海外宣教の働きから日本に帰国移住して、早8年が経ち、その後間もなくして、教会を始めたのでほぼ8年が経ちました。その中で、多くのことを主から、また人から学びつつ、今も、試行錯誤で行なっておりますが、教会においての治め方や、指導の仕方について、悩むまではいかなくとも、どうやって兄弟姉妹に伝えればよいのか、言葉がなかなか見つからない中で、それでも主が整えてくださっていると感じています。
そんな中、今朝ですが、次のブログ記事の文書は、見事に言語化できているので驚きました。ご紹介します。ぜひ全文をじっくりお読みになってみてください。
教会に集ってしばらく経った方々には、また奉仕の働きをするにあたって、「カルバリーチャペルの特徴」(チャック・スミス著)を読むように勧めています。こちらも教会の働きについての原則が書かれているので、お読みになることを強くお勧めします。
奉仕の働きの本質は「召し」
なぜならば、その働きの中では、労苦や、無駄に費やしてしまったのではないか?と感じてしまうような、見返りのない働きも含まれ、また、しばしば誤解されることもあります。けれども、聖書を読めば、それこそが主に召された者たちの働きであり、そのような人間の世界に、神をご紹介するようにされているのですから、見返りが見えてこないのは当然のことです。それでも、「主が命じておられるのだから」という理由だけで、続けて、忠実に行ないます。なので、「召し」が奉仕について、全てを物語るといっても過言ではありません。
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主に仕える僕