個人の生い立ち、国の生い立ち
昨日、久しぶりにずっと会えていなかった兄弟姉妹と交わりました。今は結婚し、新しい生命も与えられています。お二人のご家庭の生い立ちを少し伺うことができ、改めて「人と知り合うには、その個人史を知る必要がある。」と実感した次第です。
6月には久しぶりに仙台に帰省しましたが、父が教会で救いの証しをしたその録音したものを聞きました。これまでも断片的に聞いていた、父の両親、つまり私の祖父母のことを聞き、自分のルーツを見た気がして、感慨深かったです。そして父が福島県福島市出身であることも前から聞いていましたが、実は私は福島ともつながりがったのだ、という、実感はまるでないですが不思議な思いになったひと時でした。
私たちの周囲には、断片的情報や知識が散らかしたような状態で存在しています。その情報に一喜一憂し、そして心を騒がせることは、実に神から与えられた時間を浪費していることになります。それらの断片を一つの筋の中で整理して並べていくときに、それが今の自分の発見につながり、そしてこれからの行き先の方向性が見えてきます。
歴史というのは、非常に大切です。 続きを読む 「不毛地帯」に見る聖書預言