「命に嫌われている」自分に死んだ私

(フェイスブックから転載)

<自殺願望もあった思春期、
若い子たち、今も似たようなこと考えているんだね
僕はこうやって、自分に死にました>

 家には、テレビがないし、NHKプラスにも入っていないので、紅白歌合戦は大晦日に見ませんでした。上の投稿を拝読し、「へえ~こんな歌があるんだ」と、初めて知り、何度となく、じっくりと聞きました。

 これは、「まふまふ」さんの歌唱ですが、カンザキイオリという方の作詞作曲で、中学の時、不登校だった時のことを踏まえているとの説明を読みました。心の琴線に触れるような、叫び声のような歌です。

まふまふさんの「命に嫌われている」

オリジナルのカンザキイオリさんの「命に嫌われている」 続きを読む 「命に嫌われている」自分に死んだ私

自分の生活から近代宗教を切り離す努力

(フェイスブックから転載、加筆もしました)

 とても、的を射た内容の記事でした。

「2050年には大半が無宗教に」信仰心の篤いアメリカで神様を信じない人が増えているワケ宗教を個人の好みとして扱っている

 キリスト教と言えば、西洋の宗教と言われますが、現実は、前世紀、第二次世界大戦後に、巨大なパラダイム・シフトが起こりました。欧米で次第にキリスト教が衰退し、今世紀になってからはその減少が著しいものになっているのに対して、圧倒的に、アフリカ、アジア、中南米、中東にて、キリスト者と教会の数が増えています。(参考記事:「宗教改革五百年:福音宣教のパラダイムシフト」)

 そこで何が西欧諸国にてキリスト教を衰退させているかというと、本記事には、三つ挙げています。

一つ目は、人間主義です。神の意思によるものではなく、すべて人間の理性が優るという考えです。

二つ目に、集団より個人を重視するようになったことです。

三つ目は、人間の努力による進歩するのだという考えです。

 そのために、ついに、人間の内なる信念や願望によって生きる価値観へと変わっていき、副題にあるように、宗教は「個人の好み」の対象となり下がってしまいました。そして、西欧にて信仰の「近代化」が起こっていることを指摘しています。

 日本は、キリスト教文化があるわけでもなく、西欧の国でもないのに、なぜか、教会がその影響をもろに受けているように思われます。 続きを読む 自分の生活から近代宗教を切り離す努力

「わが体験的コリア論」~ 西岡力先生から信仰を学ぶ ~

 先ほど、以下の本を完読しました。

「わが体験的コリア論 ―― 覚悟と家族愛がウソを暴く」(西岡力著)

 拉致被害者を救出する「救う会」の会長で、朝鮮半島の研究者である西岡力先生による著書です。実は、ご本人から贈呈いただきました。日本キリスト者オピニオンサイトSALTYの仲間です。西岡先生が主筆で、私は論説委員の末席を汚しています。

 本の内容は、これまで西岡先生が取り組んでこられた主に二つの事が、体験的に書かれています。一つは慰安婦問題、もう一つは拉致問題です。西岡先生のライフワークの二本柱です。

 この二つの領域において、彼の働きは、日本国そのものを動かしたと言っても全然言い過ぎではありません。慰安婦問題においては、文科省が、21年9月、教科書の記述について「従軍慰安婦」ではなく単に「慰安婦」とするのが適切であるとしました。拉致被害者救出運動については、拉致そのものがタブー視されている状況から、金正日が拉致を認め、日本政府が拉致問題対策本部を設置し、米国が核問題で北朝鮮に対する圧力外交をするにあたって、拉致問題を取り入れて交渉するほどにまでなっています。

 しかし、初めの時は、非常に小さなところから始まっています。真実、事実をもって嘘を暴き、それが次第に大きなうねりを持っていって、国全体まで動かしていく様子が克明に描かれています。それはあたかも、山に雨が降って、それが小さな水の流れとなり、川となって、下流は大きな河川となっているようなうねりです。そこで大事なのは、どんなに小さなことであっても、真実と正義に基づいて動くという初心から、決して離れないことです。そして勇気を持っています。恐れとの戦いに一つ一つ取り組み、戦い抜いています。

 例えば、西岡先生が、三十年前、拉致事件を論文として発表した初めての人ですが、その時のエピソードを書いています。 続きを読む 「わが体験的コリア論」~ 西岡力先生から信仰を学ぶ ~