コロナ流行中に広がる「世界の賛美」

 コロナ流行によって、互いに国々を行き来できなくなり、あたかも私たちが分断されたかのような痛く、辛い思いをしています。けれども、逆行するように、これまでなかったつながりも、できているかもしれません。

 昨日、イエス様が十字架に磔になっている時、その罪状書きが三つの言語で書かれていたことを指摘しました。

ヘブル語、ラテン語、ギリシア語に書かれていることがあります。これは、ローマのこの地域がいかに重層的になっているか、物語っています。まず、ユダヤ人の間ではヘブル語が使われていました。あるいは会話では、アラム語が使われていたと言われます。ユダヤ人の王として死なれたのですから、これは理解できますね。ラテン語は何でしょうか?ローマの公用言語です。公式には、ラテン語がローマの言語でした。しかし、一般の人々はローマ帝国においてギリシア語を使用していたのです。なぜ、ローマなのにギリシア語なのか?ローマ帝国の前は、長いことギリシア帝国が支配していました。その時に、ギリシアの文化や言語が深く浸透して、ローマに支配が移ってからも、人々はそのままギリシア語を使い続けたのです。

ここの意味しているところは、隅々まで、どの民族でも、どの言語でも、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」が伝えられたということです。ヘブル語では、ユダヤ人の間で。ラテン語は、ローマ帝国の中で。そしてギリシア語は、その時代の全ての人々に対して、ということです。天において、教会がイエス様に向かって賛美しました。「黙5:9あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い」
ヨハネ19章後半「完了した御業」から)

 ほぼ単一民族、単一言語(注:厳密には少数民族がいます、北海道のアイヌと沖縄の琉球です)で長い歴史を持つ日本にいると、主がどうして、「すべての部族、言語、民族、国民」と強調されているか分からないかもしれません。けれども、天に教会が引き上げられたら、このような姿になっており、神の国でもこのような姿になっています。 続きを読む コロナ流行中に広がる「世界の賛美」

政治運動ではなく、切実な黒人の訴えに耳を傾けよう

(6月15日にフェイスブックに投稿)

 ずっとアメリカでの黒人差別抗議運動を見て、タイムラインでもそれに関する投稿をしていましたが、実は英文で多く行っていました。特に、カルバリーチャペルの黒人の牧師で、トニー・クラーク(Tony Clark)さんへのインタビューで、何が問題なのかが分かってきました。

 それを一言でいうなら、「命の危険も感じる経験、トラウマ」と言ってもいいと思います。あるいは犯罪人のように見られる目と言ってもいいです。警察に止められたら、「なんか、免許見せないといけないのかな?」というものでは、ありません。警官が、近くで小競り合いなどの事件が起こっているという報告を受けて、疑わしき人(皮膚の色でプロファイリングしているようです)を見つけ、銃を所持していることも想定して、ほとんど「従わなかったら、撃つぞ」的な拘束をしてきます。

 確かに「差別なんかない」とまで言い切る黒人の人たちも少しいるけれども、それは、社会制度的に、黒人を例えば雇用で差別するとか、そういったことは全くないという意味で使っています。事実、ないです。 続きを読む 政治運動ではなく、切実な黒人の訴えに耳を傾けよう

感染症対策「森を見る」思考を

 今も現在進行中の世界中でのコロナ対策ですが、ずっと世界で不思議がられているのは、欧米とアジアまたアフリカ諸国での圧倒的な、感染者・死亡者の割合の違いです。BCGのおかげなのか、日本では衛生意識が高いのか、とか、いろいろ言われていますが、私自身はキリスト者なので、その信仰をもって眺めていた面があり、感染症専門家の言葉には、当然、傾聴しなければいけないと思っていました。

 以下の記事が、まさに、自分の感じていたことが、日本人の感染症専門家の見立てと合致していたので、驚いている次第です。

『感染症対策「森を見る」思考を ― 何が日本と欧米を分けたのか ―』巻頭インタビュー 押谷仁『感染症対策「森を見る」思考を ― 何が日本と欧米を分けたのか ―』巻頭インタビュー 押谷仁
(雑誌「外交Vol.61 May/Jun.2020)

 ぜひ本文全体を読んでいただきたいのですが、題名にもなっている「森を見る」とはどういうものか?欧米諸国の場合は、感染者周辺の接触者を徹底的に検査して、新たな感染者を見つけ出すことで、ウイルスを一つ一つ「叩く」ことに力を入れてきました。そのやり方と日本を比較するので、欧米だけでなく日本国内からも、日本の対策に甘さを厳しく批判する人たちが多かったです。欧米在住、また欧米と関わりのある日本人はその傾向が強く、在日の欧米人にも、とてつもない不安を抱いている人たちが多かったように思われます。

 しかし傾向として、アジアまたアフリカの国々が総じて感染者・死亡者数共に少ないです。一見、まとまりのない、不備の多そうな印象のあるこれらの国々で、むしろ感染拡大の抑制に比較的、成果を上げています。押谷教授は、「私は、これまで世界をリードしてきた欧米流の社会のあり方、そして世界のあり方が、大きく問われているような気がしています。」と話しています。そしてこう論じています。 続きを読む 感染症対策「森を見る」思考を