先日の記事、「神学バランスにあるキリスト者の成熟」の続きです。題名を、興味の引くようにしてみました。いかがでしょうか、これらの超自然的な働きが今の教会でも起こると信じていますか?それとも、それは教会に混乱をもたらす、偽物が多い、聖書の権威を貶める、と思っていらっしゃるでしょうか?
私は、信仰をもって間もなく、ペンテコステ派の兄弟たちと交わり、聖霊のバプテスマや賜物を強く求めるようになりました。青年大会に参加して、その力強い聖霊の働きに触れることができ、今でも神に感謝しています。同時に、超自然的な働きを追い求めたために、危うく異端の団体に入り込みそうになり、その失敗、痛さから、もっとバランスのある教会像を求めるようになりました。
それでカルバリーチャペルが、まさにその中間の立場を取っていたので、私の信仰は落ち着き、今に至っています。神の御力を、自分の理解の中で閉じ込めて制限しては決していけない、と思っています。教会においても、癒しや異言、預言が用いられてしかるべきだと思っています。しかし同時に、賜物以上にキリストご自身の顕現、しかも十字架につけられたキリストがあがめられなければいけない、という確信に至りました。
現在にも御霊の超自然的働きが存在するという立場を、「継続説(continuationalism)」と言います。自分の体験ではなく、聖書を客観的に調べることによって出てくる結論として、やはり継続説が正しいという理解に至っています。詳しいことは、チャック・スミスの書いた著書とメッセージに譲りますが、大まかに言って次のように考えます。