神の恵みをむだにしない 2000/11/27
「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。」(2コリント6:1)
コリント書第二6章は、5章の最後からの続きになっています。「神の和解を受け入れなさい。神は罪の知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちがこの方にあって、神の義となるためです。」これは、神が、私たちに仲直りしてくださった、というメッセージです。私たちに罪を負わせず、キリストにあってご自分にその処罰を課し、そして、両腕を広げて、「わたしのところに来てください。あなたを迎え入れます。」と神ご自身が招いておられます。この仲直りのために、神は、罪の知らない方を罪とされ、罪ある私たちをキリストの義によって認めてくださいました。キリストが、私たちの罪のすべての呪いを受け、私たちがキリストにあるすべての霊的祝福を受けることができるようになりました。
そこで、6章に入ります。1節は、あなたは、これほどまでに神に愛され、大きな恵みをいただいているのだから、これをむだに受けないでください、とお願いです。神さまのとてつもない恵みに触れるのであれば、私たちは自発的に、神に感謝と賛美をささげて、自分自身を主におささげするように導かれます。けれども、そのような応答をしないこともできます。これが「むだに受ける」ことです。
コリントの教会には、偽りの教えを教える偽使徒と偽教師がいました。彼らが、使徒パウロのことを悪く言い、彼の信用を引き落としました。そして、パウロとは異なるメッセージを、コリントにいる人たちに教えていました。おそらくコリントの人たちは、彼らの影響を受けてしまっていたようです。その結果起こったのは、パウロに対する信頼が薄くなったということです。パウロは、少なくとも1年半腰を据えて、みことばを教えていました。パウロを通して人々がイエスを信じ、教会が建てられました。だから、彼らにとってパウロという存在は非常に大きく、父親的な存在でもあったのです。しかし、その信頼が偽使徒たちによって引き落とされて、パウロから心理的に距離を離すようになってしまったようです。
そのために、このすばらしい神の恵みの知らせを、そのまま受け取っていない人たちがいたようです。「確かに、そのメッセージはすばらしいのだが、けれども、自分は引き下がっておこう。」という拒否感があったのでしょう。しかし、和解のメッセージというのは、子どもがお父さんに向かって走って、その胸の中に飛び込んでいくように、素直に、純粋に聞き入れなければいけないものです。あるいは、神の恵みの中に私たちを取り入れようとされる、御霊の促しを拒まないで、その流れに乗らないといけません。
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