次世代への信仰の継承

今年もまた、8月13‐15日に「マラナサ・バイブル・フェローシップ」を富士山麓山の村で行いました(2014年2013年2012年2011年)。

涼しさで体が休まったキャンプでした。個人的には、今回のキャンプのテーマは「信仰の継承」であったのではと感じました。ゲストで招かれたは、「ユースパッションin Shizuoka」で用いられている、李相勇(サムエル)さんですが、その証しが物凄く心に残りました。自身、牧師の息子ですが、いかに自分自身が信仰を持つべきか、その凄まじい戦いを聞く恵みにあずかりました。

そして、若者が多く来てくれました。私が初めに会った時は小学生だった彼らの多くが今は二十代です。信仰が確実に継承されていますが、しかし、本人たちが聖霊によって深い罪の自覚、キリストの十字架を信仰で見て、その体験を持っています。

反面、信じているのにその情熱が冷めたり、離れていってしまう人々も現実にいることも知っています。ある人々は信仰に立ち返り、ある人々は信仰から遠ざかってしまう・・・。イエス様への道の行き来に、私は厳粛な思いがしました。 続きを読む 次世代への信仰の継承

御体を傷つける罪

ヒルソング教会に対する攻撃

とても大事なニュースを読みました。発端は、ニューヨークのヒルソング教会において、その聖歌隊のリーダーの二人が、公に同性愛者であることを発表し、既に婚約、結婚も予定している、というニュースです。何人かの友達のFacebookにも流れていました。このヒルソングの牧師は、オーストラリアの主任牧師もニューヨークの牧師も、同性愛についての是非を公の場で明らかにしなかったニュースが流れていました。(日本語記事)そのために、今回のニュースが一気に広まったのです。

しかし、このニュースに対して、オーストラリアのヒルソング教会の主任牧師が、事実を訂正しています。

Hillsong Church Statement by Senior Pastor Brian Houston
August 2015

hillsong

要旨は次の通りです。「ヒルソング教会の同性愛に対する立場は、聖書に一貫するものであり、パウロがこの主題については立場をはっきりとさせている。数か月前、聖歌隊の責任者の一人が、予期せぬ発表をした。時々、聖歌隊で歌う一人の男性との婚約だ。私たちにとっても青天の霹靂だった。私の理解では、この二人はそれ以降、教会の奉仕や指導的働きには関わっていない。以上だが、それでも私たちは彼らを愛しているし、彼らも私たちと同じように旅の途中であり、教会としての役目は、恵みと憐れみをもってその旅の手助けをすることだ。」 続きを読む 御体を傷つける罪

「依存」と「信頼」を聖書から見る

先日、記事「横の関係は結局、縦の関係」のコメントで話しましたが、日本人の「神と自分との関係」、また「人と人の関係」において、「依存」と「信頼」の違いを知ることはとても大切であることを、昨日の午後礼拝の後の交わりで話しました。次のブログ記事はとても適切な説明をしていると思います。(神を「利用」する信仰と、神に「信頼」する信仰

一部抜粋「信仰とは本来、「依存」である前に「信頼」であると私は思う。前者には盲目的、他力本願的、思考停止的な姿勢が含まれているけれど、後者には積極的な選択が含まれている。自らの考えで神を選び取り、その愛に信頼し、多少の不利益があってもその言葉に従って生きる。そういう生き方は、「神への依存」というより、むしろ「神への自立的信頼」だ。

この言葉を何度も読み直し、どのようにして依存と信頼の違いを説明すればよいのか、と思い巡らしていました。(今日はプールに行って泳いでいましたが、その時に御言葉が与えられました!)

ルカ14章25‐35節です。

25 さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らの方に向いて言われた。26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。

28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。32 もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。

33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。34 ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。35 土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。

ここに出てくる「群衆」は、イエス様と依存関係にあります(25節)。つまり、イエスが語られ、その行なわれている意味や意義は何なのかを、深く考えることなく、盲目的に付いて行っているだけです。大して考えておらず、そういったことはイエス様に丸投げして、思考停止状態にありました。 続きを読む 「依存」と「信頼」を聖書から見る

日本に埋もれる霊的問題

恵比寿バイブルスタディから戻ってきました。バプテスマを受けられたご夫婦と、その前に新しい信者の学びをしましたが、先週の午後礼拝の後の交わりの分かち合いがとても良かったと仰っていました。私も、本当に取り組みべき課題に触れることができ、とても良かったと満足しています。前ブログ記事、「横の関係は、結局、縦の関係」に関連することです。日本にある霊的問題を列挙してみたいと思います。

「良きものが偶像になる」

午後礼拝の後に分かち合ったことは、「日本には、良きものという偶像がたくさんある。一つ一つは良いことなのだが、それが神との関係の前に持ってこられることにより、神に拠り頼まなくてよい原因となる。」ということでした。例えば、医療制度は神の賜物です。けれども、あまりにもしっかりしているために、神に呼び求めなくてもそれに頼ることができる制度があります。いや、頼ることは本当はできないのに、できると思わせる何かを持っています。

また、先祖供養についてもそうでしょう。仏壇そのものを離れることができないのではなく、家の制度の中にあり、「親戚の目が気になる」ことでクリスチャンの証しを立てることができません。人を恐れているのですが、それはその人を神にしているためです。家族は大切なのですが、イエス様の命令よりも、家族の言っていることを優先している時に、その家族が偶像になっているのです。

その他、牧師に依存して牧師が偶像になっている、他の兄弟姉妹に頼って、彼らが偶像になっているなど、その人が、主に対して心を尽くした信頼を置いていないので、その頼っているものが心の中で偶像となってしまっているのです。

★「罪というのは、単に悪いことをすることではない。より正確には、『良いもの』を『至高のもの』にすることが罪である。罪とは、自分の人生を神以外のものの上に建て、そこに意味を見出そうとすることである。たとえそれがどんなに良いものであっても、それを神以上に大切にするなら、その行為が罪である。つまり、罪とは根源的には偶像礼拝のことなのだ。」(ティム・ケラー)

◉「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」(1ヨハネ5:21)
(Facebook投稿から)

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横の関係は結局、縦の関係

縦と横の関係

先日参加した2015年カルバリーチャペル牧者会議で思わされたことについて、続けて分かち合いたいと思います。その一つは「結局、横の関係は縦の関係から来ている」ということでした。チャック・スミス著「クリスチャンの家族関係」から抜粋します。

(引用始)
私たちの多くは、バランスのとれた人生をおくることを望んでいるでしょう。人の人生には、二つの側面が存在することを知っている事はとても大切です。それは、横の関係と縦の関係です。横の関係とは、人が人とお互いに持つ関係です。縦の関係とは、神との関係です。この二つの側面は、中心の軸に固定されています。

私たちは、友人とけんかをしたりすると、この横の軸の調子が悪い状態になってしまい、それが修正されるように願います。私たちは、このバランスのとれていない状態になると、また並行に戻そうと、個人的な関係をやり直そうとしたり、調整したりします。私たちは、年中バランスのとれた人生に戻そうと、試みているようです。事実、困難な事は、一つの関係が回復したと思われるやいなや、また違った問題がやってくることです。正しい関係を人々と保つことは、不可能のように思われます。

例えば、職場での関係がとてもよいと思っていても、家での関係が悲惨だったりします。そして、家での状況を直そうと務め、スムーズになったかと思うと、職場ですべてのことがうまくいかなくなったりします。ですから、私たちはいつでも、この横のバランスを持続的に維持しようと戦っています。 続きを読む 横の関係は結局、縦の関係

カルバリーチャペル牧者会議2015年

7月6日から7月14日まで、アメリカのカリフォルニアに夫婦で行っていました。6日から9日までが牧者会議で、10‐11日に米国在住の日本の方々にイザヤ書セミナー、そして12日は聖日礼拝で友人や日本語部の方々と交わりました。

このブログでは牧者会議のことを詳しく報告したいので、その前にイザヤ書セミナーの報告を短くします。とても祝福されます。以前、何度か教えたことのあるイザヤ書ですが、例年、アメリカで行っている時は前もって準備をあまりしていないけれども、主がその時に語られる預言的な言葉が多く与えられます。今回は28章から39章までを読みました。

イザヤ書の学び
(音声のところに(14年)と(15年)となっているのが、アメリカで行っているイザヤ書セミナーの学びです。)

牧者たちの喜びの交わり

牧者会議は、これで二回目です。例年参加していた宣教会議を含めて、今回のはもっとも主に語られたのではないかと思われるもので、そして主のご臨在と交わりが豊かにあったものでした。牧者たちの賛美は歌うのではなく、心から叫ぶような感じで、天の御座にそのまま届いている感じでした。神の恵みによって救われた、罪赦された者の集まりなのだ、その感動を持って主に仕えているのが牧者なのだ、と改めて感動しました。

初めての牧者会議は2013年でしたが、牧者チャック・スミスが昇天する前の最後の会議であり、とても貴重でした。2014年は出席できませんでしたが、その主題はFORWARD MOTION(前進)というもので、チャック無き後のカルバリーチャペルが、前進することをテーマにしていました。Transition(次世代への移行)というのも、副主題になっていたと思います。

2014年 FORWARD MOTION

保管されたライブビデオ(Livestream)

高画質ビデオ(Vimeo)

そして今年の題名は、THINGS THAT MATTERです。訳せば「大事にすべきこと」でしょうか。大切で基本的な事柄に留まることを教え、カルバリーの基本の基本に拘ったものばかりでした。これからのカルバリーチャペルがどうなるか、私は正直、少し不安でした。けれども、私の知っているカルバリーがそこには生きていました。主をほめたたえます。 続きを読む カルバリーチャペル牧者会議2015年

カルバリーチャペル葬儀セミナー

6月20日、無事に葬儀セミナーを終えました。

日本の福音宣教で、とても重要なテーマを取り扱いました。

ホームページでも、「イエス様を知らない方へ」のページの中に紹介しました。未信者の方にもご紹介ください。

葬儀セミナー続きを読む カルバリーチャペル葬儀セミナー

「愛の軍隊」

今日は、いつもと違い、礼拝の後、午後に上野公園で伝道をしました。

愛のうちに歩みなさい
(教会の兄弟のブログ、今日の一日の恵みの報告です。)
Nasrani Shirt
その中で、今日はNasraniのTシャツを着ている姉妹がいて、私が「ムスリムの人が目に留めるかもしれません。」と言ったら、他の人が、「首を切られないようにね。」と冗談を言っていました。私がブログ等でイスラム国のことばかり話しているから、ちょっと反省。(笑)ネットで、とても懇意にしていただいている、ムスリム伝道に従事している兄弟から、ムスリムの人々のことをたくさん学んでいます。多くの人が、無神論ではなく神を信じている人を根本的に信頼、尊重しているということであり、議論の中で喧嘩のようになっても、基本的にその対話を楽しんでいる、と教えてくださいました。むしろ、世俗的な人たちよりも純粋で、イエス様の話を聞いてくれると聞いています。

という前置きで、改めてとても感動的な映像を紹介します。イスラム国の戦闘員に向かって語りかける伝道になっています。題名は、「十字架の民からの手紙、誰が敢えてISISを愛するのか?」です。(映像があまりにもきれいなので、右下の全画面に拡大するボタンを押してご覧になると迫力があります。)

【粗い日本語訳】

The world is talking about you.
Your apocalyptic dreams and spectacular sins
Are now awakening the Middle East.
In your holy war, come to holy ground.
Come, children of Abraham, come.
The people of the cross gather at your gates with a message:
世界は貴方のことを話している、
あなたの終末の夢と著しい罪は
今、中東の目を覚ましています。
あなたの聖戦で、聖なる地においでなさい。
来なさい、アブラハムの子らよ、来なさい。
十字架の民があなたの門口で、宣託を携え集まっています。 続きを読む 「愛の軍隊」

クリスチャンのアカウンタビリティー

カルバリーチャペル西東京の山東さんは、しばしば大胆で、鋭いツイートをしてくれます。

続きのツイート:
「クリスチャンは少なくとも数人のアカウンタビリティのある友を持つ必要があります。こちらもその人には愛を持ってものを言います。

牧師も当然見守り、見張ってくれている牧者です。それを簡単に「あの牧師おかしいわ」というのは、本当の戦いを知らないからではないでしょうか。ヘブル13:17

信仰の従順
これは大切なことばです。

ローマ 1章 5節
このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。

牧師もまた数人の牧師の中でのアカウンタビリティを保つべきです。
この人が私の牧師だ(厳しいこともいってくれる人)と言う人がいますか?

そのためには、自己主張 男ではなく人からものをいってもらえやすいティーテャブルな人格でありたいですね。」 続きを読む クリスチャンのアカウンタビリティー