使徒行伝18章 「わたしの民」
アウトライン
1A 植える者 1−17
1B 恐れ 1−8
1C 失敗 1−4
2C 反対 5−8
2B 継続 9−17
1C 約束 9−11
2C 実現 12−17
2A 水を注ぐ者 18−28
1B 移行 18−23
1C 同労者 18−21
2C 巡回 22−23
2B 聖書の説明 24−28
使徒行伝18章をお開きください。今日のメッセージ題は、「わたしの民」です。主がパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。わたしの民がたくさんいるから。」と言われました。
1A 植える者 1−17
1B 恐れ 1−8
1C 失敗 1−4
その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
その後、というのは、パウロがアテネのアレオパゴスで福音を語った後、ということです。パウロは、そこで、いろいろな新しい哲学を聞いて一日を過ごしている人々に対して、万物の創造主の存在とイエス・キリストの復活について話しました。反応は、わずかな数人が信仰を持っただけであり、教会が建て上げられることはありませんでした。ですから、パウロは、おそらく落胆していたかもしれません。事実、コリント人への手紙において、パウロは、このときの自分の心境を次のように述べています。「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。(Tコリント2:3)」私たちも、このような落胆や不安を経験することが、しばしばあります。取り組んでいる事柄がうまくいかず成功しないと、ああ、自分は間違った判断をしてしまった。もっと良い方法があったのではないか。これからの方向性が見えない、などと考えてしまいます。けれども、神は、そのような時にさえ生きて働いておられて、私たちに対するご自分の計画を実行していてくださっているのです。パウロの人生において、そうでした。次をご覧ください。
ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
このように、パウロはアクラとプリスキラという夫婦に出会うことができました。彼らは、イタリヤから移り住んで来ており、たまたま彼らのビジネスが、パウロのそれと同じでした。パウロは、天幕作りの仕事を持っていました。それで、パウロはそこで仕事を始めたのです。けれども、この出会いが、パウロの後の宣教に大きく影響を与えます。アクラとプリスキラは、ビジネスだけではなく福音宣教の同労者になったからです。パウロは、ローマ人への手紙で、二人のことを次のように紹介しています。「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。(16:3-4)」自分のためにいのちの危険を冒すほどの、すばらしい同労者になりました。パウロが、アテネにおける失敗について落胆していたかもしれないときに、神は、残りの生涯をともに労する兄弟姉妹を与えてくださったのです。
パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。
パウロは、いつもの通り、ユダヤ人の会堂に入って福音を語りました。平日は天幕作り、そして安息日には会堂で福音を語るという生活が続きました。彼は、これからどうすればよいか分からないときも、恐れと不安があったときも、神への奉仕を止めることはしませんでした。このことは大事ですね。それは、神のためであるというよりも、私たち自身のためです。今までと同じように主に仕える。普段の生活パターンを変えず、そして主を待ち望むとき、私たちは不安や恐れから守られます。アメリカにおいて、私の多くの友人や知人が、老人ホームにおいて奉仕していました。自分がどこに行って宣教を行なえばよいか分からない、あるいは分かっていても、いつ行けばよいか分からなかったのですが、今ある場所で、日常的に福音を語る奉仕を行ない続けたのです。
ところで、話の舞台になっているコリントの町は、貿易都市でした。聖書の地図を見ると、ギリシヤは、ヨーロッパ大陸の先端と一つの島によって成り立っているようになっていなすが、実は、島のように見えるところは、大陸と地つなぎになっています。すなわち地峡です。8キロほどあるそうです。そして、ここがコリントという町です。当時はもちろん、ローマが世界の中心地ですが、貿易はこのローマと、東方の地域との間で行なわれていました。そのため船は地中海を渡ってローマまで行こうとするのですが、ギリシヤの周辺の地中海は、非常に荒れている難所でした。けれども、このコリントで貨物を陸上輸送させることによって、その難所を避けることができたのです。そのためコリントの町は貿易都市でした。貿易都市につきものなのが、風俗業です。船旅をしている男たちが、解放感に満たされ、ここで酒と女を楽しんでいました。そこでコリントは、世界でも放蕩と淫乱の町として知られるようになったのです。ヴィーナスの神殿がありましたが、これは性欲の神です。千人ぐらいの女性が公費で女祭司となっており、そこから彼女たちはコリントの町に下りて来て、売春をしていました。言うなれば、地方公共団体が売春婦事業を行なっていたのです。それほど、道徳的に堕落した町でした。そのような町で、パウロは福音を語っていました。
2C 反対 5−8
そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。
とうとう、シラスとテモテがやって来てくれました。二人と会えたことによって、パウロは大いに励まされたことでしょう。また、他のパウロの手紙を読みますと、二人が、ピリピにある教会からの献金をパウロに手渡したことが分かります。パウロは、お金が与えられたことを喜んだのではなく、そのようにささげるほど彼らが神の恵みに満たされていることを知ったからです。また、テサロニケでは教会が建て上げられ、愛と信仰と聖霊に満たされている様子をテモテとシラスが伝えたので、それについても励まされました。パウロは、ピリピとテサロニケにいたとき多くの困難がありましたが、神は確実に実を結ばせていておられたのです。そうして、パウロは生活費のことは気にしなくてもよくなったので、安息日だけではなく、毎日のように福音を宣べ伝えました。「イエスがキリストであることを、はっきりと宣言した」とあります。確信に満ちたメッセージをしました。
ところが、再び、反対に会います。しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。
かなりきつい言葉のように聞こえますが、これはパウロが、捨てぜりふを吐いたのではありません。とても大切な神の真理を教えています。福音を伝えるのは、私たちの責任であるが、福音を伝えた以上、その責任から解除される、と言うことです。私たちには、人を信じさせる責任はありません。主が預言者エゼキエルに次のように言われました。「わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ。』と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。あなたが、悪者にその道から立ち返るよう警告しても、彼がその道から立ち返らないなら、彼は自分の咎のために死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うことになる。(33:8-9)」この日本において福音を語るとき、他の国のようには人々はイエスさまを信じません。けれども、この真理が分かれば、私たちは不必要な重荷や心の責めを負わなくてもすむようになります。
そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。
テテオ・ユストという人は異邦人です。神を敬う、という表現は、異邦人でイスラエルの神を信じている人たちのことを言います。ですから、パウロはユダヤ人から反対を受けてから、いつものように異邦人が信仰を持つようになるのを見ました。また、テテオの家は会堂の隣にあったので、その管理者クリスポも信仰に導かれました。会堂管理者とは、単に会堂という建物を管理しているということではなく、律法学者と並んで、律法やおきてを管理している人でもあります。ですから、彼は比較的影響力のある人であり、彼が信仰を持つようになったので、他のコリント人たちも大ぜいイエスさまを信じました。
2B 継続 9−17
けれども、再びパウロに恐れがやって来ました。それが分かるのは、次のイエスさまの言葉があるからです。
1C 約束 9−11
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
イエスさまが、「恐れないで、」と言われているということは、パウロは恐れていたことになります。何を恐れていたかというと、人々から危害を与えられることでした。思い出してください、パウロの宣教は迫害の連続でした。ガラテヤ地方にいるとき、ルステラにおいて、パウロは石打ちを受けました。ヨーロッパへの宣教は、ピリピにおけるむち打ちから始まりました。テサロニケでは暴動が起こって、ベレヤに場所を移しても、テサロニケのユダヤ人たちがやってきて騒ぎを起こしました。そして、命からがらアテネにまでやって来たのです。そして、今コリントにおいて、ユダヤ人たちがパウロに反抗して暴言を吐きました。今までのパターンからしますと、これから暴動が起こります。だからパウロは恐れたのです。イエス・キリストを宣べ伝えると、必ずこのようなことが起こるので、ほんとうに、今自分がやっていることは正しいことなのだろうか、天幕作りをしていたほうが、平穏無事に暮らすことができるではないか、などと言ったようなことを考えたでしょう。みなさんも、これまでの生活のなかで、神のみこころだと信じて行なってきたのに、多くの問題や試練に出くわしたことがあるかもしれません。そして、パウロのように恐れてしまうかもしれません。
けれども、主は、いくつかの約束を与えられて、パウロを勇気づけました。一つ目の約束は、主ご自身の臨在です。「わたしがあなたたともにいるのだ。」と言われました。これは、私たちが抱く恐れの問題に解決を与える第一歩です。主は、預言者イザヤをとおしてこう言われました。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。(イザヤ43:2)」どんな試練のなかにあっても、主がともにいてくださるので、私たちは危害を受けません。二つ目の約束は、具体的に危害を加える者はいない、と約束してくださいました。コリントでは、今までと違うことが起こる。危害から、暴動から守られるのだ、という約束をしてくださっています。そして、三つ目の約束は、コリントの町で大ぜいの人が救いに導かれる約束です。「わたしの民がたくさんいる。」と言われました。神が前もって救いに定めている人々が、ここにはたくさんいる、と言うことです。これは、興味深いです。アテネの町とコリントの町を比べてみてください。アテネは学問都市です。知恵と知識が集中していた町でした。けれども、コリントは酒乱と淫乱の町です。神の民になりそうなのは、人間的に考えればアテネのほうですが、アテネでは数人の人しか救われなかったのに、コリントでは大ぜいの人々が救われます。これはなぜでしょうか。それは、彼らが求めていたものは、まさに神によって完全に満たされるからです。パウロは言いました。「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)」お酒に酔うこと、女やあるいは男を求める人ほど、充足感を求め、かつ、むさしさを感じている人はいません。そのような人々が、ほんとうに自分を満す方が神であること、イエス・キリストであることを知ると、彼らは、自分の人生をこの方に明け渡すのです。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
パウロは、主の御声を聞いて、完全に落ち着くことができたようです。そして、御声を信じて、なんと1年間半も教え続けました。他のところでは数週間や数ヶ月しかいませんでしたが、ここでは一年半以上、居とどまりました。そのため、コリントの教会は、とても大きくなりました。
2C 実現 12−17
そして、主の約束は、次から読む出来事において、具体的に実現されているのを見ます。ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています。」と訴えた。
ここの「律法」は、「法律」と翻訳したほうが良いでしょう。なぜなら、ユダヤ人は、パウロがローマの法律に違反することを行なっていることを訴えていたからです。ピリピにおいても、テサロニケにおいても、ローマの法律や秩序に反対しているという理由で訴えられましたから、ここでも同じなのです。ところが、地方総督ガリオの判断は、これまでと異なるものでした。
パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」こうして、彼らを法廷から追い出した。
ガリオは、パウロが語っていることは、あくまでも宗教的なことであり、ローマの法律にふれることではないと判断したのです。宗教的な事柄には一切関わりたくないとガリオは願っていたのです。
そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕え、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。
他の写本では「みなの者」が、「異邦人は」となっています。パウロを訴えたであろう、会堂管理者ソステネが逆に異邦人から打ちたたかれています。こうして、パウロは危害から守られたのでした。
2A 水を注ぐ者 18−28
1B 移行 18−23
1C 同労者 18−21
パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
パウロはとうとう、コリントを離れることになりました。それは、エルサレムにおけるユダヤ人の祭りに参加することと、アンテオケの教会に戻るためでした。パウロは異邦人へ福音を宣べ伝える使徒でありますが、彼自身はユダヤ人です。アジアの海岸の町であるケンクレヤというところで、髪をそっています。これは、民数記6章に出て来る、ナジル人の誓願です。何か主に対して、とくべつに祈りたいこと、志を立てたいことなどがあるときに、自分の髪の毛をそります。そして、30日とか60日とかいう期間を定めて、その間、ぶどう酒やぶどうの実を食べるのを控えます。決まった期間が終わると、その間に伸びた髪を再びそります。そして、その髪を祭壇の上で燃やします。これがナジル人の誓願であり、パウロは、髪をそりました。
彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
パウロは、エペソにまでプリスキラとアクラを連れて来ていました。そして自分自身は、急いでエルサレムに行こうとしています。祭りに間に合いたいからです。ユダヤ人が頼んでいるように、パウロは再びエペソに行きたいと願いました。事実、次の章は、パウロのエペソにおける宣教について描かれていますが、パウロは、「神のみこころなら」と付け加えています。つまり、主が異なることをお考えなら、エペソ行きは変更します、ということです。私たちはいつも、「主のみこころなら」という姿勢で日々を送らなければいけません。「主よ、私はここにいます。あなたがなさりたいことを、何でも良いから私に行ってください。」という祈りをいつも心の中に持っていなければいけません。私はこれが苦手です。いったん自分が決めた計画がなかなか前進しないと、かりかりして、いらついてしまいます。けれども、そのときに、「主のみこころを行なってください。」と祈らなければいけないのです。
2C 巡回 22−23
それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。
この一文は、かなり長い道のりを網羅しています。カイザリヤは、当時のもっとも栄えていたローマ都市の一つでした。そこで上陸して、エルサレムに上りました。「上る」というのは、都に行くときに使われる言葉ですが、エルサレムの場合は、文字通り高いところにあります。だから、実際にも上ります。そして、パウロが神の恵みによって送り出されたアンテオケに戻りました。これで、第二回目の宣教旅行は終了です。思わぬ方向に旅行が進展しました。パウロは小アジアの宣教しか考えていませんでしたが、ヨーロッパまで引き伸ばされたのです。試練と困難の連続でしたが、確実に実が結ばれました。
そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。
これは、第三宣教旅行の始まりです。パウロは小アジアにおける、かつて建てられた教会に行って、弟子たちを力づけました。教会は植えられるだけではなく、水が注がれる必要があります。福音が語られて、人々が救われて、それで終わりではありません。その後に、勧めと教えなどによって、一人一人の信者がさらに成長する必要があるのです。
2B 聖書の説明 24−28
そこで、面白いかたちで、水を注ぐ人を神はお立てになります。さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
アポロと言う人物が登場しました。アレキサンドリヤとは、エジプトにある大きな都市です。彼は雄弁であり、聖書をよく知っていました。アポロは、パウロが去ったあとにエペソに来ました。プリスキラとアクラはまだそのにいます。
この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。
アポロは、正確に教えていたが、プリスキラとアクラはもっと正確に説明した、とあります。これは、アポロがヨハネのバプテスマしか知らなかったからです。ヨハネのバプテスマの教えとは、「キリストがもう間もなく来られる。だから、悔い改めて、この方を受け入れる準備をしなさい。」というメッセージでした。そしてそのキリストは、イエスさまであることも指し示しました。これは、とても正確なのですが、福音書においては、さらに突っ込んだ話があります。それは、このイエスは、十字架につけられて殺されるが、3日目によみがえる。そして、天に上げられて、聖霊を弟子たちに注がれる、という話しです。これらのことを受け入れることによって、悔い改めだけではなく、イエスが聖霊によって、私たちのうちに住んでくださいます。イエスさまを受け入れる準備をするだけではなく、受け入れて、イエスにあって生きるようにされるのです。このことをプリスキラとアクラはアポロに説明しました。
そして、このアポロがコリントに行きます。そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。
これは、コリントの教会です。パウロの宣教によって、教会が建てられましたが、アポロの奉仕によってさらに、成長してきました。コリント人への第一の手紙で、パウロは、「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。(3:6)」と言いました。神が、パウロに代わって、アポロをコリントの教会に送ってくださったのです。さらに、このアポロは、アクラとプリスキラの説明によって、神の道を真に知ることができるようになったのです。神は、このようにして必要な時に必要な器を用意してくださいます。
彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。
イエスがキリストであることを証明した、とありますが、25節には「イエスのことを語り」となっていました。イエスを語るのと、イエスについて語るのとでは全く違います。イエスを語ることができるのは、自分自身がイエスとの出会いをしているからです。そして、イエスについて語るのは、人から聞いたこと、また頭で理解したことです。アポロは、聖霊によって新たに生まれたので、イエスについてではなく、イエスを語ることができるようになりました。
こうして、コリントに大きな、そして成長する教会が建て上げられました。パウロは、この教会に何通か手紙を送りましたが、その二通が聖書の一部になっています。その手紙を読むと、彼らが知識によって高慢になっていたことや、偶像崇拝や不品行などの罪に陥っていたことなどを知ります。コリントがひどく乱れていた町であること、また、アテネから人間の哲学が入り込んで来てしまったことが原因でしょうが、それでもコリントの教会は、パウロの戒めを受け入れることはできたし、土台はしっかりとしていたのです。パウロが、コリント人へ第一の手紙の冒頭で、次のように神に感謝しています。開いてみましょう。コリント第一1章4節からです。「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。」コリントには、わたしの民がたくさんいる、という主のおことばは本当でした。私たちも、多くの聖書教師や勧める人のメッセージを聞くなどして、キリストにあってますます建て上げられていきたいと思います。
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