使徒行伝6章−7:16 「知恵の御霊」
アウトライン
1A 奉仕者の任命 1−7
1B 理由 − 弟子の増加
2B 土台 − みことばの奉仕の優先
3B 特徴
1C 御霊に満ちた人
2C ギリシヤ系ユダヤ人
4B 結果 − 弟子の増加
2A 反対者の出現 8−15
1B 理由 − 不思議なわざとしるし
2B 性質 − 同じギリシヤ系ユダヤ人
3B 内容 − 議論
4B 反応 − 扇動
1C モーセをけがす
2C 聖なる所をけがす
3A 聖書の解き明かし 1−16
1B アブラハムの召命 1−8
1C 場所 − メソポタミア
2C 内容
1D 約束
2D 割礼の契約
2B ヨセフの流浪の旅 9−16
1C 原因 − 族長
2C 場所 − エジプト
3C 結果 − 再会
本文
使徒行伝6章をお開きください。今日は、6章と7章の前半部分までを学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「知恵の御霊」です。知恵の御霊、です。それでは、さっそく本文に入りましょう。
1A 奉仕者の任命 1−7
1B 理由 − 弟子の増加 1
そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
教会において、ふたたび問題が起こりました。前回は、アナニヤとサッピラという夫婦が、偽善の罪を犯して、息絶えて死んでしまったことを読みました。ここでは、教会の中で苦情が出てきました。けれども、これは、だれかが罪を犯したとか悪い意味での問題ではありません。「そのころ、弟子たちがふえるにつれて」と最初に書かれていることに注目してください。エルサレムにある教会が、勢いよく成長していく中で起こって来た問題です。子供が急激に背丈が伸びるとき、足の関節が痛くなるように、健全な教会も必ず問題が出て来ます。大事なのは、知恵をもってそれに対処することです。
そして、ここで起こっている問題は、ギリシヤ語を使うユダヤ人が、自分たちのやもめへの配給がなおざりにされているということで、ヘブル語を話すユダヤ人たちに苦情を申し立てていたことでした。当時のユダヤ人社会は、純粋にユダヤ人たちの文化だけを持っていたユダヤ人が存在していただけでなく、ギリシヤ文化を背景に持つユダヤ人がいました。この300年ほど前に、アレキサンダー大王がペルシヤ帝国を倒し、ヨーロッパと中東、アフリカ、そしてアジアにまで及ぶギリシヤ帝国を築きました。そのときにギリシヤ文化は深く浸透し、その後ローマ帝国がギリシヤ帝国を倒した後も、その文化と言語は人々に広まっていました。ちょうど今の英語みたいに、ギリシヤ語が世界共通語になっていたのです。そのギリシヤ文化の影響を多く受けたユダヤ人と、そうではないヘブル文化を背負ったユダヤ人のグループがいました。そして、エルサレムの教会にいて、この2つの文化を持つユダヤ人の間に問題が生じました。
2B 土台 − みことばの奉仕の優先 2
そこで問題解決のため、使徒たちは人々を呼び寄せます。そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」
使徒たちは、共同生活をしているすべてのことについて世話をしていましたが、今、神のみことばを後回しにしてはいけない、と言っています。つまり、この問題を解決するために、何を最優先事項にしなければならないかをまず考えたのです。彼らの役目でもっとも大切なことは、神のみことばを教えることでした。このことは、今の教会でも同じです。牧師は、神のみことばを教えることを最優先しなければなりません。また、教会も、礼拝と、祈りと、聖書のみことばを学ぶことを最も大切にしなければいけません。その他のことが大切ではない、ということでは決してありませんが、どれを優先させるのかを考えなければいけないのです。そのことがはっきり分かっている教会は、問題が起こったときにもすぐに対処することができます。
3B 特徴 3−6
1C 御霊に満ちた人 3
そこで、使徒たちは、食卓で奉仕する人々を他に選びました。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
食卓で奉仕する人には、2つの条件がありました。一つは、御霊に満たされていることです。食卓の配給において、知恵を使わなければいけないことは分かりますが、知恵がある前に御霊に満たされていなければいけない、ということです。つまり、神を求め、神に仕え、へりくだり、神を愛している人でなければならないのです。単に能力があるだけでは、教会において奉仕することはできません。そして、食卓で奉仕する人の次の条件は、評判が良いことです。教会の中だけではなく、この世の中の働きにおいても、非難されるところのない人が選ばれなければいけません。むろん、私たちはみな失敗します。だから、非難が全然ない人などいないのですが、そのような方向性で歩んでいる人でなければいけません。
2C ギリシヤ系ユダヤ人 4−6
そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。
ここでは、みことばの奉仕のほかに、祈りの奉仕が加えられています。みことばの解き明かしには、祈りが必要です。祈りによって、ご聖霊から聖書個所の意味を教えていただいて、その受けたものを人々に分け与えます。
この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
7人の人が選ばれました。彼らはみな、ギリシヤ系ユダヤ人です。これで、やもめがなおざりにされるという問題はなくなります。そして、選ばれた7人の最初の二人に注目したいと思います。最初はステパノです。ステパノは、これから主の器として用いられて、使徒たちに匹敵する力強い説教をします。そして、二番目のピリポですが、多くの人が彼の伝道メッセージで信仰を持ち、大リバイバルが起きました。面白いと思いませんか、食卓で奉仕していた人が、使徒と同じように用いられているのです。食卓で仕えることは小さな事のように見えますが、主の前ではそうではありません。主は、小さい事のように見えることに私たちが忠実であるとき、後に大きな事をお任せになります。イエスはこう言われました。「あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。(マタイ25:21)」
4B 結果 − 弟子の増加 7
このようにして、配給についての問題が解決しましたが、その結果を見てみましょう。
こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。
弟子たちがますますふえていきました。それは、神のことばの奉仕に使徒たちが専念することができ、そのみことばの宣教によってさらに弟子たちがふえていったからです。このように、教会で問題が起こりましたが、その問題が次への成長へのステップとなっていきました。そして、ここに多くの祭司たちが次々と信仰にはいった、とありますが、おそらくサンヘドリンが、迫害する決定を差し控えたからかもしれません。ガマリエルが、彼らから手を引きなさいと言いました。そのため、神殿で奉仕をする祭司たちは、比較的自由にイエスを信じることができるようになったのかもしれません。
2A 反対者の出現 8−15
けれども、また新たなグループが迫害を始めました。
1B 理由 − 不思議なわざとしるし 8
さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。
ステパノは、他の使徒たちと同じように、すばらしい不思議なわざとしるしを行ないました。人々の病気を直したり、悪霊を追い出していたのでしょう。ステパノについての描写が、先ほどから繰り返し行なわれています。先ほどは、「信仰と聖霊に満ちた」とありました。ここでは、「恵みと力に満ち」とあります。そして、10節では、「知恵と御霊によって語っていた」とあります。信仰と、恵みと、知恵と、御霊です。すばらしい神の器です。とくに彼は知恵に満たされていました。
2B 性質 − 同じギリシヤ系ユダヤ人 9
ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。
ルベルテン、訳すと自由人という会堂に属する人々が、ステパノと議論しました。彼らは、ギリシヤ系のユダヤ人です。ヘブル系ユダヤ人については、すでに迫害の手をあるていど控えていました。圧倒的な聖霊のお働きにより、彼らの福音宣教を妨げることはできないことを知ったからです。しかし、今、ヘブル系ユダヤ人によってではなく、ギリシヤ系ユダヤ人のステパノが不思議としるしを行なっているので、ねたみをもってステパノに議論をふっかけたのです。
私たちの周りにも、このようなことは起こりますね。例えば、自分の知り合いがクリスチャンになっても、何とも思わない人が、家族の者がクリスチャンになったら激しく反対したりします。自分の仲間にはクリスチャンになってほしくないのです。そこで、ギリシヤ系ユダヤ人が迫害しはじめました。
3B 内容 − 議論 10
しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
彼らはステパノに立ち向かうことができませんでした。理由は、彼らは人間的な理屈でステパノを論破しようとしたのに対して、ステパノは御霊によって、つまり神の知恵によって語ったからです。よく、知恵は知識を適用させたもの、と言われます。知識は、白黒のまだら模様のしたリスのような動物はスカンクであり、それが出す匂いは、たまらなく臭いと教えます。知恵は、「スカンクから逃げろ。」と教えます。ですから、ステパノは単に聖書の知識を持っていたのではなく、その知識を状況に合わせて上手に適用させていたのです。私たちは、もちろん知識が必要ですが、知恵を求めなければいけません。みことばをただ聞くだけではなく、実行しなければいけません。ステパノは、御霊の知恵によって、彼らを論破しました。
4B 反応 − 扇動 11−15
議論で対抗できないことを知った彼らは、今度は扇動の手段に走りました。
1C モーセをけがす
2C 聖なる所をけがす
そこで、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせた。また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」
彼らは、嘘で固めて、ステパノを議会に引っ張り出して来ました。おそらく、彼らの発言は、ステパノが言ったことを引用したものでしょうが、文脈からはずれた、ステパノが語った意図とは異なるものだったのでしょう。彼らの訴えは2つの点があります。一つは、モーセをけがしている、ということです。モーセが神から与えられた律法をイエスが変えてしまう、と言ったと言いました。ユダヤ人は、モーセが神のみことばをさずかったことを認めていました。したがって、モーセのことばに逆らうことを言うなら、その者は偽教師・偽預言者になります。そこで、ステパノはそのようなものだ、と訴えたのです。もう一つは、聖なる所をけがしていることです。聖なるところとは、神殿のことです。ユダヤ人は、この神殿に神がお住みになっていると信じていました。この2つの点で彼らはステパノを告発しました。
議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
すごいですね、ステパノの顔は御使いのように輝いていました。神様の栄光を反映していました。そして次から、卓越した、すばらしい説教を行ないます。使徒の働きの中で、もっとも長く記録されている説教であります。ここから、いかにステパノが知恵に満ちていたかが分かります。
3A 聖書の解き明かし 1−16
大祭司は、「そのとおりか。」と尋ねた。
そのとおりか、というのは、先ほどの2つの点です。あなたは、モーセの律法をこわそうとしているのは、そのとおりか。また、神殿をこわそうとしているのもそのとおりか、と聞きました。この2つは、彼らユダヤ教指導者には決して譲ることのできない事柄なので、それに違反することを言うユダヤ人は処罰しなければいけません。そこで、ステパノはその2つの点について答えますが、イスラエルの歴史を振り返って、その詳細を述べながら答えていきます。
1B アブラハムの召命 1−8
1C 場所 − メソポタミア 2−4
そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け。』と言われました。そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住みました。」
イスラエルの歴史の始まりは、もちろんアブラハムです。このアブラハムはユダヤ民族の始祖であります。イスラエル民族が特異なのは、それが人類文化的な自然の法則によって出来あがったのではなく、神から直接的に、意図的に創り出された民族であることです。「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け。」という呼びかけによって、作為的に創り出された民族であります。したがって、ユダヤ人は、そのDNAの中に、他の民族以上に神を求める心と、約束の土地への強い願いを持っています。
ステパノは、議会にいるユダヤ人たちがよく知っている、このアブラハムの召命から話しを話しました。けれども、彼が指摘していることに、おそらく聞いているユダヤ人ははっとさせられたに違いありません。それは、栄光の神が、メソポタミアでアブラハムに現われ、多くの年月をカランという町で過ごしていたという事実です。ユダヤ人は、神はイスラエルのもの、神はイスラエルの土地だけに関心を持っておられる、と考えていました。もちろん、神は、イスラエルに特別な配慮をしてくださっており、その土地にも特別な関心を持っておられます。しかし、神はすべての民族をお造りになりました。また、イスラエルの土地だけではなく、地球上のすべての土地をもお造りになったのです。それは、偶像崇拝をしていたアブラハムを神がお選びになった事、また、メソポタミヤの地で神が現われてくださったことに示されています。これが知恵ですね。いつも聞かされていても、自分が見失っている事を気づかせてくれるような言葉は、知恵です。
2C 内容 5−8
1D 約束 5−7
そして、父の死後、神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりましたが、ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。
彼は、はるばるメソポタミヤから来たのに、実際の生活を見たら、テント生活であり、子どももずっといませんでした。もし、アブラハムが目に見えるところに従って生きていたら、彼は、これほど不条理なことはない、神を信じるなど無駄なことだと思ったに違いありません。しかし、彼は、まだ見ていない約束を信じていました。自分に子どもは必ず与えられ、その子孫が数限りなくふえて、またこの土地を所有するという約束をかたくにぎりしめていました。ローマ書4章には、私たちが、このアブラハムの信仰の足跡に従って歩む者であることが書かれています(12節)。私たちは、目に見えるものを信じるか、それとも、目に見えない神のことばを信じるかの戦いの中につねに生きています。アブラハムは、土地もなく子もないときに、神の約束を信じました。
また神は次のようなことを話されました。「彼の子孫は外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待される。」そして、こう言われました「彼らを奴隷にする国民は、わたしがさばく。その後、彼らはのがれ出て、この所で、わたしを礼拝する。」
この神のことばは、さぞかしアブラハムを驚かせたに違いありません。アブラハムは、「あなたは祝福される。あなたは大いなる国民となる。あなたによって、ずべての民族は祝福される。」と神さまから聞いたのに、今度は、「あなたの子孫は外国に住んで、奴隷となって、虐待を受ける。」と言われたのです。私だったら、「主よ。あなたの考えていることは、さっぱり分かりません。」と叫んでいたことでしょう。神が急に、ご自分の計画を変えられたかのように感じたでしょう。
けれども、神のご計画には、私たちにとって、このような急激な変化に見えるような事柄が含まれています。安穏といつまでも変わりなく生きていく生活ではなく、激動と変化に満ちた歴史を神は用意されています。ここで、ステパノは、「あなたがたも、そのような大きな変化の時代に生きているのだ。」と言うことを言いたかったのです。モーセの律法は決して破棄されるべきものではありません。しかし、その律法の要求するところは、イエス・キリストによって成就されました。イエスが律法を完成してくださいました。この方が来られたのだから、これからは律法に従って生きるのではなく、信仰と御霊によって生きなければいけない、ということを伝えたかったのでしょう。このような生活の変化は、アブラハムも経験したのです、といいたかったのかもしれません。
2D 割礼の契約 8
また神は、アブラハムに割礼の契約をお与えになりました。こうして、彼にイサクが生まれました。彼は八日目にイサクに割礼を施しました。
神は約束通り、アブラハムにイサクを与えてくださいました。そして、割礼を施しましたが、これは、割礼は神がアブラハムと結ばれた契約のしるしでありました。契約のしるしというと、私たちは判子を思い出しますが、彼らはからだの一部にそのしるしを持ったのです。からだの一部なら、決してなくしませんね。神さまが、アブラハムに与えられた約束が、必ず実現される、無効にされることはないことが、ここから分かります。その約束は子孫と土地に関するものでしたが、男性の性器の包皮が切り取られることによって、そこから出て来る子どもが、神の契約の中に入っている、神の祝福にあずかるようになる、というしるしになりました。けれども、ステパノはこの説教の最後に、「かたくなで、心と耳に割礼と受けていない人たち。」と言っています。外側で割礼を受けていても、心が神に向けられていない、神から遠く離れている、ということを言っています。
2B ヨセフの流浪の旅 9−16
ステパノはさらに、彼らがいかに心をかたくなにしているかを訴えます。
1C 原因 − 族長 9
それから、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブに十二人の族長が生まれました。族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。ヤコブの12人の息子が族長になって、イスラエル12部族が出てきました。
しかし、ここにあるとおり、下からの2番目のヨセフのことを、10人の兄たちはねたんで、エジプトに売りつけてしまいました。なぜなら、ヨセフはとても良い子であり、父ヤコブに愛されていたからです。ヨセフは、自分の将来について2つの夢を見ましたが、どちらも自分が支配者になることの夢でした。それで兄たちは怒り狂って、彼を最初殺そうとしましたが、一番兄のルベンがとめて、4番目のユダがエジプトに売ろうではないかと勧めたのです。
このように、イスラエルの先祖は、神に選ばれた器をねたみ、迫害し、殺してきたのですよ、神を拒み続けたのですよ、と言うことをステパノは話そうとしているのです。ユダヤ人は、先祖をとても敬っていました。私たちにはすばらしい先祖がいる、と言って誇っていました。でも、そうではなくて、神の預言者を拒んでいました、と言っています。
2C 場所 − エジプト 10
しかし、神は彼とともにおられ、あらゆる患難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王の家全体を治める大臣に任じました。
ヨセフはとんでもない目に会いましたが、すばらしいのは、「神は彼とともにおられた」というみことばです。こんなにひどい目に会っているのなら、神はいるのか、と疑うことを正当化できる人の中にこのヨセフが含まれるでしょう。彼はエジプトに連れて行かれて奴隷として売られ、さらに、無実の罪を帰せられて牢屋に入りました。
しかし、その出来事の中にも神はおられて、神はこの出来事をも用いられて、ヨセフを、エジプトにおける支配者にしてくださったのです。預言者エレミヤをとおして、神は、「わたしがあなたがたのために立てている計画は、わざわいではなくて、将来と希望を与えるためのものだ。(29:11参照)」と言われました。また、使徒パウロは、「神を愛する人、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」と言いました。
3C 結果 − 再会 11−16
ところが、エジプトとカナンとの全地にききんが起こり、大きな災難が襲って来たので、私たちの先祖たちには、食物がなくなりました。しかし、ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、初めに私たちの先祖たちを遣わしました。二回目のとき、ヨセフは兄弟たちに、自分のことを打ち明け、ヨセフの家族のことがパロに明らかになりました。
兄たちがエジプトに遣わされて行った場所がヨセフのところでした。ヨセフがこの備蓄の食糧の管理を行なっていたのです。ヨセフは、自分が見た夢のとおりに、兄たちが自分にひれ伏したのを見ました。けれども、そのとき兄たちは、彼がヨセフであることに気づきませんでした。けれども、二回目に来たときにヨセフであると気づいて、20年以上ぶりの再会と和解を果たしたのです。
先ほどから、ステパノが、「私たちの先祖」という言葉を使っていることに注意してください。ステパノはここで、私たちの主イエス・キリストが、ヨセフと同じようであると訴えているのです。イエスがキリストとして現われてくださったのに、ユダヤ人は彼を拒みました。しかし、今度イエスさまは、栄光の王として天から地上に来られます。そのとき、ユダヤ人はイエスが自分たちの王であることに気づき、罪を告白し、悔い改めることが聖書で預言されています。一度目は拒んだが、二度目は認められるのです。
そこで、ヨセフは人をやって、父ヤコブと七十五人の全親族を呼び寄せました。ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの先祖たちも死にました。そしてシケムに運ばれ、かねてアブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓に葬られました。
ヤコブの家族は、ヨセフがエジプトで支配者になっていたので、ききんの災いから救い出されました。そしてヤコブはエジプトで後世を過ごし、亡くなったあとはイスラエルの土地に葬られました。
今日はここまでにします。ステパノの説教は続きますが、次回、お話します。けれども、この最初の部分だけでも、ステパノがいかに、知恵に満ちていたかがお分かりになったと思います。ユダヤ人たちが抱いていた誤った神概念を、彼らがもっとも良く知っているとされた先祖たちの歴史を通して正していったのです。
私たちにも、この知恵が必要です。知恵の御霊に満たされる必要があります。日々の生活で、どのようにして神の真理を適用していけばよいのか、知恵が必要です。また、教会で問題が起こったとき、どのように対処すれば良いのか、知恵が必要です。この知恵によって、私たちは主に選ばれて、用いられ、またステパノのように輝くことができます。神の栄光を現わす器となることができます。お祈りしましょう。