コロナで進む働き方改革

(3月9日にフェイスブックで投稿)

先の投稿で、コロナのおかげで中東で戦闘が一時、止んでいる話をしました。爆弾より強力な恐怖をもたらしています。

コロナの影響で「仕事ってこんな楽なのか」と思うようになった

日本でも根こそぎ、その構造をコロナのおかげで壊してくれているものがあります。「頑張りすぎ」というエートスです。エートスとは、自分たちが長いこと習慣でやっていって、自分の奥深い部分に横たわっている感情ですかね。責任感が必要以上にあるので、仕事をやめることができないのです。

ところが、今回、無理やりにでも出勤しない、あるいは、出勤しても長時間そこにいないとかいうことで、「なんだ、このこと、やらなくてもよかったのだ!」と気づいてます。どんなに「働き方改革」を政府も社会も叫んでもできなかったものが、コロナによる自粛をきっかけに、できるんだという希望が与えられましたね。

私個人にとって、聖地旅行の準備で何が最も大変だったか?というと、「人数集め」です。延期になって、正直何が大変だったかと聞かれたら、これです。何か用事があるから、「二週間は、仕事休めない!」ということ、また、「これこれをしないといけない」と忖度している部分で、行きたいけれども行けない、というのが大半です。

けれども、実は二週間休んでも、業務上は特に問題なく進行していることに気づくとか、実は休めるのです。

でもある参加予定のある兄弟が、いつもこう言っていました。「行けるか、行けないか」ではなく、「行くか、行かないか」ということ。旅行に行くと決めてしまえば、実はやる必要がないのに頑張って、やらなきゃって思っていることがたくさんあることに気づきます。

旅行の延期は、まだいつにするか決めていませんが、コロナが終息して、それから数か月はせめて必要なので、来年かな~と考えています。

コロナ、中東の強力軍隊をビビらせている!

(3月9日にフェイスブックに掲載)

最近、イスラエル発のニュースで、非常~~~~に興味深い記事がありました。

一つは、ハアレツ紙の指摘で、「新型コロナウィルスによって、中東全域が静かになった。」というものです。いつになっても紛争や対立、どこかで爆弾使ったりと、きな臭い地域ですが、「トルコ軍とシリア軍(ロシア軍)がイドリブの町を巡って争っている以外は、静寂としている。」というのです。戦いながら、コロナに感染したくなーい!と逃げているからです。

すげー、コロナのもたらす恐怖は、爆弾よりも強力だったとは!

もう一つは、エルサレム・ポスト紙で、今度は逆の見方で、「敵性勢力が一度も、イスラエルに対してできなかったことが、見事に起こっている。イスラエルの経済、社会機能が全面停止してしまったことだ。」これも、すごーい!ハマスやイスラム聖戦がロケット打っても、アイアンドームで打ち返し、ガザの拠点に反撃し、イランがドローン飛ばそうが、イスラエル空軍がすぐに反撃して、イスラエル領土は守られ、いつもと変わらぬ生活を営んでいるすごい国なのに、コロナは、どの爆撃、爆弾よりも、はるかに強力な恐れをもたらし、人々の活動を停止させてしまった、という皮肉。

そして、実は、「いつイランのコロナ・アウトブレイクが中東に拡散するか?」ということが心配でした。イランは、年頭のソレイマニ司令官の殺害で見えてきたように、テロリズムの中東全域輸出をやっていますから、コロナ感染者の戦士がシリアとかに移動して戦ったら、シリアの医療体制たぶん機能してないから、最悪ーっ!って思っていました。

そうしたら、なんと、こんなことが・・・。「ロシア軍とシリア軍の兵士たちが、イドリブを巡る戦いからなぜ逃避したのか、ようやく理解できた。イラン人兵士が、彼らと共に(シリア)反政府軍に対して戦うため派遣されたが、そのイラン兵の少なくとも40人がコロナウィルスに感染し、シリアの地で埋葬されたからそうだ。」とのこと!!!!!
https://twitter.com/BeholdIsrael/status/1236889361104453632

2月のビズテリアの勉強会で、「疫病は、世界のいろいろな制度や構造を根こそぎ変える」ということをお話ししました。例えば、中世のペストで、英国は、フランス語と英語の二つが使われていたけれども、ペストの流行でフランス語が廃れ、英語だけが生き延び、今に至っているとか。これからも、どんどん、コロナは、爆弾よりもすごいことをしてくれるでしょう。

※そういえば、聖書の預言で、エジプトに対する災いで、ペルシア軍が猫を、進軍する軍隊の前を走らせて、エジプト軍が逃走したという逸話がありますが(紀元前525年のペルシウム戦争)、エジプト人は猫が神さまとしてあがめていたからだそうで、コロナが中東の戦いを停止させたという話で、思い出しました。

マスク配布と福音宣教

(2月8日にフェイスブックに掲載)

新型肺炎について、先に、<疫病を機に、拡大した初代教会>という題で、「ローマ時代の初代教会が、疫病を機に拡大した」ことを書きました。

疫病の患者に寄り添ったのはキリスト教会で、尊敬と信頼の的となりました。さらに今の病院制度がキリスト教の歴史の中で、医学知識が実践に移された結果であることを書きました。そして武漢にいるキリスト者のために祈り(1000万を超える巨大都市であり、そこには数多くのキリスト者がいます)、来週控えている、東アジア青年キリスト者大会のためにも祈りの応援をお願いしました。

武漢の中にいる牧師さんなど、現地の声は、「この危機と苦しみの時に、私たちキリスト者が光になることができるように」という祈りの要請でした。その一端となるニュースが入ってきました。

防護服に身を包んでいる人の写真ですが、この方は、中国の街角で路傍伝道をしています。マスクが今、枯渇していて手に入らない状況です。その人は、福音メッセージの書かれてるトラクトと共にマスクを配布しています。イエス様が愛していることを書いた紙も掲げていますね。

平素なら、公共の場でこのように伝道活動をしたら、すぐに警察のお世話になってしまいます。一般の人々からは、愛を感じて、好意を持たれているそうです。そして警察の人たちも来ました。なんと、福音の言葉を聞いて、トラクトとマスクを持って行きました。また他の警官も来ました。同じくトラクトとマスクを持ってきました。また最初の警官が来て、他の警官も欲しがっていると言います。さらに四人が来ました。「福音宣教を警戒している人々だったのに、今はキリスト者に助けを呼び、我々の神の前にひれ伏している」と言っています。

今、この防護服の「黄色」が、武漢で最も美しい色になっている、キリスト者が、危険を冒して、人々に仕えようとしている姿を見て、人々が尊敬している、とのことです。武漢の諸教会は、噂話や政治的なことから距離を置き、この状況でキリスト者がしなければいけないことを一途に行っている、とのことです。

聖書預言と新型肺炎

先日、2月20日に、ビズテリア・クラブの「激動の聖書情勢と聖書から読み解く」勉強会にて、参加者にお配りした資料です。

「聖書預言と新型肺炎」

疫病の歴史を見ると、その拡がりが当時の大国支配を通じて行われていること、ローマ時代の疫病の拡がりとその後のキリスト教の広がりの歴史と、キリスト教会が教会史の中で記録的に伸びている中国の、交通要衝の町、武漢で起こったことを重ね合わせました。また、疫病との戦いの最前線にいたキリスト教が、後にホスピスという制度を作り、それが病院になったことにも言及しています。

感染症の流行は、何も今、始まったことではありません。歴史の中で何度となく起こってきたことで、そこから教訓や知恵を多く学べると思います。

「疫病」を機に、拡大した初代教会

(2月4日にフェイスブックに掲載)

あと一か月後に、ロゴス・ミニストリーで、トルコ・イスラエル旅行に行きますが、初めに黙示録の七つの教会を回ります。初日はスミルナ、そしてペルガモンです。

ペルガモンには、ギリシア・ローマの数々の神が祭られていますが、その一つにアスクレピオスがあります、医学の神で、蛇の形をしています。WHOの紋章に蛇がありますが、それはこの神を指しています。アクロポリス(城砦都市)のほかに、ペルガモンにはアスクレペイオンがあり、そこに病の癒しを祈願してくる人々が集まりました。このペルガモン出身で、ガレノスという医者がいます。古代における医学を確立し、その後の医学を決定づけました。

ところが、ローマ時代に、医学に関わる新たな制度を後世に作り上げる動きが起こりました。そう、初代教会の拡大です。なぜ、ローマ時代に、激しい迫害があったのに、それでもキリスト者の数は増加し続けたのか?いろいろな議論がありますが、その大きな一つに、「疫病に寄り添った教会」の姿がありました。

「古代ローマでも、疫病や自然災害など、多くの人々の命を奪う出来事は起こりました。そのような中で、被災者を実際に救助するだけでなく、人々の生活や心に寄り添いながら心身ともに支え続けた教会共同体への信頼。とりわけ、かよわい命へのケアに心を配ったことによって、教会では高い生存率が確保されたのではないかと推測されています。

古代ローマ社会は、貧富の差が非常に激しい社会だったため、金持ちは生き残るが貧者は早死にするのが普通でした。ところが、教会には貧しい人々がたくさんいたにもかかわらず、それを助ける豊かな人たちにいました。」(36頁)

参照ブログ:「書評「キリスト教の“はじまり” 古代教会史入門」

キリスト教会は、キリスト者を助けたのみならず、このような危機的状況の時に異教徒の人たちも助けたため、その共同体のある周辺は死亡率が低くなっていきました。

医学史とはどんな学問か第1章 ギリシア・ローマ文明とキリスト教における医学と医療

異教においては、何か災いが起こると、それは祟りがあるからだ、罰(バチ)があたったのだとなりますが、キリスト者は、「それでも神はおられる。そして神は愛しておられる。」と信じて、そのような苦しみの中にいる人々を慰め、強く励まし、寄り添うことを、強く促される信仰になっています。この隣人愛が、他の宗教と異なり突出していたため、キリスト者として回心するものが増えていった、ということです。

その後のキリスト教の歴史の中で、先ほどのガレノスの発達させた医学が、制度と文化の中で実践されていくようになりました。病院(hospital)の原型は、旅人をもてなす修道院付属の「ホスピス」であり、それが今の病院制度の土台となり、今に至っています。病院にはキリスト教系のものが多くなるのは、自然の成り行きです。

私たちの信仰は、自ずと隣人へ向けられる

長々と書きましたが、キリスト者は、その信仰のゆえに、疫病や災害の中にいる人々に心が寄せられます。先ほど、武漢にいる、日本の大学に留学していたキリスト者の中国人学生とFB友になりました。短期で戻っていたところが封鎖のため日本に戻れず、学業を続けられない状態です。

そして来週水曜日から、「東アジア青年キリスト者大会」が千葉県で開催されます。韓国からもキャンセルが起こり、中国からもキャンセルが来ています。なぜ中国からか?自分たちが感染するのを恐れているのではなく、自分たちが来ることで大会の参加者に迷惑をかえてしまうのではないか?という気づかいからです。そして中国からの説教者も、フライトが渡航制限のためキャンセルになり、来ることができなくなりました。

人間的には、「なぜこんな災いが起こっているのか?」と思ってしまいますが、いいえ、神はここにおられ、神が愛しておられます。何かを神は行っておられ、私たちが疫病と隣り合わせにいながらも、御心を行うように召されているのだと思います。

主よ、この状況を助けてください。武漢にいる兄弟姉妹が守られ、主の証しとなりますように。医療従事者の方々に知恵と助けが与えらえますように。中国人の方々が、この難を乗り切ることができますように。主よ、そしてこのことを通して日本が、日本にいるキリスト者が、あなたにある愛を示していくことができますように、お祈りします。イエスの御名によって。