「アフリカの角」を巡る争奪戦

数年前まで考えられないほどの、地滑り的な秩序崩壊が、中東とその周辺で起こっています。最近起こった、サウジ人のジャーナリスト、ジャマル・カショギの在トルコ領事館における惨殺もそうですが、ここで誰が悪いことをしているのか?ということは、正直、不毛な議論でしょう。反トランプ政権や反イスラエルのリベラルの人たちは、ここぞとばかりに徹底的に叩きますし、イスラム過激派組織もこれを使って力を巻き返そうとしているようです。

ここで明らかになっているのは、言い方が悪いですが、「魑魅魍魎とした妖怪たちが動き出している」というような見方をしたほうがよいでしょう。中東と北アフリカの地域をどの勢力が支配するのか?という覇権的駆け引きと戦いなのです。

トルコ、イラン、そしてロシアの野望

トルコのエルドアン大統領の野心は、オスマン朝のスルタンの野望とも言われますが、かつての、北アフリカから中東全域を支配していたオスマン帝国の栄華を取り戻すというものです。そしてイランは、ヒズボラやハマスなどを使うなど、中東全域にテロリズムによって不安定にさせることによって、中東全域における覇権を狙っています。イスラエルに対しては核攻撃、またシリアへ軍事介入などしています。

そしてサウジアラビアは地域大国としてイランとは覇権戦争をし、その代理的戦争がアラビア半島の南端にある、かつてのシェバ王国の遺跡のある「イエメン」で起こっており、イエメン内戦は数多くの餓死が起こっており人道的危機に陥っています。そしてトルコもイランと結びつき、サウジを牽制しています。ジャマル・カショギ氏のサウジ当局による暗殺は、サウジを弱体化させるために最大限に利用しています。

サウジとイエメンは、エゼキエル38章にひょこっと「シェバとデダン」で出てきて、ゴグ率いる軍隊によるイスラエル侵略に文句を言う国として登場します(13節)。

そしてロシアは、すべてを網羅して世界的覇権を拡げ、中東地域は著しいです。こちらに、プーチン露首相の生々しい狡猾な政治を読むことができます。

「「21世紀最凶の殺戮者」プーチンがもたらす憎悪の世界」 続きを読む 「アフリカの角」を巡る争奪戦

独仏が「欧州軍」を提唱

トランプ政権下の米国が、これまでのリベラル国際秩序からの離脱をし、英国もEUからの離脱が進む中で、欧州の大国であるドイツとフランスが、欧州の中で合衆国を作ろうとする動きをしていることは、以下の記事で紹介しました。

ヨーロッパ合衆国の宣言

そしてさらに最近、こんなニュースがありました。

仏のマルコン「欧州軍」創設、メルケル独首相も同調

聖書の「ダニエル書」は、かつての古代ローマが、とても緩い形で、はるか将来に復興することを予告しています。

2章40-43節:
「そして第四の王国ですが、それは鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを砕いてつぶしますが、その国は、打ち砕く鉄のように、先の国々をすべて粉々に砕いてしまいます。あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国にはある程度までは鉄の強さもありますが、あなたがご覧になったように、その鉄は粘土と混じり合っています。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄と粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは子孫の間で互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。」

今の欧州と、トルコやロシアの動向とダニエル書の預言のつながりを次の記事で書きましたので、参考までにお読みください。

「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」②

現代のジム・エリオット - ジョン・アレン・チャウさん

殉教の話題を前の二つの投稿でお話ししましたが、こちらは宣教師として殉教した、若い米国人宣教師、ジョン・アレン・チャウさんについてのニュースです。

北センチネル島とは? 上陸しようとした宣教師殺害。現代社会との接触を拒む「世界最後の秘境」

宣教師ジム・エリオットの現代版

私は、かつて秘境の地で同じように命を絶ったジム・エリオットの生涯を思い出しました。後に彼の生涯は、End of the Spearという題名で映画化されました。

自分に攻撃し、矢で殺してくる相手に対して抵抗せず、「あなたの友達です」と言って息絶えたジム。その後、彼の奥さんや仲間の殉教した宣教師と共に同じ部族のところに行き、献身的に奉仕しました。そして、あなたが殺した男の妻であると証し、それでその部族全体がキリスト者に、その殺した本人は牧師になりました。

福音をきちんと伝えられなくとも、その捧げられた魂そのものが神の御心にかなっています。

「イエス!」と叫んで斬首されたロバート・トーマス

これまでの未開地における宣教では、食人族に食べられた宣教師たちもおり、初めに福音を届けようとした人々の犠牲によって成り立っています。 続きを読む 現代のジム・エリオット - ジョン・アレン・チャウさん

ローマ人にとってのキリスト教

前投稿「パウロ ~愛と赦しの物語~」の続きです。

せっかくなので、「ローマ時代におけるキリスト者への迫害」は、教会史において、いや一般の世界史においても、大きく取り上げられているので、考察してみます。

キリスト教の信仰が「人類敵視の罪」

なぜキリスト者がローマ社会の中で迫害されたのか?それを、このネロの迫害を書き記したタキトュスによる記述を引用します。

ネロ 1世紀中ごろのローマ帝国の皇帝。ローマの大火でキリスト教徒の迫害を行った。典型的な暴君として知られる。」から:

民衆は「ネロが大火を命じた」と信じて疑わなかった。そこでネロは、この風評をもみけそうとして、身代わりの被告をこしらえ、これに大変手のこんだ罰を加える。それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストゥス信奉者」(注:キリスト者のこと)と呼ばれていた者たちである。

この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウスの治下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当座は、この有害きわまりない迷信も、一時鎮まっていたのだが、最近になってふたたび、この過悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、世界中からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れ込んでもてはやされるこの都においてすら、猖獗(しょうけつ)をきわめていたのである。

そこでまず、信仰を告白していた者が審問され、ついでその者らの情報に基づき、実におびただしい人が、放火の罪というよりむしろ人類敵視の罪と結びつけられたのである。彼らは殺されるとき、なぶりものにされた。すなわち、野獣の毛皮をかぶされ、犬に噛み裂かれて倒れる。(あるいは十字架に縛り付けられ、あるいは燃えやすく仕組まれ、)そして日が落ちてから夜の灯火代わりに燃やされたのである。ネロはこの見世物のため、カエサル家の庭園を提供し、そのうえ、戦車競技まで催して、その間中、戦車馭者のよそおいで民衆のあいだを歩きまわったり、自分でも戦車を走らせたりした。

そこで人々は、不憫の念を抱きだした。なるほど彼らは罪人であり、どんなにむごたらしい懲罰にも値する。しかし彼らが犠牲になったのは、国家の福祉のためではなく、ネロ一個人の残忍性を満足させるためであったように思われたからである。<タキトゥス『年代記』下 岩波文庫 p.269-270>

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パウロ ~愛と赦しの物語~

先週木曜日に、渋谷の映画館で「パウロ ~愛と赦しの物語~」を見ました。

パウロと言えば、異邦人に福音をもたらすのに用いられた使徒であり、使徒行伝にあるような大きな働きが、その生涯の特徴と言えますが、この映画はそうではなく、最後まで信仰を守り続け、迫害下のキリスト者を励ます姿に焦点を合わせています。

時は、ローマによる初めのキリスト者に対する迫害で、皇帝ネロが起こした時の事です。

ネロ 1世紀中ごろのローマ帝国の皇帝。ローマの大火でキリスト教徒の迫害を行った。典型的な暴君として知られる。」(世界史の窓)

ローマの大火(ウィキペディア)について、64年、ネロはこれをキリスト教徒によるものであると断定し、簡単な裁判で死刑に定め、猛獣の餌食にし、十字架につけ、松明の代わりに燃やしたりしました。映画では、松明にされているキリスト者の姿が出てきます。 続きを読む パウロ ~愛と赦しの物語~