“いつ”主が来るのか?よりも、”なぜ”来るのか?

 キリスト教会には、主が来られ、空中にまで天から降りてこられ、教会の者たちが引き上げられること(携挙)について、また、神が御怒りを災いによって地上に表される患難が襲う前に引き上げられることについて、いろいろな批判があります。その一方で、この患難前の携挙説の正しさを強く主張しているグループもあり、両極に別れている感じです。

 私は、神が、世の終わりに、これまでの積み上げられた地上の悪に対して、御怒りを現わす時が定められていると信じています。そして、キリスト者は神の御怒りから救われることが約束されており、また、いつ主が来られても、思いもよらない時に来られる切迫したものだということから、患難期の前の携挙を信じています。

 しかし、ここで大事なのは、いつ携挙が来るのか?ということに焦点を合わせるのではなく、「なぜ主が教会にために戻って来られるのか?」ということを考えたいと思います。

御怒りからの救い

 一つに神の、ご自身の御怒りからの救いがあるでしょう。世からの患難は、悪魔から来ています。キリスト者は、その患難や困難の中に置かれて生きています。しかし、いつまでもそのままにはしておかれません、主は悪に対して悪で報いる公正な方です。テサロニケ第二1章を見れば、苦しむ者に対して、苦しみを与える目的で、神ご自身が下す患難があり、主が地上に戻られる時には、福音に従わない者たちに対する裁きがあることを宣べています。 続きを読む “いつ”主が来るのか?よりも、”なぜ”来るのか?

書評「キリスト教の“はじまり” 古代教会史入門」

 2018年にクリスチャン新聞で、吉田隆氏による「古代教会に学ぶ 異教社会のキリスト教」という連載記事があった時に、私は食い入るように読み始めました。

新連載「 古代教会に学ぶ 異教社会のキリスト教」第1回 “これからの日本の教会”のために

 本書は、その内容をまとめただけでなく、詳細に注釈や図解、写真、参照文献を加えて、本題の通り、「古代教会史入門」の体裁となっています。

本書サイト1(いのちのことば社)

本書サイト2(アマゾン)

書評「信仰告白の重要性を現代に問う書

トルコ訪問は「ローマ」を辿ること

 ここに書かれている内容は、私がトルコ旅行に去年と今年に行き、強く感じたことでした。トルコにある遺跡を訪問するということは、実は、「ローマを訪ねる」ことです。

 私たちがローマというと、イタリアを思い出すでしょうが、そこは西ローマであり、330年に遷都し、1453年まで続いていた東ローマはトルコなのです。さらに、新約聖書の教会の誕生から間もなくして、使徒の働き13章以後の宣教の旅、使徒たちの手紙の宛先の多くもローマのアジア属州にあった町々であります。パウロ、ペテロ、そしてヨハネが活動をしていたところであり、その後の初代教父もこの地域の出身であり、云わば「教会を知ることができる」ということです。 続きを読む 書評「キリスト教の“はじまり” 古代教会史入門」

「アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄」キリスト者としての書評

 「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」に引き続き、江崎道朗さんによる本書ですが、こちらも、ぐいぐいと入っていき、一気に読み終えることができました。こちらは、ますます自分の抱いていた疑問に対して、まっすぐに答える、いわゆる情報史と呼んだらよいのでしょうか、ソ連やアメリカ共産党の影響力工作から見た、日米対立の背景を詳細に描いています。

アメリカがスターリンと共闘していたという矛盾

 私には、アメリカ人の友人ががたくさんいます。ある時、日本に訪問した友人の牧師と街中を歩いてきた時、彼が日本共産党の街宣車を見て、「ええっ、日本には共産党があるの?」と驚いていました。それで私は笑いながら、「戦時中は、我が国に、貴方の国は共産主義者と一緒に戦っていましたからね。」と答えると、苦笑いをしながら「その通りだ」と言っていました。

 アメリカの庶民の多くは根っからの反共です。私の友人たちの多くが福音派の信仰を持ち、かつ政治的に保守的な人が多いです。けれどもかつて、なんとスターリンの支配するソ連と連携し、日本と戦いました。私はそのこと自体が、潜在的に信じがたいものとして、教科書の近代史を読んでいたものです。そして戦後間もなくして、急旋回して、今度は対ソ連、対中国の防波堤として、日本に自衛隊や日米安保の圧力をかけて来るという現代史は、これまた信じがたいものでした。これが同じアメリカなのか?と思ったものです。 続きを読む 「アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄」キリスト者としての書評