終わりの日:「だれも知りません」とは「いつ来てもおかしくない」

「その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。」という御言葉は、「いつ来るか分からないから気にしなくていいや!」ではなく、「いつ来てもおかしくないから、いつも準備を!」ということ

(フェイスブック投稿からの転載)

 終わりの時について、しばしば、「20年前も、30年前も、同じことを話していて、何も起こっていないではないか?」という意見をしばしば耳にします。私は、そこに一つの時間の捉え方の誤りがあるのではないかと思います。その一方で、一昨日(2月13日夜)のような大きな地震が起こると、そういった時だけ、世の終わりが近いと盛り上がる傾向もあります。

 時間的な計測で終わりが近いかどうかを測るのは、ちょうど、自分が崖っぷちにどれだけ近づいているのか?という見方だと思います。聖書の「終わりの時」は、そうではなく、崖っぷちに並行で歩いていて、「いつでも終わりが来る」という切迫感の中で私たちが生きるように命じられているのではないでしょうか?

 だから、主が来られてからも「終わりの時」(ヘブル1:2)であるし、使徒たちも自分たちの生きている時に終わりが来ることを前提に教えていたし、私たちも今が終わりの時だとして生きるのだと思います。「終わりの時」という、永遠の神によって定められた時を、私たちは「並行して歩いている」と理解しています。

 実に、「終わりの日」という言葉が始めに出て来るのは、初めの書、創世記なのです。ヤコブが臨終のときに、12人の息子に対して、それぞれの部族に起こることを語りました(49:1)。この時からすでに、神を信じる者たちは、終わりを意識して生きるように命じられていました。 続きを読む 終わりの日:「だれも知りません」とは「いつ来てもおかしくない」

「日本占領と「敗戦革命」の危機」を読んで

 ついに、私の頭の中の戦中、戦後史、情報史学(インテリジェンス・ヒストリー)と呼ばれるものの中で、次の本を完読しました。

「日本占領と「敗戦革命」の危機」江崎道朗 著

 江崎道朗さんの一連の著作、すなわち「アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄」そして「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」が前著にありますが、それは、先の大戦とその後の米国の対日姿勢の中に、ソ連からのコミンテルン(国際共産主義運動)の分断工作があった、というものです。

 ルーズベルト大統領の政権の中枢に、ソ連からのスパイがかなり浸透しており、ルーズベルト自身が誤った政策によって、彼らに利することになりました。日本は日本で、コミンテルンの影響力工作によって、右翼の全体主義化が起こり、中国大陸への深い浸透と拡大を引き起こし、英米をそこに巻き込ませた、また統制経済における失策で、これまたコミンテルンを利する行動をしてしまった、ということです。

 その中で、日本国内では民主主義的な立憲君主制、そして経済の自由主義を奉じる保守自由主義者らの存在を浮き彫りにし、彼らも戦時中は、弾圧の的になり、そして米国では、日本を叩いたら東亜の共産化の歯止めが取れてしまうと懸念する、保守派の存在を浮き彫りにし、しかし、彼らの声は政権内では当時、小さかったことを述べていました。

「敗戦」の処理こそが、最も大きな危機

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