第一の方 2001/09/10
「御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。(コロサイ1:18)」
コロサイ書のテーマはよく英語で、"Preeminence
of Christ"と言われます。Preeminenceとは、卓越しているという意味ですが、キリストがすべてもののにまさっておられる方である「第一」の方だ、ということです。
エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙はとても似ており、テーマは「キリストのからだなる教会」であります。エペソ書において、その特徴的な言いまわしは、「キリストにあって」でありました。その手紙から、「キリストにあって」とか、「キリストによって」とか、「御子をとおして」という言葉を拾えば、一節おきぐらいに見つかるほど、たくさんでてきます。つまり、教会とは、キリストのうちにいるようになっている、神秘的な状態のことを意味しています。
したがって、もし教会において、キリストのうちにいるところから離れてしまえば、それはもはや教会ではなくなってしまうことになります。しかし、キリストではないもので自分たちを満たすようにしようとする教えが、コロサイの教会の中に入ってきました。2章19節には、「かしらに堅く結びつくことをしません」とありますが、あたまがないからだのようになってしまいます!このような異端の教えに十分気をつけて、引き込まれないようにしなさいと警告しているのが、このコロサイ人への手紙です。
そこでパウロは、このキリストがどのような方であるかを1章で書いています。つまり、キリストは、すべてのものの先におられ、すべてのものの源であり、すべてのものの目的であられる「第一」の方です。このことを知れば、「キリストのうちにいる」ということが、いかに偉大な真理であるかを知ることができるでしょう。
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