使徒行伝28章 「妨げられることのない福音」
アウトライン
1A 生活にある福音 1−15
1B 人々のもてなし 1−10
1C 異教の中で 1−6
2C 必要の中で 7−10
2B 兄弟との出会い 11−15
2A ことばにある福音 16−31
1B 忠実さ 16−29
1C 弁明において 16−22
2C 聖書からの解き明かしおいて 23−29
2B 大胆さ 30−31
本文
使徒行伝28章をお開きください。ここでのテーマは、「妨げられることのない福音」です。とうとう、使徒行伝の最後の章まできました。1章において、イエスさまは弟子たちに、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。(1:8)」と言われました。この最後の章において、このみことばが成就しているのを見ることができます。つまり、使徒パウロがローマに来て、そこで福音を宣べ伝えるところで、この書物が完結しています。使徒行伝は、私たちの予測に反した事実を記録してしめくくられています。つまり、パウロは、囚人の身でありながら福音を宣べ伝えていたのです。福音宣教者と呼ぶには非常に不自然な身分であり、ふつうなら、福音を語るのにふさわしくないと感じる状況に、パウロは置かれていました。それにも関わらず、どのようにして彼が福音を伝えることができたのか、そのことを見ていきたいと思います。
1A 生活にある福音 1−15
1B 人々のもてなし 1−10
1C 異教の中で 1−6
こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。
私たちは前回、27章において、パウロを乗せた船が難船したことを見ました。彼の忠告に反して、大多数の者が航行を続けることに同意し、その結果、船は暴風に襲われて、助かる見込みはなくなりました。けれども、パウロは、一人として命を失うことはない、あなたはカイザルの前に立たなければならないからだ、という神からの啓示を受けました。暴風に見舞われてから二週間後に、このようにマルタ島に漂着したのです。これは、決して偶然の出来事ではなく、神がこの島にまで導いてくださったことを前回学びました。その理由を、次からのマルタ島における出来事をとおして知ることができます。
島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
島の人々の反応は、非常に好意的なものでした。彼らが漂着するのを見るやいなや、彼らは木の枝を持ってきて、彼らが凍えないように火をたいてくれました。ここの「島の人々」とは、ギリシヤ語で、「バルバロス」と言います。これは、ギリシヤ語を話さない人々のことを指していました。つまり、彼らは、船の乗員には理解できない、他の言語を話していたのです。もちろん、ギリシヤ語を理解する人はいたかもしれませんが、基本的にはその地の言語を話していました。
パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。
一つの事件が起こりました。まむしがパウロの手に取りついたのです。けれども、何の害も受けませんでした。この奇蹟は注目に値しますが、この3節では、パウロが柴をたばねて火にくべていることに注目してください。今、自分自身も冷たい海から這いあがって来たばかりなのに、彼はもう、自分の体を動かして奉仕しています。おそらく、島の人々が最初にくべた火が消えかかっていたのをパウロが気づいたのでしょう。パウロが、ピリピ人への手紙の中で、「私を見ならう者になってください。(3:17)」と兄弟たちにお願いした理由が、ここから分かります。彼は、こうした何気ない生活の場面で、実際の事柄において仕える者の姿を取り、キリストに従っていたのです。だから、彼が教えている福音を人々は、聞くだけではなく、見ることができたので、福音が雲をつかむような、理解できない抽象的な事柄ではなく、具体的に見ならうことができる具体的な事柄として受けとめることができました。パウロは、同じくピリピ書において、「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。(1:27)」と命じました。彼は、囚人の身であっても、福音にふさわしく生活することはできたし、そのようにしていたのです。
島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合った。パウロのことを、人殺しだ、と言っています。しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。
すばらしいですね、パウロはパニックに陥ることもなく、まむしを火の中に振り落として、他の人々がかまれることのないようにしています。
島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ。」と言いだした。
すぐに気が変わるものです。先ほどは、「人殺しだ」と言っているのに、今は、「神さまだ」と言っています。同じパウロを見ているのに、こんなにも考えが変えています。これが異教の考えであり、異教の神々を拝む人の姿です。自分の都合に合わせて、自分が納得できるように、どんどん物事の見方を変えていくのです。あるときには賛美し崇拝するのに、その同じものに対して、また別のときには憎しみます。けれども、この態度は、聖書の神を信じている人の姿ではありません。
ずっと前に、クリスチャンの月刊誌で読んだ記事に、外国のクリスチャンと日本のクリスチャンの、教会のとらえかたの違いについて語っている記事がありました。カトリックの背景を持つフィリピンにおいても、また唯一神への信仰を持つイスラム教を背景にもつインドネシアにおいても、そこのクリスチャンは教会に来るとき、自分の信じている神を信仰するために教会に来るそうです。その中心的な事柄は、聖書に啓示された神と主イエス・キリストです。その反面、日本においては、牧師のこと、賛美の様子、交わり、献金についてなどのことが中心的な事柄になり、それらが自分に合わないと、つまずいたり、教会に来なくなるとの比較がなされていました。これは、ここの、島の人々のパウロに対する見方と通じるものがあり、私たちクリスチャンが、自分が何をほんとうに信じているのかを吟味してみる必要があることを思い起こさせてくれます。
ここで、多くの注解者が、他の場所と同じように、パウロが自分が神として拝まれることを拒んで、主イエス・キリストを宣べ伝えたと解釈しますが、私は同意できません。そのような出来事が起こったとルカは記していないし、第一、島の人々の会話は、パウロが理解できない現地の言語で行なわれていたはずだからです。ここでの大切な点は、言葉が通じない制限が加えられていても、人々がパウロを見て、神がおられることを見ることができたという事実です。イエスさまは、復活されてから、弟子たちにこう約束されました。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。(マルコ16:17-18)」主がともにおられることによって、蛇をもつかむことができるとイエスさまは約束されましたが、はたしてパウロの身においてそのとおりになりました。また、病人に手を置き、いやされることも約束されましたが、それも次の、パウロの奉仕の中で実現されています。こうして、パウロの身に、主が働いておられることが証しされました。
2C 必要の中で 7−10
さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。
火であたたまってから、島の首長が船の乗員276人を自分の領地に招いてくれました。着物を着替えることができ、食事も与えられたことでしょう。
たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。
主イエスが地上におられたとき、病気の人々を直されたように、パウロも直すように導かれました。祈ってから、手を置きました。おそらく、主へこの人をいやしてくださるよう、あわれみをかけてくださるよう願ったのでしょう。その祈りが神に聞かれたことを確認してから、手を置きました。
このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。
他の人々の病も直すことができました。主が続けて働いてくださいました。最後は、非常に尊敬されて出送られています。このように、たとえ言葉が通じない人々の中でも、異教的な考えを持っている人々の間でも、主が生きておられることがあかしされました。囚人の身にあっても、十分に福音を伝えることはできたのです。
2B 兄弟との出会い 11−15
そしてローマへ向かって出帆します。三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。
マルタ島には、他に冬を過ごしていた船がありました。パウロたちがもともと乗っていた船と同じく、アレキサンドリヤから来た船です。けれども、著者ルカは、この船にデオスクロイというゼウスのふたごの神々の飾りがついていることを記しています。これは、船をこのゼウスが守ってくれることを祈願して付けられているのですが、ルカはむろん、むなしい偶像ではなく生ける神が私たちを守ってくださることを言いたかったのでしょう。
シラクサに寄港して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。
船は順調に北上して、とうとうイタリヤのポテオリ港に到着しました。ポテオリは、イタリヤの貿易都市です。ローマに行く人は、このオテオリで船から降りて、ローマまで行きます。
ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。
パウロたちは、兄弟たちの歓迎にあいます。まずポテオリで七日間滞在しました。パウロはローマ人への手紙1章において、彼がずっと、ローマにいる兄弟たちに会いたかったこと、けれども妨げられていたことを書いています。今、このように囚人の身でありながら、彼らと会うことができました。
私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
アピオ・ポロはローマから69キロ離れたところ、トレス・タベルネは、53キロ離れているところです。彼らがそんな遠くにまで来てくれたことで、パウロが神に感謝し、大いに勇気づけられています。彼らは互いにまだ会ったことのない兄弟たちですが、このように愛のきずなで結ばれていました。ローマにいたクリスチャンたちは、「別に出向かいに行かなくても、パウロはいずれ来るのだから。」と言うことはできました。けれども、そのような遠くにまで出向くところに、彼らのパウロに対する兄弟愛と親しみを現わすことができました。使徒ヨハネは、「ことばや口先だけでは愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。(Tヨハネ3:18)」と言いましたが、私たちは行ないによってでしか伝わらない愛を持っているのです。
2A ことばにある福音 16−31
こうして、パウロは囚人の身でありながら、その生活の中で福音にふさわしく歩み、また兄弟たちも、キリストの愛によって、福音の中に生きていました。けれども、それだけではありません。パウロは、ことばにおいても福音を自由に語ることができたのです。
1B 忠実さ 16−29
1C 弁明において 16−22
私たちがローマにはいると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。
このとき、パウロは百人隊長ユリアスの手を離れ、守備隊長に引き渡されました。けれども、自分だけの家があてがわれ、他の人々が自由に行き来することができるようにされました。
三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。ローマにも、当然ながらユダヤ人たちがいました。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人が反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」
パウロは、自分についての悪いうわさを、ローマにいるユダヤ人たちも聞きつけるだろうと思って、彼らを呼び集めました。自分はユダヤ人に敵対しているのではないことを説明しました。そして、何よりも、イスラエルの望みのために鎖につながれているのだと説明しました。自分の信じていることは、自分を非ユダヤ人にすることではない。ユダヤ人をやめて、改宗した異教徒になることではない。むしろ、ユダヤ人たちのための、神の約束を受け入れたユダヤ人、つまり本当の意味でのユダヤ人になったのだ、と言いたかったのです。イエスさまは、葉が生い茂っているいちじくの木を見て、実がないか調べられましたが、ありませんでした。けれども、イエスをメシヤと信じるユダヤ人は、実も葉っぱも持ち合わせている、完全な人であるのです。
すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」
これは、すばらしいことです。彼らは、自分たちは偏見を持ってはいけない。まず最初に、本人から証言を行くべきだという、律法にも書かれていることを実行しようとしています。けれども、これはパウロにとってまたとない伝道の機会です。覚えていますか、パウロは、はじめにユダヤ人に伝道し、彼らが受け入れないことにより、異邦人に伝道していく順番を取りました。次回のローマ人への手紙1章でもパウロは、「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にとっても、信じる者すべてにとって、救いを得させる神の力です。(ローマ1:16)」と語っています。これは、私たちの主イエスご自身の宣教方法でもありました。主は、まずイスラエルの失われた羊のために来られました。けれども、彼らがかたくなに、その救いの御手を拒むので、神は、ご自分の民ではないものを呼び集められたのです。
私たちの人間的な考えでは、「ユダヤ人がそんなにかなくななら、なぜ、わざわざユダヤ人にはじめに語る必要があるのか。受け入れるギリシヤ人やローマ人に伝えたら良かろう。」となります。けれども、これは第一に、神の深い御旨を無視したものであり、「見える結果が出てくるものを追い求めろ。」という人間的な考えに基づいたものです。モーセは、主が心をかたくなにされるパロに語るように命じられました。イザヤは、心をかたくなにするイスラエルに語れ、と命じられました。エレミヤは、イスラエルがバビロンに降伏せよ、という預言を語るように命じられました。神のことばを語るのは、効率や効果などのものさしではなく、忠実さが求められているのです。忠実になるときに、主の栄光が現われます。そして第二に、使徒行伝を学んで来たなかで、実際にユダヤ人にはじめに伝道することによって、実際に救いにあずかる人々が、ユダヤ人異邦人ともに多かったのです。反対者が多くいたのにもかかわらず、静かに、確実に信仰を持つ人々が増えてきました。
2C 聖書からの解き明かしおいて 23−29
そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
さらに大ぜいのユダヤ人が集まりました。そして、パウロも、朝から晩まで、しらみつぶしに聖書からイエスさまを宣べ伝えました。おそらく、ここまで何の妨げもなく、ユダヤ人に福音を聞いてもらったのは初めてではないでしょうか。この部屋にはローマ兵がいるので、もちろん扇動するような者は出て来ないでしょうし、他の反対やいやがらせも入ってきません。囚人パウロは、自分の身が拘束されることによって、かえって福音を自由に語ることができたのです。
ところで、律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて説得したとありますが、これこそ最も効果的な伝道方法であります。イエスさまご自身が、「わたしは、律法と預言者を成就するために来たのです。」と言われました。旧約聖書において、人は救いが必要であること、そして、イスラエル民族をお造りになって、イスラエルをとおして神の救いの仲介者であるキリストを送られることを、神は約束されました。イエスさまは、あくまでも、そうした神の救いの実現としてこの世に来られたに他なりません。私たち日本人は、信じていれば、その内容はどうでもよいと考える傾向があります。そのため、イエスという名前を語っていれば、それで自分の信仰は良しと考えてしまうのです。けれども、イエスさまを知るには、旧約聖書を知らなければいけません。新約はあくまでも、旧約の約束が成就したことを知らせる書物であり、その他、付加的に新たな啓示が加えられているだけです。神とはだれか、罪とは何か、キリストとはだれか、そして、救いとはどのような性質のものなのか、それぞれを知った上でのイエスの御名なのです。
ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
ここの「信じた」というギリシヤ語は、「説得を受けたが」と訳すことができ、ほんとうの意味でイエスを主と告白して信じるようなことではないようです。「彼の言っていることは、もしかしたら神の御使いが語ったかもしれない。」「いや、それは違う。預言者には、こう書いてあるではないか!」と言ったような議論が起こったと思われます。ここで、「信じなかった」ではなく、「信じようとしなかった」となっていることに注目してください。信じることができなかったのではなく、最初から信じないと決めていたのです。そこでパウロは、次の預言の個所を取り上げます。
こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』」
イザヤが預言したことは、イスラエルの民が神に背いているので、そのために霊的な事柄について理解を得ることができなくなる、というものです。霊的な事柄は、私たちがいかに、神に対して心を開いているか、謙虚になっているかでその理解が異なっていきます。私たちの生きる姿勢そのものに関わってくるのです。ここにいるユダヤ人たちは、信じようとしなかったので、パウロの語っていることが理解できませんでした。ここに問題がありました。最初は、パウロの言うことを聞き入れなければいけないと思ってきましたが、その心は神から遠く離れていたのです。ちなみに、同じイザヤ書の個所を、イエスさまがたとえを語りはじめられたときに引用され、また、ヨハネが信じようとしないユダヤ人たちについて、この個所を引用しました。
ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。
パウロは、他の宣教旅行のときと同じように、福音が異邦人に送られることを話しています。これが神の不思議なご計画であります。福音はもともと、イスラエルのものであった。けれどもイスラエルが受け入れなかったので、その祝福は異邦人にも及んでいった。けれども、神はこのことをあらかじめご存知で、イスラエルのかたくなさを用いられて、異邦人に祝福をお与えになるご計画さえ、持っておられた。私たちは、限られた知識しかないので、永遠の昔からすべてのことを知っておられる神の考えを、計り知ることはできません。このことについては、ローマ人への手紙9章から11章において、詳しく学ぶことができます。
そして、本文には29節が抜けていますが、新改訳の聖書の脚注には載っています。彼がこれらのことを話し終えると、ユダヤ人たちは互いに激しく論じ合いながら、帰って行った。
こうして、パウロは、ユダヤ人たちに福音を語ることができました。
2B 大胆さ 30−31
そしてしめくくりです。こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
パウロは、皇帝の前で裁判を受けるまで、二年間を要しました。そして、鎖につながれながらも、自分の家を持つことができました。多くの人がおとずれています。彼は、その人たちに福音を、大胆に、妨げられることなく語ることができました。おそらく、このときがパウロの宣教において、もっとも自由に語ることができたときであろうと思われます。カエザルの保護下にあるパウロに対して、だれも手を出すことはできないからです。そして、ピリピ人への手紙によると、ここでパウロを見張っていた看守たちがイエスさまを受け入れていったことが示唆されています。彼らがもっとも長く、パウロの話しを聞いていたのです。また、この時期に、彼は、4つの手紙を書きました。エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンです。福音が今までになく前進しました。鎖につながれていたパウロですが、神のみことばは、決してつながれませんでした。私たちも、ここに立つ必要があります。自分が今置かれている状況には、さまざまな鎖がつながれているかもしれません。身動きが取れないような状況の中にいるかもしれません。しかし、その中にあっても、福音を大胆に、妨げられることなく語ることができます。福音は、その生活の中で生かし、また、忠実に語り続けることはできるのです。
こうして使徒行伝は、ローマにて終わりました。けれども、次の学びはローマ人への手紙です。パウロは、ローマにいる聖徒たちに何を語ろうとしていたのか、その手紙の中で知ることができます。聖霊の導きによって、パウロをローマにまで突き動かした福音とは何なのか。福音には、どのような力があるのか、など、使徒の働きの中で数多く出てきた福音について、その中身を掘り下げて学ぶことができます。
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