SON OF HAMAS(ハマスの子)

普通、本の紹介は読書後に書くものですが、今回は特別に読書前に紹介します。

SON OF HAMAS by Yousef Mosab Hassan
(「ハマスの子」ユーセフ・マサーブ・ハサン)

ハマスの最高有力者の息子マサーブ(あるいはモサブ)が、イスラエルに収監中に心を入れ替えてパレスチナのテロ行為を阻止するためイスラエル諜報機関の秘密工作員となりましたが、それは彼がイエス・キリストを主として受け入れてクリスチャンになったからでした。そしてアメリカに政治亡命、つい最近、自分の身を明かし本も出版しました。

この本を紹介するサイトで、彼のインタビュー動画や、ブログなどを読むことができます。

http://sonofhamas.com/

そして次のリンク先を開いてください。彼の紹介記事が日本語で翻訳されています。

緑の王子」(pdfファイル リバイブ・イスラエルの日本語訳記事から)

なぜ読書前にご紹介するかと言いますと、なんと国土安全保障省が彼をアメリカへの政治亡命として認めないとして、それを不服として彼が6月30日に控訴するからで、彼がいなかったら起こったであろうテロ事件は数多く、多くのイスラエル人やパレスチナ人だけでなくアメリカ市民の命も救ったにも関わらず、「アメリカ合衆国の安全保障に対する危険性」があるというあまりにも馬鹿げた理由で、彼を強制送還しようとしています。

彼はブログの中で、「私のことを心配してもらうためにこのことを書いているのではありません。国土安全保障がいかに弱体化しているかを暴露し、命を救い自由を守るために変化を求め、圧力をかけることのできる機会として神が用いられていることを信じているからです。」と言っています。私は、年に一度アメリカに行きますが、行く度に、ますます無気力になっている雰囲気を感じ取りますが、このような形でも現れているなと確認しました。

導かれた方は、強制送還されないように祈ることはさることながら、この訴訟を通して神の栄光が現されるようにお祈りください。

いずれにしても、今、ジョエル・ローゼンバーグ氏の「Inside the Revolution(革命の内幕)」にもあるとおり、イスラム過激派が御霊の新生を経験する人がどんどん出てきています。アラファトの下で働いていたタイシル・サアダ(Tass Sada)氏も、劇的な体験を経て、愛に満ち溢れたクリスチャンになっています。

Once an Arafat Man(かつてはアラファトの男だった)

ジェイコブ・プラッシュ師来日セミナー (再投稿)

ロゴス・ミニストリーのリンク先の中に「モリエル・ジャパン」というのがあります。ジェイコブ・プラッシュ(Jacob Prasch)師による創立の働きで、ユダヤ的視点による聖書の読み方を提供する方で有名です。今回、セミナー開催のために来日されるというお話を伺いました。

6月18(金) 神戸市立 六甲道勤労市民センター 会議室E 午後5:30~
6月19(土) 神戸市立 六甲道勤労市民センター 会議室E 午後5:30~
6月20(日) (東京)文京区 勤労福祉会館 区民会議室 午後5:30~

以下のリンク先をご覧ください。

セミナー開催のお知らせ(モリエル・ジャパンのブログ)

来日セミナーのパンフレット(pdfファイル)

一年ほど前でしょうか、日本支部の担当の方から連絡をいただきロゴス・ミニストリーの中にある資料を読んで、神学的、信仰的にとても似ていると感銘を受けたというお手紙をいただきました。

ジェイコブ氏には私は実際にお会いしたことはないのですが、お名前は以前から聞いておりました。デービッド・ホーキングが参加する聖書預言セミナーに他のスピーカーとして名を連ねておられます。実際に個人的に知り合いの仲のようです。カルバリーチャペル・コスタメサを本拠地としていたロジャー・オークランド氏とも親交がおありのようで、また、いろいろなカルバリーの教会にも招かれているみたいです。アーノルド・フルクテンバウム師のこともしばしば言及されています。

まずは、パンフレットを開いてご覧ください。「ミドラシュとは何ぞや?」という疑問をもたれた方はぜひおいでください!(こちらの日本語訳に紹介があります。)

ちなみに私は東京の集会に参加するつもりです。

6月20日追記:今日、集会に参加しました。すばらしい、深いメッセージでした。このブログを見て来られた方は、どのようなご感想を持たれたでしょうか?ジェイコブ本人も、モリエル日本の人も知りたがっていました。よかったら、下のメールアドレスに感想を書かれるか、または下のコメント欄にご感想をお書きください。

morieljapan@yahoo.co.jp

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ 6月16日

☆6月16日(水)
夏の生メッセージスタート!!☆

お元気ですか?
梅雨入りしましたね。

明日から、この夏の生メッセージが、本格的にスタートします。聖書箇所は詩編に決定いたしました。

前回の学びの後の分かち合い…ロゴス・ミニストリーのあるじが、イスラエルに行かれていたので、話題がイスラエルに及びました。皆さんがお分かちくださった一つ一つのことから、現在のイスラエルの国と人々についての理解が深まり感謝でした。楽しい話をいっぱいしていただいて、一週間分いや一ヶ月分位笑いました。忘れられない分かち合いの時となりました。あ~面白かった!!o(^-^)o

メッセージより・・・Ⅱヨハネ6節「愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。」…愛とは、相手のことを思って意志を持つこと。
(「ユダの手紙」から「Ⅱヨハネ」に変更して学びました。)

では、今週の学びのお知らせです。

◇6月16日(水)午後7時~

◇田道住区センター三田分室 第2会議室

◇聖書箇所 詩編1篇~※毎回4篇前後進む予定ですので、時間のゆとりがおありでしたら、今回は5篇まで前もって読んでおかれることをお勧めします!

♪ご持参の食事は、メッセージ前あるいはメッセージ終了後に、召し上がって頂けます。

☆6月の学びの日程
16日・23日30日 ※全て水曜日です。

※可能な方は、下記のアドレスに、ご予定をご返信くだされば感謝です。
ebisu_bs @gmail.com
(bsと@の間の一マスを消してください。)

みなさん守られますように。

ヨルダン・イスラエル旅行日記 - 6月10-11日

ただ今、韓国の仁川国際空港にいます。18:40発の飛行機に乗って、午後11時ごろには到着する予定です。

この前日にはまだヨルダンのアカバにいたと思うとなんとも不思議です。お昼ごはんの時までアカバにいたため、イスラエルのエイラットからエルサレムへはネゲブ砂漠を猛スピードでバスが走りました。

アーノルドは当初6,7時にはエルサレムに到着すると言っていましたが、結局着いたのは8時近く。9時までの間に、アーノルドの部屋からヨルダンに行く前に残しておいた自分の荷物を取り、夕食を取り、シャワーを浴びて、そしていつもの「講義」を15分で終わらせて9時過ぎに出発するという、あまりにも強行な計画を立てました。

私は、他のアメリカ人のグループよりも30分早く、午前12時30分発の便に乗らなければいけません。ベングリオンは3時間前に行かなければいけないので、9時半に到着するというのは不可能です。私はアーノルドに「早く出発しましょう」とせっつきました。

9時10分に出発することができて、着いたのは10時20分。不安でしたが、案の定、カバンに入れていたアハバの死海クリームがどうも怪しい(??)と見たようで、私の荷物と体をしらみつぶしに調べました(99年のイスラエル旅行と同じです)。でも、飛行機乗務員の所のセキュリティーを通過して、ぎりぎり搭乗時間に間に合いました。

おまけに、飛行機の中でものすごい腹痛が起こりました。頭痛もあります。スチュワーデスさんに頼んで下痢止めの薬をもらって飲み、それでも痛みは断続的に続き、12時間半の搭乗時間は、その痛みを我慢するのと睡眠であっという間に過ぎました。

おそらく、これまでイスラエル・ヨルダン料理をばくばく食べたことと、緊張とストレスが解けて具合悪くなったのでしょう。今、薬局で薬を買って、飲んで、少しほっとしているところです。

旅行の仲間たちとはすごく仲良くできました。ルームメートのライアンさんともとても気が合って、お互いに助け合って過ごしました。この夏は、これまでの旅行日記を基にして、「イスラエ・ヨルダン旅行記」を執筆する予定です。とにかく膨大な情報を受け取ったので、アーノルドの音声ファイルを、地図や写真と照らし合わせてまとめなければいけません。お祈りいただけると幸いです。

追記:下に、旅行日記のご感想の投稿を歓迎します。

ヨルダン旅行日記 6月9日 - ヨルダン南部

今日は次の旅程でした。

ペトラ
ワディ・ラム自然保護区
アカバ

朝7時にホテルを出発、徒歩でペトラの入り口に着きました。その岩の自然と遺跡の群像は、圧倒されるばかりでした。一生忘れることはないでしょう。

今見ることのできるペトラは、紀元前後に活躍したアラブ系遊牧民であるナバテア人が建てたものが主体です。ペトラは聖書的にはエドムの「ボツラ」であり、ナバテア人が来てから彼らは追い出されました。

ペトラは、中東とエジプトや西洋をつなぐ中継の貿易都市として栄えました。砂漠と岩の絶壁の地であり、とても住めるとは思えないところですが、ナバテア人は遊牧民でかつ貿易商人です。今で言うならドバイやシンガポールと言ったところでしょう。さまざまな文明と文化、宗教が入り乱れる、莫大な富が集積されたところでした。ダムや水道もきわめて高度な技術をもっと整備されており、この乾燥した土地にいても問題はなかったようです。

岩を切り刻んだそれらの彫刻は、エジプト、ギリシヤ、ローマの宗教の影響が色濃く残っています。そしてビザンチン時代の教会のモザイクもあります。

岩に鉄分が含まれているため、バラ色を主体として、その角度や太陽の位置によって色彩が見事に変化します。あまりにも美しいです。

ちなみに、聖書預言にしたがえば、ここにイスラエルの残りの民が艱難記にここに逃れ、反キリストがユダヤ人を全滅すべくやってくる所に私たちの主がまず再臨される所です。

そして私たちはその南部にある、ワディ・ラム自然保護区に行きました。色濃い砂漠の地域ですが、ここが現代のヨルダンを造った、オスマン・トルコへのアラブ遊牧民の反乱を手助けした、「アラビアのロレンス」の活躍した場であります。この砂漠を渡ったことによって、アカバにあるトルコの要塞を打ち破ることができました。

そこで私たちはジープに乗って砂漠の中を走りました!実に爽快で、楽しかったです。

そしてアカバに着きました。すぐ隣は、イスラエルのエイラットです。エイラットには私はすでに三度、訪れています。こちらも雰囲気がとても似ており、エンターテイメントの地です。最後の夜をアーノルドと囲んで、コーヒー店で談話を楽しみました。

明日はお昼をこちらで取って、越境し、エルサレムに向かいます。真夜中でベングリオン空港を発ちます。

ペトラにあるハツネ(宝庫)

ヨルダン旅行日記 6月8日 - ヨルダン中部

ヨルダン旅行の最高峰はペトラですが、アンマンからペトラはかなり距離があります。

ですから移動日でありますが、その途中に見学する場所はいろいろありました。次が旅程です。

ネボ山
マダバ
マカエラス
アルノン川
カラク城
ゼレデ川
ダーナ国立公園

ネボ山はもちろん、モーセが約束の地を主によって見せていただき、そして死んだところです。あいにく霞がかっていて遠くまで見られませんでしたが、モーセの偉大さを思わされました。

そしてあまり考えていませんでしたが、ヨルダン渓谷は水面下の陸地なので、ネボ山自体は高い山ではありません。別にバスが高く登ることはありませんでした。むしろヨルダン全体が高地と山地の国であり、ヨルダン川周囲だけが非常に低くなっている地形なので、アンマンから20分ぐらいで簡単に到着しました。

それからマダバがすぐ近くにあります。ここはビザンチン時代からクリスチャンの町として栄えました。そこの教会内にあるイスラエル、ヨルダン、エジプト全体のモザイクが、当時の地域を知るのにとても大事な文献になっています。

そこでおいしいヨルダン料理を食べました。ヨルダン料理はイスラエルのととても似ていますが、野菜類はイスラエルのほうが多いです。カレー味の炒めライスにチキンを載せたものとか、とてもおいしいです。

そしてさらに南下して「マカエラス」という所に行きました。死海のそばにあり、ちょどミニ・マサダという感じでした。そこでヘロデ・アンティパスがバプテスマのヨハネを斬首の形に処したと言われています。

それから大事なのは、アモンとモアブの国境になっていたアルノン川と、モアブとエドムの境になっていたゼレデ川を渡ったことです。川と言ってもワジ(涸れ川)になっており、ちょうどグランド・キャニオンのように川の部分だけが抉られているような壮大で雄大な光景でした。

そしてダーナ国立公園という所を通って、ついにペトラに到着しました!ペトラ遺跡のすぐそばにあるホテルに泊まりました。

マデバにあるモザイク(中央部分から少し右上にあるのがエルサレムです)

ヨルダン旅行日記 - 北部 6月7日

ついにヨルダンの旅行が始まりました。旅程は次の通りでした。

タバカット・ファアル(ペラ)
ウンム・カイス(ガダラ)
ジェラシュ(ゲラサ)

括弧が聖書時代の地名です。すべてデカポリスの町です。

ベイト・シェアンからヨルダンに陸路で国境を越えてから、まずペラに行きました。ペラはベテ・シェアンの少し南にあるデカポリスの町ですが、数日前に言ったベイト・シェアンがはっきり見えます。ずっとイスラエル側からヨルダンを見ていたのですが、今回はその反対を行なうことができています。

ガダラも同じく、ガリラヤ湖とゴラン高原にきわめて近いところにある遺跡群です。自分たちが昨日まで宿泊していたマアガンを見つけることができました。

そして圧巻はジェラシュ(ゲラサ)です。ヨルダンといえばペトラですが、それに次ぐ遺跡群です。ベイト・シェアンに少し似ていますが、規模がまるで違います。ローマ式の柱廊が千本あるとガイドは言っていましたが、はたして行けども行けども通りの両脇に柱廊が立っています。巨大なショッピングモールと、異教の神々への宮と、そして教会の遺跡もあります。円形劇場、競馬場もあります。ここら辺は、カイザリヤなどヘロデ時代のローマ都市と同じですね。

そしてヨルダンの首都アンマンに到着しました。ヨルダンは山地の国です。ものすごい急な山を上がったり下がったりします。けれども高地になってずっと平坦にもなります。けれども、イスラエルに比べると水の確保がなおさら難しそうです。

ジェラシュの町(北門に向かう通り)

イスラエル旅行記 6月6日 - シャロン平原

今日はガリラヤ湖を経ってエルサレムに戻る移動日です。次の旅程になりました。

マアガン・キブツの見学
カイザリヤ
サムエルの墓
スコパス山など

マアガン・ホテルに泊まっていましたが、それはキブツが経営するホテルです。キブツについてはたくさん聞いてきたし、また勉強も少ししましたが、実際に中を見せてもらったのは初めてです。極めて整えられた、平和的な共同生活が営まれていました。

そしてカイザリヤです。以前見なかったカイザリヤの町の北の部分をじっくり見ることができ、うれしかったのです。

そしてエルサレムに向かいましたが、テルアビブとエルサレムを結ぶ一号線ではなくその北を走る443号線を走りました。サムエルの墓に行くためです。西岸の中を通るようにしてユダの山地の北のところにこの墓があります。けれども本当の墓は、今のパレスチナ自治区にあるラマの町にあるはずであり、いけなくなったのでギブオン人の町ケフェラ(ヨシュア9:17)の遺跡のところに建てたところを新たに墓としたそうです。そこの屋上から360度のパノラマの景色を眺めることができます。

そしてエルサレムについたら、全体を眺めることができる三つの地点に行きました。一つ目はスコパス山、二つ目はスコパス山の裏手にあるユダの荒野が見えるところです。そして三つ目は、旧市街の南に位置する悪い企み(Evel Counsel)の山から見るエルサレムの町です。

そして私たちははじめに滞在したMount Zion Hotelに到着しました。明日からヨルダン旅行です!

ユダの山地(北部)

イスラエル旅行日記 6月5日 - 二回目のシャバット

今日は土曜日、すなわちイスラエル全体が正月みたいに休みに入る日です。前回と前々回の旅と違って困るのは、この日に休みを取るので、ホテルでは朝食のみで後は自分たちで食べるところを探さなければいけません。また自由時間ですから他の地域に行きたいと思っても、公共の交通はすべて休みです。

それでも今回は、初めてイスラエル旅行に来た人々の中に、上ガリラヤにある所に行きたいと言った人が出ました。それで、経験のある私と、もう一人の経験者がナビゲーターになって、ピリポ・カイザリヤとテル・ダンに行きました。

ピリポ・カイザリヤは今はバニヤスと呼ばれています。神「パン」が拝まれていたところで「パニヤス」がアラブ語訛りの「バニヤス」となりました。前回来たことのあるメンバーが、バニヤスの宮のみならず、その周囲にあるヘロデ・アグリッパ二世の建てた町の遺跡にも連れて行ってくれました。

そしてテル・ダンですが、ここもヨルダン川の水源になっているところで緑がたくさんありきれいなところです。ダン族がカナン人のこの町を攻め取り、またヤロブアムがベテルと共にここに金の子牛を立て、祭壇をきずいたところです。ここはものすごく感動しました!遺跡がそのままそっくり残っているからです。

そして帰りに、イエスの舟(Jesus Boat)の展示館に立ち寄りました。

そして今日のクライマックスは家庭夕拝です。1999年に会った、カルバリーチャペルからの宣教師がこの地域で続けて働きを行なっています。参加したいとメールを出したら、御言葉を分かち合ってくださいと頼まれ、奉仕させていただきました。雰囲気がとてもよく、深い休みを得ることができました。霊的にも、私が用意していた聖書箇所を彼も考えていて、きれいな御霊の流れが出来ていました。

テル・ダンにある祭壇と聖所