カルバリーチャペル日本五月カンファレンス2016

例年5月に行われる、カルバリーチャペル日本カンファレンスが5月3‐4日に行われ、とても祝福されました。テーマは、「神が愛されたから」であります。

そしてなんと、主催しているカルバリー国分寺の人々が、カンファレンスのサイトを立ち上げてくださいました。

http://www.ccjconference.org/
Calvary Chapel Japan Conference

今回の分も、また過去のカンファレンスのメッセージも聞くことができます。

※私は、今年は「イスラエルを愛する」という題名で分科会を担当しました。

原稿 ・ 音声

関連記事:「日本カルバリーチャペル・カンファレンス」「日本カルバリーチャペル・カンファレンス2014年」「2015カルバリーチャペル日本カンファレンス

イスラエルから流れる神の愛

クリスチャン・シオニズムに対する誤解」、そして前々投稿「「平和活動」対「キリストの平和」」と前投稿「「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し」の続きです。

「検問所会議」のまとめ

検問所におけるキリスト」会議について、これまでの内容とかなり重なりますが、まとめみたいと思います。

先週は、かなり悶々とした時間を過ごしました。とても苦しくなり、なぜそうなのかはっきりしたことが分からずに悩んでいましたが、ようやく分かりました。それは、とても単純な真理です。「神はこよなくイスラエルを愛され、その愛をキリストにあって異邦人にも押し流してくださった。」という流れを否定されたからです。神が一方的に、ご自分の憐れみによってイスラエルを選ばれたからこそ、キリストにあって私も一方的に神の憐れみを受けて、愛され、選ばれているのだという、このつながりがあるわけで、イスラエルへの神の選びを否定したら、自分たちにも愛がなくなってしまう、ということです。

私が、個人主義的な信仰から世界に向かう御国の幻を広げたきっかけは、イスラエルへの祈りがあり、それから世界宣教がつながっていることがあります。聖霊はエルサレムにいる弟子たちに注がれ、シオンに王が来られたという良い知らせから、地の果てにまで神の救いが及ぶという宣教の情熱は、イザヤ書によって預言されていました。その幻は、主に聖書通読から得られたものですが、ジョエル・ローゼンバーグという、聖書預言に基づく小説を書いている人の講演や著書の影響は大きいです。彼は”Epicenter(震央)”という神の幻を頂いており、神はイスラエルを中心にして世界を動かされているが、その周囲の国々にその祝福は広がっているという重荷があります。それでJoshua Fundという団体を設立しました。それはイスラエルのならず、パレスチナ人、周囲のアラブ人に及ぶ広範囲な、霊的、物質的支援を行なっているところです。 続きを読む イスラエルから流れる神の愛

教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

平和への妨げ「被害者意識」」に引き続き、「東アジア青年キリスト者大会(第六回2016年)」で語られたメッセージで、心に残っているものを紹介します。永井信義牧師(福音の群・東北中央教会牧師)によるものです。

音声:「イエスのファン? 」ヨハネ6章26-27節

クリスチャン新聞の記事:「恵まれるだけでなく、従って

nagai_shiぜひ音声を聞いてください、とっても面白いです!(中身は22分辺りから)とても深刻な(?)問題を、若者向けにチャレンジを与えるように語ってくださっています。福音書にある、イエス様に付いていっている群衆と、イエスの弟子との違いを話し、それから野球場における、ファンと選手の違いを話しました。ファンは「もらう」ためにイエス様を応援しますが、選手はイエス様のプレーの一部になることができます。自分を通してイエス様が生きて働いていること、その御業の中に入っていることを経験します。そこには「捧げる」ことが必要です。 続きを読む 教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

平和への妨げ「被害者意識」

ずっと前から投稿しようと思っていたことを分かち合います。今年初頭に香港で行われた「2016年東アジア青年キリスト者大会」(Three Together)ですが、そこでのメッセージで特に心に残ったものがいくつかあります。その中の一つを紹介します。

「東アジア地域宣教の状況と和解の必要」金ジョンホ(김종호)
音声 ・ クリスチャン新聞記事1

彼は、日本のKGKのような韓国の学生伝道団体KIVFの代表です。クリスチャン新聞記事の内容の一部をこちらに抜粋します。

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「「日本に対する被害意識を植え付けられて育った」と振り返った。ところが、十数年前に日本を訪ねたときに衝撃を受けた。日本人も自分たちが第二次世界大戦の被害者であるととらえていたからだ。昨年は長崎を訪問し、博物館で残酷さ、非人間的状況を見た。一方で、原爆を落とされるに至った理由を学ぶことがないという日本の姿に疑問を残した。「加害と被害の構図は一定ではない」と言う。「ベトナム戦争では、韓国も加害者になった。日本に統治された韓国が加害者となるアイロニーがある」中国の例もある。長崎に同行したある中国人のクリスチャンは、「中国人は民族主義的傾向が強い」と語った。「中国は何千年も世界の中心にいたが、現代では周辺国に劣るようになった。だが米国が国力を落とす中、今後中国が、世界一の強国になる可能性があります」
~~~~ 続きを読む 平和への妨げ「被害者意識」

感情の絶対化

前の投稿「「寛容」という名の「非寛容」」の続きの内容です。

「上」におられる神から、「心の中」の神を求める現代

この頃感じることで「人々が自分の感情を絶対正しいとしてしまっている。」ということです。次の記事に、このような文章がありました。

感情に支配された「絶対正しい」という考え

「だから、われわれは自分の感情が神のように絶対正しいと考える傾向がある。教師や上司の指導にとりあえず従っているフリをしていても、腹の中では自分の方が絶対に正しいと考えているようなときは、感情に支配されていると考えてまず間違いない。

自分の感情が絶対に正しいとする基準はどこにも存在しない。他人も自らの感情に基づいて、自分が絶対に正しいと考えている。人間が絶対に正しいと考えることは確実に存在する。ただし、それは複数存在するのだ。自分の感情に固執して周囲から孤立しないようにするためには、近現代人にとって感情が神の位置を占めていることをよく認識しておく必要がある。」 続きを読む 感情の絶対化

「寛容」という名の「非寛容」

「新しい寛容」

パット・ズケラン(Pat Zukeran)さんという日系のハワイの人で、キリスト教弁証者(apologist)ですが、二年前にカルバリーチャペル府中で講演をし、私たちの教会にもお招きした方です。最近は、キリシタンの迫害史の探索のため、二回、ハワイの日系の人々を招いて巡礼旅行を導きました。彼はラジオ番組を持っていますが、クリスチャンのテレビ番組に登場して、今、世界に蔓延している一つの流れを紹介しています。

それは「寛容」の定義、意味です。従来の「寛容」は、「意見が異なっている貴方を受け入れる」というものでした。同意できないことがあっても、礼節をもって対話することができます。異なる意見の持ち主を受け入れ、愛することができる。自分の信じていることを説得することはあり、相手もその人の信じていることを説得することはあっても、それで迫害をしたり、牢屋に入れるようなことはない、というものです。これが従来の寛容でした。 続きを読む 「寛容」という名の「非寛容」

クリスチャン・シオニズムに対する誤解

三月初めに、以下の会議の内容をオンラインで見ました。

Christ at the Checkpoint Conference 4

パレスチナ自治区における、福音派の聖書学校「ベツレヘム聖書大学」と関連の深い、パレスチナ人クリスチャンの主催の会議です。彼らの立場からのイスラエルとパレスチナの問題、そしてクリスチャンとしてのイニシアチブを提起している会議です。この会議、特に今回のは、クリスチャン・シオニストと呼ばれる人々から多くの批判を受けました。

その中で深い懸念を持っていたユダヤ人信者の神学者、伝道者である、ミカエル・ブラウン氏が、その主催者の一人、ムンター・アイザック氏にラジオ番組にて、率直に意見を交わしています。

Dr. Brown Interacts with a Palestinian Christian and Sets the Record Straight about Saul Becoming Paul

DrMLBrown
ミカエル・ブラウン博士

以下はフェイスブックで書いた投稿です。

ユダヤ人信者が、パレスチナ人の福音派の指導者と、先日行なわれた「検問所におけるキリスト」会議について、率直な意見を交わしています。

私は、このカンファレンスの内容には正直、非常に当惑しました。ミカエル・ブラウン博士は、明確に相手のムンター・アイザック博士に質問をしたことによって、またアイザックさんも冷静に返答していることによって、互いの違いがはっきりしたと思います。意見ははっきり違いながら、キリストにある兄弟であることを確認する、非常に大人の会話でした。

ムンター・アイザック博士
ムンター・アイザック博士

パレスチナ人クリスチャンの提起している、「クリスチャンのシオニズム」すなわち、神のユダヤ人に対する選びが今も有効であるという立場への疑問は、日本の教会の多くも共有しているのではないかと思います。

①ユダヤ人が土地に戻ってくる、国を建てるという預言について、パレスチナ人のクリスチャンは「それでは、ずっとそこに住んでいた私たちはどこに住めばよいのか。出ていけということか。」という問題について。 続きを読む クリスチャン・シオニズムに対する誤解

ワンデイ・セミナー@カルバリーチャペル那覇

2月5‐8日、沖縄に行ってきました。その間にあった恵みを分かち合います。

ワンデイ・セミナーoneday_seminar

カルバリーチャペル那覇にて、一日セミナーが行われました。

左のチラシにあるように、私は聖書預言の二つのメッセージを担当しました。

世の終わりのシナリオ(拡大図)マタイ24章
音声 ・ PPT

世の終わりのシナリオ(凝視図)エゼキエル38章
音声 ・ 38章の図

そして、カルバリー国分寺の桜井知主夫さんによる「聖書の効果的な学び方①」と「聖書の効果的な学び方②」も、豊かな恵みでした。
続きを読む ワンデイ・セミナー@カルバリーチャペル那覇

ビリー・グラハムの背教??

「村上密氏に注意!」・・と書かれたらどう思われるのだろうか?という疑問が、下の村上密牧師のブログを見て思いました。

ビリー・グラハムの背教

この方は、カルト化した教会などで被害を受けた人々を援助している貴重な人であり、ブログには出てこない凄まじい現場を通っているのだと思います。俎上に上げているのは氷山の一角であり、その十数倍の事件や出来事を抱えているのだと想像します。

しかし、このブログには必ずしも自分が取り組んでいる分野ではないものも取り上げており、その情報の選択が、「杜撰」と言わなければいけない時があります。インターネットで引っ張ってきて、継ぎ接ぎだけをしているのではないか?と疑われるものが混在しています。その「裏」を取っていないのです。後で説明しますが、上の「ビリー・グラハムの背教」というのは典型的な例です。

以前、カルバリーチャペルにおける不祥事を取り上げたので、そこで私がすぐに連絡したことがあります。(拙記事)文章の最後に、それとなく書いていますが、実は私がかなり情報を急いであげたことによって、ようやく止めることができた誤情報がありました。掲載している写真はカルバリー・チャペルではない、メガチャーチの写真を貼り付け、それがカルバリーのものであるかのように取り上げていました。そして異端的な教えを、カルバリーチャペル・コスタメサで主任牧師となったブライアン・ブローダソンが教え始めたという内容です。その異端的な教えに対する警鐘を鳴らす冊子を彼自身が書いていた、にも関わらずです。 続きを読む ビリー・グラハムの背教??

ユダヤ人は救われるのか? - カトリックの立場

カトリック教会の置換神学放棄

ここ二週間ぐらいで、興味深い話題を追っていました。まずは、次のイスラエル発の記事です。

ローマ書9-11章宣言:カトリック教会 2015.12.12

イスラエルやユダヤの話題を追っている人によって、「キリスト教によるユダヤ人迫害、反ユダヤ主義」というのは、基本的な歴史事実です。そのために、ユダヤ人の中にイエス様を信じるということ、キリスト者になるということは、「ユダヤ人ではなくなる」という公式ができあがっています。「ユダヤ教徒ではなくなる」というならばまだ理解できるのですが、神も何も信じていない世俗的なユダヤ人であっても、イエス様を自分のメシヤとして受け入れたのであれば、その人はユダヤ人でなくなる、と言います。

そこで、民族的に、血縁的にユダヤ人であることを主張しながら、それでも私はイエスを信じていると主張している人々を、「メシアニック・ジュー(Messianic Jew メシヤ的ユダヤ人)」と自らを呼び、キリスト教の世界ではかなりその用語が定着しています。アメリカに、そしてイスラエルにユダヤ的な礼拝形式を保ちながら、なおイエスを主として受け入れている人々の集会があります。

それはともあれ、なぜキリスト教会においてユダヤ人を迫害する反ユダヤ主義がはびこったかと言いますと、「ユダヤ人がイエスがメシヤであるという福音を拒んだ。それゆえ、イスラエルに対する神の約束や契約は反故にされ、今は神のイスラエルは教会に取って変わった。」とするものです。それを、「置換神学」とも言われます。そしてカトリック教会は、その「イスラエル」と「教会」の置き換えにおいて、総本山的な存在であり、反ユダヤ主義の温床ともなっていました。宗教改革の代表的存在であるルターも、その神学を引き継いでいたので、福音を信じないユダヤ人にしびれを切らして、後年は反ユダヤ主義者となりました

参考文献:「教会が犯したユダヤ人迫害の真実―私たちの手は血塗られている」(ミカエル・ブラウン著) 続きを読む ユダヤ人は救われるのか? - カトリックの立場