使徒行伝27章 「主の向かい風」
アウトライン
1A 賢明な判断 1−12
1B 状況 1−8
2B 安全 9−12
2A 嵐の中の希望 13−26
1B 人の努力 13−20
2B 神のことば 21−26
3A 適切な処置 27−44
1B 任された責務 27−38
2B 神の介入 39−44
本文
使徒の働き27章をお開きください。使徒の働きの学びは、あと2章を残すのみとなりました。27章です。ここでの主題は、「主の向かい風」です。
1A 賢明な判断 1−12
それではさっそく1節をごらんください。
1B 状況 1−8
さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。
私たちがイタリヤに行くことが決まった、とあります。これは、パウロがフェストに対して、「私はカイザルに上訴します。」と要求したことによるものです。皇帝の前で法廷に立つために、パウロは囚人としてローマへ旅立ちます。
ここまで来るのに長い年月が経ちました。パウロは、ヨーロッパにおいて福音宣教をしているときに、ローマに行かなければいけないと心に決めていました。ローマがその当時の世界の中心地であり、そこに福音をたずさえることによって、主が命じられた全世界に福音を宣べ伝える使命を果たすことができるからです。聖霊のみわざにより、地の果てにまでわたしの証人となる、とイエスさまはおっしゃられました。ですから、ローマに行くように心に決めていましたが、その前にエルサレムを通らなければいけないと思っていました。それは第一に、そこにいる信者のためです。彼らの教会は貧困に窮していたので、パウロは少アジヤやヨーロッパの諸教会で献金を募り、それをエルサレムにいる貧しい兄弟たちに分け与えようと思ったのです。エルサレムに行く第二の理由は、不信者であるユダヤ人のためでした。パウロはエルサレムで育ち、厳格の律法の教育を受けていました。だから、彼らの気持ちはわかる。彼らが待ち望んでいる約束は、まさに私が信じているイエスの御名にあるのだ、と思っていたのです。
それでエルサレムに行きましたが、ご存知のとおり、暴動が起こり、パウロはローマの千人隊長の介入によって命拾いをしました。そのときから彼は囚人となりました。彼はカイザリヤに送られて、総督フェストの前で弁明しましたが、フェストはユダヤ人に気に入られようとする政治的欲望から、パウロを二年間も監禁しているままにしていたのです。それからペリクスが総督になりましたが、彼もまた、ユダヤ人に気に入られようとして、彼をエルサレムに送ろうとしました。こうした政治的道具に使われているパウロは、公正を求めてカイザルに上訴したのです。ここまで来るのに、エルサレムに来てからでも2年以上経っています。けれども、今、ようやくローマに行くことができるようになりました。もちろん、パウロは囚人としてローマに行くとは思ってもいなかったでしょう。パウロは、カイザル直属の軍隊である親衛隊の一人、百人隊長ユリアスに率いられて、船に乗りました。
私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。
地中海における船は、単に運搬輸送だけではなく、一般の人々が頻繁に用いる移動手段でありました。首都圏の人であるなら、電車やバスと言ったところでしょう。カイザリヤを通る船の中で、アジヤの沿岸の各地に寄港する船に乗り込みました。また、パウロは囚人の身でありながら、他にも弟子たちが同行していました。「私たちは」という主語にあるとおり、使徒の働きの著者であるルカが同行しています。また、テサロニケ出身のアリスタルコもいます。アリスタルコは、パウロの教会宛ての手紙のあいさつの中に何回が登場する人物です。
翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。
シドンに教会の群れがあったようです。パウロはその兄弟たちに会うことができました。パウロには、このように同行者がおり、会いにいくことができる仲間がいましたが、これは私たちクリスチャンにとって、とても大切ですね。キリストにある友人の中に自分を置くことは、励ましや慰めや、多くの徳が高まることが与えられます。
そして、パウロが囚人の身でありながら、友人のところに行くことを許してくれたユリアスのことを考えてみましょう。彼とパウロとの間には、会ってから間もなく信頼関係が生まれたようです。ユリアスは、パウロに非常に好感を持ちました。彼が百人隊長であることは注目に値します。新約聖書のなかで、百人隊長は神の目にかなった者として描かれています。イエスさまが家に入るのを断り、「おことばだけで結構です。」と言ったのは百人隊長でした。イエスさまはその信仰をほめられました。イエスさまが十字架の上で死なれたとき、「この方はまことに神の子であった。(マルコ15:39)」と行ったのも百人隊長です。そして、使徒の働き10章において、百人隊長コルネリオがペテロの説教によって聖霊のバプテスマを受けました。百人隊長がこのように信仰的にすぐれている理由は、おそらくは、イエスさまに語った百人隊長の言葉の中にあると思います。彼はこう言いました。「と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。(マタイ8:9)」自分が権威の下にある者であり、かつ自分の権威の下にも兵士がいました。そのため、言葉の中にある権威をよく知っていたのです。
これは、私たちの信仰にとってとても大切です。主のみことばに権威があり、その権威の下で生き、また、その権威を行使するという立場の中に私たちは置かれています。それゆえ、百人隊長が新約聖書の中でよく描かれているのでしょうが、ユリアスも、ことばにある権威をよく知っている者であり、この章の後半部分において、人々のいのちが救われるための器となっています。
そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。
シドンから出向してからは、向かい風が吹いていました。この27章は、向かい風や嵐についての章です。自分たちが行こうとしている方向とは反対の力が働いているとき、人々がどのように考え、どのような行動を取っていったのかを見ていくことができる章です。向かい風が吹きましたが、そのため進み具合がかなり遅くなりました。島陰に入ると、風はやや穏やかになるので、キプロス島の島陰を航行しました。
そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。
ミラは、小アジヤの地中海に面する町です。みなさんのお手持ちの聖書に地図が付いているでしょうか。それを見ながら、パウロの乗っている船がどのように進んでいるのかをたどりながら読み進めてみてください。どのような航路をたどったのかを知るのは、この27章においてとても大切になります。
そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。
一行は、船を乗り換えました。百人隊長が乗り込ませた、と書いてあることに注目してください。彼がいま、指揮を取っています。これが後にパウロの指揮に変わっていきます。この船は、エジプトの大都市アレキサンドリヤから世界の中心地ローマへと向かう穀物輸送船でした。かなり大きな船で、パウロが乗ったときには全員で276人いました。
幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。
向かい風によって、なかなか船が進まない様子が強調されています。ようやくのことで、という言い回しが繰り返されていますね。ギリシヤの南にあるクレテ島の良い港とというところに着きました。そこはラサヤという小さな町がありました。
2B 安全 9−12
そしてパウロが、注目に値する発言をみなの前でします。かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。
パウロは、「ここで冬を過ごしましょう。」と呼びかけています。冬の地中海は荒れます。断食の季節とありますが、これはユダヤ人の祭りの一つであり贖いの日です。年によって異なりますが10月上旬ぐらいです。その季節が過ぎており、しかも今までの航行は、向かい風であったり、風が吹かなかったりで、ずいぶん日数が経過している。そこでパウロは、いろいろな側面を考えて、このまま航海を続ければ、船体はこわれ、生命さえも危険にさらされると判断しました。このような発言を許してくれたユリアスもとても寛大でありますが、パウロも、ずいぶんはっきりと意見を述べています。それもそのはず、パウロは、宣教旅行において何回も船に乗っている経験があるからです。コリント人への第二の手紙11章には、「難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。(25)」とあります。そうした経験と知識から、ここで冬を過ごしたほうがよいと考えました。
私は、このパウロのことばを読んで、彼はほんとうに主にゆだねている人だなあと思いました。ずっとローマに行くことを願っていて、それでようやくローマに行く旅を始めたのに、このような向かい風があって、私だったらいらいらして、落ち着かなくなり、なんとかして前進してみようと考えていたでしょう。けれども、パウロもこれまでにも、そうした逆向きの風を何度となく通ってきて、なおかつ主はご自分が語られたことばを実現してくださっているのを彼は見てきました。それで、主に対する深い信頼と落ち着きを持っているのだと思います。
ところが、しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
とあります。百人隊長が航海士や船長のほうを信用するのは無理かなぬことです。やはり専門家に依拠したくなります。彼らは、「私たちはプロですよ。素人のパウロに何がわかりますか。」という感じだったのでしょう。
また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
良い港は港と言うよりも、単なる入り江でした。そしてラサヤは小さな町です。水夫たちがどこかの港町で冬を過ごすとき、解放されて、遊びほうけるのが常でした。ですから、貿易中継都市であったコリントには、多くの水夫がおり、彼らを相手する売春婦が大勢おり、酒場がたくさんあったのです。ピニクスは、比較的大きな町であったので、大多数の者はピニクスで冬を過ごすことを願いました。
2A 嵐の中の希望 13−26
こうして彼らは出帆することになりますが、これが大惨事の始まりとなります。
1B 人の努力 13−20
おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。
穏やかな南風が吹いて来ました。けれども、これはほんのわずかな時間しか吹きませんでした。
ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。
なんと北東からの暴風ユーラクロンが吹き下ろしました。北極地方からの風です。今まで向かい風に逆らって前に進もうとしていましたが、このときにその努力をやめました。逆らえば、エジプトの海岸地域にまで吹き下ろされてしまうおそれがあります。吹き流されるままにしました。
しかしクラウダという小さな島の陰にはいったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。
この船は大きな船ですから、岸までたどりつくための小舟が付いていました。船体の側面に付いていたのですが、この暴風の中、壊れてしまう恐れがあるので、船に引き上げました。さらに、その船体がこわれないように、備え綱で船体を巻きました。
私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。
船具や積荷を捨て始めました。パウロのことばのとおりです。船体や積荷に、大きな損失がもたらされています。
太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。
パウロの言ったとおり、今度は彼らの生命がおびやかされています。「助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。」とありますね。船長や航海士は、自分たちの知識で船が浮くことができるあらゆる手立てを行ないました。船を流されるままにして、船体に備え綱を巻き、積荷を捨て、とにかくこの船が浮かんでいることができるようにしたのです。けれども、もう他に方法はありません。なのに暴風は吹きまくっています。そこで、人間の努力は尽き果てて、絶望的になりました。しかし、まさにこのときにこそ、神が希望となってくださいます。
2B 神のことば 21−26
このときにパウロは語り始めました。だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
なんと、いのちを失う者はひとりもいないと断言しています。断言できるのは、それが神からの預言だったからです。次をご覧ください。
昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」
主は、エルサレムにあるローマ人の兵営のなかにいたとき、そばに立って彼に約束されました。「あなたがここでわたしのあかしをしたように、ローマでもあかしをしなければいけない。」と。パウロは、自分は必ずローマに行くことを知っていました。そのため、パウロが乗っているこの船を救い出し、その中にいる人々もみな救い出す、と主がパウロにお語りになったのです。パウロのそばにいたおかげで、船に乗っている人たちが命拾いをすることになります。
ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
見てください、パウロは再び、「神によって信じています。」と、神がそのことをしてくださることを強調しています。
私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。
この「どこかの」という言葉は、「ある特定の島」という意味です。島であればどこでも、ではなくて、神がこの船をあるどこかの島に導かれる、というものです。かなりはっきりした確信に満ちたパウロのことばです。
このように、パウロが乗っている船は嵐の中に巻き込まれてしまいましたが、その嵐の中で主がはっきりと語ってくださいました。自分が嵐の中にいるのは、彼のせいではまったくありません。むしろ、自分はこのようになるから出帆しないほうがよいと忠告していたのです。他の人の判断ミスで、自分も嵐の中に巻き込まれました。私たちも、自分の人生や生活の中で、嵐に出くわすことがあります。それは必ずしも、自分が起こしたことではなく、だれかの過ちや意図的な悪意であったり、文字通りの天災であったりします。けれども、決して忘れてはならないことは、その嵐の中に主がともにおられることであります。主は、パウロをすぐに嵐の中から救い出されたのではありませんでした。嵐の中で彼に語りかけ、嵐の中で彼を守っていてくださったのです。預言者イザヤをとおして、主が仰せになりました。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。(43:2)」私たちが嵐の中にいるとき、私たちが暗やみの中にいるとき、これからどうすればよいか分からないと感じているとき、そこには主がおられます。そして、そのような嵐の中にあってでしか聞くことができない、主の励ましのことばと、神の深いみこころを知ることができるのです。
3A 適切な処置 27−44
そして、パウロのことばどおり、いや、神がパウロに告げてくださったように、状況は、しだいに良くなってきます。しかし、今度はまた別の問題が出てきました。嵐ではなく、その船に乗っている人々によって、他のいのちが失われてしまう危険が出てきました。
1B 任された責務 27−38
十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。
水夫は、波らしき音を聞き分けたのかもしれません。真夜中の静まったときに、陸地に近づいているのを知りました。
少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。しだいに岸に近づいています。ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」と言った。そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。
水夫たちは、なんと、自分たちだけ助かろうと試みたのです。このときに、彼らをとどめたのがパウロです。この船の旅は、ずっと百人隊長が指揮を取っていましたが、これからはパウロが指揮を取っています。百人隊長は、パウロが指揮するようにさせたのです。先ほども説明しましたとおり、ここが百人隊長が信仰的にすぐれていたことです。ことばに権威を認めたのです。パウロのことばに力があり、言ったことがそのとおり実現するのを見ると、そのことばの権威の下に自分を置きました。彼らも、これからはパウロの言うとおりになると信じていたのです。
こうして、水夫が逃げるという危険を回避することができましたが、パウロが、神さまに語られたことにあぐらをかいて、何もしなかったのではないことは注目に値します。たとえ、神に、「あなたは、必ずどこかの島に流れつきます。」と言われていても、それで自分たちがしなければいけない責任がなくなるということではないことをよく知っていました。私たちクリスチャンは、神さまの約束とともに、しなければいけない責任を持っていることを心に留めなければいけません。私たちは、キリスト・イエスが来られる日までに、傷のない、責められることのない者として保たれるという約束を持っていますが、もし、肉の行ないをしつづけて、罪の中にとどまるつづけるなら、確かに神の御国を受け継ぐことはできません。また、私たちは、神のご計画は平和と希望を与えるものであることを知っていますが、神がなされるのだから何もしなくてもいいではないか、と考えて、祈ること、奉仕すること、伝道することをやめたら、やはり、その計画は実現されないのです。ですから、パウロも、主にはっきりと語られましたが、自分がしなければいけないことをよく分かっていました。
水夫の問題が解決してから、パウロは乗組員の体力の問題を気遣いました。ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」
小舟もなくなったので、人々はみな、泳ぐか、木などにつかまって岸辺までたどりつかなければいけません。そのためには体力が必要です。そこで、船酔いで何も食べる気分にはなっていなかった人々に食べることを勧めています。そして、パウロは、「髪一筋も失われることはありません。」と彼らを激励しました。
こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。
すばらしいですね、クリスチャンは一部しかいないのに、みなの前で食前の祈りをささげています。自分たちが助かることはが、神によるものであることをなおいっそう明らかにしています。
そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。今や、一同がパウロのことばに励まされ、元気付けられています。
2B 神の介入 39−44
あと、もう少しで彼らは助かりますが、その前に、もう一つ事件が起こります。
夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。とうとう、乗り入れが始まりました。錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。
船は座礁してしまいました。ほんとうにいのちは助かるのでしょうか。さらに、もっと大変なことが起こります。
兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。
なんと、囚人たちを兵士が殺そうとしているのです。これはずいぶんひどいことだなあと思われるかもしれませんが、ローマの法律には、囚人を逃がしてしまった兵士は、死刑に処せられるというものがありました。だから、囚人たちを殺さないかぎり、いま、自分たちのいのちが危ないと思ったわけです。
けれども、神は守ってくださいます。しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押え、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。
百人隊長を神は動かしてくださいました。百人隊長は、自分が死刑で殺される危険を知っていながら、パウロのいのちを助けたかったのです。それほどまでに、パウロをうやまい、彼のことばを信じました。
こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。
ついに、パウロが言ったとおりに、だれひとり命がうばわれることなく無事に陸にあがりました。水夫が逃げようとしたり、兵士が囚人を殺そうとしたりしましたが、その危機も回避することができました。
こうして彼らは助かりましたが、ここで話しは終わりません。実は、これに続く話しを知ることによって、パウロが乗っていた船に反対する風がどんな意味を持っていたのかを知ることができるのです。まず、次の節、28章1節をごらんください。「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。」とあります。マルタ島を地図でごらんください。彼らは、嵐の中で翻弄されていたのにもかかわらず、なんとイタリヤのすぐ近くにある島にたどり着いていたのです。ものすごい嵐でしたが、超特急でイタリヤへ彼らを運んでいました。そして、次回学びますが、このマルタ島において、パウロは数多くの奇蹟を行ないます。これによって、多くの人々が主イエスを信じるようになったでしょう。さらに、ローマに行ってから、パウロはその牢獄で、ピリピにいる信者たちに手紙を書きました。その中には、親衛隊の全員にキリストが伝えられたことが言及されています(1:13参照)。百人隊長のユリアスが、パウロのことを話したに違いありません。ユリアス自身、クリスチャンになったかもしれません。パウロのことばが確かであるのを知って、それがパウロの仕える神のことばであることを知って、その権威の下にいることを選び取ったかもしれません。パウロがあの嵐の中で、どのように指揮を取ったのかを、他の親衛隊に話したかもしれません。いずれにしろ、この向かい風と嵐のおかげで、福音はマルタ島へと、またローマへと前進したのです。この向かい風は、実は主から出たものだったのです。
一見、私たちに反対するかのように押し迫ってくる出来事や状況は、実は主が起こしてくださっているものかもしれません。神は、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方です(エペソ3:20)。また、神の思いは、私たちの思いと異なり、天が地よりも高いように、神の思いは私たちの思いよりも高い、とイザヤは言いました。この信仰をもって、嵐のときに、主によって守られましょう。
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