「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」~ キリスト者としての書評

コミンテルンの世界戦略から、日本の敗戦を眺める

 著者、江崎道朗さんは、ビズテリアの懇親会で、二回お目にかかり、二回目はお話しも少しさせていただきました。著作の一つを今、読んでいます。ある事がとても気になっていて、江崎さんであれば詳しいだろうと思って尋ねたところ、短い言葉でしたが、とても的確な回答を下さいました。

 それは、「キリスト教は共産主義に騙されやすいか?」という質問で、答えは、大きくうなずく「はい」でした。共産主義者は、非常に高度な戦略を持っており、賢く、反対の思想を持っている人たちでも抱き込む術を知っていると思っていたのですが、その通りだと断言してくださいました。キリスト教の人たちは善意があるので、とくに騙されやすい、とのことでした。ある神学者が語った、「地獄への道は善意で舗装されている」の言葉を思い出しました。

 本書ですが、読み始めたら、ぐいぐい入ります! 続きを読む 「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」~ キリスト者としての書評

「聖書から見る お金と教会、社会」

昨晩、この本を完読しました。

「聖書から見る お金と教会、社会」(高橋秀典著 地引網出版)

二年前に出版された本書ですが、なんと私は購入したのに積読、けれども、自分自身が去年の秋から、経営者の方々に触れる機会が多くなり、お金の動きというものを知る機会にあずかりました。参院選の前、著者ご本人のフェイスブックにおける投稿で、ある経済の本についての感想を書いておられて、経済の動きを分かり易く説明しておられたので、この書を開いて見たら、きちんと全て説明されていたので、最後まで読み進めてみた次第です。

取り扱われている経済動向が時事的には少し古くなっていますが、いやむしろ、そこに書かれていることが今現在、起こっていることの背景になっているので、今を理解するのに有益でした。そして、聖書にある原則についてはもちろん不変なので、問題ありません。 続きを読む 「聖書から見る お金と教会、社会」

「聖書が教える恋愛講座」の著者の棄教

「聖書が教える恋愛講座」(原題はI Kissed Dating Good-bye「僕はデートにさよならのキスをした」)の著者、米国の元牧師ジョシュア・ハリスさんが、クリスチャンを辞めたっていう話で、心痛めている兄弟たちが次々とフェイスブックやブログなどで、投稿をしています。この本は、キリスト者の若い男女は、デートではなく、結婚までの交際期間(コートシップ)にすべきであるという趣旨の内容です(参照要旨)。

私が読んだそれらの投稿を紹介します。一つ目は、MGFの牧者、菊地一徳さんのものです。

そして次は、カルバリーチャペル国分寺の桜井知主夫さんの文章です。

主体的に取捨選択できるようになるために

この記事を読んで、自分のフェイスブックに以下の投稿をしました。 続きを読む 「聖書が教える恋愛講座」の著者の棄教

検証・批判サイトを敢えて、検証・批判する

これからお話しすることは、とても微妙で、言いづらい内容です。けれども、いろいろな方から紹介されたり、質問を受けたりして、事実、いろいろな意味で大きな影響が出ています。「NAR(New Apostolic Reformation)新使徒宗教改革」と名づけられているものです。

日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント–NARに関する警鐘を鳴らす–

自分の立場の紹介

まず、私の信仰の歩みから説明します。信仰をもって間もなくして、ペンテコステ・カリスマ運動に触れました。そこで、ピーター・ワグナーやジョン・ウィンバー著の「力の伝道」にも触れ、その中にあることを実践しようとしたこともあります。ある時は、何も見ていなくとも、何か変だなと思ったら、神社関連の石柱があったとか、敏感になっていました。

ところが、その結果、ある異端に引きこずれこまれ、一か月後に脱出しましたが、かなり痛い経験でした。しかし、同時に癒しを受けたのも、その直後に参加した、ペンテコステ系の教会の青年向け集会でした。

そんなこんなしているうちに結婚し、その中でバランスを求めていくようになりました。アメリカに渡り、カルバリーチャペルの中で育ちました。神学のバランスを特徴としている教会で、カリスマ(超自然の聖霊の賜物)は今も有効であると信じつつ、聖書の言葉の権威を重んじています。ここが私と妻にとっての、霊的故郷であり、今もそうなっています。 続きを読む 検証・批判サイトを敢えて、検証・批判する

「史跡・都市を巡る トルコの歴史」

今年に入ってから、次の本を発見し、長い期間をかけて、実に四月初めのトルコの旅にも持参しながら、少しずつ読んでいった次の本を完読しました。

史跡・都市を巡る トルコの歴史 古代から20世紀までの文明を探る(野中恵子 著)

まずは出版社の紹介から:「トルコ各地の史跡・旧跡・古都・博物館などを巡り、その見聞を語りながらトルコの歴史を描いていきます。トルコは古代より文明が重層する地であり、キリスト教とイスラム教の二大帝国が存在した要衝です。本書では、そのトルコ各地の魅力を語り、そこから立ち上る古代から20世紀前葉までの歴史に思いを馳せつつ解説します。また、トルコの通史を理解する鍵を、アジア・イスラムという一般的なイメージのなかで、じつはローマ史であるという点においていることもポイントです。トルコ史の一般教養書としても旅行ガイドとしても楽しめる内容となっています。」

旧約の人類の始まりから新約を超えた悠久の歴史

私の聖地に対する想いは、1999年のイスラエルへの旅から始まり、合計、イスラエルへは五回、旅をしています(「聖地旅行記」のページ)。そして、その間にエジプトに一回、ヨルダンには二回、足を運んでいます。それは、聖書の舞台は現代イスラエルに収まっているのではなく、その周辺国にも及んでいるからです。 続きを読む 「史跡・都市を巡る トルコの歴史」

流さないで受けるだけでは、いつかは腐って死ぬ”福音”

しばしば、「日本に根付く福音を」ということで、海外からの宣教師による福音宣教を、「欧米文化の移植である」という批判し、韓国からならば「反日主義を持ち込んでいる」という批判があります。「植民地主義的」という言葉もよく聞きます。

参考記事:「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」を読む①/⑫

そこで、確かに批判や再検討しなければいけない部分があるかもしれないけれども、注意が必要です。それは、ややもすると「神が人となられたキリスト」を否定するからです。

自分の聞いた福音、その純粋な福音とやらを聞いたのは、誰からなのでしょうか?海外から誰かが伝えて来なければ、自然発生的に声が聞こえて来るわけではなかったのです。自分たちが宣教の幻を持たずに、他国の宣教を批判することは、自分の首を絞めるようなものです。

参考図書:「宣教師―招かれざる客か?

カルビン主義の中に極端なものがあります。「人が選んで救われるのではない。神の選びで救われるのだ。だから決断の招きをする伝道は御心にかなわない」として、伝道活動を否定し、否定するだけでなく反対します。かつてのビリーグラハムや、今のグレッグローリー大衆伝道のイベントにて、球場のマウンドに降りて行こうとする信仰の決心者たちの前に立ちはだかり、降りるのを妨げることさえする者たちがいます。けれども、自分が初めに聞いた時に、福音を自分の意志を使って信じたのではないのか?それなのに、自分の意志を使って福音を信じることを否定しているのすから、矛盾に満ちています。 続きを読む 流さないで受けるだけでは、いつかは腐って死ぬ”福音”

「キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由」

今、トルコ旅行を今年4月に控え、さらに来年3月には、「トルコ・イスラエル旅行」を主催することも控えているので、急ピッチでローマ時代と初代教会の姿を追っています。その中で、どこかで目にした本を図書館で借りてみました。

「キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由」ロドニー・スターク著 新教出版社
本書の要約をした記事

初代教会がローマ社会の中でどのように拡大していったのかを、活き活きと浮かび上がらせていると思います。宗教社会学者ということで、信仰の目で見るのとは違い、社会現象の中で分析しているので、興味を全くそそらない部分もありました。けれども、大方、興味深い点を提供してくれました。

トルコ旅行と古代教会

クリスチャン新聞で、「古代教会に学ぶ異教社会のキリスト教」という題名で、神戸改革派神学校の吉田隆校長が連載記事を書いておられて、何度となくスターク氏の著書に依拠しながら語ってくださっていたので、それも理解に助けになりました。実は、この記事連載が、私に初代教会を調べてみたい強い動機となりました。

私も感じていたことで、2018年4月のトルコ・ギリシア旅行において、キリスト教公認以前の、ローマ社会の古代教会は、本当に今の日本、その都市に住むキリスト者たちの状況と似ているからです。新約聖書に出て来る数多くの小アジアやヨーロッパの町々は、ローマ社会の中で有数の大都市でありました。文明が発達していると同時に、都市化の問題が立ち込めていました。そしてローマは、ギリシア・ローマ神話に基づく異教、そして皇帝崇拝が生活の中で密着しているため、キリスト者はイエスが主であるという告白を固持するために、多大な犠牲を払っていました。彼らは多数派ではなく、少数派だったのです。日本の都市に住むキリスト者が、大いに学び取ることができます。 続きを読む 「キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由」

「イスラム教の論理」読後感想 & キリスト教とイスラム教

透き通って見える解説

久しぶりに「イスラム教の論理」という、イスラム関連の本を読みました。イスラム思想の研究者、飯山陽さんの存在を知ったのは、イスラム国の台頭によって、「どこまでもイスラム国」というブログを見つけたことです。非常に軽快な文章でもって、透き通るように、イスラム国の人たちが考えていることを説き明かしているので、役に立ち、フォローしていました。その後、ブログは「どこまでもイスラム世界」に軸足を移し、けれども今、最も発信しているところしては、ご自身のツイッターでしょう。本当に、いわゆる日本語にはほとんど全然、また英語でさえあまり伝えられていない、しかし生々しく起こっている世界各地のイスラム関係の出来事を、ここまでかというばかりに、情報の穴埋めをしてくださっている感じです。

このように情報提供をしてくださっている中、本書の購入をしたいと思いながら買っていなかったのですが、ついに高原剛一郎さんが、講演で本書を取り上げているのを見て、買った次第です。

英語で追っていた情報に一致した意見 続きを読む 「イスラム教の論理」読後感想 & キリスト教とイスラム教

「イスラエルへの情熱」−ユダヤ人とイスラエルを愛した福音主義教会の軌跡−

昨日、以下の本を完読しました。

『イスラエルへの情熱』
−ユダヤ人とイスラエルを愛した福音主義教会の軌跡−
原題:Passion for Israel
著者:ダニエル・C・ジャスター Daniel C. Juster
訳者:石井 秀和
出版:ゴスペル・ライト出版
販売価格 1,296円(本体1,200円+税)
http://gospel-light.info/?pid=132451548
https://www.amazon.co.jp/dp/4990516621
https://www.facebook.com/passion.for.israel/

私にとっては、あまりにも衝撃的な本でした。自分の信仰の歩み、聖書への取り組み、そして実際のイスラエルとの出会いから生まれてきた情熱を、プロテスタントの教会史から見事に論じていたからです。本書の推薦の言葉を借りるならば、宗教改革開始以後間もない時から、「四百年以上続く福音主義クリスチャン本流の運動」というものを、鮮やかに描き出しています。 続きを読む 「イスラエルへの情熱」−ユダヤ人とイスラエルを愛した福音主義教会の軌跡−

福音派の親イスラエル聖書理解と実践の重み

今年は、イスラエル建国七十周年ということで、その記念を意識した本が出版されていますが、先日は、「イスラエル - 民族復活の歴史」(ダニエル・ゴーディス著)を紹介しました。

けれども、これはイスラエル近現代史の世俗的側面を主に取り扱っていて、一般図書としては最適ですが、では、聖書信仰を持っているキリスト者が現代イスラエルをどのように見るかについての議論は「無い」と言ってよいでしょう。

聖書なくしてシオニズムはあり得ないのですが、シオニズム自体が、旧来のユダヤ教伝統の中に生きていたユダヤ人からの脱皮を意味しており、世俗の国民国家です。最後の章、また翻訳者の解説で、宗教的ユダヤ人への回帰について少し取り扱っています。

イスラエルを後押しした聖書信仰のキリスト者

しかし、聖書信仰によって民族的ユダヤ人と、シオンの地へ帰還を促す歴史は、既に英国においてスポルジョンなど、霊的復興が起こっている時に胎動としてありました。第一次大戦後、英国委任統治領となっていたパレスチナをユダヤ人の民族郷土と定めたバルフォア宣言へと至ったのですが、バルフォア伯爵自身も、当時の首相デビッド・ロイド・ジョージ伯爵も、熱心なキリスト者であり、奴隷制廃止を成し遂げたウィルバーフォース議員など、その他大勢の福音的信仰に立った者たちの間のシオニズムへの後押しは始まっていました。(参考記事:イスラエル旅行記続きを読む 福音派の親イスラエル聖書理解と実践の重み