アウトライン
1A 柔軟さ 1−10
1B 人の救い 1−5
2B 聖霊の介入 6−10
2A 忠実さ 11−40
1B 小人数への伝道 11−15
2B 妥協の拒否 16−18
3B 困難な中での賛美 19−34
1C 不正 19−24
2C 救い 25−34
4B 兄弟たちへの心遣い 35−40
本文
使徒の働き16章をお開きください。ここは、「神の招き」というメッセージ題です。神が、パウロを福音を語るように招いておられるところから、私たちが神の招きや呼びかけにどのように応答していけばよいのかを学びます。
1A 柔軟さ 1−10
私たちは前回、パウロがバルナバに、以前の宣教によって新しく建てられた教会に行って、どうしてるか見に行こうではありませんか、と言った個所を読みました。バルナバはそれに賛成でしたが、マルコを連れて行きたいと言い張りました。マルコは連れて行きたくないというパウロは言い張って、ついに反目が起こって、それぞれが別行動を取ることに決めました。以前の宣教旅行では、最初にキプロス島に行き、それから小アジアに入っていきましたが、キプロスへのバルナバとマルコが行き、小アジアへはパウロとシラスが行きました。それから1節に入ります。
1B 人の救い 1−5
それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
デルベとルステラの町は、何年か前にパウロとバルナバが来て、この町で福音を宣べ伝えました。とくにルステラでは、二人にいけにえをささげようとした事件、また、パウロが石打ちにあって、死にそうになった事件が起こりました。そのような困難にも関わらず、教会が建て上げられていました。その中に、ロイスという人とその娘ユニケという人がいました。そのユニケの息子がここに登場するテモテであり、テモテは、祖母のロイスと母のユニケによって聖書を教えられて、信仰を持って、キリストの弟子として生きていました。その弟子としての生活は、兄弟たちの間でも評判が良いほどでした。パウロは後に、このテモテを、自分の霊の息子であると言うまで慕いました。自分と同じ思いを持ち、つねに彼のかたわらにいて、パウロのもっとも良き同労者となりました。
パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。
この個所は、15章を思い出す人にとっては疑問を抱くところです。15章において、エルサレムで会議が開かれ、そこにおいて異邦人は割礼を受けなくてもよいという決議を出しました。それなのに、なぜテモテに割礼を受けさせたのか、ということになります。けれども、パウロは、テモテが救われるために割礼を受けさせたのではない、ということです。エルサレムの会議での決断は、割礼を受けなければ、救われないのか、それとも救われるのか、ということでした。その決着は、受けなくても救われる、ということでした。けれども、テモテはもう主イエスを信じており、救われています。パウロがここでテモテに割礼を受けさせたのは、ユダヤ人をつまずかせないためでした。これから奉仕していく教会に、パウロはテモテを連れて行くことになります。そのときに、テモテが割礼を受けていないということになると、多くのユダヤ人が、パウロが語る神のみことばよりも、テモテが割礼を受けていないということで悩み、疑い、その結果、不必要な軋轢を生むことになります。パウロは、それほど大事ではないことでユダヤ人に伝道ができなくなることは欲せず、それなら割礼を受けさせようと思ったのです。
パウロは他の個所で、人々が救われるためなら、柔軟に人々に合わせます、ということを話しています。「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。…律法を持たない人々に対しては、・・私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、・・律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。…すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。(コリント第一9:19-22)」中国への宣教で有名な人は、ハドソン・テーラーという人ですが、彼はイギリス人でした。けれども彼は、その身なりや食べる物もみな中国人に合わせたそうです。髪の毛は辮髪にしました。そして着る物も他の中国人と変わらないものを着ていたそうです。そのようにして、中国人が彼に対して心を開き、そして神の福音を聞くことができるようにしたのです。私もクリスチャンになったばかりのときに、正月に牧師の家に行ったとき、彼がはかまを着ているのを見て、心が和んだのを覚えています。また、日本にいる宣教師で、日本語が流暢な人を見ると、この人は日本を愛しているんだな、だから一生懸命頑張って、難しい日本語を勉強したのだなあ、と思わされます。このように、私たちが、伝道をする人々のレベルにまで下がっていき、そこで福音を伝えることは、その人たちに愛を示していることになるのです。ですから、福音を伝えるときには、柔軟性がとても大切になります。
さて、彼らは町々を巡回して、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと、人々にそれを伝えた。こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。
この規定とは、今お話ししました、異邦人は割礼や律法を守らなくても、救われるという規定です。また、偶像や不品行や血は避けるようにという勧めが書かれていましたが、それはユダヤ人も異邦人も、どちらも受け入れられる基準であり、これによって麗しい一致がもたらされたのです。そのため、諸教会が、その信仰を強められて、人数を増して行きました。ですから、パウロは、「モーセの律法を守らなければ、救われない。」と言った人々に対して、激しい論争を繰り広げたのですが、このような柔軟性を持っていました。
2B 聖霊の介入 6−10
ところが、パウロが試される場面が出てきます。それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、トロアスに下った。
パウロの頭には、当初、小アジアにおける宣教しかありませんでした。この小アジアを福音でいっぱいにして、教会が成長することを願っていました。ところが、「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた」とあります。ご聖霊が禁じなければいけないほど、パウロの意思は固かったのだろうと思います。多くの聖書学者は、ここでパウロは病気にかかっていたのではないか、と見ています。体が弱まってしまい、アジアのほかの地域を巡回することができなくなったのでは、と考えています。やむを得ず、西へ移動してムシヤという地域まで来てから北に上がろうとしましたが、そのときも何か不都合が起こったようです。「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」とあります。パウロは、その時点では何が起こっているのかよくわからなかったでしょう。けれども、後で振り返って、このことは聖霊が禁じられておられたことが分かったのです。
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
パウロは夜に幻を見ました。ここで一人のマケドニヤ人を見ました。「私たちを助けてください。」と言っています。ここでパウロはようやく分かりました。自分は、すでに教会が出来あがっている小アジアにとどまるのではなく、西へ、西へと向かって、まだ福音が宣べ伝えられていないところに出ていくのだ、ということが分かったのです。もしここで、パウロが小アジアにとどまっていたら、キリスト教の歴史もずいぶん変わっただろうと思われます。福音はヨーロッパに伝わり、それから他の世界の諸地域に広がっていきましたが、それがみな変わってしまっていただろうからです。そして、何よりも、イエスのみことばが、「地の果てまでわたしの証人となります。」というものでした。当時の世界の中心はローマでした。このローマにパウロが福音をたずさえるところで、ルカは使徒行伝をしめくくっています。ですから、パウロはさらに西の方角へ進んでいかなければならなかったのです。
ところで、パウロが幻の中で見た人ですが、これはおそらくルカであろうと考えられます。なぜなら、この人は、「私たちを助けてください。」と言ったあとですぐ、「私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。」とあるからです。このようにして、パウロは、神がどこに招いておられるかを知りました。そこには柔軟性が求められます。主のみこころを、いつも求めてください。それが、自分が歩もうとした道と異なっていたら、軌道修正する準備と勇気を持っていなければいけません。
2A 忠実さ 11−40
このようにして、パウロは自分の計画を捨てて、主の招きに応じました。それでは、すさまじい勢いで主のみわざが行なわれたかというと、そうではないのです。
1B 小人数への伝道 11−15
そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
ピリピという町は、ローマの植民都市であったと書かれています。これは、この町で生まれた人はそのままローマ市民になることができ、奴隷ではなく自由人としての特権を持っていました。そして、裁判官はローマ元老院から直接任命を受けていました。ローマ帝国のモデル都市とでも言って良いでしょうか。
安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
安息日に、祈り場がある川岸に行ったとありますが、なぜいつものようにユダヤ人の会堂に行かなかったのでしょうか。それは、この町にユダヤ人がとても少なかったからです。ユダヤ人は、一つの町に10人以上のユダヤ人男子がいれば、会堂を建てるように、という規定を持っていました。けれども、10人を満たないときは、このように川岸などで集まって、神を礼拝していたのです。この章を読み進めると分かってくるのですが、このピリピでは、反ユダヤ主義が色濃かったのではないかと思われます。ユダヤ人への反感や偏見がとても強くて、ユダヤ人には住みにくいところであったと考えられるのです。そして、パウロは数少ない女性たちに福音を語りました。夜の幻のなかで、「私たちを助けてください。」と言う人が登場してくるぐらいだから、何かよほどたくさんの人が福音を聞いて、救いに導かれるようでしたが、違ったのです。けれども、次をご覧ください。
テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。ルデヤという人と、その家族が救いに導かれました。彼女は商人でありますが、商売ッ気のある言い方をパウロにしていますね。「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家にお泊まりください。」と言って、泊まらなかったら、彼女を主に忠実な者ではないと思っていることになります。けれども、彼女もまたその家族も救いに導かれ、バプテスマを受けました。神は、この人たちを救いに導くことを考えておられて、あの幻をパウロに見せた、ということができます。この後にも何人かの人たちが救いに導かれますが、神はその小人数の人々をこよなく愛しておられて、その人たちが滅びることをよいとは思われず、パウロを遣わされたのです。神は、たったひとりの魂でも救いに導かれることに大喜びされます。イエスさまは、「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。(ルカ15:7)」と言われました。
2B 妥協の拒否 16−18
私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。
パウロとシラス、テモテ、ルカなどの一行は、続けて祈り場に通っていたみたいです。何人かの人々が救いに導かれていたことでしょう。けれども、占いの霊にとりつかれた女奴隷に出会いました。彼女は、その占いによって、多くの収益を得ていた、とあります。
彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。
彼女が叫びつづけた言葉には、何の間違いもありません。神はいと高き方と呼ばれているし、パウロたちはその神のしもべです。そして、救いの道を宣べ伝えています。けれども、ここで見抜かなければいけません。この占いの霊は、次のように言っていることになるからです。「私は、このように、正しいことを言っています。だから、私も受け入れて下さい。」と言うことです。悪霊も、使徒たちの働きの中に入れてください、と言っているのです。けれども、そのようなことは決してあってはなりません。
私たちは先ほど、福音を語る相手に合わせなければならないことを学びました。けれども、それは、神の真理を曲げたり、福音の本質を変えてしまうこととは違います。聖書がはっきりと、これをしてはいけない、これをしなさい、と命じていることに対して、もしその地域の文化が許さないとしたら、私たちはその文化に決して妥協してはならないのです。妥協しても、決してそれは益になることはありません。一時的に信者の数が教会に増えるかもしれませんが、神が喜ばれているわけではないのです。そして、教会が力を失って、地の塩、世の光としての役割を果たせなくなります。ですから、パウロは妥協しないで、イエスの御名によって、女から占いの霊を追い出しました。
3B 困難な中での賛美 19−34
妥協しなかった結果、パウロたちの身に起こったことが次に書かれています。
1C 不正 19−24
彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
この主人たちは、嘘をついています。本当はもうけることができなくなったら、その腹いせにパウロとシラスを訴えているのです。そして、この訴状自体もおかしいです。「この者たちはユダヤ人たちでありまして」という言葉から始まっています。これは、このピリピという町に反ユダヤ感情があったことが、ここからも伺えます。
群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
この長官たちの対応も、これは実は不正行為なのです。あとでこのことについて、パウロが訴えます。
この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
この看守も冷酷な人物です。むちで打たれた背中は血だらけになっていたでしょうが、そんなことは構わずに彼らの足に足かせをかけました。
2C 救い 25−34
もし、私がこのような状況に入れられていたら、「マケドニヤに招かれていると思ってきたのに、なぜ、主よ、こんなことになるのですか。あなたに真実になろうとして、悪霊を女から追い出したので、今、牢屋に入れられています。背中はとてつもなく痛いです。」などと、ぶつぶつ祈っていたかもしれません。けれども、パウロとシラスは違いました。
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
何と彼らは、神に祈って賛美をしていたのです。彼らは、今の状況を見てがっかりするのではなくて、主を見上げて、主に目を注いでいました。これが大切です。私たちは、問題に直面したときに、問題にとどまるのではなく、主に目を向けることが大切です。とくに賛美は、私たちが主に目を向けるのにとても役立ちます。私たちが、何キロメートルも高くそびえる壁に囲まれていると感じているときに、主は、1センチ程度の大した問題としか考えておられないときがしばしばあります。神にできないことは、何一つありません。私たちが賛美をして、主のご性質、みわざをほめたたえるときに、物事への見方が変わってくるのです。自分勝手な見方から、主ご自身がご覧になっている、真実な見方へと変えられていきます。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
囚人が脱走すると、その囚人に課せられていた刑罰を、看守が受けるのがローマの法律だったのです、看守は自殺しようとしました。
そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
これは、とても大切な質問ですね。救われるために、何をしなければいけないか。福音書では、金持ちの青年がイエスさまに、永遠のいのちを得るためには何をしなければならないかを聞きました。そして、パウロの答えは単純です。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
主イエスをただ、信じるだけで救われます。ここで、信じることのほかに、何も行ないを付け加えていないことに注意してください。救いとは、こんなに単純なことなのです。ほんとうに、主イエスを信じるだけで救われるのです。
そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
すばらしいですね。看守もまた、家族全員が救いにあずかり、バプテスマを受けました。そしてすばらしいことは、看守がふたりの打ち傷を洗っていることです。冷徹だった彼の心は、福音を受け入れることによって変えられました。そして、暖かい食事のだんらんのときを持ち、信仰にはいったことを喜んでいます。ここから、神の不思議なご計画を覗き込むことができます。神は、この看守と家族を救われようと願っておられて、パウロとシラスが不正に捕らえられるのを許されたのです。私たちにとって、とてつもなく悪いことであっても、神がご自分の栄光のために、すべてのことを働かせて益としてくださいます。神さまの深い御旨がこの事件の背後にあったのです。
4B 兄弟たちへの心遣い 35−40
夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、「あの人たちを釈放せよ。」と言わせた。そこで看守は、この命令をパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事に行ってください。」と言った。ところが、パウロは、警吏たちにこう言った。「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」
パウロもシラスもローマ市民でありました。ローマ市民をむちで打つことは、死罪に問われます。そこで、パウロがこのように訴えたのです。
警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。
彼らが、「立ち去ってくれ」と頼んでいるところは興味深いです。ここから思い出すのは、イエスさまが、レギオンという数多くの悪霊につかれている男から悪霊を追い出し、その悪霊が豚について、湖になだれ落ちたとき、その地域の人たちが、この地方から離れてくださるように願った、という記事です。彼らは、ひとりの人が悪霊から解放されたことを喜ぶのではなく、豚の商売がなくなったことを悔やんだのです。ここでも、ひとりの女の人が悪霊から解放されたのに、ピリピの町から出て行ってくださいと頼んでいます。でも、これが世の中というものでしょう。たとえ人が問題を抱いていて、イエスさまを信じていたことで解決したとしても、周りの人は以前の彼のほうが良かったと思うのです。クリスチャンになるより、その人が問題を抱えているほうが良いと思うのです。この長官たちも同じでした。
牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。
ふたりは、ルデヤの家に行って、そこにいる信者たちを励ましました。パウロが、長官を呼び出してあやまらせたのは、パウロが彼らのことを気遣っていたから、と考えられます。自分がこのように不当な扱いを受けたのですから、彼らも危険にさらされるかもしれないからです。パウロは彼らを守るために、ローマ市民の権利を行使しました。そして、ここから再び、主語が、「彼ら」となっていることに注目してください。17章の1節も、「彼らは」となっています。20章の7節になって初めて、「私たちは」という主語になっています。ということは、著者であるルカは、ここピリピの町に居続けたことが考えられるのです。ルカは、続けてこのピリピの町で福音を宣べ伝え、また教会で奉仕していたことでしょう。そして、パウロは後に、ここにいる信者たちへ、「ピリピ人への手紙」を書き送っています。パウロが植えた種は、豊かな実を結ばせたのです。
こうしてマケドニヤにおいて、彼らが宣教を行ないましたが、ここから学ぶことができるのは、忠実さです。パウロは、小人数の女性たちに対しても、会堂の大人数のユダヤ人たちと同じように、熱心に福音を語りました。また、不正に訴えられて、むちうたれて牢屋に入れられているときに、賛美をささげました。そして、今、残される兄弟たちのことを気遣って、長官たちにわびを言わせたのです。パウロは、自分がマケドニヤに神が招いておられることを知っており、それに忠実に応答したのです。ですから、神に招かれるということは、この忠実さと、そして柔軟性が求められます。神が自分に何を行なってもよい、自分の予定や決断を変えてもよい、という柔軟性が必要です。そして、神に言われたことを、結果がどうであれ行なっていくという忠実さが求められます。どうか、私たちが、いつも、まだ福音によって影響を受けていないところに入っていくことができますように。つねに前進をして、人々の魂を勝ち取って行くことができますようにお祈りしましょう。
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