牧者たちの交わり

以下は自分のFBで分かち合った投稿です。

今日、ある牧師さんたちと数名で、じっくり交わる時間が持てました。そこで、私たちが痛感したことは、「リアルな中での交わりの必要性」です。ネットで発信する情報というのは、裏取りをしない、匿名にするなど、無責任になる傾向があります。けれどもその発言の影響力は、とてつもなく大きくまた拡散するので、誤っていたり、偏った情報によって、リアルな中にいる人々が大きな被害を被っているという話をしていました。

そしてもう一つ、「自分の意見を率直に言うことのできる能力」とでも呼びましょうか、それが信頼関係においてとても重要になることです。もちろん、互いに理解するためには、その過程では語気が強くなったり、その表現に行き過ぎが出てくると思います。けれども、相手が何を言わんとしているのかの「真意」、そして言い方以上に「内容や事実」を見つめていくこと。これが健全な議論、実のある討論においてとても必要なことです。

そこから出てくる実は、「意見の明瞭化」です。それによって、私たちは何に同意して、そして意見に違いがあるのかを互いに知ることができ、それでもって初めて、信頼を培うことができます。

けれども、そうした率直な意見を交わせるまで到達できず、殻に閉じこもってしまう問題があります。これは特に、ディベートが苦手な日本人、また子供のように心を明かしてフラットに交わることが希薄で、孤独になりがちな我々牧師たちに顕著ではないのか?という大きな課題を見ました。傷を受けているので、自分を守るために、ヤドカリのように外部の異見を遮断してしまう傾向があるのではないか?。(関連記事:「きちんとした「牧師」の欠け」)

今、キリスト教会の中で問題や課題を見る時に、指導者の間の信頼関係の欠如が大きな原因になっているのかもしれないと感じました。困難になってきた時代、こうした信頼醸成こそが、今、前もって備えるべき霊的守りなのではないか?と思いました。

「お金と信仰」

この本を先週、読みました。
okane_shinko
お金と信仰 高橋秀典著
立川福音自由教会牧師

~ 人は「お金」とどう向き合えばよいのか。
キリスト教会で、あまり語られないこの課題に、元証券マンで現在は牧師として活躍する著者が、聖書から、また日本社会の経済状況から答える。~

以下に、元になっている記事の一部を読むことができます。

雑誌「リバイバル・ジャパン」新連載 お金と信仰
第一回 職業と神の召し

著者、高橋秀典牧師は、フェイスブックでお知り合いになって初めてなのですが、その書かれていることがとても魅力的で、引きこまれる言葉を持っておられることを感じていました。そして、経済やお金の動きにはどうしても疎く、引きこもりがちな私も、現実の世界で生きておられる兄弟姉妹が教会にも集っており、今の経済や政治を、キリスト者としてどのように生きるのか?という問題意識もあり、買いました。 続きを読む 「お金と信仰」

正義の戦争、イスラム国、日本の役割

最近、あるところで投稿した記事を、手直ししつつ、まとめてご紹介したいと思います。

「正義の戦争」は存在する

イスラム国についてのニュースは、最近、シリアとイラクでその領域を失っていっているという報道があり、これで終わりか?と思いたい状況ですが、決してそんなことはありません。イスラム国はその本質は領域国家ではなく、イデオロギーだからです。ちょうどキリスト者が信仰によって生きる時に、そこに神の国が広がるのと同じです。

イスラム国の終わりは近いのか?

下はアメリカのテレビ番組の案内です(ビデオ付き)

Exposing the ISIS killing machine(イスラム国の殺戮装置を暴く)

yezidis「正義の戦争」という議論を少しある方としましたが、私にとって絶対平和主義は聖書的だと思わないだけでなく、実存的に受け入れられません。ナチス・ドイツによる戦争、ユダヤ人等の虐殺の時にそれに戦った軍について、武力を行使したということでそれを罪と断じることが果たしてできるのだろうか?私は連合軍のしたことの全てが正しいなどと決して言いませんが、このことについて、主は彼らを用いられて、悪の拡散を制止するようにされたのではないか? 続きを読む 正義の戦争、イスラム国、日本の役割

イスラエルの政局について

一国、実に我が国についてもなかなか分からない政局。イスラエル国内の政局は、なおさらのこと。まずは、基本知識から。

イスラエルの政治(シオンとの架け橋)

そして、次の在イスラエルの日本人「ヘシュボニット」さんのブログは、とても役に立ちます。こちらが非常に参考になります。

左翼右翼上翼下翼

政治的、経済的に右か左かという色分けは、日本でも行なわれているので分かるかと思いますが、その他に「世俗か、宗教か」という要素が非常に大きいものとなっています。右であっても世俗の人たちは沢山います、ネタニヤフさんはそれです。そして宗教的だからといって右とは限りません。例えば、あの黒づくめの超正統派の人々は、自分たちの宗教的権利や生活保障以外は政治に無関心であり、シオニズムに対しては敵対的ですらあります。その他、同じユダヤ人でも、欧米系か、中東系かによって、大きく社会構造が異なります。それからアラブ系は、保守的な伝統的価値観を持っていますので、パレスチナに融和な左の人たちではなく、右の政党を支持することもあります。 続きを読む イスラエルの政局について

私たちの内にある「ご利益」の性質

自分の利益のための、神への従順

前投稿「ご利益ではないキリスト教」に引き続き、お話ししたいと思います。私たちの中には、内にある性質として「ご利益」があります。それは、「自分の益になるために、あることをする」という考えです。

蛇がエバのところに来た時のことを思い出してください。蛇が女に、主が言われたことについて、本当にそう言ったのかと挑まれた時に、「神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。(創世3:3)」と答えています。しかし、主は「死ぬといけないからだ」とは、言われませんでした。「必ず死ぬ(3:17)」と言われましたが、死ぬといけないから、食べてはならないとは言われなかったのです。しかしエバは、「自分は死にたくないから、食べてはいけないのだ。」と受けとめたのです。このように、神の言葉に対して、自分の利益になるかどうかの物差しを使い、益になるから従う考えは、人類の最初から埋め込まれていました。

しかし、主に命じられたことは、主が主であるから、そして私が神に造られた者、僕であるから、従うのです。それだけが動機であるべきです。自分に利益になるかどうかは、別問題なのです。

続けて読みますと、そのエバのご利益的返答を使って、蛇は、「あなたが、善悪の知識の木の実から取って食べたら、神のようになって、善悪を知るようになるのだ。」と言って、「食べれば、賢くなる」とご利益信仰の誘いをしたのです。そこでエバは、自分にとって益になるかどうかで「計算」して、それで食べることに決めました。 続きを読む 私たちの内にある「ご利益」の性質

ご利益ではないキリスト教

未信者からの質問にどう答える?

礼拝後にした、ある人との会話がとっても良かったのでシェアします。ちょっと脚色つけていますが、ほとんど同じです。

「もし、こんな質問を信者でない人から受けたらどう言えばいいですか?『結局、キリスト教だって、「信じれば天国に行ける」と思っているから信じているんじゃないですか?ならば、それもご利益と変わりないですね。』」

私:「私たちキリスト者が『信じる』というのは、意味が違います。下から上に行けるのではなくて、天から地に来られた神が十字架で死んでくださったことによって、その愛を受け入れること、その応答が『信じる』であって、天国に行けるというのは飽くまでも結果なんですね。天国に行けるから信じるのではなく、罪を赦すために血を流して愛してくださったその愛に応答するのが、信じるですね。」

「なるほど、日本人の『信じる』という言葉の意味自体が、違っていますよね。」

私はこの会話の中で、「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。」(ヨハネ3:13)を思っていました。

私たち人間の心には、「~をすれば、祝福を受ける」という行ないによる救いが媚びりついています。けれども神のご計画は、「~をしてくださった」という恵みしかないんですね。その中に留まるために、自分に死ぬ。そうすると、神の恵みによる祝福が留めもなく流れてくる、ということなんですね。

「~をしなさい、そうすれば~なる」という約束 続きを読む ご利益ではないキリスト教

素直に喜びました

以下の記事には、素直に喜びました。

牧師先生と奥さんを思いっきり励まそう!先生方をゴシップや中傷から守り、感謝のメッセージを伝えよう。

牧者だけでなく、忠実に、喜びをもって教会生活を歩んでいる兄弟姉妹にとって、良くない理由で人が離れたり、陰で批判を言っているのを知る時には、とても心が痛みます。私たちが霊的で、エリートのように見えるのかもしれませんが、忘れてほしくないことは、私たちも全く同じように生身の人間なのだ、ということです。同じように、痛み、悲しみ、泣いているのだということを知っていただけたら嬉しいです。

この前の東十条バイブルスタディで2テモテ1章を学びました(原稿音声)が、テモテに出す手紙の挨拶だけには、「恵みとあわれみと平安がありますように」とあります(1テモテ1:2、2テモテ1:2)。他の教会への手紙に、「恵みと平安がありますように」となっているのですが、それは、牧会者や奉仕者には「神の憐れみ」が他の人たち以上に必要だからに他なりません。

「教役者には、他の人以上に憐れみが必要だということに気づいていますか?全ての人が憐れみが必要ですが、私たちが忠実でなければ、御言葉を聞いている人たちよりも、もっと罪深い者となるのです。いつも忠実でいることには沢山の恵みが必要であり、私たちの欠けを覆うだけの沢山の憐れみが求められます。ですから、これらの三つの事を私自身にあてはめます、『恵みと憐れみと平安』です。皆さんは二つ、『恵みと平安』がありますが、私は皆さん以上に憐れみが必要なのです。そして、私の奉仕の務めの行程で、多くの不足、ひ弱さ、失態、失敗があるけれども、主の愛の御手から憐れみを受け取り、信頼して、恐れません。」(スポルジョン)
https://enduringword.com/commentary/2-timothy-1

日本のカルバリーチャペル

しばしば、私たちの教会の所属について、日本において、いつも説明がちょっと難しい時があります。私たちは、「カルバリーチャペル」の群れです。

日本のカルバリーチャペル http://www.calvaryjapan.com/

けれども、日本には「大和カルバリーチャペル」があり、そこからも枝教会があるため、その群れと誤解してしまう人々が多くおられます。けれども、私たちは、アメリカにあるカルバリーチャペルとのつながりのある仲間です。上のサイトが、正式なものですので、ご紹介される時や説明される時はサイト”calvaryjapan.com”をお使いになられるとよいと思います。

Calvary Chapel

その他、とても細かいことですが、区別をするには名称を見るとよいです。サイトの中の教会のリストを見ますと、「カルバリーチャペル(地名)」と、地名が英語のように後に来ています。大和カルバリーチャペルの群れの方々は、地名を先につけています。これが、区別できる方法かな?と思います。

そして私たちロゴス・クリスチャン・フェローシップは、まだ名称にカルバリーチャペルとつけていませんが、正式に一教会となっています。将来的には名前の変更あるいは追加を考えています。

ミレニアル世代クリスチャン

私たちの生きている世代がどのように変わってきたのか?アメリカの教会の状況を追っていると、「ミレニアル世代」という言葉を多く見かけます。

「ミレニアル世代、新世紀世代◆1980年前後から2005年ごろにかけて生まれた世代。10代からデジタル環境になじんだ初の世代に当たる◆【語源】millennium(千年紀)から」

この記事では、ミレニアル世代のキリスト者の紹介をしたいと思います。この用語が使われているのは欧米なので、ミレニアル世代に生きるキリスト者の課題を取り上げてる英文記事を紹介します。

I’m Christian, But I’m Not… (私クリスチャンだけど、~とは違うのよ)

最近、あるビデオが急速に広まったそうですが、それは「私はクリスチャンだけれども、~ではありません。」という題名のものです。

四人の若い女性と一人の男性が出てきて、自分はキリスト者だけれども、これこれではないと言っているのですが、他のクリスチャンだと言っている人々とは違うということを言っています。自分は同性愛嫌悪症ではないし、偏狭な考えではないし、人を裁かないし、高見の見物はしません。けれども自分は同性愛者だし、フェミニストだし、世の中の音楽を聞くし、「信者だからといって、同じクリスチャンにお堅い、閉鎖的な人がいるからといって、すべてがそうじゃないのよ。」と言い、それから、「愛が最も大事なことなんです。」と、会話を楽しそうに話しています。

けれども、こちら記事の記者は、「これはまるで、パリサイ派の祈りではないか?」と、疑問を呈しています。 続きを読む ミレニアル世代クリスチャン

聖書をしっかり読む基本に戻ろう

ある方のツイッターにて、このブログで書かせていただいた内容に重なるものがあったのでご紹介します。聖書解釈や神学について、言い得て妙です。

ヘブル的解釈について

そう、特段にヘブル的を強調せずとも「聖書をしっかり読み、そしてそれをそのまま捉えて意味を汲み取る」作業していれば、そのままヘブル的です。だから「ヘブル的、ヘブル的!」って強調しちゃうと、かえってヘブル的でなくなっちゃうんです。

関連記事:「実が結ばれない教え続きを読む 聖書をしっかり読む基本に戻ろう