「反対」の前にすること(政治について)

「殺す」と「殺害」の違い

上の副題から唐突かもしれませんが、モーセの十戒「殺してはならない」からのお話しです。

Ten Commandments “Do Not Murder”

発言者はデニス・プレガーというアメリカの政治論客で、自身、敬虔なユダヤ教信者です。モーセの十戒の、第六「殺してはならない」のヘブル語は単なる「殺す(Kill)」ということではなく、「殺害(Murder)してはならない」ということ。Murderとは、「不法に、不道徳に人の命を奪うこと」という意味です。

そして、モーセ五書の中ではっきりと命じられていることは、「殺害者は殺されなければならない。」ということです。もちろん思想の自由があるから、動物愛護の観点から動物を殺してはいけないと考えてもいいし、平和主義(死刑もだめ、自衛行為もだめ、殺すことはすべてだめ)と考えるのも自由だけれども、その考えを話す時にモーセの十戒を引用するのは、完全な誤用であるとのことです。

私も同じように考えていました。ブログ「左から右に揺れる教会」で言及したように、平和主義は聖書から導き出せるものではありません。モーセ五書全体に、「命を取る者は、人によって命が取られる。」という命令が書かれており、すべての殺人を第六戒が禁じているのなら、律法の中で自己矛盾をきたしていることになります。

このことを持って、即座に死刑制度賛成であるとか、戦争賛成という話ではもちろんありません。それよりも、何を持って殺害なのか、つまり、不法で不道徳な殺人なのか、その根拠や「内容」をしっかり吟味して、適用する努力を怠ってはならないということだと思います。

参照ブログ:「「平和主義」で傷つき、悩むキリスト者たち
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続「日本を愛するキリスト者の会」について

私がここで先日、ここのブログで取り扱った「日本を愛するキリスト者の会」について水谷潔さんが、数多く記事を書き始めておられます。

最初の記事:「君は「日本を愛するキリスト者の会」を知っているか?」

この会について、キリスト新聞が一面広告に掲載したようです。そして、続けて読みますと、なんと、上の記事を掲載したとたん、爆弾メールが送られてくる、クリスチャン新聞関係者のフェイスブックが大量苦情で一時閉鎖されるなど、誰の仕業が分かりませんが、犯罪と呼ぶべき攻撃を受けました。そして、それでもめげずに投稿されていますが、拙記事も取り上げてくださいました。

「日本を愛するキリスト者の会」に言及したブログ記事の紹介

偶像礼拝の罪

ところで、当会のウェブサイトに理事たち何人かのコメントが掲載はじめられました。このことについて、私の立場を改めて書き残したいと思います。

理事コメント

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美しい日本、美しい血潮

下は、オーストラリアの映像作家が、日本の美しさを描いて作ったビデオだそうです。日本人である私も、海外経験が多いからなのか、似たような美しさで感動しています。当たり前にしているその風景が、なんと美しいんだろうと思いますが、この人の映像がそれを良く描き出しています。

LOVE JAPAN from David Anthony Parkinson on Vimeo.

そしてもう一つ注目したいのは、この映像は日本の神社仏閣や習俗的なものも、一つの芸術美として取り入れていることです。私も、神社や寺院にある芸術的美しさを感じます。自然の美に溶け込んでいますね。

そこでキリスト者として考えなければいけないのは、次のことです。これらは神の下さった賜物であり「一般啓示」また「一般恩恵」と呼ばれています。神がこんなにも美しい日本を下さったことを、感謝します。けれども、それと私たちの内にある、これらのものを造られた神を認めることをしない罪があるということです。 続きを読む 美しい日本、美しい血潮

「狭き門」という開かれた戸

(前々記事「左から右に揺れる教会」前記事「教会は政府ではない」の続き)

今回のサイトの問題は、左から右に揺れる中での「教会の政治化」という問題だけでなく、信仰的、神学的な問題が横たわっています。前々回の記事で、「イスラエルという木に、個々の異邦人がキリストによって選びの民に接ぎ木されて霊的祝福を受けているという聖書的見方ではなく、民族として日本が接ぎ木されているという見方」としているという問題点を取り上げました。さらに、「「贖いの賜物」という、風土、文化、伝統や宗教の中に神が日本を贖われる素地があるのだ」という見方は誤りであるという話もしました。これが、彼らの右翼思想をキリスト教的に支える基盤になっているので、じっくりと考察したいと思います。

日本において、イスラエルやユダヤへ親和的な姿勢を持つキリスト教の流れには、二つの逸脱した、異なる強い流れもあります。一つは「ユダヤ人陰謀論」です。ユダヤ関連に興味を持つとネット上で出くわすのは、陰謀論者による情報です。フリーメイソン、ロスチャイルド、イルミナティなどを、ユダヤ関連で語っています。中にはユダヤに親近感をもって取り組む人もいるですが、その元は「シオンの議定書」に代表される、ユダヤ人世界制覇の脅威から発していますので、反ユダヤになります。もう一つは「日ユ同祖論」(その1その2)です。今回取り上げた団体の人々は、こちらの流れにある人々です。日本人が失われたイスラエル十部族の末裔であるという説を信じている人々で、ユダヤ教、また東方から伝来した景教が日本の古代神道の中に反映されている、という見方であります。

日本人キリスト教徒がこの二つの説に飛びつく動機は「欧米への劣等感」です。ユダヤ人陰謀説については、日本がアメリカに従属しているとしてよく思っておらず、そのアメリカ支配を論拠づけるためにユダヤのアメリカ支配を説きます。日ユ同祖論についても、欧米のキリスト教への反発の表れであり、欧米を素通りしてそのままユダヤにつながることができ、それで欧米キリスト教に対抗できると思っているからです。これは左傾化したキリスト教にも同じように見える傾向です。私はブログ上でもずっと、「反発は依存の裏返しだ」と論じてきました。本当に自立しているのなら、自分の分をわきまえて助けを得るべき所は得る、そして彼らに感謝し、彼らを愛し、共に働くということを自然にできる。その時に、初めて対等になれることを話しました。 続きを読む 「狭き門」という開かれた戸

教会は政府ではない

(前記事「左から右に揺れる教会」の続き)

ブログ「教会の使命と福音の本質」で紹介した二つの冊子は、今の日本の教会にとって死活的な問題が提起されており、私はどの信者さんにも一読をぜひお薦めしたいものです。

必要なことはただ一つ ~多元社会を生きる教会の役割~

ただキリストを伝えよう ~教会が宣べ伝える唯一の福音~

著者は日本基督教団の教会を牧会しておられる方で、前記事で言及した「主流派」の中におられる方です。ですから、各所で私たち福音主義とは異なる見方も出てきます。しかし、むしろ主流派の中におられる方だからこそ、今、福音派が入り込んでしまっているその行き着くところの暗部、隘路を熟知しておられます。主流派の中から、むしろ福音派以上に福音を固持する姿勢を見ることができる良書です。

そこには、「政治」についても大きく取り上げています。とても重要なので長文引用させていただきます。(太字などの強調部分は私によるものです。)①の冊子から・・ 続きを読む 教会は政府ではない

左から右に揺れる教会

今晩は、皆さんは今日は教会の礼拝に出席されたでしょうか?私は毎週の礼拝をとても楽しみにしています。教会にこそ、イエスを主の主、王の王として宣言し、礼拝できる完全な自由があります。

ここ一・二か月の間、主が自分の心に語られて、そして修養会の時にはっきりと語られたことがあり、それは「教会に偽の教えが入っている」というものでした。それは、エホバの証人やモルモン教のような異端の教えを持っている組織ではなく、キリスト教会でありながら、イエス・キリストの福音のみを信じない、他の要素を取り入れることによって福音が異質なものにしている、それで福音に人を救う力がなくなってしまっている、という問題です。

その問題について、ここのブログでも取り上げてきた中の一つが「教会の政治化」です。政治の中で争点となっている事柄について教会がそれをあたかも神の命令であるかのように一つの争点を認知していくと、教会の中に混乱が生じ、信徒たちの心は信仰によって養われず、かえって心に傷を受けるという深い懸念でした。日本のキリスト教会では主流派と呼ばれるリベラルの教会では、急進的な政治運動に加担していく姿を見ます。

しかし、イエス・キリストの福音こそが人を救うという信仰を固持しているはずの「福音派」が、政治化している姿を見ることは心痛むことであり、憂うべきことです。表に出てくるマスコミの情報や、出版物でそうしたものが大半になってしまい、キリスト教書店でも見るに堪えない風景になっています。(参照ブログ:「山本太郎氏当選に思う」「福音派は時流に乗るな!」「秘密保護法案とキリスト者の迫害」「日本人の考える「平和」」「全共闘・反動・日本の誇り」など) 続きを読む 左から右に揺れる教会

ハーベスト・クルセード2014(字幕付)

今年8月に、カリフォルニアのアナハイムで行われた、大衆伝道集会「ハーベスト・クルセード」での説教を紹介します。伝道者の名前はグレッグ・ローリー(日本語ウィキペディア)。日本語字幕が付いているので、ぜひご覧ください。


(日本語字幕を付けた良質の説教、証しを揃えたThe Divine Usから)

オリジナルのHarvest Crusade 2014のサイト

皇室とキリスト教

昭和天皇実録今、皇居にて「昭和天皇実録」が公開されています。それに基づいて、週刊朝日が次の記事を書いて、ちょっとした話題になっています。

昭和天皇、キリスト教に関心の理由

(オンライン化されたこの記事は貴重だと思いますので、コメント欄に保管させていただきます。)

同じ週刊朝日の関連記事には、眞子さまと佳子さまが国際基督教大学に入学したことについても、「“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係?」という記事に書いています。

このような報道で驚く方々も多いと思います。それは、私たちが受けてきた教育がそうであったからでしょう。路傍伝道をしても、「日本は仏教と神道の伝統をもった国であり、キリスト教は西洋の宗教だ。」と考える一般の方々が圧倒的で、クリスチャンになっても、そうお考えになっているかもしれません。

けれども、皇室とキリスト教の関係は明治時代からかなり広く、深いです。むしろ、一般市民よりもキリスト教にもっと触れており、人間関係の中でも、知識的にもキリスト教に近い人々であると言ってよいと思います。今上天皇が少年であられた時、家庭教師は、クューカー教徒のヴァイニング夫人であったし、現皇后は聖心女学院出身であり、カトリック信仰を持っていたのではと言われています。そして、私の身近な人でも皇室に接触があるであろう宣教師がいます。

https://youtu.be/2k5IpnMPprs

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「平和主義」で傷つき、悩むキリスト者たち

フェイスブックで昨日、二つの記事を投稿したところ反響がありました。こちらにもご紹介します。

一つ目:
今日図書館に行ったついでに、池内恵准教授の次の寄稿を読んで、複写してきました。

【寄稿】『文藝春秋』12月号にて「イスラーム国」をめぐる日本思想の問題を

着眼点がなんでこんなに同じなのだろう?と不思議になるほど、私の指摘したことと符号しています。この前の北大生イスラム国渡航未遂事件が、世界規模のジハード運動の余波という位置づけ、しかし、そうした見方をしている人々が日本でとても少ないということ。そして中田考氏と内藤正典教授のツイートを取り上げて、若者がその影響を受けている点。引用した具体的なツイートも、私が下で取り上げたものと同じでした。

北大生のイスラム国参加未遂事件
改めてイスラム教の紹介
何をもってイスラム主義が危険なのか?

それから、知識人たちがイスラムの一側面を取り上げ、現体制を全否定する傾向を取り上げ、そのために日本社会の片隅で不満や破壊衝動を持て余している人々が、過激派の一方的な肩入れをして暴発する事態を予測できる、との指摘があります。

そこで、これをキリスト教界に当てはめると、特に最後の点で同じものを見ます。知識人は現体制を否定するために、まったく思想も違う、その知識人たちの拠り所とする自由そのものを破壊するイスラム主義に共鳴している、そのために影響を受けて、実行に移す人々が出てくるのと同じように、キリスト教の指導者が、日本のあり方や現体制に不満を持っているために、聖書に基づく平和や正義ではなく、元来の政治運動や市民活動に依拠している点です。 続きを読む 「平和主義」で傷つき、悩むキリスト者たち

二つの修養会

今、ようやく少し落ち着いてブログ記事が書けています。11月1‐5日は、なんと二つの修養会が連続して持たれました。

① 2014年秋の合同修養会(11月1‐3日)@藤野芸術の森2014年秋の修養会

去年から、カルバリーチャペル西東京との合同の修養会が始まりました(参照ブログ)。2011年に始まったばかりのLCFにとって、教会がカルバリーチャペルの特徴を保ちながら、かつ日本に根づくために、聖霊が、他の日本人によるカルバリーチャペルの教会との修養会を用いておられるのではないかと私の心の中では思っていて、今回も期待していました。

牧師の山東さんと話し合いながら、かつてアメリカのカルバリーチャペルの牧者会議で山上の垂訓をテーマにしたカンファレンスが行われたこと、山東さん自身、過去にそのテーマで修養会を教会で行っていたこと、それから私がたまたまその牧者会議のビデオを誰からかもらっていて未だ観ていなかったことなど、いろいろな用意がありました。前回は、自分の方法で、世の方法で教会をやっていこうとするコリントにある教会を取り組みましたが、今年は、「この時代に置かれている教会」ということを意識して、「世界の光です」と主が弟子たちを呼ばれたこの箇所を見ていくのは、大変有意義であろうという、何となくですが思いが与えられていました。教会の内側だけを見て、そこでの活動や人間関係のみを見てしまいがちな私たちですが、世界で起こっていることを視野に入れながら神の国の幻を眺めることで、初めて今、私たちが置かれている位置を確認することができ、それで初めて「敵を愛しなさい」とまで言われる、イエス様の過激ともさえ見える言葉を受けとめられるのではないかと思いました。 続きを読む 二つの修養会