堅実なイスラエル・中東・世界ニュース

キリスト者にとって、その信じる聖書の舞台がイスラエルであり、その周辺地域であることは、私たちは必然的にその地域に対する関心を寄せるということになります。私たちがとその周辺を取り囲む地域について日本語で入手できる堅実な報道として、おすすめするものがいくつかあります。

「シオンの架け橋」のイスラエル・ニュース

週に二度、イスラエルの報道に出てきた記事をまとめて送ってくれます。そこにあるイスラエルについての一般情報はとても役に立つでしょう。

オリーブ山便り

イスラエル現地に住んでいる、日本人のクリスチャンで、石堂ゆみさんによる報道です。私は、主に英語でイスラエルと中東情報を集めていますがが、内容がとても公正で堅実なもので、特におすすめします。メールによってニュースを受信することもできます。そして、月に二回、キリスト教衛星番組であるCGNTVが同名のニュースを動画配信しています。ブログやメールの文章だけでは伝わりにくい実際を、映像や肉声も出てくるので、非常に分かり易くなります。

CGNTV オリーブ山便り(動画)

もう一つ、同じくCGNTVによる世界ニュースです。

CGN World Report

これは、CBN Newsという米国のキリスト教放送局からの報道を翻訳し、字幕に出しているものです。私はCBNのニュースはとても堅実で、キリスト的でありいつも観ていますが、それを翻訳しているので、他の方々にもおすすめできるものがあるので、とても嬉しいです。 続きを読む 堅実なイスラエル・中東・世界ニュース

イラク人キリスト教徒への支援

先日、「キリスト者の迫害と急増」という題名で、現在進行形で起こっている、キリスト教徒への大迫害のニュースをお伝えしました。イラクとシリアという舞台で起こっている出来事を見る時に、あまりにも心が痛くなるのは、神の以下の約束があるからです。

その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、第地の真中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。(イザヤ21:24‐25)」

上は主が再臨された地上の神の国において、イスラエルを中心にして、南はエジプトから北はアッシリヤに至るまでに広域が、主を礼拝する場として整えられることを示している幻です。アッシリヤはイラク北部地域であります。そこが主イエスを礼拝する場となり、その民が主に立ち返ることを約束されている希望があるのですが、主の来臨が間近になっているからでしょう、悪魔がイスラム過激思想によって猛反抗をしています。そこにいるキリスト教徒を、全ての財産を置いて退去させ、あるいは宗教税を支払わせ、あるいは殺す暴挙に出ています。しかも、斬首、生き埋め、十字架、女性は性奴隷という残酷な手段で行っています。これはアッシリヤ人が使っていた恐怖による支配とまさに同じ手法であり悪魔の正体がここまで露わにされたことはないと思います。 続きを読む イラク人キリスト教徒への支援

過激な愛とその宣教

イスラエルによる対ガザの防衛境界作戦は、地上戦へと入りました。まずはその報道と、作戦の目的を書いた記事をここに紹介します。

地上軍投入は不可欠:元南方総司令官ツビカ・フォーゲル氏 2014.7.16

地上軍・ガザ侵攻開始 2014.7.18

今朝、私たち夫婦は祈りました。「犠牲者が極限に抑えられますように。正義が速やかに執行されますように。そして、この困難な時に、パレスチナとイスラエルのクリスチャンたちを通して、キリストの光が照らされますように。」

ユダヤ人とアラブ人への宣教の働きをしているジョエル・ローゼンバーグ氏も次の祈りの要請をしています。「クリスチャンの皆さん、ガザのパレスチナ人に、またイスラエル人に、主が静けさと、慰めと癒しを授けてくださるよう祈り続けてください。交戦に巻き込まれている何百万もの無実のユダヤ人とアラブ人のために祈ってください。そして、ハマスとイスラム聖戦のテロリストのためにも祈ってください。神が抜本的に彼らの心を変え、暴力と悪から立ち返り、イエス・キリストとの個人的な関係に入れますように。神は、聖書時代、テロリストを救い、一変させてくださいました。私たちの時代にもしてくださいます。自著”Inside Revolution”のために、そのような沢山の方々に会い、取材しました。主がこの危機に大いなることをしてくださいますように!」(Facebook)

この”Inside the Revolution“の中で、著者ジョエルは、まだ鉄のカーテンのあった共産圏に聖書を運び続けた、名著「神の密輸商人」ブラザー・アンドリューの働きを紹介しています。その本が、Light Forceです。私はこの二冊で、中東を神がどう見ておられるのか、また宣教とそのにある神の過激な愛を知りました。 続きを読む 過激な愛とその宣教

今の日本人の心に届く

とても読み応えのある連載記事がありました。

戦後70年に向けて

第一弾も読みましたが、第二弾「いま靖国から」は特に注目しました。次に問いかけに目が留まり、すべての記事を読み、果たしてその通りだと思いました。(注:記事を全て読むには会員登録をする必要がありますが、無料です。)

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「靖国」を支える今の空気は、靖国史観・戦前回帰・軍国主義といった視点ではとらえられないのではないか。21世紀の日本に新たな回路が根を張りつつある。その現場を歩いた。
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しっかりとした取材をしています。最近の神社や靖国回帰は、単なる右傾化では済まされない、八十年代以降の日本人の自信の喪失を補完するものであるという指摘ですが、今の日本人の深いところに流れているものを汲み取ったのではないかと感じています。ですから、この流れを単に批判で終わらせては、私たちがこの地に置かれている教会の使命、地の塩としての使命を全うしていないのではないかと思いました。

知識人に見下げられた人たち

教会や、聖書を教える現場において、以前、新興宗教を回ったことのある方々がおられます。また、自己啓発系のものに関わった方もいます。マスコミは大方こうしたものを見下げ、変種のものとして報道をしています。そして、知的活動に対しての報道をもっと多くします。いわゆる「リベラル」に偏っています。元々マスコミは、言論を仕事にしていますからある程度、仕方がありません。 続きを読む 今の日本人の心に届く

あなたは語る準備ができているか?

まず、次の文章を読んでください。

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とても人気のある牧師が、ユダヤ人がクリスチャンになるべきかという質問を受けたのを最近、見ました。彼はその質問に非常にぎこちなくなり、こう答えました。「私たちは同じものを信じているとは思いません、けれども、クリスチャン以下ではないことは確かです。」彼は、機会を逸したのです。

彼は、キリスト教は、ユダヤ教にその起源があり、初代のクリスチャンはユダヤ人だったと言うことができました。そして、神は救いをユダヤ人を通して備えられましたが、それはイエスを遣すことによってです。イエスは苦しみ、世界の罪のために死なれました。そして、罪の赦しを与え、その永続する命はユダヤ人、アラブ人、中国人、インド人、ロシア人にも用意されているのです。聖書は、イエス・キリストによって、救いは普遍であり、「主の名を呼び求めるものは、誰でも救われる」とあります。

私は、彼が福音を恥としたとは思いません。ただ、準備ができていなかったようです。私たちにも、十分起こり得ます。ですから、聖書は、私たちの内にある希望について弁明できるように用意していなさいと教えているのです。
Facebook Ray Comfort)
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この言葉は、「180」「進化論vs神」「ノア」の映画を手かげたLiving Watersの伝道者レイ・コンフォートによる、フェイスブックでのコメントです。「福音を恥にしたのだとは思わない、しかし、準備ができていなかった。」という言葉が大事な点です。 続きを読む あなたは語る準備ができているか?

本物の「天使にラブソングを」

ちょっと息抜きの話題を。以前、記事「単純な信仰のススメ」においてこんな言葉を引用しました。「日本のキリスト教はインテリのキリスト教となっていて、大衆の方を向いていない、日本にキリスト教を広まるためには、インテリ的というエリート意識を捨てて大衆の方を向かなければならない・・」

前から知っていたユーチューブ動画を見て、カトリックなのですが羨ましくなったニュースがありました。

シスターが歌のオーディション番組に出演して世界中から大絶賛 / 映画『天使にラブソングを』が現実に!

この後に、フランシス法王が外に御言葉を伝えよという呼びかけに答えたものだと話し、彼にも来てほしいと冗談交じりで話したとか。すると、その後の大会で何と審査員の一人に法王がいた、との記事もあります。 続きを読む 本物の「天使にラブソングを」

日本のカルバリーチャペルのサイト

日本のカルバリーチャペルのサイトが、少し新しくなりました。

http://www.calvaryjapan.com/日本のカルバリーチャペル

この前、提携とそうではない教会の違いについて質問をいただきました。提携の教会はもちろん、正式にカルバリーチャペルの教会になっているところです。そうではない所は、まだ正式な手続きを踏んでいないけれども、教会としての機能を果たそうとしている所(しばしば「伝道所」と呼ばれます)です。どちらも、カルバリーチャペルの仲間として交わり、付き合い、責任関係を持っていますので、内輪では大きな区別をしておらず、礼拝も行なっております。

チャック・スミスは昇天したけれども、日本のカルバリーはまだまだ若く、神様が霊的に成長させていてくださっています。教会間にも愛、喜び、平安が、神の家族としてあります。

感謝。

映画「ノア」の紹介

映画「ノア」と言えば、ラッセル・クロウ主演の、日本上映が6月から始まるものだと思われたと思いますが、いいえ違います。「180」や「進化論 vs 神」を作成したLiving Watersが、アメリカでの上映直前に、同名の映画をやってくれました!

面白いことに、YoutubeでMovie Noahなどと検索すると、ハリウッドのノアの映画の予告編は四位で、この映画は二位、その他も、ハリウッドの映画は聖書から逸脱しているという検証ものばかりが出てきます。アメリカではクリスチャンによる批判や論評がものすごく出ていて、「映画館に見ないようにしよう」運動が広がっています。背景の日本語記事はこちらです。

映画「ノア – 約束の舟」は聖書的でしょうか?

私にとってのキリストの死と甦り

今日は、キリストが死んで葬られている日、明日が復活でありますが、主は、死んで、「葬られ」、三日目に甦られました。

私たちには、常に「死」という現実に直面します。韓国での船の沈没で、行方不明の若い子たちはどうなるのか?行方が分からず泣き叫ぶ、ご家族の姿を見て胸が張り裂けそうです。一人でも多く助かることを切に祈ります。死が、これだけの嗚咽と泣き叫びをもたらすものなのに、確実に、暴力的に迫ってきます。

死と陰府(死後の世界)は、いつも大量の魂を飲み込む、ブラック・ホールのような存在です。こんなに無残で残酷な現実なのに、無慈悲に迫ってくるのです。

思い出すと、私はキリストの十字架について、涙を流すことはありませんでした。イエス様の映画については、今は「パッション」が一番知られていますが、私が救われた当時は「ジーザス」が主流でした。救われて間もない時、もちろん私は、イエス様に、こんな罪人のために身代わりとして、進んで十字架の道を進まれるお姿に神の愛を知って信じる決心をしましたが、そこで涙を流すことはありませんでした。

しかし、自分の大学の学園祭で、大学内のキリスト者留学生会が催していた映画会に立ち寄りました。ジーザスの映画を見た、初めての機会でした。私が見たイエス様は、上に書いた無残で、何の甲斐もなく死んでいかれた方でした。ガリラヤで、その湖のそよ風が肌で感じられるぐらい、その恵みの言葉、また人を救う奇跡があったのに、エルサレム城外の、大通りにすぐ面したしゃれこうべでの死刑場で他に極刑を受ける数多くの者たちと変わりなく、無残な死を遂げられました。 続きを読む 私にとってのキリストの死と甦り

民衆という”深海”を見よう

深みに入る信仰

(「きちんとした「牧師」の欠け」の続き)次に古屋氏の「日本のキリスト教」で取り上げたいのは、「民衆にある力」です。このことは既に、「単純な信仰のススメ」で書きました。そして今週の西日暮里バイブルスタディで、ヤコブ書1章1‐11節の学びで取り上げました。その部分をご紹介します。

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私たちは救われるだけでなく、救われた後に霊的成熟に向かわなければいけません。そして霊的成熟に至らなければいけません。それによって、初めて救われたことが明らかにされます。その時に大切な要素をヤコブ書は教えてくれています。有名な言葉は、「信仰も、もし行ないがなかったら、それだけでは、死んだものです。(2:17)」成熟した信仰には、十分な、それを裏付ける行ないがあります。その信仰には深みがあります。表面的な信仰の言葉ではなく、実質の伴った、人を動かす力があります。

「日本のキリスト教」(古屋安雄著)という本を今、読んでいますが、そこにアメリカの教会を海の三つの層に分けている教会史の歴史家がいるとのことで紹介されていました。上層は海面、中層は海流、下層は深海となります。海面とは、海上を吹く風、すなわち時代思潮(=時代に流れ)によって、波のように風向きによって激しく左右上下に動揺します。その下にあるのが海流ですが、その時代の思潮に対しては、緩やかな反動しか示さない主流的なキリスト教思想のことだそうです。そして、それよりもっと下にあるのが深海ですが、これはどんなに風が全然動じない民衆の信仰のことだそうです。そして、この教会史の歴史家によると、「教会の生命と言うべき信仰が実際に生きているのは中層と下層、殊に下層の民衆の信仰においてである。」ということです。(ちなみにアメリカではその深海にあるキリスト教の筆頭に、ビリー・グラハムを挙げています。)

つまりヤコブ書は、この下層、最も深いところが真の信仰なのだよ、ということを話しています。表面的に信仰であると私たちが話しているものではなく、その深みがあってこその真実な信仰であるということです。表面的な信仰からの脱却です。
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こちらが原稿、そしてこちらが音声です。 続きを読む 民衆という”深海”を見よう