「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと

フェイスブックの投稿を一部、編集後、掲載します。)

次の記事をまずお読みください。

「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと

先日、ある方から「あなたはいつもイスラエルの主張だけを紹介する」と言われて、「いや、パレスチナ人のクリスチャンからも情報をもらっているけれども、その人の安全にかかわるし、また言っても誤解されてしまう。」と答えました。

聖書を信じているから出てくる、自然な、ユダヤ人への愛

イスラエルのこと、ユダヤ人のことが、あくまでも神学上での議論の用語であったり、聖書研究に出て来るものであったり、考古学、聖地旅行に出て来るかな?という感じで、生身の本当の人々のことは、クリスチャンの間で共有されていないので、それをご紹介したいと思って、たくさんイスラエルやユダヤ人のことを書いています。しかし彼らも、イエス様によって愛されている、神に造られた人々で、父祖によれば、選びの民、愛された人々です。 続きを読む 「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと

ホロコーストから学ぶ「選びと召命」

本日は、イスラエルの建国70周年記念日です。1948年5月14日に、イスラエルが誕生しました。Happy 70th anniversary of Israel!

先日、下のリンク先にあるセミナーに参加しました。

イスラエル建国70周年 特別セミナー

イスラエル建国70周年を記念して、イスラエル唯一の日本人クリスチャン・ジャーナリスト石堂ゆみ師による特別セミナーを開催いたします。「ホロコーストと建国・日本・これから」と題して、ユダヤ人と神さまとの壮絶な関係、ユダヤ人の迫力ある生き残りと復活をイスラエルの歴史を通して学び、その時日本がどのように関わってきたのかを振り返ります。この春、ホロコースト記念館公認ガイド試験に合格された石堂師ならではの貴重な学びです。ぜひお越しください。

セミナー内容(変更の可能性もあります)
セッション1  聖書終了から近代:ホロコースト
セッション2  イスラエル建国の道のり
セッション3  建国から今:イスラエル・世界時事情勢と終末 続きを読む ホロコーストから学ぶ「選びと召命」

北朝鮮問題とキリスト者(横田家の救い)

今日、すばらしいニュースを読みました。以下のフェイスブック投稿です。

これで、横田家には少なくとも、二人の魂が主の救いを受けています。横田めぐみさんのお母様の早紀江さんと、そして滋さんです。滋さんのことは、拉致問題が発覚した当時、拉致被害者救出のために祈るクリスチャンの集まりで、滋さんがご自身がクリスチャンではないと言われていたのを思い出します。当時のリバイバル新聞というキリスト教の新聞記事を以下のページで紹介していました。 続きを読む 北朝鮮問題とキリスト者(横田家の救い)

地獄は不正か、それとも究極の正義か?

もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。」(黙示14章10‐11節)

昨日は、東十条の学びで黙示録14章(原稿音声)を学びました。先日、当ブログでセカンド・チャンスを改めて考える記事を載せましたが、それは「福音を聞いたことがない者が、死後に救われる機会があるのか」という問いかけでした。

けれども、そもそも、これまでじっくりと「地獄」というものが何なのか、何の思いをもって神はそれを造られているのか、またそこに神の正義があるのか、また憐れみもあるのか?という、「地獄」そのものについての教えから、私自身、目を逸らしていたことに気づきました。

毎週、いや毎回の聖書の学びで、私の信仰の中の奥深い部分で、地獄の存在を全く意識しなかったことはあり得ませんでした。非常に大切な教えである一方で、これを言葉にして、表に出すことに対する強い不快感が、どうしても付きまとってしまいます。

しかし、避けて通ってはいけないと思って調べてみました。

「愛の神は、人間を地獄で苦しめたりしないはずだ」は本当か?

一つ目は、以前当ブログで紹介した、「それでも神は実在するのか?」(リー・ストロベル著 いのちのことば社)です。本書は、キリスト者ではない方、求道者の方には特にお勧めです。キリスト教は良いかもしれないが、これこれの要素があるから、受け入れられないというような疑問に、真正面から取り組んでいる本です。そこに、上の副題の、地獄に対する疑問に返答している神学者の言葉が載っています。J.P.モーランドという方です。 続きを読む 地獄は不正か、それとも究極の正義か?

宮城キリシタン探訪

毎年、この時期に仙台の実家に戻るのですが、ずっと気になっていたことを行ないました。それは自分の故郷での切支丹の歴史を辿ることです。だれか案内してくださる方がいないかと思っていたところ、今年二月、N牧師と話している時に、ご自分の奥様がとても詳しいということで、お頼みしました。14年前に信仰をもった両親にも見せたいと思い、両親と、それから車の運転を手伝ってくださったN姉妹と共に、行きました。

仙台キリシタン殉教碑

広瀬川の殉教者(女子パウロ会)


仙台の西公園の端、広瀬川の大橋の横に、この記念碑が立っています。冬の極寒の中、水牢によって殉教した切支丹と伴天連を記念しています。しかし、彼らだけが処刑されたのではなく、ここら辺には裁判所もあったそうで、他にも多くの切支丹が殉教したと言われています。

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権威不在の時代

以下は、フェイスブックに書き込んだ投稿に加筆したものです。

「上」におられる神から、「心の中」の神を求める現代

以前、「感情の絶対化」という題名のブログ記事を書きましたが、最近、あることで、その書いたことと重なる内容のことを聞きました。今の社会に起こっている、深刻な問題だと思います。硬軟に「権威そのものを認めない」という傾向があるということです。

「だから、われわれは自分の感情が神のように絶対正しいと考える傾向がある。教師や上司の指導にとりあえず従っているフリをしていても、腹の中では自分の方が絶対に正しいと考えているようなときは、感情に支配されていると考えてまず間違いない。」(上のブログからの引用)

職場にしろ、教会にしろ、どこにしろ、立てられている人に、なぜか反発心を抱き、従いたくないという強い感情が出て来ること。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態にまでなってしまうこと。もしそうなっているのであれば、そこから離れることが賢いのですが、それでも反発心を抱きながら、自分の居場所を見つけています。

いわゆる「切れて」しまっている傾向が今日、強いと感じています。ちょっとした不愉快なこと、不快なことについて、そう感じることは正常な感覚ですが、それをいつまでも継続的に抱き、人間関係まで完全に断ち切り、自己完結した私的な空間を作って孤立しているか、あるいは、その反発心によって仲間づくりをして分派を作っているか、どちらにしても感情を自分の立ち位置の基にしてしまっていることがあります。 続きを読む 権威不在の時代

「共謀罪反対声明」に対する懸念

ここ二・三日のクリスチャン新聞の記事を見ますと、次々とキリスト教の教団や関連団体が、いわゆる「共謀罪」の廃案を求める声明を出していることを取り上げています。その根拠は、「内心の自由」が侵される惧れがあるから、というものです。

ここから少し、難しい話になりますが、逆説的なことを申し上げます。このような反対声明を出すことのほうが、かえって、将来的にキリスト者としての内心の自由を侵していく全体の動きが日本で起こってしまうのではないか?と危惧しております。

動画は、かつての大統領選挙で、民主党内の候補の一人であった、バーニー・サンダース議員による審問です。審問を受けているのは、トランプ政権において行政管理予算局の副所長への候補として、福音派神学校「ホイートン大学」出身のラッセル・ボート氏であります。この大学では、かつて政治学の教授がムスリムとの連帯を公表したため、大学が辞職したとがあり、その時にボート氏は、記事を投稿しました。その中にある一文を、サンダース議員が取り上げます。 続きを読む 「共謀罪反対声明」に対する懸念

ヘブライ的思考①:「区別」があるようで無いような曖昧さ

前投稿:「日本宣教と「ヘブライ的思考」

ヘブライ的な考え方について、西洋の考え方との対照表をご紹介しました。その中の項目の一つを考えたいと思います。

西洋の思考:「正確な分類をして生活をする」
ヘブライ思考:「全ては全てに重なり、曖昧である」

誰が救われているのか?

キリスト者にとって最も関心の高い、「神の救い」について話しましょう。救いの条件として、「信仰によってのみ」というのが、プロテスタント教会の私たちの信条です。誰が救われて、救われていないのかという議論が必ず出てきます。ところが福音書のイエス様の言葉を見てください、喩えが多くありますが、誰が救われて、救われていないのか?という区別なく、一つの忠告を与え、あるいは励ましています。救われているのか、いないのか?という「存在」を問うのはヘレニズム的です。けれども、「行なっているか、どうか」という「動いていること、活きていること」ことを問うのがヘブライ的です。イエス様の教えは明らかに後者でありました。

教えている「内容」が明確であり、それを知識的にしっかり把握していることはヘレニズム、ギリシヤ的なのですが、パウロがテモテに「敬虔にかなった教え」と指導したように、もっと敬虔さのほうに重きが置かれています。今日の教会は、「正しい信仰告白、信条」というものに重きを置くのに対して、ユダヤ教においては組織的な神学体系を持っておらず、個々の具体的な「教え」が中心になっています。

もちろん、信仰の内容、信条をはっきりさせている部分が、聖書にはたくさんあります。けれども、それは「生きている者たちの発せられる、活きた言葉」の中で告白していることであり、何か会社の議題で話し合いがまとまって、それで一つの信条告白をしているのではないのです。 続きを読む ヘブライ的思考①:「区別」があるようで無いような曖昧さ

エジプトのキリスト者:鉄のような赦しの力

今朝、あまりにも感動して、涙が溢れ出たのが下の記事です。

Forgiveness: Muslims Moved as Coptic Christians Do the Unimaginable(コプト教徒の想像を絶する赦しに イスラム教徒が感動する)

Image processed by CodeCarvings Piczard ### FREE Community Edition ### on 2017-04-20 16:32:01Z | http://piczard.com | http://codecarvings.com

以前、イスラム国によってリビアの海岸で、エジプト人のコプト教徒(キリスト教の一派)が斬首された後に、その出身の貧しい村で遺された家族が、イスラム国の戦闘員に対する赦しと、感謝の言葉までを述べたことをお伝えしました。

エジプト人キリスト者に広がる愛の御国

そして、先日お伝えしましたように、棕櫚の聖日の礼拝の時に、エジプトの二つの教会でイスラム国による爆弾テロがあったのですが、その被害者の妻がインタビューに答えています。彼女は、アレキサンドリアの教会で自爆犯に、探知機を通るように促した護衛で映像にも映っています。 続きを読む エジプトのキリスト者:鉄のような赦しの力

英米首脳の復活祭の言葉

復活祭における、英米首脳のそれぞれの言葉を聞きました。本当にじんと来ました。これこそ英米があるべき国の姿であり、世界に語りかける言葉だと思いました。この混乱した価値観と倫理の世界で、両国にはキリスト教的寛容の模範になってほしいと強く願います。

英国政府のサイト

ホワイトハウスのサイト

もちろん、国はキリスト教を代表しないし、しようもありません。キリストを証しするのは、教会であり、国ではありません。しかし、人が国を持っている時に、その限界を知りつつも最善を求めるために、キリスト教の歴史の中で築き上げた寛容の精神は、何物にも代えがたいものです。

<メイ首相:キリストを公に表明する自由> 続きを読む 英米首脳の復活祭の言葉