エビスBSのお知らせ 2月10日

みなさん、お元気ですか?

3日は、聖書預言に照らしながら、イスラエルのことを深く学ぶという貴重な機会を与えられました。
たくさんの方々と共に恵みに与ることができました。
お祈りありがとうございました。
イザヤ書の学びも、どんどんとその広さ深さを増してきています。
このタイミングで今のイスラエルについて学べたことで、聖書の世界に躍動感が増し加えられたように感じます。
折にかなって時にかなって美しい神様の御業を思います。

ご事情で集いたくても集えなかった方々、ブログの方にアップされている1月に行われたアメリカでのメッセージを聴いてみて下さい。

では、今週の学びのお知らせです。
〇2月10日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第2会議室
〇聖書箇所 イザヤ書49章~

※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆2月の学びの日程
2月10日・17日・24日
 全て水曜日です。

みなさん守られますように。

シリアの花嫁

昨日から風邪気味で頭が痛いのですが、レンタルで借りていたので観た映画が次です。

「シリアの花嫁」(2004年 イスラエル・仏・独)

使われている言語が、アラビア語、ヘブライ語、英語、そしてロシア語ともりだくさんです。ゴラン高原に住むドルーズ派の一家の娘が、シリアに住む有名コメディアンと縁戚結婚するため、二度と帰って戻れない国境越えをする話です。二度のイスラエル旅行でゴラン高原とその地域を訪れたことがあるので、非常に楽しく鑑賞できました。初めての方、イスラエル・アラブ紛争のきな臭さが苦手な方でも家族愛が主題なので十分楽しむことができると思います。

この映画について詳しい説明と批評が掲載されているサイトもあったので、ご紹介します。

1.http://www.smilefilm.com/3m/syrianbride.html
(ドルーズ派については http://www.smilefilm.com/3m/syrianbride_golan03.html
2.http://blogs.yahoo.co.jp/ohkawa_jerusalem/folder/1773427.html

2.のブログによると、なんと実際にこの国境越えの婚姻が行なわれているそうです。

この映画で、私がユダヤ人ガイドから受けていた説明と異なっていたのは、その一家の父がシリア帰属運動をしている人であるということでした。映画の中にシリアの国旗を掲げてデモを行なっている場面があるのですが、私は、ドルーズ派はイスラエルへの帰属が強い人々だと教わっていたからです。

それでネットで捜してみたら、ちょうどそのことを取り扱っているニュースがありました。

Golan Druze Seek Peace — and the Heights(訳:ゴランのドルーズ人は平和を希求しつつ、この高原を求めている)

実際にシリア国旗を掲げて帰属運動をしている人たちはいますがそれは少数で、ゴラン高原ドルーズ派の大半は、「故郷はシリアなのだが、イスラエルのほうが政治も経済もいいから、こっちにいたい。」という実際的な本音を漏らしています。といっても完全にイスラエル人になりきっているわけではなく、複雑な心境のようです。「できたら、シリアとイスラエルが和平を結んでほしいが(そうしたら自由に行き来できるから)、ゴランはイスラエルのままであってほしい。」ということです。

要は、「家族、親戚に会いたい」「故郷は『イスラエル』か『シリア』かではなく、『ゴラン』だ。」という本音です。

そして大事なのは、彼らはそのイスラエル帰属を願う本音は、公に漏らすことを恐れているということです。もし仮にシリアにゴラン高原が返還されたとき、シリア大統領からのしっぺ返しがあると見ている為です。

似たような本音を、アラブ系イスラエル人(民族はアラブ人だが、イスラエル国籍を保持する人々)は持っていると言われます。イスラエルとパレスチナの二国家ができたとしても、パレスチナ国に行こうとするイスラエル・アラブ人はほとんど皆無であろうとある人が言っていました。

ここで話を大きく膨らませてしまいますが、私たち自由な国に生きている者たちがしっかりと考えなければいけないことがあります。イスラエルにしろアメリカにしろ、日本にしろ、「反対意見や反対運動を許す」自由を与えているけれども、その反対者らが支持あるいは同情している相手国の多くがそれを許していないということです。ドルーズ派の人々はイスラエルからシリアへは行けますが、シリアからイスラエルへは入れません。旅行者は、シリアやレバノンなど周辺アラブ諸国の出入国をしても、イスラエルへ入国は可能ですが、イスラエルの出入国のスタンプが旅券にあると、それらの国々は受け入れません。

イスラエルは、左派などの入植地反対運動、またイスラエルに反対する意思表明の自由を許しますが(テロなどの物理的な危害を加えない限り)、パレスチナ自治区ではイスラエル寄りの意見を言うことは決して許されません。

皆に嫌われている(?)ブッシュ元大統領は、イギリスの記者会見で「世界はあなたを憎んでいますよ。」と質問されたとき、「大歓迎です。その憎んでいることを表明できる自由を私たちは守りたいのです。」と答えました。この言葉に民主主義国の「自由」とは何なのかが集約されています。それらの国々では自国の指導者を嫌いだ、ということはひそひそ自分の家で話すことはできますが、表立っては言えないのです。

ナタン・シャランスキーは一つの国の自由度を「首都の中心部にある広場で現政府を批判することができるかどうか。」で測ることができる、と言います。

反対している人は、もちろん大いに反対して良いのですが、その自由を与えている国に住んでいるという感謝を決して忘れないでください。

・・・話が思いっきりずれてしまいましたが、映画「シリアの花嫁」、とっても良いです。ご覧ください。

エゼキエルの幻の神殿

昨日、エゼキエル書40-43章を学びました。その準備で知った貴重なサイトをご紹介します。

Sons to Glory Book Chapter 7 “The Millennial Temple”

Bible AG (Amazing Grace) Tour of Future Temple
(Its Video Tour)

エゼキエル書40章以降にある、非常に細かい神殿の説明は、上の二つのサイトで確かめることができます。特にVideo Tour of Future Templeにおいては、動画による説明だけではなく、GoogleのSketchUp Viewerをダウンロードすれば、自分で神殿探検ができます。

神の宮は聖書の中で大きな主題です。以前、出エジプト記の学びでモーセの幕屋と、ソロモンの神殿についてのサイトをご紹介しました。

The Tabernacle Home Page

3D Bible Project

幕屋を通してキリストに出会う(日本語)

3D Bible Projectも、ソフトをダウンロードすることによって自分で幕屋や神殿の中身を行き巡ることができます。

「高さが・・キュビトで、幅が・・・キュビトと一手幅である」云々の説明が一目で画像や映像で分かるので、本当に嬉しいです。

2010年に核戦争の可能性

これぐらいセンセーショナルな題名でないと目が覚めないかもしれません。

下に恵比寿バイブル・スタディのお知らせを掲載しましたが、イスラエルを取り囲む今の時代を預言の中で見ていく、パワーポイントによるプレゼンテーションを行ないます。内容はアメリカで行なったエゼキエル書36-39章の学びの時のプレゼンと重なりますが、どこの聖書箇所に該当する話なのかを挿入しつつお話しようと思っています。

日本のマスコミ報道はイランとイスラエルの核戦争危機が最高潮に達しているのに、それについてほとんど報じていません。2001年の米国同時多発テロにおいて世界があれだけ震撼したわけですが、もしイランとイスラエルが戦争を開始したらそれどころではありません。世界の大混乱は当然免れることはできませんが・・・なぜか報道しません。

まず、1月27日にアウシュビッツ収容所の跡地で、イスラエルのネタニヤフ首相が、明確に、イランが核開発に成功するその初期段階で先制攻撃をかけると発言しています。

アウシュビッツ収容所解放から65年、現地で追悼式典 ポーランド(日本語の記事)
実際の演説(ヘブライ語を英語に翻訳したもの)

そして、この中でネタニヤフ首相は同時に、エゼキエル37章の「干からびた骨」の復興が現イスラエル国家において成就したことを言及しています。

そして最高指導者アリ・ハメネイ師が「イスラエルの破滅」の予告をしました。

「シオニスト政権は、イスラム世界にとって大きな脅威である」 (ハメネイ師のブログ、日本語訳)

日本人に分かりやすく話すなら、「イランはちょうど、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の麻原彰晃が日本の首相になったようなもの。」と言えます。アフマディネジャド現大統領とその取り巻きのイスラム信仰は、イラン革命の父ホメイニ師でさえカルト視していた過激かつオカルト的なものです。それを、ヒットラーのトンデモ言説が実際に実行されたのを経験したユダヤ人国家の指導者が、二度とホロコーストは繰り返させないという強烈かつ強靭な意思を、つまりは表明しているわけです。

そしてオバマ米大統領は1月27日に一般教書演説を行ないましたが、イランに対して「増大する結果(growing consequences)を招く」と言うにとどまりました。(全文、英語)イラン革命当時のカーター元大統領の対応を思い出させます。

ジョエル・ローゼンバーグ氏は2010年にイスラエル旅行に行かれる方は、祈り深く、目を覚まし、聖霊の導きに敏感になってくださいと注意を促しています。(・・・まあ信仰者は、それでもイスラエルに行くのですが。心は平安です。)

2月3日、恵比寿バイブル・スタディにおけるプレゼンの概要は次のようになると思います。

1.ユダヤ人のパレスチナ郷土帰還(エゼキエル36章)
  - アラブ反乱
2.シオニズム運動、イスラエル建国(エゼキエル37章)
  - 独立戦争(詩篇83篇)
  - 六日戦争(ルカ21:24)
3.エジプトとイスラエルの平和協定(イザヤ19章)
  - ヨム・キプール戦争
  - エジプト大統領サダト暗殺
4.イスラム革命(エゼキエル38.39章)
  - 1979年のイラン革命
  - イスラム主義の伝播
  - イスラエル安全保障の確立
5.ロシアの台頭、イランの脅威(エゼキエル38.39章)

エビスBSのお知らせ 2月3日

みなさん、お元気ですか?

早速ですが、次回2月3日の学びについてお知らせします。

2月3日は、「今のイスラエルと聖書預言」というタイトルで、いつも以上に中身のぎっしり詰まったメッセージをして頂けることになりました。現在のイスラエルを歴史的な角度から見つめながら、そこに神様が働かれているのを見、聖書預言の確かさを深く知る学びです。

聖霊の導きによって積まれたメッセンジャーの研鑽を、主が豊かに祝福して用い、素晴らしい学びのときとして下さることを確信しています。

また、メッセージを通して神様が私たちの信仰を育み、魂に成長を与えて下さることを期待して、今からワクワクしています!

主から与えられた、この貴重な機会、是非ご一緒できますようにお祈りしています。(ロゴスのエゼキエル36~39章のメッセージを聞いています。難しいけど面白いです。これは聞いておくと、当日より深い理解が与えられると実感しています!)

〇2月3日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第2会議室
※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆2月の学びの日程
2月3日・10日・17日・24日
 全て水曜日です。

みなさん守られますように。

韓国に弱い日本の教会

題名は、雑誌「アエラ」の最新号(2月1日)の記事題名の一部です。すべての題名は・・・

「日本の聖域 第四回 日本のキリスト教会 - 韓流に乗って勢いづく韓国に弱い日本の教会」

ざっと読みましたが、アエラのような一般雑誌がここまで正確にキリスト教会内のことをまとめたなと感心しました。大抵、日本のマスコミはキリスト教について初歩知識さえ疑われる記事を出しますが、この記事に関しては違和感を抱いた点は一つもありません。おそらく、これまでアエラは何度か、日本における韓国・日本キリスト教会の不祥事を取り扱ってきたので、おそらく取材をかなり行なわれているのでしょう。現場を踏んで、当事者へのインタビューをまとめて、そのまま記事にしたものと思われます。

オンヌリ教会が日本で行なった「ラブ・ソナタ」から始まり、韓国の教会の教勢、また、なぜ韓国教会の宣教に頼らなければいけないか、日本のキリスト者数の少なさや牧師の悩みなども、そのまま明かされています。そして、その流れの中で、月刊誌「幸いな人」の出版社を設立した韓国人牧師の性的いらがらせ不祥事も取り上げています。(これに関する産経新聞記事はこちら。)

教会の不祥事については、この問題を追っていくと本当にげんなりしてしまうのでここで詳しく話したくありません。けれども一つだけ、アエラの記事でも取り上げている「弟子訓練」は私も問題があると思っています。「キリスト」が「人」に対して行なわれるはずの弟子化をプログラムの中で、「人」が「人」に対して行なうようになってしまいます。他の教会成長関連のプログラムもみな、似たような傾向を持っていると私は感じています。

このアエラの記事で引用したい部分はたくさんあるのですが、いくつかに絞り、韓国と日本のキリスト教会にある問題点について述べたいと思います。

1)韓国キリスト教会内にも大きな問題があり、日本の教会と霊的な大差はない。

「韓国から見れば、信者が人口の1%弱の日本は『未開の地』であり、逆に日本にすれば、韓国は宣教において仰ぎ見る存在というわけだ。」

このお互いの見方が誤っています。日本は決して韓国より未開の地ではありません。そして韓国がキリスト教会において先進国でもありません。もちろん、日本は未開地であるという意識は私も強く抱いています。けれども、韓国キリスト教が克服しなければいけない大きな霊的課題や問題は山積しています。その問題を省みず日本で宣教を行なえば、その影響を受け皿の日本の教会がまともに被り、その中で大きく傷を受けている人々が数多くいます。

2)日本の牧師たちが、良い意味で「自信」を持っていない。

「教会をどう成長させたらいいか悩んでいる牧師は多い。弟子訓練が韓国で評判がいいと聞き、ともかくそこから学ぼうという意識は強かった。」

「なかなか信じてくれる人々がいない、また信じてもすぐにつまずいて、教会を離れ、信仰を捨ててしまう人がいる。」こんな悩みを日本の牧師は多かれ少なかれ、誰しも持っています。そして日本人は概して自意識が強いので、ちょっとした言葉から誤解を受け、それで互いの人間関係がもつれます。それでも牧師は外出する機会も多いから良いのですが、牧師夫人がその影響を直接被ることになり、精神的に鬱になっている方が多いです。

このような悩みの中で、なんとか教会を成長させたいという、藁にもすがる思いでプログラムに参加されるそのお気持ちは本当に理解できます。

けれども、どうか「自信」を持ってください!「自信」というと「自分を信じる」ということで良くないことですが、誰がやってもうまくいかない、この堅く、干からびた日本の地の最前線に遣わされた誇り高きキリストの戦士です!最前線にいますから、敵の集中砲火を受けます。けれども、その前線を固守しておられる自負をぜひ持ってください。私は、本当に日本の牧師の方々を尊敬しています。そして、次の発言も載っていました。

「信者を増やす手段ばかりが重視され、何のために増やすのかという目的が語られなくなっている。」(都内のある牧師の指摘)

そうなのです!数が問題なのではありません。たった一人でも良い、救われ、しっかりとキリストにあって成長する人が起こされれば、それで主にあって大いに喜ぼうではありませんか!私は大きい教会の牧師とお会いするよりも、小さい教会なのに、こつこつと喜びをもって牧会されている方に出会うと、本当に励まされます。

そして信者の方々へ・・・牧師を大事にしてください。「この牧師は・・・」となじりたくなる気持ちも分かりますが、そうした霊的最前線で悪霊からの火砲で負傷している、同じ人間であることを忘れないでください。「互いに愛し合う」というのは、牧師から信徒だけではなく、信徒から牧師に対しても行なわれなければいけないものです。

3)地道に宣教・伝道活動を行なっている韓国人宣教師の方々が、数多くおられるのだから、交流を深めてほしい。

「日本におけるオンヌリ教会の影響力ばかりが大きくなっている。」(ある韓国系教団の牧師)

私がお会いした、日本在住の韓国人牧師や伝道師の方々は、一様に似たようなことを言われます。私個人は、「『ラブ・ソナタ』も結構だが、それを一回性、二回性のもので終わらせるのではなく、10年、20年という長い期間を視野に入れて本腰を入れてほしい」と思っていました。あれだけ盛大にしているのでお金が大丈夫なのかな・・・と心配していたし、今も心配しています。でも、実際の韓国人の宣教師の方々は、もっと複雑な気持ちでいらっしゃるのでしょう。

日本の牧師の方々、どうか、皆さんと同じように小規模でも地道に、そして着実に伝道を行なわれている韓国の人々と交わってみてください。協力してみてください。

要は、数や規模ではありません。私たちの主イエス様がどう仰っているかに注目しましょう。

    • 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには

少しばかりの力

    があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。(黙示3:8)」

自浄努力の重要性

去年のクリスマスの時期の投稿で、小沢一郎氏の「キリスト教は排他的」と発言したニュースを紹介しましたが、この発言を徹底的に批判しているブログ記事を見つけました。

1.剛腕か傲慢か?壊し屋が壊れる日 キリスト教は排他的で独善的だとする小沢一郎氏自身の宗教観を問う
2.小沢一郎氏と福澤諭吉と田中角栄 政治と金と宗教 クリスチャンとイエス・キリストと聖書

この小沢氏の発言の後、キリスト教の団体が抗議をしたようです。そして、私自身、続けて調べたら、クリスチャンの国会議員による小沢発言批判の記事(民主党議員を含めて)、そして小沢氏が批判を撤回した記事も見つけました。

一言、感想としては「小沢氏の巧みな政治的思惑での発言だったのだろう。けれども、日本人の平均的な宗教的無知をさらけ出してしまったようだ。」ということです。上の記事の中に、その中身が徹底的に披露されています。

おそらくこのブログを読まれている人の中にも、未信者の方はおられると思います。求道を真摯に始めておられる方もおられるでしょうし、斜めに、批判的に読まれている方もおられる。後者の方はぜひ、リンク先の記事を読まれることをお勧めします。キリスト教信仰を否定する根拠として「私は仏教徒だ」、「私は無宗教だ」、「私は日本人だからキリスト教にはそぐわない」と言われる方は、いかに近代日本の成り立ちについて(無宗教だという人)、そして仏教の教義と変遷について(仏教徒だという人)、無知であったかを痛感されると思います。

上のクリスチャン国会議員の集まりの新聞記事にありますが、石破茂自民党政調会長は、「キリスト教が排他的とおっしゃる政治家がおりますが、キリスト教は寛容です。ただし、それはあいまいという意味ではない。キリスト教信者として妥協できない領域は確かにあります。・・・」と言われています。そうです、キリスト教は、そして実は仏教も、「ハードコアなファクト」(つまり心情や感情を入れない徹底した事実検証)に基づく信仰なのです。

けれども、以前、民主党による憲法創案で一神教批判が盛り込まれた時もそうでしたが、すぐに行動に移すキリスト教団体の方がおられ、また国会議員また民主党の中におられるクリスチャンの働きかけによって、今回も発言撤回にまで至りました。これが、民主主義の原則が働いた自浄作用であり、良い証しであると思います。

最後に、政治家のたった一言の発言がこれだけ重責を伴ったものであることを考えるにつけ、ヤコブ書3章にあるように、牧師や聖書教師は「言葉」に対してもっと大きな責任を持っていることを思うと、私も背筋が寒くなるというか、緊張が体の中を走りました。

<補筆>

以下は、「多神教の中にある排他性」を取り扱っている良い記事です。ご一読ください。

一神教は排他的で多神教は寛容という虚構

イスラエル全史

再び、イスラエルに関する書籍の紹介です。

「イスラエル全史 上」(マーティン・ギルバード著 朝日新聞出版)
「イスラエル全史 下」
(原著 – Israel: A History by Martin Gilbert)

原書は購入していたのですが、日本語訳が出ていることを発見し、すかさず図書館で借りて先ほど読破しました。

これまでここで紹介した中東戦争史に関連する書籍もすばらしいですが、これは戦争だけではなく他の分野にも入り込み、イスラエルの近現代史全体を網羅している、すばらしい本です。しかもイスラエル建国60周年を記念して、2008年出版時に2章分を補筆したらしく日本語訳にも入っています。19世紀から始まる、パレスチナ郷土へのユダヤ人帰還から現代の「イスラエルの今」を、一つの流れとして眺めることができます。私は、これまで読んだ数冊の本が一本の糸で束ねられた気分で、爽快です!

他の歴史でもそうですが(例えば日本の近代史など)、現在に近づけば近づくほど著者の政治的・思想的な視点がその著述に反映されます。私は、1983年以降から起こったインティファーダ(民衆蜂起)以後の話が著者の見方とは自分は異なると感じました。例えば、90年代のオスロ合意に反対するネタニヤフの動きがかなり否定的に描いていますが、私は「安全保障なしの平和協定はありえない」という彼の主張は当たり前のことであると思いました。けれども、イスラエル左派がどのような視点を持っているかその内部の目を、また著者はイギリス人ですが、イスラエルに同情的、けれどもリベラルな欧米人の見方を知ることができ、良かったです。

そして「イスラエルとパレスチナの二民族、二国家」というのは、内外のほぼすべての指導者、政治家らが描いている目標地点であり、その枠組みがどのように起こってきたのかを客観的に知るための資料として、非常に有益でした。

イスラエル人としては、67年の六日戦争で占領したヨルダン川西岸、ガザ地区、そしてゴラン高原をどのように統治するのか、本人たちのとまどいと葛藤の経路が今にまで続いていることが分かりました。地中海からヨルダン川までイスラエルであると言う右派と、それに同調するようになったユダヤ教正統派、それから、いやパレスチナ・アラブ人に引き渡さなければいけない(ゴラン高原はシリアに)、と考える、労働党、カディマ、その他の左派がいます。国際的な枠組みは後者ですから、右派の党首が首相になっても、このことを基準にして動き、話さなければいけません。

いずれにしても、あまりにも混沌としています。「エルサレムの平和のために祈れ」という詩篇にある神の命令を、思わずにはいられませんでした。

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ 1/27

みなさん、お元気ですか?
桜の季節のような暖かさも束の間、再び冬の寒さが戻ってきました。
体も心も守られますように。

前回はイザヤ45,46章のメッセージでした。
ペルシャのクロス王について詳しく学びながら、神様が確かに「クロスの霊を奮い立たせて」、イスラエルのために用いておられるのを見ることができました。
クロスについての預言を通し、私たちにとって、とても重要なことを改めて心に刻みました。
「神様は災いをも掌握しておられて、私たちのために益として用いてくださる。」

では、今週の学びのお知らせです。

〇1月27日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第2会議室
〇聖書箇所 イザヤ書47章~

※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆1月と2月の学びの日程
1月27日
2月3日・10日・17日・24日
 全て水曜日です。

みなさん守られますように。

映画「クロッシング」日本公開

先日、米国におけるエゼキエル書の学びで聖霊に導かれて語ったのは世界宣教のことでした。「米国の中を見ると古き良き、ユダヤ・キリスト教の伝統的価値観が失われつつあり、霊的自由とともに政治的・経済的な自由も国内で制限されてきています。けれども、国内の閉塞的な状況から目を離し、世界を見てください。終わりの日である今、主は世界宣教の中におられます。」という旨でした。

このブログでも、終末の預言は世界宣教と密接に結びついていることを、ジョエル・ローゼンバーグ氏による著作EpicenterやInside the Revolutionの紹介の中でお話しました。

そこでご鑑賞をお勧めするのが、韓国映画「クロッシング」です。

http://www.crossing-movie.jp/

北朝鮮における普通の暮らしをしている家族に襲いかかる不幸、それによる脱北、母、父、息子の生き別れ、そして母と息子の死を描いています。これだけなら単なるかわいそうな話ですが、その背後に数多く、キリスト者の存在や、神の存在への問いかけの場面が出てきます。韓国の牧師さんに聞いたのですが、父親役を演じる俳優はクリスチャンだということです。

そして中東宣教においても言えることですが、世界宣教というのは、今は、「閉ざされている」と言われる国々の中で宣教の働きをすることです。自ずとその働きにおいて危険が伴います。私たちはこのようなインターネットなどの媒介で自由に発言できますが、それらの国々で生きているキリスト者、また宣教者たちは、注意力と思慮を最大限働かせながら、動いています。

そのような、表に出てくることのできない人々を自由な国に生きている私たちは、最大限の支援を送るべきです。もちろんそれは第一に祈りによってです。

そして、実は自由な国にいながらにしてそうした国々にいるように生きている人々もいます。例えば、ベトナム系米国人の友人は、以前「すぐ近所に、ベトナム〇×党員が住んでいるよ。」と教えてくれました。つまり、在米ベトナム人を米国内で監視しているということです。日本にも、自由に発言できない似たような人々がいることを・・・想像力を働かせて考えてみてください。

これらの話題について、以前、エッセイを書いていますので、よかったらお読みください。

伝えられない地で伝える宣教 「思慮深い宣教」