隠すことこそが、現すこと
これは、女性にも、男性にも少し違った意味で、それぞれに必要な言葉であります。
「控えめな服装は、あなたの体を隠すことではなく、あなたの威厳を現すことです。」
目の欲から守られる 続きを読む 控えめな服装
隠すことこそが、現すこと
これは、女性にも、男性にも少し違った意味で、それぞれに必要な言葉であります。
「控えめな服装は、あなたの体を隠すことではなく、あなたの威厳を現すことです。」
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この社会実験、ものすごく示唆に富んでいます。
病院の待合室です。被験者は、アジア系の女性。ピーッというブザーの音が鳴ったら、他の全ての人が起立しています。何の目的か良く分かりません。そして、診察室に一人一人、呼ばれています。 続きを読む 同調圧力の愚かしさ
「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。」(イザヤ5:20)
これから、今の時代の特徴について、難しい問題を取り組みたいと思います。
自衛行為が聖書の禁じる「復讐」か?
あるクリスチャンの方が、フェイスブックのページを立ちあげて、最近の教会における政治的な偏りに取り組んでおられます。例えば、国防について、憲法九条を守る立場から自衛隊は無くす方向に持っていくことが”御心”であるとすることに対する違和感を表明しています。最近は、神学者や教役者の中にも、例えば家に変質者が襲ってきたとしても、”抵抗しない”という発言まで散見されます。
このことについて、しばしば引用されるのが「殺してはならない」「敵を愛しなさい」「剣を鞘に収めなさい」「国は国に向かって剣を上げず」・・というようなものです。しかし、これらの神の言葉が自衛隊不要論、国や家族を守ることの否定にまでつながるのか?という問題提起をしておられます。
私も、同じ葛藤を抱いています。このような平和絶対主義を聖書が言っているのか?と聞かれれば、私は、はっきりと「否」と答えます。以下、山上の垂訓にある主の命令に対する問いかけを、同じページで、ある牧師さんがされていたので、それぞれの問いかけに私なりに応答したものを、下に紹介します。 続きを読む 「悪を善、善を悪とする」時代
寛容を掲げる人たちにある非寛容
米大統領選について。私たちの日本語の情報は、米国内の主要なマスコミに頼っています。そしてその情報によって、私たちはいつの間にか、米国政治のイメージを形成しています。共和党=タカ派、好戦、であり、民主党=ハト派、平和、であり、「キリスト者が共和党を支持するなんて、信じられない。」とまで思っている人もいるのでないでしょうか。
殊に、今回の候補は暴言で問題視されるトランプ氏です。共和党の中、保守派でさえ亀裂が走っている中で、トランプ氏を支持するキリスト者がいることについて、「福音の本質から離れている」など、まるで信仰を捨てたと言わんばかりの発言を、ある日本の信者の発言に読みました。
私は、どちらが攻撃的なのか?と思っていました。トランプ氏の暴言を批判するまでは良いのですが、その使っている言葉は負けず劣らず排他的であり、トランプ氏とその支持者を人格まで否定するものなのです。
ここに、社会実験をした方がいます。共和党と民主党のそれぞれの全国大会において、その会場でプラカードを掲げます。共和党全国大会では、「私はヒラリーを愛しています」と書かれたもの、民主党では「私はトランプを愛しています」と書かれたものを掲げました。
次週の日曜日は参院選、そして都民は都知事選が控えています。次は、若者への投票を促すビデオですが、私たちにも当てはまります。
https://youtu.be/Fx5FNxv4hS4
そしてある若者が、昨日、キリスト者が選挙に参加する、投票する意味について尋ねてこられました。それに対する回答は以下の通りです。
ローマ13章だと思います。市民生活、そして国民の義務は、神から来たものとして与えられたものです。法律を守る市民であることで、証しを立てることができます。納税について、その他の法律についてはもちろんですが、選挙というのも同じです。それを行なわないでも罰則はないですが、けれども選挙に拠らなければ、日本は主権在民なので成り立ちません。したがって、祈りつつ、自らの考えに少しでも合っている候補者を選ぶことは、キリスト者の証しにつながる行為です。 続きを読む キリスト者の皆さん、投票に行きましょう!
憎しみを植え付ける教育
前記事「ラマダン期間中のテロ」で取り上げた、パレスチナ人によるテロの背景には、次のような教育があります。
ユダヤ人に対しての憎しみの心は、この様なPA(パレスチナ自治政府)の教育方針のもと、毎日植えつけられていっています。
PMW(Palestinian Media Watch)というパレスチナ自治政府がどの様なプロパガンダを発信しているかというのを監視する、イスラエルの団体があるのですが、
その団体の報告によると、自爆テロを起こしたテロリストはの英雄化は、そのテロリストの名前を学校の名前としたり、スポーツのトーナメントの名前にする事によって行われているそうです。
パレスチナ自治区の学校の生徒に「あなたの夢は何ですか?」と聞いたインタビュー映像では、その質問に対し、「私の夢は、あの〇〇さんの様に殉教(自爆テロ)し、ユダヤ人をより多く殺すことです」と女子生徒が答えていました。
憎しみを植えつけ続けられる子供達を覚えて、
常に「敵」に囲まれているイスラエルを覚えて。
「エルサレムのために平安を祈れ、「エルサレムを愛する者は栄え、
7 その城壁のうちに平安があり、もろもろの殿のうちに安全があるように」と。 詩篇122:6−7
PMWのサイトはこちらから。 どの様な手法で偽りの報道がされ続けているかを見る事ができます。 http://www.palwatch.org/
~~~~ 続きを読む 神学的テロリズム
先日投稿したFBの記事です(一部編集)。
日本の福音派の一部による動きを見るにつけ、私は「本当にもったいない」という思いがしております。日本のことを思う思いは一杯あるでしょうに、それがあまりにも、偏りすぎた、この世にある政治活動と変わらないような形で行われているからです。しかし私たちキリスト者がキリスト者たらしめるものがあります。それはキリストを主と掲げる告白と、祈りと、賛美、そして福音宣教です。これこそが、この日本を救うという信仰は、キリスト者の内で一つに、強固に持っているはずです。
神だけに希望を置く祈り集会
世界には、それぞれの国で大きな危機、岐路に立たせられた時に、キリスト者が一つになって祈りを捧げるということが行われています。アメリカでは、Decision America Tourという全米各地での祈り会、自分たちの国のための祈り会が推進しています。アメリカを救うのは政治家でも大統領でもない、神ご自身だという信仰で祈り、そしてキリスト者が必ず投票に行き、また公職にキリスト者がもっとつくことができるように促しています。争点はそこでは話しません、たくさんの祈りを捧げることのほうに集中し、判断はキリスト者の内におられる聖霊にゆだねます。 続きを読む 我が国のための祈り会を!
先日FBで投稿した記事をこちらにも分かち合います(一部編集)。
7月に行われる、おそらく参院選を意識しているであろう某緊急セミナーの題名は「この国はどこへ行くのか」であります。私は、日本国を「この国」と呼んでいるところに違和感を抱きます。今、エレミヤ書を聖書講解しています。そこから流れ溢れる涙は、エルサレムをまるで自分のものであるかのように泣いている、その帰属意識でした。
ある方がこのようなことを書きました。「おそらく、本当に日本人の魂と文化を愛する人間が「偶像崇拝はダメ」といえば、なるほどと受け入れられます。でも、日本人の魂と文化を否定するものが「偶像崇拝はダメ」といえば、失敗して後々しっぺ返しを喰らうでしょう。」
同じ罪を指摘する時に、その指摘する心が愛から出ているのか、そうでないか、同じ言葉であっても歴然とした差が出てきます。最近の教会の講解説教は、エレミヤ書9-11章でした。エルサレムをバビロンによって裁くと宣言される主は、その厳しい言葉の合間に、「主はかつてあなたの名を、『良い実をみのらせる美しい緑のオリーブの木。』と呼ばれた(9:16)」と、彼らを恋い慕っているために、心が裂くようにして裁きを宣言されているのを見ることができます。
あるアメリカ人宣教師は、しばしば英字新聞の記事をシェアします。それらを見て、気分のよくない時があります。確かに書かれていることは事実を反映しているかもしれないのですが、基本的に日本の文化やあり方を見下げていることが分かるからです。日本が嫌いだ、というのがその文面から分かります。 続きを読む 「我が国」と言えない日本人
最近、あるところで投稿した記事を、手直ししつつ、まとめてご紹介したいと思います。
「正義の戦争」は存在する
イスラム国についてのニュースは、最近、シリアとイラクでその領域を失っていっているという報道があり、これで終わりか?と思いたい状況ですが、決してそんなことはありません。イスラム国はその本質は領域国家ではなく、イデオロギーだからです。ちょうどキリスト者が信仰によって生きる時に、そこに神の国が広がるのと同じです。
下はアメリカのテレビ番組の案内です(ビデオ付き)
Exposing the ISIS killing machine(イスラム国の殺戮装置を暴く)
「正義の戦争」という議論を少しある方としましたが、私にとって絶対平和主義は聖書的だと思わないだけでなく、実存的に受け入れられません。ナチス・ドイツによる戦争、ユダヤ人等の虐殺の時にそれに戦った軍について、武力を行使したということでそれを罪と断じることが果たしてできるのだろうか?私は連合軍のしたことの全てが正しいなどと決して言いませんが、このことについて、主は彼らを用いられて、悪の拡散を制止するようにされたのではないか? 続きを読む 正義の戦争、イスラム国、日本の役割
自分の利益のための、神への従順
前投稿「ご利益ではないキリスト教」に引き続き、お話ししたいと思います。私たちの中には、内にある性質として「ご利益」があります。それは、「自分の益になるために、あることをする」という考えです。
蛇がエバのところに来た時のことを思い出してください。蛇が女に、主が言われたことについて、本当にそう言ったのかと挑まれた時に、「神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。(創世3:3)」と答えています。しかし、主は「死ぬといけないからだ」とは、言われませんでした。「必ず死ぬ(3:17)」と言われましたが、死ぬといけないから、食べてはならないとは言われなかったのです。しかしエバは、「自分は死にたくないから、食べてはいけないのだ。」と受けとめたのです。このように、神の言葉に対して、自分の利益になるかどうかの物差しを使い、益になるから従う考えは、人類の最初から埋め込まれていました。
しかし、主に命じられたことは、主が主であるから、そして私が神に造られた者、僕であるから、従うのです。それだけが動機であるべきです。自分に利益になるかどうかは、別問題なのです。
続けて読みますと、そのエバのご利益的返答を使って、蛇は、「あなたが、善悪の知識の木の実から取って食べたら、神のようになって、善悪を知るようになるのだ。」と言って、「食べれば、賢くなる」とご利益信仰の誘いをしたのです。そこでエバは、自分にとって益になるかどうかで「計算」して、それで食べることに決めました。 続きを読む 私たちの内にある「ご利益」の性質