第三回目 相馬・東松島旅行 5月3日

今回の旅で最も苦しかったのは、高速道路の渋滞です。予測はしていましたが、こんなに酷いとは思いませんでした。首都高と東北道での混雑は、救援のボランティアの車両よりもほとんどは行楽の自動車でいっぱいでした。

那須辺りでようやく渋滞が解けてきて、急いで福島市で高速から降り、国道で山地を横切り相馬市へ向かいましたが、時は既に5時半です。農家の家の方々は、すでに私たちのために残してくださっていた仕事を片付けておられていました。

けれども、ほぼ完成した掃除の姿を見ることができました。もうこれで三回目ですから、初めからどのようにきれいになったのかをはっきりと見ることができました。そして仰ってくださったのは、「あの時期(4月初め)に、もっとも助けが必要な時にボランティアとして来てくださったのは、「この地域であなたたちだけだった。ほぼ終わったというこの時期に、要約、申請していたボランティアが役所から送られてきた。おかげで、次の家の解体の作業をどの家よりも早くやってもらうことができるようになった。」とのことです。

4月7日に、リッチといっしょに津波の塩水で重くなっていた畳を運んだのを懐かしく思い出しますが、それだけ貴重な助けになっていたのかと思うと、本当に私たちも嬉しいです。後で母に電話をしたら(その農家は母の友人の実家です)、いっしょに東京に行って助けてくれた人たちを訪問してみよう、と誘ったとのことです。実現してほしいなと願います。

そして、私たちは常磐道に乗って北上し、そのまま東松島市牛網にある避難所に行きました。そこで千葉さんが待っていてくださいました。すでに消灯時間が過ぎている中、和室で団欒の時を持ちました。木村さんが同じ地元の人なので、かなり地元の話が弾みました。

そしてリッチたちのグループを待ちました。彼らも早く出たのですが、府中の人たちだけでなく所沢の人たちもいて、それで出るのが少し遅れ、なんと到着したのが夜の10時過ぎです。リッチは「こんなに長時間の乗車時間は初めてだった。」と言いました。

私たちは松島にある「湯の原温泉」に向かいました。昔からある典型的な湯治宿です。

そしてリッチは、一部は避難所の和室で、残りは松島の近くのホテルで一泊です。

第三回目 東北救援旅行 5月3-5日

皆さん、こんにちは。

ゴールデンウィークに、東北救援旅行に行ってきました。ボランティアで混むというニュースは聞いていましたが、やはりこの時期でないと休みが取れない人たちのために行くことに決めました。カルバリー府中のリッチも同じことを考えていて、自分の教会から、またカルバリー所沢からのチーム13名で同じ東松島に向かいました。

今回の私たちのメンバーの一番の特徴は、「被災者自身が救援活動に加わった」ということです。私たちの自宅の近くに武道館があります。避難所に使われていましたが、基本的にボランティアを受け付けませんでした。それで困っていたボランティアの方々が、たまたま近くの韓国人教会の人たちと出会い、教会を活動場所に使わせてもらいました。それでそこの避難している人々が教会に来るようになったのです。

4月10日に、私がその教会で説教の奉仕をさせていただきましたが、その時に東松島市の奥松島出身の木村さんという方に出会いました。武道館はほとんど福島原発の避難者なので東松島からということで驚きましたが、相手も、私が仙台出身で、彼の住んでいた月浜海岸に行ったことがあることを聞き、もっと驚いておられました。私たちが12-15日に旅行に行くということで、私はその家の写真を撮ってくると申し出ました。

それで今回、木村さんが車の運転またその他の救援活動に加わることになりました。また、同じく武道館に避難されていた福島県富岡町からの植田さんも運転手として加わってくださいました。

そして私たちのLCFのメンバーである瀬谷さん、久喜さん、新井さんが加わり、さらに沖縄に10年間住み、今は札幌のカルバリーで奉仕しているカナダ人宣教師、トレバーさんも加わりました。私たちを含んで合計八人の旅行です。

2日の午後に、その韓国の教会の人たちが避難所の人たちのためのキムチをこしらえてくださいました。そして3日の早朝に出るので、前日、木村さんと植田さんは、近くに住むボタンティアの方の家に宿泊し、トレバーは私たちの家に泊まりました。彼については、カルバリー宜野湾や沖縄の人たちからたくさん話を聞いていたので、会うのがとても楽しみでした。彼はものすごく日本語が上手です。漢字もかなり読めます!

「礼儀と敬意」伝道者ビリー・グラハム氏

以下のインタビュー映像は、ABCの記者が伝道者ビリー・グラハム氏の息子フランクリン氏に対して行なったものです。

主題は「神と政府」というもので、イースター(復活祭)の時にフランクリン氏の信仰を尋ね、また今の米国の政治的状況や、次期大統領選の候補者、オバマ現大統領に対する意見などが盛り込まれています。フランクリンさんは、父ビリーと同じく、単純明快で、大胆な福音伝道の熱意がこのインタビューでも感じ取れました。私も未信者の人たちには、こんな感じで接することができれば、と願いました。

話が、「お父様は、今のアメリカをどのように見ておられますか?」と政治面において尋ねられた時、最近の会話で出てきた言葉を紹介しました。

私が生まれた世界は、今や認知することができない。」つまり、「当時は、一般の人々は互いに礼儀があった。政治家は、たとえ同意できないとしても、互いに敬意を払い、共に働いた。今日の国では、これらが全て変わってしまった。」とのこと。

私も、これを感じています。アメリカもさることながら、日本でも相手に対する敬意と礼儀が失われているように感じます。確かに私たちは、民主主義国家に生きている中で権威のある人々に対して監視を行なわなければいけません。それ相当の批判を加えねばなりません。けれども、もはや二項対立(英語ではpolarization)になるざるを得ないほど、相手をけなし、こき下ろすという雰囲気が満ちています。

私は今回の地震・津波はある意味、幸いに感じます。これまでの豊かな日本、けれども何かを失い、向かうべき方向を失って閉塞的になっていた時に、突然、生活基盤が崩れたことにより、これまで埋もれていた協働の精神や助け合いの精神が生まれてきたからです。物がなくなったからこそ発揮できるようになったのです。このことによって、これまでは自分自身に壁を作り、相手と距離を置いていた人々、重箱の隅をつつくようにして相手の短所をあげつらう態度が、少なくなってきました。

申し訳ありませんが、私は民主党の中に相変わらずその悪い部分がたくさんあるのを見ます。私は政権としての民主党、この有事に際して果敢に取り組んでいる政府には応援したいと思いますが、党内で起こっている引きずり降ろそうとしている姿を見るに付け、「この災難をもってしてもまだ気づかないのか。」とあきれてしまいます。以前「民意の恐ろしさ」についての一連のブログ記事を書きましたが、今の民主党がまさに、最近の日本全体の悪しき部分の縮図であったのではないかと感じています。

私は、「感謝の力」という話題でも一連のブログ記事を書きました。普段なら、在日米軍と自衛隊のことを批判的に見ていた人も、また警察の不祥事などよく思っていなかった人々も、彼らの犠牲的な救援活動に敬意を払わない人がどれだけいるでしょうか?「平和」や「正義」という名を借りた権威や権力に対する謗りを私は以前から感じていましたが、それが少なくなってきました。

行政に対しても、私も昨日足立区役所に赴きましたが、今の危機に際して、最大限、柔軟な対応をしてくださいました。道路会社や鉄道会社の活躍ぶりも世界では賞賛の的になっています。「税金の無駄遣い」とマスコミで非難されていた人々による、その復旧工事のすばやさには誰もが驚いています。

そして今、ものすごく袋叩きにされている東電ですが、私は必要以上に批判したくありません。この災難で彼らは十分に懲らしめられています。まず、千年に一度の未曾有の地震に対して、福島第一以外の太平洋側の原発がきちんと冷却等の機能が働いたことに対して、神に感謝しています。そして「第一」においてでさえ、チェルノブイリのような全面拡散に陥ることなく、東北自動車道を通行止めにする必要の無いほど放射線量が抑えられていることを、神に感謝したいと思います。

そして現に、このようにインターネットを使って意思疎通ができるような電力を今も供給し続けてくれている、大勢の東電職員と下請けの会社の人々に感謝しています。もちろん彼らは営利活動で行なっているわけですが、その労働に対する感謝をなくして、ただ文句ばかり言っているのでは、「モンスター・カスタマー」の何者でもありません。

その上で、これからの原発政策をどのようにすべきか、エネルギー政策はどうすべきか、具体的な、展望的な構想の議論をすべきでしょう。建設的な批判はどんどんすべきでしょう。

この前、近所の武道館の福島原発の被災者への働きかけをしていたボランティアの方々と食事を共にすることができました。いろいろな“変な”人がいたようです。ある市民団体は、被災者の人たちの事はそっちのけで、武道館の前で政府批判を繰り返していたそうです。またあるマスコミの人たちは、ボランティアの人に「被災者の人たちで、何か行政に対する非難、苦情はないですか?」とインタビューします。初めから「行政批判」の記事を書くための裏取りをしているだけです(誠実なマスコミの人もおられたそうです)。

私たちは、二項対立になりそうになったとき、へりくだって、歩み寄りをする努力が必要だと思います。ピリピ人への手紙を思い出すのですが、一致すること、相手を自分より尊いと思う態度、これらが自分自身ではなくキリストを求めることに等しいことを使徒パウロは教えました。

「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:2-3)」

「私たちはよみがえります」

福島第一バプテスト教会といえば、ご存知の方も多いかと思います。福島原発のそばにある教会で、地震と津波に襲われただけでなく、放射能漏れによって中に入ることさえできなくなった教会です。その牧師、佐藤彰さんは地震のときちょうど千葉県の神学校の卒業式に参加されていたとのこと。

クラッシュ・ジャパンの情報からは、そこに通う教会の中から、今、作業員として原発で働いている人たちがいること、また教会に初めて来て、イエス様を信じ、それから今度は福音を伝えに仲間の作業員の所に原発に戻った人の証しを聞いていました。

そして下に、CGNTVのビデオにある牧師さんの証しを見ることができます。これが日本の教会の証しか!と感動する、まさに初代教会と同じ証し、迫害されて困難の中にある教会の証しと同じ、命にあふれたキリストの御霊の軌跡です。

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東日本大震災により被災され、地震・津波・放射能漏れの3重苦の中で一時閉鎖となった福島第一聖書バプテスト教会。 ― しかし教会は生きていた― 壮絶な痛みを通され、牧会の最後かと思い絶望された中で見出された真の教会の姿を、佐藤彰牧師が証して下さいました。 この受難日と復活祭、大きな痛みの中におられる被災地の諸教会および地域の人々を覚えてとりなして祈りつつ、イエス・キリストの死と復活を深く黙想する時になりますように。

東北地域の教会の方々へ

そこの地域の方々のほとんどが停電状態であることを知りつつも、停電回復後すぐご覧になれるよう、ここに掲示します。

クラッシュ・ジャパン
http://crashjapan.com/

災害・復旧援助チームを組成するための団体です。今、海外のクリスチャンを含め、東北災害地域の諸教会に向かうべく明日から会議を開き、準備をします。ぜひ、早急にこの団体にご連絡ください。

今、アメリカのサンディエゴにあるホライズン・クリスチャン・フェローシップもこの団体と連携して日本に来ようとしています。ぜひ、彼らの援助をお用いください。

感謝。

沖縄のカルバリーチャペル

昨夜、無事に東京から沖縄に戻ってきました。主に感謝。

前記事の続きですが、7日晩に宣教報告、そして8日は名護にみんなで遊びに行きました。そこには日英語で歌うラップバンド「ハクガイジン」のティムさんとアユさんが開拓をしている、カルバリーチャペル名護にちょっと立ち寄りました。

ハクガイジンの紹介

そして次にパイナップルパークに行きました。パイナップルが以前の沖縄の主要な農産物の一つでしたが、ドールがパイナップル市場を占有していらい、さとうきびに移ったそうです。

それから海洋博公園に行きました。世界で第二の大きさの水槽を持つ「美ら海水族館」と、昔の沖縄の住まいを復元した「おきなわ郷土村」を主に見学しました。沖縄の自然、そして伝統に魅了されました。

そして9日は朝にCCBCで講義をしたあと、そこから車で15分ぐらいのところにある「カルバリーチャペル沖縄」に向かいました。そこで牧師リックさんが暖かく迎えてくださり、夕方までずっと交わりの時間を過ごすことができました。

カルバリーチャペル沖縄

現在の日本のカルバリーチャペルを全体的に話しますと、多く集まっているのが東京西部と埼玉と沖縄です。初めに始まったのが神奈川県のカルバリーチャペル鎌倉と、そしてカルバリーチャペル西東京(当時はアンテオケ教会)でしたが、どちらも日本人の牧師が行なっておりました。けれども、2001頃に沖縄ではリックが自分の故郷の沖縄に戻ってきて、そして所沢カルバリーチャペルのトラビスが開拓目的として長期宣教師として来て以来、アメリカ人の宣教師による教会が増えていきました。

このリックとは、まだ数回お会いしただけでお互いに深く知りませんでした。けれども、今回、教会の中をじっくりと見せてもらい、また副牧の方々と一緒に宣教報告、そして沖縄美浜にあるアメリカンビレッジでお食事をし、じっくり交わる時間を持つことができました。

そして夕方に、ヨハネ7-9章から、イエス様ご自身を宣教者として眺め、監視や反対のある所へどのように働きを行なわれたかについて、御言葉を分かち合いました。

それから再びカルバリーチャペル宜野湾(CCBC)に戻り、次の日はカルバリーチャペル那覇の牧師である大城さんとその教会の人たちと交わりをすることができました。

カルバリーチャペル那覇

朝に昨晩と同じ内容の説教を今度は英語で行ない、それから皆さんといっしょに昼食を取り、そして午後は那覇観光をしました。最初に首里城に行き、それから国際通りに行きました。首里城では、現場に来ているのに、琉球王国の歴史を知るための紹介テレビの画面に釘づけになり(?)、国際通りではその中の平和通りにある市場やお店の見学がとても面白かったです。

今年の沖縄は例年より寒いとのこと。確かに、東京よりは暖かったですが寒かったです。けれども、信者たちの心の温かさで心はとても暖かくなりました!

沖縄CCBC(カルバリーチャペル・バイブルカレッジ)

私たちは今、沖縄にいます。3月7日夕方に那覇空港到着、そして明日に発ちます。

私にとって沖縄は初めてで、妻も以前来たことがありますが、仕事で来ただけで全然沖縄を見る機会はありませんでした。

まず初めに不思議な気分にさせられたのは、飛行機で東京から三時間もかかるのにまだ日本であったことです。ソウルに行くのに二時間ですから、日本は自分が感じていた以上に大きいのだな、と思いました。

そして私にとって一番興味のあったことは、ここは初めから日本ではなかったところだということです。北海道もそうですが、日本は決して単一民族ではありません。沖縄は琉球王国という列記とした他国だったところであり、昔、日本の薩摩藩が攻めてきて以来、日本の影響下に入りました。

CCBCで、熱心に聖書を学んでいる地元の若者がいます。彼の祖父母は現地の言葉(日本語の方言ではなく、完全に異なる言語)で会話していたので、彼自身も聞けば分かるそうです。そしてクリスチャンの家系で、そのおじいさんはその言葉で高年齢の兄弟姉妹といっしょに礼拝を守っておられるそうです。

CCBCに話を移しますと、私はとても楽しみにしていました。特に日本語だけしか分からない学生をCCBCに受け入れ始めて、それでロゴス・ミニストリーの中にある聖書メッセージもカリキュラムの中に取り入れ始め、それで日本人の学生は私の声をいつも聞いています。それで、私たちが入ったら、大きな歓迎の声をあげて迎え入れてくださいました。

Kiyo and the Crew

若い人たちがたくさん集まっています。多くがアメリカ人ですが、ドイツ人と韓国の人が一人ずつ、そして日本人学生が数人います。多くが日本語にも訳されており、英語を習得した学生やインターンの人には、積極的に通訳の奉仕を任せています。私は、沖縄CCBCは、どんな英会話教室よりも、集中的に、効果的に英語を話せるようになる(そして将来の宣教に備えることのできる)良い学校だと思いました。

そして学生は本当に和気藹々としていて、団結力が強く、かつ勉強熱心です。どこにいても、ノートパソコンと教科書をもってレポートを書いています。彼らは本当に、良い働きのためのすばらしい主の奉仕者になれると思います。

牧師のトミーは、すばらしい働きをしています。お母さんが日本人のハーフですが、カリフォルニア州のカルバリーチャペルで牧会をした後、日本でのCCBC設立のビジョンをもってここにやってきました。彼の働きもこれから応援し、また祈っていきたいと思います。

「キリラム教」アメリカで広がる

「キリラム教????」と思われたかもしれません。これは、次の英文記事のことです。

Chrislam Starts To Spread In America

キリスト教とイスラム教の融和を唱え、ムスリムと抱擁し、教会の中でなんとモハメットのことやコーランについて教えているのです!

昨日、モリエル・ミニストリーの東京集会に参加しましたが、以前と同じく、サドルバック教会のリック・ウォレン牧師のことが話の中で出てきました。私は英語で彼の教えていることや行なっていることの情報を得ていたので、彼がどれほど彷徨ってしまっているか聞いてもさほど驚きませんでしたが、日本語にはっきりと通訳されて聞くと、やはり新鮮に聞こえます。今やかなり有名な人になので、中にはかなり驚いている人もおられました。

モリエル日本の方が紹介されている翻訳記事もここにご紹介します。

リック・ウォレンについて

大事なのは「対話」でも「融和」でもありません。魂の「回心」です。キリスト教会の中で、例えば「同性愛をことさらに裁くのをよそう」であるとか、同性愛者の社会的位置の中で教会での対応を話している記事を日本語で読んだことがあります。

けれども、そこで見失われているのは、同性愛によって「どれだけ心に傷を負っており、多くの人がどれだけ性病によって苦しめられ、できるならばこの縄目から解き放たれたいと願っているかどうか。」なのです。人々から疎外を受けているという以上に、個人の心の奥底で救いを求めて泣き叫んでいるということです。その救いの力が福音なのです。

同じように、イスラム教徒の人たちも愛の神を知りません。「イスラム」とは服従という意味で、アッラーに服従しこそすれ、愛されているという意識はありません。けれども、キリストの愛に触れられて、どれだけ解放を受け、慰められた元ムスリムのクリスチャンたちがたくさんいることを知らなければいけません。

カトリックも同じです。自分の義を秘蹟(洗礼や聖体拝領などの礼典)を通して知ろうとして、イエス様の名前で直接、父なる神に近づくことのできる恵みを、マリヤ崇敬、司祭制度などによって知ることができていません。イエス様が個人的な主、命の主になっていないのです。こんなにすばらしい救いがあるのだよ、恵みがあるのだよ、という解放を得た、元カトリックの人たちは大勢います。

福音の力を、人間的な「対話」や「融和」によって緩めてしまうことは、この福音による解放と自由の機会を与えずに、その束縛の中でがんじがらめにするという、「愛や寛容」とは程遠い態度をその人たちに取ることに他なりません。

リック・ウォレン氏の問題については、終末論の中でも昨日、ピーターさんが話してくださいました。彼の考えは、「クリスチャンが社会と世界に対して良い働きをして、世界全体を良くしていき、それで再臨のキリストを迎えよう。」という千年王国後再臨説に基づくものだ、と話しておられました。

私も常々、彼の教えていること、行なっていることについて問題に感じているのはこの部分で、「人が救いようもない堕落した存在だ」「神の恵みこそが、私たちを救う」というを見ることができないことです。神の主権ではなく、人間の主体的な実践と努力によって物事を前進させていこうとする態度です。

私は彼が異端だとは思いません。でも彷徨ってしまった兄弟のように感じています。けれども、彼の影響力は甚大で、結果的に、教会の背教またバビロン化(黙示17章)の中の一端を担ってしまっています。

彼が、初めの愛とキリストの恵みの中に立ち戻ってくれることを願ってやみません。

(追記)
モリエル・ミニストリーについて、ロゴス・ミニストリーまたカルバリーチャペルと違う点があることを、昨日、ある姉妹が指摘してくださいました。携挙の時期についてですが、私たちは、患難期の前に主が教会のために戻ってきてくださるという聖書理解をしています。(参照「患難と教会」チャック・スミス著)モリエルの方々は患難の中期に携挙があると理解しておられるようです。

私個人は、「今すぐにでも、どんな徴候がなくても、キリストが私たちのために戻ってきてくださる。」という期待と切迫性が、日々の信仰生活の要になっているので、どうしても、すでに徴が明らかな患難期に入ってから携挙があるという時差をつけることができません。また、艱難という神の怒りから救われるというのが慰めの根幹になっているので、不信者のために蓄えておられる御怒りを信者が受けるとは考えられません(2テサロニケ1-2章)。

けれども、千年王国がキリストの再臨によって始まるという聖書的理解においては一致しており、その立場を聖書からきちんと教えておられたので理解の大きな助けになりました。

(後記)
モリエルの「だいすけ」さんが、さっそく上のキリラム教についての記事を翻訳されています。また、リック・ウォレン氏の霊的な問題を、アッシリヤの王にすがるアハズ王から指摘しておられます。ぜひご一読ください。

リック・ウォレンはアハズ王だ

「預言」の言葉

「預言」と言ってもいつもの終末に関する聖書預言のことではなく、御霊の賜物である預言の言葉のことです。

今朝、心の芯から慰められるメールを受け取りました。

Just a short note to let you know we are praying for your ministry in Tokyo. Our God is an awesome God and He loves to bless His children. Keep asking Him for your needs and for His wisdom and He will suppy you with His abundant love. He will surpass your expectations in amazing ways. God has planned to bless your ministry. I find the prophet Isaiah instructing us concerning God’s promises. He encourages us saying:
“Search from the book of the Lord, and read: Not one of these shall fail;Not one shall lack her mate. For My mouth has commanded it, and His Spirit has gathered them.” Isaiah 34:16

I encourage you to keep a journal of the many ways God is leading you and blessing your ministry–the everyday answers to your prayers. It will serve as a continuing reminder of His love for you.

Your sister in Christ,

下が意訳です。

東京における、あなた方の奉仕の働きためにお祈りしていることをちょっと伝えたくて、メールを出しました。私たちの神は大いなる方で、ご自分の子供を愛しておられます。自分の必要のこと、神からの知恵を求めつづけてください。神は、その豊かな愛をもってそれらを満たしてくださいます。あなたの期待をはるかに超えるように、驚くべき方法で祈りに答えてくださいます。神は、あなたの働きを祝福するようにご計画されているのです。神の約束について預言者イザヤがこのように私たちを教え導いています。こう私たちを励ましています。

主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。(イザヤ書34:16)

神が導かれていること、あなたの奉仕を祝福してくださっているいろいろな事、日毎の祈りの答えを書き留めておかれると良いでしょう。そのことで、あなたへの神の愛をいつまでも思い出すことができるでしょう。

私が12月に日本に戻ってきてから、期待をはるかに超えて驚くべき速さで事が進んでいます。そして祈りの課題をメールで配信するや、すぐにその答えが神から与えられています。ただただ、神の真実をほめたたえざるを得ませんでした。

ところが、ある人から、押しつげがましく感じるという趣旨のメールをいただきました。メールのやり取りで、善意から書いてくださったことは理解でき安堵しましたが、人間とは弱いもの、続けて神の恵みを報告する気力が弱まっていました。そこで受け取ったのが上のメールです。この方はおそらくカルバリーチャペル・コスタメサの方だと思いますが、初めて聞くお名前でした。けれども、まるで私の心の内面を全て知っているかのように的確な励ましの言葉を与えておられるのです。

実は少し前にも、同じように的確な内容の励ましの言葉をいただいていました。(その時は、「あなたの主にある喜びを主が保っていてくださいますように。」という内容でした。)

聖書では、これを「知識の言葉」と言います。コリント第一12章に出てくる御霊の賜物の一つです。超自然的にある人の状況についての知識が与えられます。そして、それを言葉に出して話すと「預言の言葉」になります。「預言」というと、「主は仰せられる!あなたは大きな試練に遭うことになる。」など、神がかり(?)的な悪いイメージを抱く方がおられるかもしれませんが、実は上のように一般的な言葉や行動の中に超自然的に御霊が働かれることが多いのです。

「ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。(1コリント14:3)」

2月から礼拝開始

驚くべきスピードで主が、祝福してくださっています。

金曜日に礼拝の場所が与えられました。こんなにもすんなり決まるとは、思ってもみませんでした。

そして本日、初めての祈り会を行なうことができました。新しく信じたばかりの方々も祈られて、こんなに御霊の一致がある祈りは久しぶりでした。

詳しくは、ロゴス・クリスチャン・フェローシップのページでご確認いただきたいのですけれども、興味のある方はぜひ礼拝にご参加ください。

2月5日(土)から毎週土曜日 午後7時から8時半

御茶ノ水クリスチャンセンター307号室

その他、以下の活動があります。
毎土曜日 午後1-3時 新しい信者のための勉強会
       3-5時 祈り会
毎日曜日 午後2-4時 第二礼拝
(いずれも東京足立区。詳しくはメールinfo@logos-ministries.orgにてご連絡ください)

礼拝は、第二礼拝において、創世記から順番に、一節ごとの講解を行なっていきます。そして土曜日夕方の第一礼拝において、第二で取り扱う箇所から、一部を、比較的初心者の人が聞いても分かりやすいようにお話しようと思っています。