桁外れに死者数少ない日本、桁外れに批判の多い日本

(4月18日に、フェイスブックに掲載)

人口100万人あたり死者数(G7)※4月21日

イタリア 399人
フランス 310人
イギリス 243人
アメリカ 128人
ド イ ツ  58人
カ ナ ダ  45人
日  本 2人

日本がG7の中で圧倒的に少ない死亡者数であることが分かるでしょう。ちなみに、指導者に対する評価は日本は最低です。

感染対策の国民支持、日本が最低
G7対象の仏紙調査で3月に続き

 もちろん今、日本は増加していますから最大の注意と警戒が必要です。けれども、海外からの煽り、日本国内の猛烈な批判で、私たちはさらに恐れ、疲弊しているのではないでしょうか?

 西側諸国(外国人、そこに住んでいる日本人問わず)から批判している人たちは、偽善です。日本のことを語る前にまず自分自身のことを見つめるべきです。

参照記事:
Why Japan gets no Covid-19 respect – Japan is criticized despite a lower death rate than regional peers. Blame it on the legacy of Fukushima

Japanese Prime Minister Shinzo Abe wearing a face mask, attends a countermeasure headquarters against a new coronavirus, COVID-19 at the prime minister’s office in Chiyoda Ward, Tokyo on April 1st, 2020. Abe announced the government will distribute face masks across the nation. ( The Yomiuri Shimbun )

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「医療の命の暴走」

(4月19日、フェイスブックに掲載、前記事の続き)

人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える

「これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは。。。」

 今の医療崩壊を叫ぶ、医療現場からの声、それは切実であり、全く異存はありません。

 しかし、医療現場を守るために社会の機能そのものを停止したことによって、失業して家庭暴力が急増、自殺者多発、運送も心身の疲弊・・今日のNHKの報道でした。そして老後介護施設では、人との接触が少なくなり、そのために心身ともに弱くなり、罹患して死んでしまわれる可能性が増えると。他のニュースでは、十代の女子の妊娠(おそらく中絶)、危ないのは、医療現場だけじゃないんですよ。

 命ってそもそもなんでしょう?命よりも大事なものがあって、初めて命なんじゃないでしょうかね?その医療の現場が、ご高齢の方々が高度医療の檻に入れられているようになっている、「命ってなんだんだ?」という問いに答えられないままで、今回のコロナウイルスが起こってしまったんじゃないでしょうか?

 医療現場に元々あった「人の尊厳」の問いに答えが付かないままで「医療の命」があり、その「医療の命」が、国全体、社会全体を支配し、人の尊厳を踏みにじる危機にあるのではないでしょうか?

 ビズテリアのこの前の勉強会でも、「人を救おうとして、人を潰している」というコメントをしました。なるべく人の命を守らないといけないのは、言うまでもありません。でも、実はその根源的な問いを直視しないままでいたら、人命を救おうと思えば思うほど、人が死んでいくと思います。

 とんでもない時代になったと思います。

参照投稿:

「神ではない、我々が」

(4月18日、フェイスブックに投稿)

ニューヨークのクオモ知事:
「数は減った、それは我々が減らしたからだ。
 神がしたのではない。
 信仰によってでもない。」

 いわゆる「神頼み」ではなく、必死の努力によって減らしたのだ、努力を怠れば、また増加する、ということを言わんとしたのだと思います。しかし、だからこそ、その「善意」の中に、巧妙に、悪魔が働いています。

 人がウイルスを制圧しているのだと。為政者も、専門家も、目の前のウイルス感染と戦っていて、あたかも我こそはウイルスをとっちめるという幻想の中に陥っているのです。そしてそれが、国民全体、世界全体を覆っている、というのが世界の流れです。これ、聖書に預言されているのです、「獣の国」です。ダニエル7章、そして黙示録13章です。 続きを読む 「神ではない、我々が」

霊的コロナ対策のほうが教会の使命

(4月2日にフェイスブックに投稿)

 今、専門家会議の記者会見、また安倍首相の政府対策会議のどちらも見ました。また午前中は、ズームによってアジア地域に遣わされているカルバリーの宣教師たちが、デボーションと分かち合いと祈りの時を持ち、教会の人々とは毎日、ズームで祈りを持っています。

 そういったことから強く感じるのは、「コロナ対策に教会が吸い込まれている」という危惧です。コロナというウィルスへの対策は、私たちの体にとって大切ですが、霊について、警戒と対策が必要なのに、そちらのほうは、おざなりにされている感じがします。

 そう感じるのは、山中伸弥先生の語られる言葉から、ヒントを得たからです。

新型コロナウイルスとの闘いは短距離走ではありません。1年は続く可能性のある長いマラソンです。日本は2月末の安倍首相の号令により多くの国に先駆けてスタートダッシュを切りました。しかし最近、急速にペースダウンしています。このままでは、感染が一気に広がり、医療崩壊や社会混乱が生じる恐れがあります。一人一人が、それぞれの家庭や仕事の状況に応じた最速ペースで走り続ける必要があります。国民の賢い判断と行動が求められています。

長距離走なのに、短距離のように走っている

 短距離走ではなく、長距離走であるのに、全速で走っている感じがします。早く走らないといけない時は走るのですが、その目標地点を見据えることなく走っているので、必ず息切れします。山中先生はこうも言われています。 続きを読む 霊的コロナ対策のほうが教会の使命

コロナウイルスに対する霊的対処は悔い改め

愛し合うのではなく、裁いてきたことへの悔い改め

あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるからです。(マタイ7:2)」

 本当に、裁かなければいけないことってありますが、しばしば、裁いている時、まさにその裁いている根拠が本人にそのまま当てはまることが多いです。

 ある教会運動が教会に与えられた権威を逸脱していると警鐘を鳴らす人が、諸教会の上に自分は権威を持っているかごとく横暴にふるまって、声にも出せず傷ついている人々が大勢います。また、ある動きが、神の栄光を人間のレベルに引き下ろすと言いながら、実は、神をあがめている人々を、人間的な思いに満たし、言い争いのレベルに引き下ろしています。

 今朝、あるクリスチャンから「毒麦」(マタイ13章24節以降)について尋ねられました。それは、自分の中に罪があることを意味しません。そうであれば、すべての人が毒麦になってしまいます。

 毒麦は、神の憐れみによって立っている教会またその聖徒たちを、「あなたはそれではだめだ」として貶め、神の恵みではなく、何らかの霊的状態にいなければいけないとして、焦らせ、罪意識を持たせ、何かを行わないと義に到達しないと急き立てるものであり、他者の意見をうんも言わせず、自分の言っていることこそが神からのものだとして正しいと主張しているものです。「教会に毒麦がある」と言いながら、自分自身が毒麦になってしまっていることに気づきません。

批判ではなく、「執り成し」を!

 それから、ローマ13章に言及、上の権威は神からのものだから、政治家のために祈るべきだ。適切な批判はしかるべきですが、自分がたとえ好きでなくとも、祈るべきだ、とのことです。