好きなサーフィンはできないとあきらめかけるが、退院から一ヶ月後、不屈の精神で再起を果たす。後に14歳で発表された彼女の伝記「soul surfer」は話題を呼び、「Heart of Soul Surfer」のタイトルでドキュメンタリー映画にもなった。
(http://www.yoseyama.jp/blog/2011/02/soul-surfer.html)
彼女の事を聞いたのは、私がカルバリーチャペル所沢で説教通訳の奉仕をしていた時だと思います。(牧者のトラビスさんは日系ハワイ人で、ハワイの生活の例えをよく出します。)そして次に彼女のことについて目にしたのは、立ち読みでしたが、彼女の伝記「ソウル・サーファー」です。
そして8月に行なわれた、アナハイムでのハーベスト・クルセードでも彼女が登場、当時の少女の姿からいっきにお姉さんになったという感じでした。
(ベサニー・ハミルトンさんのブログより)
それで映画の内容ですが、信仰の軌跡を描くものはどうしても人間模様を描くドラマのようになってしまいがちです。「親分はイエス様」も、プロウィンドサーファー飯島夏樹さんの「Life 天国で君に遭えたら」もそうらしいですが、この映画はかなりしっかりしています。英語のウィキペディアによると既に出版された伝記には載っていない家族の苦悩も描いているそうで、さらに現実味が増しているとも言えるでしょう。
印象的な部分をかいつまんで話します。ビーチのそばにある教会に家族が参加する時に賛美していたのは、私たちLCFでもよく歌う、「ほむべきかな主の御名(Blessed Be Your Name)」でした。
主の御名をほめたたえます
恵みとまことの満ちる御名
主の御名をほめたたえます
試みの中を歩くとも主の御名をほめたたえます
変わりのない日々 過ぎるとも
主の御名をほめたたえます
苦しみの中にあえぐとも憐れみに触れるたび 主に立ち返り
暗闇に閉ざされても 私は歌う主の御名をほめよ 主の御名を
主の御名をほめよ 主イエスの輝く御名主は与え 主は取られる
主の御名は ほむべきかな(音声はこちらで聞けます)
そして、教会青年部のリーダーのサラさんが、メキシコへの短期宣教旅行の前に、さまざまな物を至近距離で撮った画像を見せ、間近で見るとそれが何であるか全然分からないことから、「私たちの人生も、その渦中にいると分からないことがあるけれども、神のご計画全体の中ではエレミヤ29章11節なのだ。」と教えます。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
そして、この片腕が奪われる事件が起こるのです。ベサニーは苦悩しました。彼女が、どうして片腕がないということが神の計画の中にあるのかサラに訊ねた時に彼女はこう答えました。
「酷いことが時に起こってしまうのがなぜだが、私には分からない。けれども、このことから良いものが出てくることを私は信じなければならない。」
そして、一度青年部でメキシコ宣教旅行に行くのを断っていたベサニーは、スマトラ島沖地震で津波の被害を受けたタイのプーケットへの救援旅行に参加します。そこで、津波の衝撃で海に誰も入ろうとしない現地の人たちを、ベサニーが一人の子供にビーチボードにのることを誘い、そこから他の現地の人たちも海にまた入ることができるのだという希望を見出しました。
彼女は、「サーフィンが全てではない。もっと大事なのは愛であり、それはどんな津波よりも、どんな恐怖よりも大きいのだ。」ということに気付くのです。
それから彼女は、あきらめていたサーフィンの競技に再び果敢に取り組みます。
何か、日本の津波の被災者に対する希望の証しにもなりそうなのですが、どこか彼女の話を伝道冊子にしてくれるキリスト教出版社はいないかな、と密かに願います。
彼女のような、神のご計画と主権への信仰から出てくる強靭な精神力の証しとして思い出すのは、横田早紀江さん、リサ・ビーマーさんの「レッツ・ロール」(彼女は911でハイジャックされた飛行機の中で果敢にテロリストに闘った夫を持つ)、地震と津波だけでなく原発事故という災いを被った福島第一バプテスト教会の証しです。
以前、上のお二人の証しの伝道冊子は持っていきましたが、福島第一バプテスト教会のも出来たみたいです。取り寄せて次の救援旅行に持っていきたいと思います。
映画ソウル・サーファーの予告編
先ほど、この映画が3月5日に日本で上映されるという広告を見て驚きました。なぜなら、この映画は2006年のものであり、私はどこかで既にかなり前に見ていたからです。
クリスチャンの方、またそうでない方もぜひご覧ください。これは英国の奴隷制度を廃止へと導いた政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの物語です。
彼の奴隷制度廃止を突き動かした情熱は、彼の鮮明な回心体験によります。伝統的な英国国教会の背景の中で、彼は新生した福音的クリスチャンになりました。そして、元奴隷商人であったジョン・ニュートンとも交流を深め、彼の廃止論への確信を強めます。このニュートンこそ、あまりにも有名な聖歌「アメイジング・グレイス」の作者です(ジョン・ニュートンの伝記)。
聖書回帰運動・世界宣教・ユダヤ人パレスチナ帰還運動
そして、ウィルバーフォースのもう一つの側面をご紹介します。彼は世界宣教に熱心であり、ユダヤ人への宣教と彼らのパレスチナ帰郷運動に熱心であったことです。この話については、私が2010年イスラエル旅行でエルサレム旧市街にある「クライスト・チャーチ」でそこの所長の方から聞いた話に書いていますので、どうぞご一読ください。
http://www.logos-ministries.org/israel/israel+jordan05_26.html#7
これが私がしばしば話している、「ユダヤ・キリスト教価値観」のことです。その起源は、聖書を一般の人々が読むことができるようになった宗教改革から始まり、それによって聖書をそのまま受け止める人々が増え、ナポレオン等、当時の権力者がパレスチナへの関心を抱いていた時代の中で、時が満ち、英国に霊的復興が起こりました。世界の不安定化も相まって、聖書に記述されている世の終わりを自分自身のこととして捉え、全世界への宣教運動がその国で起こったのです。
聖書回帰運動は既存の制度に対しても影響を与え始め、奴隷廃止など、今の私たちが共有する近代的価値観が新生したキリスト者の間から起こされました。同時に、従来の迷信に基づく「キリスト殺し」を叫んだ中世ヨーロッパ・キリスト教の反ユダヤ主義から脱却していったのです。
それと共に、むしろユダヤ人を愛し、彼らの郷土帰還を後押しする人々が、英国そしてその後米国で聖書を読むキリスト者から興されていきました。政治家の中から、パレスチナのユダヤ人義勇兵と共に戦う英国将校から、様々な分野の人から積極的にシオン帰還を後押しするキリスト者が現れました。有名な人はもちろん「バルフォア宣言」のアーサー・バルフォア伯爵です。法学者ウィリアム・ブラックストンもおり、そしてシオニズムの父テオドール・ヘルツルの親友ウィリアム・ヘクラーです。
けれども、英国は次第にその動きから手を引きます。1939年の政府白書で、パレスチナに大量帰還するユダヤ人難民に制限を設け、こともあろうにナチスの最終計画が実行されているヨーロッパ本土に強制送還しました。アラブ人を宥めることによって、パレスチナにおける影響力を残すためです。
そして第二次世界大戦が終結すると、英国は影響力を残せるどころか委任統治を放棄し、結局、大英帝国の地位から凋落しました。その中で、イスラエル新生国家を支援したのが米国です。トルーマン大統領も、聖書に強い影響を受けており、ユダヤ人国家を認める国連分割決議案に対して、アラブ圏への国益を損じるとして激しく反対した国務省を押し切って、イスラエル独立宣言をいち早く認知しました。
今週LCFの学びは創世記12章に入りますが、「あなたを祝福する者は祝福され、呪う者は呪われる。」という神の言葉は、いわゆる「アメリカの宗教右翼」が使っている聖書箇所などでは決してなく、聖書そのものを読んでいく者たちによって歴史を通じ綿々と続いてきた価値観であり、それは「世界宣教」や、平等・人権・博愛主義などの「近代的価値観」と密接に連関しています(例:黒人公民権運動を指導したキング牧師は、「シオニズムを非難するとき、ユダヤ人を非難しているのだ」と言いました(手紙))。
こういった壮大な、英国近代史における神の摂理と御手を、本映画を鑑賞するとき感じ取られたらよいでしょう。
(参照資料:「イスラエルの情報」、Lovers of Zion: A Brief History of Christian Zionism、British Support for Jewish Nation、Awakening in the Christian world in support of a Jewish Restoration 1830-1930)
前記事「アスラン王と魔法の島」の続きです。
さっそく、上映開始日である今日、朝一で当映画を観に行きました!
第一章は神の壮大な救いのご計画を一望する内容、第二章は、神がキリストにあって行なってくださった御業を、現実の過酷な状況の中でも信じ続ける教訓がテーマでしたが、第三章は一言
です。詳しい内容は「オフィシャルサイト」の作品紹介にある「あらすじ」を見てください。また、小説の第3巻「朝びらき丸東の海へ」の解説そして、英語のできる方はWikipediaのあらすじへどうぞ。
ナルニア国は多くの領域を征服し、平定を確立しつつありました。けれども、七人の貴族を探すため、また七つの剣を探して、くらやみ島から出てくる「邪悪な霧」を打ち消すべく、カスピアン王子、エドマンド、ルーシー、そして二人の従兄弟であるユースチス、またナルニア住民の船員たちが航海します。
この邪悪な霧の背後に働いているものが、まさに悪魔の誘惑であり、今度はルーシーも含め、それぞれの心の中にある闇との闘いが始まりました。
もう一つの物語が、この主題と共に織り込まれています。彼らが向かっている東方には、創造主アスランの国のある島があります。第二弾で出てきたねずみのリーピチープは、この島に想いをはせています。そこはまさに、天の御国であり、主の御座のある所です。ナルニアが地上に確立される神の国(黙示20章)であるならば、アスランの島は神の御座のある「天」そのものであり、新しいエルサレムです(黙示21-22章)。
私がまず興味を持ったのは、ルーシーに対する誘惑です。彼女は純粋な信仰の持ち主であるはずなのに、思春期を迎えている彼女は、姉のスーザンにあこがれ、彼女のように美しくなりたいと願います。それが仇となり、夢の中でスーザンになったルーシーは、アメリカでピーターとエドマンドと正装して肩を並べて歩いているのですが、「ルーシーは誰?」「ナルニアって?」というピーターとエドマンドの言葉に恐れを感じ、我に返って目覚めました。自分の魂をあこがれの美に売り渡してしまったばかりに、自分自身を失い、そして恋い慕うナルニアまでも失うという恐怖を味わったのです。
そしてアスランがルーシーに現れ、「あなた自身にある召命と賜物を忘れてはいけない」という神の御言葉につながる内容の言葉を話します。
そしてエドマンドに対しては、彼は「兄ピーターの下にいる自分」「今はカスピアンの下にいる自分」に不満を覚えていたところを、隙を狙われます。なんと、第一弾でエドマンドを虜にした白い魔女が、その霧の中に何度も何度も現れるのです。そして「あなたを王にしてあげよう」と誘います。
現在自分が抱いている権力欲が、過去に犯した罪の痕跡の形をとって表れているのです。
そして従兄弟ユースチスは、まったく神に関わることは無関心、非常にひねくれて、不満だらけの子でしたが、金水島で財宝を貪ったために何と竜になってしまいます。けれどもそこで初めて、朝びらき丸の乗組員たちと心を一つにして協力し、一番仲の悪かったリープチープと最も仲良くなります。
罪によって懲らしめを受けるが、その訓練によってかけがえのない価値観を見出す、という教訓を与えてくれます。
そして、私が涙が出そうになったのは、最後の、アスランの島で海の波の壁が立っているところです。そこを越えるとアスランの国になります。けれども、一度入れば戻ってくることができません。カスピアンはそこに父のいることを知って行きたくなりましたが、ナルニア国の王として果たすべき任務があるとしてその願いをこらえました。
けれども、リープチープはこのために航行してきたのです。彼は小さな舟に乗り、オールを漕いで、その波を越えていきました。私も、魂の奥底に、錨のように垂れ下がっている希望は、天そのものなのだということを強く感じました。神ご自身にまみえたい、天に入りたい、その言葉に言い尽くすことのできない栄えによって我を忘れたい、という熱烈な思いがあります。
けれども同時に、カスピアンのように、この地で果たさなければいけない務めがあります。「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。(ピリピ1:23-24)」
最後にアスランは、エドマンドとルーシーにもうナルニアには戻ってこられないことを告げました。けれども、人間の世界からでも、ナルニアを介さずにアスランの国に行く道があることを言及しました。
これは、地上にいる私たちに、キリストが天から戻ってきてくださる事を暗示し、また、今ここにいる自分がイエス・キリストに出会い、父なる神と共にいることを教えています。
わあ、何という深い神の知恵と経綸に根ざした物語でしょうか!!DVD化されたら、さらに何度も観たいと思います。
ついに、ナルニア国物語第三章『アスラン王と魔法の島』が2月25日に上映開始!
いつも不思議に思うのですが、アメリカ発の映画が韓国など多くの国が同日上映なのに、日本だけは二ヶ月遅れです。今年始めにカルフォルニアに行った時に観ようと思いましたが、時間がなかったので、今回は日本で観ます。
この映画についてまだ内容をご存知のない方は、ぜひ第一章と第二章の拙ブログの記事をお読みください。
アメリカの映画館で涙を流した時から、第一章も第二章も何十回と観て、また伝道にも使いました。今回の第三章も楽しみです。
後日、鑑賞後の感想を書き記したいと思います。
これまで、このブログにて新しく始めようとしている教会のことを書いていましたが、新たにロゴス・クリスチャン・フェローシップのページを作りました。
http://www.logos-ministries.org/logos-christian-fellowship.html
そこにGoogleのカレンダーを付けています。予定等はそちらでご確認ください。
<ちょっと閑話>
私事になってしまいますが、昨日、初めてFacebookとやらに加入してみました。おそろしほど、ものすごいネットワークだと思いました。しばらく連絡を取っていなかった人々にも簡単に取れるのはいいのですが、きちんとプライバシー設定をしておかないと、SNSという技術ほど、世界中に自分自身を晒すものはないなと思いました。
監視下にある国々の宣教師には、絶対に使えない代物です。(イスラエルで牧会されている方の名前を検索したら、写真と名前だけで他の情報は一切に掲載していませんでした、当たり前です。)
自由って、ほんとうにほっとして楽だと思います。でも、迫害が来たら、ネット上の仲良しグループのクリスチャンたちはどうなるのかな?ってちょっと心配です。ソーシャル・ネットワークもいいですが、しっかり物理的に体を動かして、顔と顔を合わせて、心を合わせて熱心に祈る仲間を持ったほうが良いですね!
先日お知らせした映画「クロッシング」ですが、表紙のページしかなかった公式ウェブサイトが、アップデートされています。
4月17日からだそうです。首都圏在住の方、ぜひ映画館に足を運んでみてください。「物語」「プロダクションノート」など、クリックしてみてください。
前回の関連投稿 「映画「クロッシング」日本公開」
昨日から風邪気味で頭が痛いのですが、レンタルで借りていたので観た映画が次です。
使われている言語が、アラビア語、ヘブライ語、英語、そしてロシア語ともりだくさんです。ゴラン高原に住むドルーズ派の一家の娘が、シリアに住む有名コメディアンと縁戚結婚するため、二度と帰って戻れない国境越えをする話です。二度のイスラエル旅行でゴラン高原とその地域を訪れたことがあるので、非常に楽しく鑑賞できました。初めての方、イスラエル・アラブ紛争のきな臭さが苦手な方でも家族愛が主題なので十分楽しむことができると思います。
この映画について詳しい説明と批評が掲載されているサイトもあったので、ご紹介します。
1.http://www.smilefilm.com/3m/syrianbride.html
(ドルーズ派については http://www.smilefilm.com/3m/syrianbride_golan03.html)
2.http://blogs.yahoo.co.jp/ohkawa_jerusalem/folder/1773427.html
2.のブログによると、なんと実際にこの国境越えの婚姻が行なわれているそうです。
この映画で、私がユダヤ人ガイドから受けていた説明と異なっていたのは、その一家の父がシリア帰属運動をしている人であるということでした。映画の中にシリアの国旗を掲げてデモを行なっている場面があるのですが、私は、ドルーズ派はイスラエルへの帰属が強い人々だと教わっていたからです。
それでネットで捜してみたら、ちょうどそのことを取り扱っているニュースがありました。
Golan Druze Seek Peace — and the Heights(訳:ゴランのドルーズ人は平和を希求しつつ、この高原を求めている)
実際にシリア国旗を掲げて帰属運動をしている人たちはいますがそれは少数で、ゴラン高原ドルーズ派の大半は、「故郷はシリアなのだが、イスラエルのほうが政治も経済もいいから、こっちにいたい。」という実際的な本音を漏らしています。といっても完全にイスラエル人になりきっているわけではなく、複雑な心境のようです。「できたら、シリアとイスラエルが和平を結んでほしいが(そうしたら自由に行き来できるから)、ゴランはイスラエルのままであってほしい。」ということです。
要は、「家族、親戚に会いたい」「故郷は『イスラエル』か『シリア』かではなく、『ゴラン』だ。」という本音です。
そして大事なのは、彼らはそのイスラエル帰属を願う本音は、公に漏らすことを恐れているということです。もし仮にシリアにゴラン高原が返還されたとき、シリア大統領からのしっぺ返しがあると見ている為です。
似たような本音を、アラブ系イスラエル人(民族はアラブ人だが、イスラエル国籍を保持する人々)は持っていると言われます。イスラエルとパレスチナの二国家ができたとしても、パレスチナ国に行こうとするイスラエル・アラブ人はほとんど皆無であろうとある人が言っていました。
ここで話を大きく膨らませてしまいますが、私たち自由な国に生きている者たちがしっかりと考えなければいけないことがあります。イスラエルにしろアメリカにしろ、日本にしろ、「反対意見や反対運動を許す」自由を与えているけれども、その反対者らが支持あるいは同情している相手国の多くがそれを許していないということです。ドルーズ派の人々はイスラエルからシリアへは行けますが、シリアからイスラエルへは入れません。旅行者は、シリアやレバノンなど周辺アラブ諸国の出入国をしても、イスラエルへ入国は可能ですが、イスラエルの出入国のスタンプが旅券にあると、それらの国々は受け入れません。
イスラエルは、左派などの入植地反対運動、またイスラエルに反対する意思表明の自由を許しますが(テロなどの物理的な危害を加えない限り)、パレスチナ自治区ではイスラエル寄りの意見を言うことは決して許されません。
皆に嫌われている(?)ブッシュ元大統領は、イギリスの記者会見で「世界はあなたを憎んでいますよ。」と質問されたとき、「大歓迎です。その憎んでいることを表明できる自由を私たちは守りたいのです。」と答えました。この言葉に民主主義国の「自由」とは何なのかが集約されています。それらの国々では自国の指導者を嫌いだ、ということはひそひそ自分の家で話すことはできますが、表立っては言えないのです。
ナタン・シャランスキーは一つの国の自由度を「首都の中心部にある広場で現政府を批判することができるかどうか。」で測ることができる、と言います。
反対している人は、もちろん大いに反対して良いのですが、その自由を与えている国に住んでいるという感謝を決して忘れないでください。
・・・話が思いっきりずれてしまいましたが、映画「シリアの花嫁」、とっても良いです。ご覧ください。
先日、米国におけるエゼキエル書の学びで聖霊に導かれて語ったのは世界宣教のことでした。「米国の中を見ると古き良き、ユダヤ・キリスト教の伝統的価値観が失われつつあり、霊的自由とともに政治的・経済的な自由も国内で制限されてきています。けれども、国内の閉塞的な状況から目を離し、世界を見てください。終わりの日である今、主は世界宣教の中におられます。」という旨でした。
このブログでも、終末の預言は世界宣教と密接に結びついていることを、ジョエル・ローゼンバーグ氏による著作EpicenterやInside the Revolutionの紹介の中でお話しました。
そこでご鑑賞をお勧めするのが、韓国映画「クロッシング」です。
北朝鮮における普通の暮らしをしている家族に襲いかかる不幸、それによる脱北、母、父、息子の生き別れ、そして母と息子の死を描いています。これだけなら単なるかわいそうな話ですが、その背後に数多く、キリスト者の存在や、神の存在への問いかけの場面が出てきます。韓国の牧師さんに聞いたのですが、父親役を演じる俳優はクリスチャンだということです。
そして中東宣教においても言えることですが、世界宣教というのは、今は、「閉ざされている」と言われる国々の中で宣教の働きをすることです。自ずとその働きにおいて危険が伴います。私たちはこのようなインターネットなどの媒介で自由に発言できますが、それらの国々で生きているキリスト者、また宣教者たちは、注意力と思慮を最大限働かせながら、動いています。
そのような、表に出てくることのできない人々を自由な国に生きている私たちは、最大限の支援を送るべきです。もちろんそれは第一に祈りによってです。
そして、実は自由な国にいながらにしてそうした国々にいるように生きている人々もいます。例えば、ベトナム系米国人の友人は、以前「すぐ近所に、ベトナム〇×党員が住んでいるよ。」と教えてくれました。つまり、在米ベトナム人を米国内で監視しているということです。日本にも、自由に発言できない似たような人々がいることを・・・想像力を働かせて考えてみてください。
これらの話題について、以前、エッセイを書いていますので、よかったらお読みください。