パレスチナを愛する親イスラエル

FBのコメントで先週末掲載した投稿をこちらにもご紹介します。(実は、ちょっと悩んで、取り下げようかな?と思ったのですが、瞬く間に、いいね!がたくさんついてしまいました。)

イスラエルを愛することが、なぜかパレスチナを憎むことのように言われる。なぜだ?イスラエルを選ばれ、ユダヤ人を約束の地に導きられたのは、私たちの主イエス・キリストの神だ。だから、私は親ユダヤであり、親イスラエルだ。

そして神はすべての人を愛しておられる。アラブ・パレスチナ人を含めて愛しておられる。しかもアラブ人は、アブラハムの祝福を受けたイシュマエル人の末裔だ。愛さないではいられない。

両者が人間の世界では正反対の立場に置かれている。戦争によって、また政治的に対立する立場にある。だから何なのだ?私はイスラエル支持の発言をするし、パレスチナ人の苦しみへの共感も口にする。そこに矛盾はない。あるとしたら、それは人間の頭で考えているからだ。主の御言葉の中に自分を置けば、どちらも簡単にできる。

パレスチナ人クリスチャンは、イスラエルを憎んでいない。イスラエルを滅ぼそうなど考えていない。苦しいが、しかしイスラエルに反対するという選択肢はない。彼らも、主のくびきを負った人々だからだ。

同じように、イスラエルのユダヤ人信者は、パレスチナ人を憎んでいない。むしろ、自分たちにロケットを三千発以上打ってきた、そのガザ全体が滅びずに救われるよう執り成しの祈りを捧げている!そして、パレスチナ人クリスチャンと交わりを持っている。イスラエルを愛し、同胞の民を愛しながら、なお敵性民族を愛することは、全く矛盾しないのだ。

これは、アメリカに対しても、中国に対しても、イランに対しても、そう、北朝鮮に対しても抱かなければいけない思いだ。どの国も神の呪いを受けるに値しない、アブラハムの執り成しの祈りと同じ祈りがささげられている、神の憐れみの対象だ。

私は北朝鮮の国を、馬鹿にしたように、話の中で、しかもクリスチャンの中で呼ぶのを忌み嫌う。その人は北朝鮮のクリスチャンにあったことがるのか?脱北した兄弟姉妹も、そんな使われ方をしたら嫌な思いをすることを知らないのか。

アメリカ人クリスチャンを、宗教右派などとレッテルを貼り、こけにしたり、嫌悪感を露わにして、彼らがどう思っているのか知っているのか?閉鎖された”日本”キリスト教の壁をとっとと取り壊してもらいたい。平和なるキリストは、すでに隔ての壁を取り壊されたのだから。

日本人の考える「平和」

ガザ戦争について興味深い会話をフェイスブックで見ることができました。ベツレヘムに、唯一の福音派の神学校があります。そこが出したガザ戦争における声明を、ある日本人が訳し投稿しておられます。それに対してアメリカ人でユダヤ系のクリスチャンが、日本にも宣教の働きで関わっておられるであろう方が、進言しておられる会話です。

ベツレヘムバイブルカレッジによる、ガザにおける現在の危機に関する声明
(2014年7月25日)

ベツレヘム・バイブルカレッジの方々の声明は、双方(ハマスとイスラエル軍)に暴力の行使を停止すべきであるという声を上げています。それに対して、その兄弟が次のようなことを書いておられます。

「残念ながら、神から離れて平和はありません。この地域に平和が来ることはありません、なぜならイスラエルの敵はこの小国を残滅させたいと願っているからです。第二次世界大戦にナチスが行ったあの憎しみを、彼らも抱いています。イスラエルの敵は周囲の国々も含めたくさんいます。私の曾祖父はロシア系ユダヤ人でした。ユダヤ人は何千年も、どこに住んでいても迫害されました。これは聖書が預言している通りです。

テロリストがあなたの国にロケットを打ちこんだら、同じように反応しますか?放っておいて、いなくなることを願うだけですか?話すのは簡単にできます。この戦争において助言したい人は、責任を持っていないし、犠牲もないし、結果に関与することもありません。話しているだけの人々が、ロケットが打ちこまれてくるイスラエルに住んでいるなら、あるいは自国に砲弾が撃ち込まれてくるなら、話の内容は変わってくるでしょう。」 続きを読む 日本人の考える「平和」

聖書を学ぶことの難しさ、イスラエルも

信仰の基本に戻る

バプテスマ式を終え、この前の日曜日に新しい教材を使っての、新しい信者の学びについての説明を教会の人々に行いました。信仰的に新しい人々だけでなく、他の人々にも開かれた学び会にしたいと思っています。

というのは、これをずっと前に学んだ人が「最近になってようやく分かった」と仰られたからです。その時はただ宿題をこなすような気持ちだった、とのこと。これは信仰者全般の課題で「分かっているようで分かっていない。」というのが現状です。何度も聞いているから、分かっていると漠然と思っていたけれども、いざ言葉として口から出すことができるのか、また聖書に書かれてある通りの意味合いで、例えば、「悔い改め」「救い」「信仰」「聖霊」などの言葉を使っているのか。そして伝道の時に、福音の神のご計画を、相手に合わせながら、かつ真理を曲げることなく語ることができているか、そんな課題があると思います。

私も同じです。大学二年生になる直前に明確に信仰を持ちましたが、教会や伝道に熱心になっていた自分が就職二年後に渡米し、そこで牧会訓練校に通い始めたのですが、「悔い改め」という言葉を忘れたクリスチャン生活であったことに気づいたのです。それで、牧師などという大袈裟な話ではなく、クリスチャンのイロハに戻ろうという初心に帰りました。

こうした過程が、信仰生活の中であると思います。これはヤコブ書1章にある、「聞いているだけでなく、御言葉を実践する者になりなさい。」につながる過程です。つまり、聞いていて分かっているつもりが、生活の中で生かされていないという課題です。これをじっくりと、時間をかけて主に働きかけていただくことが霊的生活ではないでしょうか。

分かっているつもりで分かっていない聖書

聖書の学びも同じでしょう。知識的には分かっているはずの話、聖書箇所であったりします。そして教会生活が長くなると、説教を聞けば「また同じ話をしている。」と思います。そして牧者に対しても批判的になります。「俺たちは現実の生活でもがいているのに、聖書ばかり見てなんかのうのうとしているな。」 続きを読む 聖書を学ぶことの難しさ、イスラエルも

クリスチャン女性へ - あなたは綺麗です

とんでもない題名をつけてしまいました、でも本気です。まずは今朝見つけた、次のビデオをご覧あれ。

感動しました。すべて素顔の女性は美しいと思いましたし、特にかつらを取った後の彼女はなんと美しいことか!私は化粧を否定するものではありません。しかし過度に化粧をしていく中で、次の二つのことが心の中で進行しているのではないでしょうか?

1)自信がない
2)流行に乗りたい

2)については、黙示録18章をご一読を。これが流行の正体です。1)について詳しく話します。

私は海外から日本に戻ってくる度に、ストレスが溜まることがあります。それは、きれいすぎる女性たちを見ることです。その「きれいすぎる」というのは、ちょうど上塗りだけした、脆く壊れやすい物と似ていて、何か少しでも外的ストレスを加えると崩れ落ちてしまうような「外見上の美しさ」であります。 続きを読む クリスチャン女性へ - あなたは綺麗です

怒る者から、執り成す者へ

二週間、日本を離れていたのですが、戻って来たらイスラエルのガザ空爆のことで、賑わっているので驚きました。驚いたのは、その空爆ではなく、いつもはイスラエルとパレスチナの関係に無関心な日本人が、空爆の画像を見て「戦争はいけない」と口角泡を飛ばしていることです。以前、ネタニヤフ首相来日に無関心の日本の非常識をブログに書きました が、全く対照的な反応なのです。はたまたイスラエルの行動を擁護する少数の人々は、自衛隊派遣の正統性を補強するために語っているという・・。いつまでも限りなく内向きな姿にむしろ、現地の戦争よりも深刻な問題を感じます。

平和を掲げながらの戦争準備

私はその海外において、そこにいるクリスチャンたちに、マスコミ情報が国の思惑とも相働いて、その心が戦争の準備をさせていること、そのようにして悪魔が巧妙に働いていることをお話ししました。皆が日本の集団自衛権の是非を論じていますが、既に戦争は心の中で始まっているのです。マスコミのごく一部の見方によって心の中に、じわじわと漠然とした偏見が沁みこんでいます。

そして、いざ国が戦争行為を出動させる時、国民の支持が得られる必要があるのですが、長いことマスコミで操作された情報を受けていたので、容易に支持するようになるのです。これが戦争のからくりです。戦争反対あるいは支持を掲げる前に、自分が果たして公平に、冷静に状況を分析しているのか、知らないでやみくもに主張していやいないか、吟味する必要があります。

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嫌がられて、でも気にされる教会

次の記事を紹介します。

The Presbyterian Church USA turns against Israel. But they have already rejected Christ & His Word, so is this surprising? A brief analysis.
(米長老教会が、イスラエルに反対した。しかし既に、彼らはキリストと御言葉を拒絶していたのだから、それほど驚くことはない。短く分析)

どういうことかと言いますと、日本語にも記事になっているものを紹介します。

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◎米長老教会がイスラエルに圧力?
暗礁に乗り上げたイスラエルとパレスチナ和平交渉の打開に向けて、米長老教会(PCUSA)はデトロイトで開催した総会で6月20日、保有する米コンピューター大手ヒューレット・パッカード(HP)、建設機械のキャタピラー、通信機器のモトローラ・ソリューションズなど3社の株式計2100万ドル(約21億円)の売却を310票対303票の僅差で決定した。3社がイスラエルによるパレスチナ占領に加担していることを理由としている。
イスラエルが西岸地区と東エルサレムに入植地を建設しようとしていることに歯止めを掛けるねらいという。
同派は米国では主流派教会の一翼とされており、米聖公会などと並んで歴代米大統領の信徒が多い。今回の決定はイスラエルにとって一定の圧力となりそうだ。・・

◎米長老教会が同性婚容認へ
米長老教会(PCUSA、信徒180万人)はデトロイトで開催した総会で6月19日、ゲイとレスビアンの結婚式を教会で牧師が執行することを認める議案を76%対24%で採択した。併せて同派の『ブック・オブ・オーダー』(教会規則)の結婚に関する規定の中で「男性と女性」とある個所を「2人」に修正する議案も採択された。
正式決定には、同派を構成する172中会の大多数が批准する必要があるが、総会での3対1という比率での採択から、批准も順調に進むと見られる。 続きを読む 嫌がられて、でも気にされる教会

負い目のある私たち

人間生活に必要な自虐ギャグ

私は海外生活が長いためでしょうか、日本にいて時々息苦しくなる時があります。今回の女性議員に対する都議会における性的嫌がらせの野次にまつわる、世間の怒りの表れに度を越したものを感じます。その他でも、政治家の失言で頭を下げて謝罪している姿を見るにつけ、「首根っこをつかむ」「締め付ける」「吊し上げる」という空気で周りが固形化しているのが、とても辛いです。教会の人でもこの前、しばらく海外出張で外国の人相手であったのが、今は日本の人たちとの話し合いになっているが、どうも細かいところ、そして言葉の表現の仕方が議論の中心になり肝心の内容を進めていくのになかなか前にいかず疲れる、という話をしておられました。

次の、私の友人のFBにおける投稿で、イギリスの議会の野次を取り上げた記事がリンクされています。

イギリスの議会におけるヤジはどうなっている?

calm-down-dear-cameron-clegg-osbourne議会って、こんなに熱く、楽しくなることができるのか?と本当に羨ましくなりました。非常に高度で、高貴なバラエティー番組を見ている気分です。私は大学の頃ディベートをしていましたが、その理想形をここで見ます。つまり「言葉のやり取りの軽快さ」なのです。これはノリが軽いとか、内容がないということではありません。むしろ、そうすることによって論理の構成に注目し無駄を省くので、事の本質にそのまま入ることができるのです。さすが、最も民主主義の議会制度が成熟していると言われるイギリスだなと、ほっとします。リンク先にある議会のビデオを紹介します。 続きを読む 負い目のある私たち

日本におけるメシアニック・ジュー運動

最近、日本におけるメシアニック・ジュー運動の問い合わせが多くなっていて、その回答をここのブログでもしたいと思います。既に十年以上前に書いた拙記事がホームページ上に掲載されています。そこからの抜粋をまず紹介します。

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メシアニック運動とは、ユダヤ人が、その民族性を捨てることなく、イエスをメシヤとして信じることの運動である。歴史的には、「クリスチャン」という言葉は、欧米にある共同体の中に入っている名称であり、ユダヤ人はその仲間に入るためには、自分の民族性を捨てなければいけなかった。そのためユダヤ人は、「クリスチャン」になることは、「ユダヤ人を捨てる」ことと等しいと考えている。けれども、メシアニック運動に関わる人は、ユダヤ人がイエスを信じることは、ユダヤ人を捨てることではなく、むしろユダヤ人のためにメシヤが来られたのだから、「ユダヤ人として完成する」とみなす。簡単に言えば、「ユダヤ人がイエスさまを信じて、救われて、神の国に入れられる」ことを強調する運動だ。

私は、この運動についてはアメリカで聞いた。学校で使っていた教科書が、今はよく来日されている、アーノルド・フルクテンバウムによるものであったことと、また、過越の祭の食事が、近所のメシアニック・コングリゲーションで行なわれるから、という知らせを聞いて、「体験だから」と参加したことで知るようになった。けれども、それだけの体験であり、メシアニック運動についてそれほど意識していなかった。それよりも聖書の学びをとおして、イスラエルのことを知ることは聖書理解のために非常に重要であることが関心事であった。そのコングリゲーションの礼拝にも一度だけ参加したが、やはり、「自分は異邦人だから、ユダヤ的なものでは礼拝生活は難しいな」という感想であった。ちょうど、「黒人教会」と言われているところに、白人やアジア人が参加するような感触を持った。 続きを読む 日本におけるメシアニック・ジュー運動

「美味しんぼの鼻血」から学ぶ教訓

私たちの教会は、創世記から順番に学ぶ聖書通読による説教で礼拝を捧げています。今はヨブ記です。ある意味、教会こぞって、私たちの生きていることについて深く考えているのではないかと思います。

「矛盾」にある真理

考えさせられていることの一つは、自分の知識と現実の乖離です。現実は私たちが考えているように単純ではないということです。私たちは物事を自分の理解、把握の中に入れたいので、それに収まり切れない現実に原因を見出そうとし、責め立てていきます。しかし現実、いや神の真実自体が、人間には”矛盾”している真理を孕んでいることを知る必要があります。

美味しんぼの「鼻血」最近の時事問題で、「美味しんぼの鼻血」がありましたね。放射能によって鼻血が出てきたと描いた漫画美味しんぼについて、福島県当地から風評被害として抗議があっただけでなく、津波で被災した県からの廃棄物処理についても健康被害を受けたとする記述もあったために、大阪市からも抗議があり、ついには政府(環境大臣)までが苦情を述べ、公式の見解を環境省のホームページにも載せる、というところまで発展しました。そして、美味しんぼはビックコミックスピリッツから休載ということになりました。

この件について、次の記事が私を激しく頷かせました。私はこれまで、マスコミ全般に対して批判的でありましたが、マスコミの中にいる方々が通っていることを想像しながら書いた記事であり、これまでの姿勢を少し反省しました。ここ数年でマスコミによる報道がセンセーショナルにしてしまっているのは、私たち読者たちの読解力不足が一因であることを教えています。 続きを読む 「美味しんぼの鼻血」から学ぶ教訓

私を贖う方は生きておられる

教会ではヨブ記の学びが進んでいます。ロゴス・ミニストリーとして、聖書通読の学びは第二周に入っているのですが、どの書物も新しい発見なしに読むことはできません。一回目にヨブ記を教えた時に、とても苦手意識を持ちながら教えていたことを覚えていますが、今は、まるで違った視点で読むことができています。

ヨブ記の学び

Job's Sufferingヨブの苦悩を読めば、人生の壮絶な苦しみを味わっている人のあらゆる声を代弁しているので、誰もが孤独にならず、またごまかすことなく神に取り組むことができます。ヨブの友人とのやり取りの中で、その慰めを受けられない痛みの中で、彼の神への愚痴は、いつの間にかキリストご自身が正しい方なのに罪に拠る苦しみを負われている、その贖いの姿を浮き彫りにしていきます。

そしてヨブは、気が狂ってしまっているのではないかと思われる程の極度の呻きの中で、突然、光に打たれたかのような大胆な信仰の言葉を出します。神の仲介者による保証を宣言しました。体のよみがえりを希望しました。ついによみがえった肉体によって、神が贖い主として地上に立っている姿をそのまま見るという、とんでもない信仰の言葉を発します。

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。(19:25-26)」

上の御言葉を歌ったのが、次のビデオです。 続きを読む 私を贖う方は生きておられる