現代のジム・エリオット - ジョン・アレン・チャウさん

殉教の話題を前の二つの投稿でお話ししましたが、こちらは宣教師として殉教した、若い米国人宣教師、ジョン・アレン・チャウさんについてのニュースです。

北センチネル島とは? 上陸しようとした宣教師殺害。現代社会との接触を拒む「世界最後の秘境」

宣教師ジム・エリオットの現代版

私は、かつて秘境の地で同じように命を絶ったジム・エリオットの生涯を思い出しました。後に彼の生涯は、End of the Spearという題名で映画化されました。

自分に攻撃し、矢で殺してくる相手に対して抵抗せず、「あなたの友達です」と言って息絶えたジム。その後、彼の奥さんや仲間の殉教した宣教師と共に同じ部族のところに行き、献身的に奉仕しました。そして、あなたが殺した男の妻であると証し、それでその部族全体がキリスト者に、その殺した本人は牧師になりました。

福音をきちんと伝えられなくとも、その捧げられた魂そのものが神の御心にかなっています。

「イエス!」と叫んで斬首されたロバート・トーマス

これまでの未開地における宣教では、食人族に食べられた宣教師たちもおり、初めに福音を届けようとした人々の犠牲によって成り立っています。 続きを読む 現代のジム・エリオット - ジョン・アレン・チャウさん

ローマ人にとってのキリスト教

前投稿「パウロ ~愛と赦しの物語~」の続きです。

せっかくなので、「ローマ時代におけるキリスト者への迫害」は、教会史において、いや一般の世界史においても、大きく取り上げられているので、考察してみます。

キリスト教の信仰が「人類敵視の罪」

なぜキリスト者がローマ社会の中で迫害されたのか?それを、このネロの迫害を書き記したタキトュスによる記述を引用します。

ネロ 1世紀中ごろのローマ帝国の皇帝。ローマの大火でキリスト教徒の迫害を行った。典型的な暴君として知られる。」から:

民衆は「ネロが大火を命じた」と信じて疑わなかった。そこでネロは、この風評をもみけそうとして、身代わりの被告をこしらえ、これに大変手のこんだ罰を加える。それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストゥス信奉者」(注:キリスト者のこと)と呼ばれていた者たちである。

この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウスの治下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当座は、この有害きわまりない迷信も、一時鎮まっていたのだが、最近になってふたたび、この過悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、世界中からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れ込んでもてはやされるこの都においてすら、猖獗(しょうけつ)をきわめていたのである。

そこでまず、信仰を告白していた者が審問され、ついでその者らの情報に基づき、実におびただしい人が、放火の罪というよりむしろ人類敵視の罪と結びつけられたのである。彼らは殺されるとき、なぶりものにされた。すなわち、野獣の毛皮をかぶされ、犬に噛み裂かれて倒れる。(あるいは十字架に縛り付けられ、あるいは燃えやすく仕組まれ、)そして日が落ちてから夜の灯火代わりに燃やされたのである。ネロはこの見世物のため、カエサル家の庭園を提供し、そのうえ、戦車競技まで催して、その間中、戦車馭者のよそおいで民衆のあいだを歩きまわったり、自分でも戦車を走らせたりした。

そこで人々は、不憫の念を抱きだした。なるほど彼らは罪人であり、どんなにむごたらしい懲罰にも値する。しかし彼らが犠牲になったのは、国家の福祉のためではなく、ネロ一個人の残忍性を満足させるためであったように思われたからである。<タキトゥス『年代記』下 岩波文庫 p.269-270>

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パウロ ~愛と赦しの物語~

先週木曜日に、渋谷の映画館で「パウロ ~愛と赦しの物語~」を見ました。

パウロと言えば、異邦人に福音をもたらすのに用いられた使徒であり、使徒行伝にあるような大きな働きが、その生涯の特徴と言えますが、この映画はそうではなく、最後まで信仰を守り続け、迫害下のキリスト者を励ます姿に焦点を合わせています。

時は、ローマによる初めのキリスト者に対する迫害で、皇帝ネロが起こした時の事です。

ネロ 1世紀中ごろのローマ帝国の皇帝。ローマの大火でキリスト教徒の迫害を行った。典型的な暴君として知られる。」(世界史の窓)

ローマの大火(ウィキペディア)について、64年、ネロはこれをキリスト教徒によるものであると断定し、簡単な裁判で死刑に定め、猛獣の餌食にし、十字架につけ、松明の代わりに燃やしたりしました。映画では、松明にされているキリスト者の姿が出てきます。 続きを読む パウロ ~愛と赦しの物語~