正義の戦争、イスラム国、日本の役割

最近、あるところで投稿した記事を、手直ししつつ、まとめてご紹介したいと思います。

「正義の戦争」は存在する

イスラム国についてのニュースは、最近、シリアとイラクでその領域を失っていっているという報道があり、これで終わりか?と思いたい状況ですが、決してそんなことはありません。イスラム国はその本質は領域国家ではなく、イデオロギーだからです。ちょうどキリスト者が信仰によって生きる時に、そこに神の国が広がるのと同じです。

イスラム国の終わりは近いのか?

下はアメリカのテレビ番組の案内です(ビデオ付き)

Exposing the ISIS killing machine(イスラム国の殺戮装置を暴く)

yezidis「正義の戦争」という議論を少しある方としましたが、私にとって絶対平和主義は聖書的だと思わないだけでなく、実存的に受け入れられません。ナチス・ドイツによる戦争、ユダヤ人等の虐殺の時にそれに戦った軍について、武力を行使したということでそれを罪と断じることが果たしてできるのだろうか?私は連合軍のしたことの全てが正しいなどと決して言いませんが、このことについて、主は彼らを用いられて、悪の拡散を制止するようにされたのではないか? 続きを読む 正義の戦争、イスラム国、日本の役割

イスラエル人、アラブ人、パレスチナ人に向かう主の情熱

ずっとご紹介しようと思っていた映画があります。以前、「第三神殿」というビデオを紹介しましたが、同じ韓国人の金ジョンチョル監督が、筋金入りの証し集のドキュメンタリーを作成しています。

①「回復」:イスラエルのユダヤ人たちが、イエスを信じるが、同時に不信者のユダヤ人からの迫害を受けている、福音に敵対する聖地、しかし霊的に回復しつつある聖地の報告。

こちらで全編を視聴することができます。) 続きを読む イスラエル人、アラブ人、パレスチナ人に向かう主の情熱

イスラエルから流れる神の愛

クリスチャン・シオニズムに対する誤解」、そして前々投稿「「平和活動」対「キリストの平和」」と前投稿「「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し」の続きです。

「検問所会議」のまとめ

検問所におけるキリスト」会議について、これまでの内容とかなり重なりますが、まとめみたいと思います。

先週は、かなり悶々とした時間を過ごしました。とても苦しくなり、なぜそうなのかはっきりしたことが分からずに悩んでいましたが、ようやく分かりました。それは、とても単純な真理です。「神はこよなくイスラエルを愛され、その愛をキリストにあって異邦人にも押し流してくださった。」という流れを否定されたからです。神が一方的に、ご自分の憐れみによってイスラエルを選ばれたからこそ、キリストにあって私も一方的に神の憐れみを受けて、愛され、選ばれているのだという、このつながりがあるわけで、イスラエルへの神の選びを否定したら、自分たちにも愛がなくなってしまう、ということです。

私が、個人主義的な信仰から世界に向かう御国の幻を広げたきっかけは、イスラエルへの祈りがあり、それから世界宣教がつながっていることがあります。聖霊はエルサレムにいる弟子たちに注がれ、シオンに王が来られたという良い知らせから、地の果てにまで神の救いが及ぶという宣教の情熱は、イザヤ書によって預言されていました。その幻は、主に聖書通読から得られたものですが、ジョエル・ローゼンバーグという、聖書預言に基づく小説を書いている人の講演や著書の影響は大きいです。彼は”Epicenter(震央)”という神の幻を頂いており、神はイスラエルを中心にして世界を動かされているが、その周囲の国々にその祝福は広がっているという重荷があります。それでJoshua Fundという団体を設立しました。それはイスラエルのならず、パレスチナ人、周囲のアラブ人に及ぶ広範囲な、霊的、物質的支援を行なっているところです。 続きを読む イスラエルから流れる神の愛

「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

前投稿「「平和活動」対「キリストの平和」」の続きです。

「不条理」の中で「平和と希望」を保つ兄弟

実際に西岸に住んでいる、生のパレスチナ人の兄弟がいます。その人は、6年前にガザから西岸に移り住みました。ガザでは、クリスチャンということで圧迫を受けていました。そして、イスラエルを憎む教育を受けていましたが、今は思いを改めています。けれども、西岸は大きな刑務所のようであり、移動の自由が分離壁や、検問所によって制限されています。エルサレムに行く一日許可を得て、学校に行くための許可証を得ようとしていますが、面談について音沙汰がなし。さらに、最新の投稿ではイスラエル軍から、「あなたはガザから来たので西岸においては違法だから、自治政府からの許可を得なさい。」と言われたそうです。もう複雑で滅茶苦茶ですね。ちなみに、この兄弟のためにイスラエルにいる、ユダヤ人信者やクリスチャンが祈ってあげています。 続きを読む 「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

平和への妨げ「被害者意識」」に引き続き、「東アジア青年キリスト者大会(第六回2016年)」で語られたメッセージで、心に残っているものを紹介します。永井信義牧師(福音の群・東北中央教会牧師)によるものです。

音声:「イエスのファン? 」ヨハネ6章26-27節

クリスチャン新聞の記事:「恵まれるだけでなく、従って

nagai_shiぜひ音声を聞いてください、とっても面白いです!(中身は22分辺りから)とても深刻な(?)問題を、若者向けにチャレンジを与えるように語ってくださっています。福音書にある、イエス様に付いていっている群衆と、イエスの弟子との違いを話し、それから野球場における、ファンと選手の違いを話しました。ファンは「もらう」ためにイエス様を応援しますが、選手はイエス様のプレーの一部になることができます。自分を通してイエス様が生きて働いていること、その御業の中に入っていることを経験します。そこには「捧げる」ことが必要です。 続きを読む 教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

平和への妨げ「被害者意識」

ずっと前から投稿しようと思っていたことを分かち合います。今年初頭に香港で行われた「2016年東アジア青年キリスト者大会」(Three Together)ですが、そこでのメッセージで特に心に残ったものがいくつかあります。その中の一つを紹介します。

「東アジア地域宣教の状況と和解の必要」金ジョンホ(김종호)
音声 ・ クリスチャン新聞記事1

彼は、日本のKGKのような韓国の学生伝道団体KIVFの代表です。クリスチャン新聞記事の内容の一部をこちらに抜粋します。

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「「日本に対する被害意識を植え付けられて育った」と振り返った。ところが、十数年前に日本を訪ねたときに衝撃を受けた。日本人も自分たちが第二次世界大戦の被害者であるととらえていたからだ。昨年は長崎を訪問し、博物館で残酷さ、非人間的状況を見た。一方で、原爆を落とされるに至った理由を学ぶことがないという日本の姿に疑問を残した。「加害と被害の構図は一定ではない」と言う。「ベトナム戦争では、韓国も加害者になった。日本に統治された韓国が加害者となるアイロニーがある」中国の例もある。長崎に同行したある中国人のクリスチャンは、「中国人は民族主義的傾向が強い」と語った。「中国は何千年も世界の中心にいたが、現代では周辺国に劣るようになった。だが米国が国力を落とす中、今後中国が、世界一の強国になる可能性があります」
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東アジア青年キリスト者大会(第六回2016年)

無事に大会を終えました!クリスチャン新聞でこれから報道があります。速報はすでに出ています。

第6回東アジア青年キリスト者大会 香港で始まる

祈り 様々な角度から 第6回東アジア青年キリスト者大会2日目

香港の日本人宣教 第6回東アジア青年キリスト者大会3日目

今回の特徴は、何と言っても中国の兄弟姉妹の多数の参加です。本土からも、日本からも、そして現地の香港と台湾人の姉妹もおりました。そして、中国の教会からの日本の救霊への熱い祈りがありました。それから、日本からの日本語話者の参加者もたくさんいました。片親が日本人、両親は韓国人だけれども日本生まれ、日本育ちという若者たちがおり、この大会で神の国にあるアイデンティティーが確立されました。

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ユダヤ人は救われるのか? - カトリックの立場

カトリック教会の置換神学放棄

ここ二週間ぐらいで、興味深い話題を追っていました。まずは、次のイスラエル発の記事です。

ローマ書9-11章宣言:カトリック教会 2015.12.12

イスラエルやユダヤの話題を追っている人によって、「キリスト教によるユダヤ人迫害、反ユダヤ主義」というのは、基本的な歴史事実です。そのために、ユダヤ人の中にイエス様を信じるということ、キリスト者になるということは、「ユダヤ人ではなくなる」という公式ができあがっています。「ユダヤ教徒ではなくなる」というならばまだ理解できるのですが、神も何も信じていない世俗的なユダヤ人であっても、イエス様を自分のメシヤとして受け入れたのであれば、その人はユダヤ人でなくなる、と言います。

そこで、民族的に、血縁的にユダヤ人であることを主張しながら、それでも私はイエスを信じていると主張している人々を、「メシアニック・ジュー(Messianic Jew メシヤ的ユダヤ人)」と自らを呼び、キリスト教の世界ではかなりその用語が定着しています。アメリカに、そしてイスラエルにユダヤ的な礼拝形式を保ちながら、なおイエスを主として受け入れている人々の集会があります。

それはともあれ、なぜキリスト教会においてユダヤ人を迫害する反ユダヤ主義がはびこったかと言いますと、「ユダヤ人がイエスがメシヤであるという福音を拒んだ。それゆえ、イスラエルに対する神の約束や契約は反故にされ、今は神のイスラエルは教会に取って変わった。」とするものです。それを、「置換神学」とも言われます。そしてカトリック教会は、その「イスラエル」と「教会」の置き換えにおいて、総本山的な存在であり、反ユダヤ主義の温床ともなっていました。宗教改革の代表的存在であるルターも、その神学を引き継いでいたので、福音を信じないユダヤ人にしびれを切らして、後年は反ユダヤ主義者となりました

参考文献:「教会が犯したユダヤ人迫害の真実―私たちの手は血塗られている」(ミカエル・ブラウン著) 続きを読む ユダヤ人は救われるのか? - カトリックの立場

私の福音派再検討

このブログ記事には、福音派クリスチャンとして、自らの歩みを再検討させられました。

上のブログ記事を読みました。そして、その中にあるリンク先の二つの記事も読みました。ご本人のフェイスブックにコメントを入れようと思ったところ、かなり長文になってしまい、ちょっと躊躇しました。それでこちらに掲載させていただきます。実は、以前にも次のブログ記事でも取り扱ったのですが、もう一度取り扱わせていただきます。

関連記事:「等身大で見るキリスト者

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アメリカの教会で訓練を受け、韓国の教会の兄弟姉妹とも交わっている、その経験者としてお話しさせていただきます。問題意識としては全く同じものを共有しておるのですが、そのアプローチの中に、違和感を抱く者の一人です。

お互い不完全な者同士

第一に、韓国の教会もアメリカの教会も、「不完全である」という前提になぜ立てないのだろうか?という疑問です。教会はどこでも不完全であるという実体は、新約聖書から出てくる教会観です。そこでなおこと、主がその教会を立て、愛しておられるという視点です。ですから、これまでの教会のあり方を述べるばかりでなく、「自分自身が”無批判に”全てを受け入れてしまった。」という反省を、もっとすべきではないでしょうか?

リンク先の文章には、確かに区分けはされているかもしれませんが、どうしても十把一絡げに福音派のあり方として、象徴的にビリーグラハム伝道、韓国のラブソナタなどを取り上げている。そこに些かの粗雑さがあるように見受けられます。 続きを読む 私の福音派再検討

「セレブレーションオブラブ(愛の祭典)」は続く!

11月20‐22日、東京武道館にてフランクリン・グラハム氏が伝道者として立った、「セレブレーションオブラブwithフランクリン・グラハム」が無事に終わりました。下は、今晩行なわれた最後の集会にて、キリストを受け入れる決心の招きに応じた人々です。キリスト者の人口は日本で1パーセント未満と言われているところで、これだけの人々が一度に決心しました。涙します。

招きに応答した人々
招きに応答した人々

私は、20日の晩、21日の午前に出席しましたが、心が主に奮い立ち、確かに聖霊がここで働かれているのを感じました。そして、近くに座っておられた方々が下に降りて行くのに御伴させていただきた時、私の目に嬉し涙が溢れてきました。 続きを読む 「セレブレーションオブラブ(愛の祭典)」は続く!