ガラテヤ人への手紙2章 「福音の真理」
アウトライン
1A 多様性の中に 1−10
1B キリストにある自由において 1−5
2B 各人の働きにおいて 6−10
2A 相互理解の中に 11−21
1B 異邦人との食事 (キリストのからだ) 11−14
2B 信仰による義 15−21
1C 義認において 15−18
2C 命において 19−21
本文
ガラテヤ人への手紙2章を開いてください。ここでのテーマは「福音の真理」です。
パウロは、1章において、自分が宣べ伝えている福音は、人から教えられたものでもなく、人を通して教えられたものでもなく、主イエス・キリストの啓示によるものであることを唱えました。ガラテヤの地域にある諸教会に忍び込んでいた偽教師たちは、私たちもまたパウロも、エルサレムにおいて使徒たちから律法の教えを受けてきた、ということを話していたのであると思われます。そこで、パウロは、いかに自分がエルサレムにいる使徒たちとは接触がなかったか、その経緯を説明しました。
けれども、この福音の啓示は、パウロ個人だけが受けていたものではありません。エルサレムにいる使徒たちも、同じように、律法の行ないによらず信仰によって救われるところの神の恵みを信じていました。彼らも同じように、主の啓示によって、同じ福音の真理を保っていました。そこでパウロは、他の使徒たちに出会ったときのことを話し始めます。
1A 多様性の中に 1−10
1B キリストにある自由において 1−5
それから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
それから14年たって、とパウロは言っています。彼はダマスコに行く途上で復活のイエスさまにお会いしてから、そのままアラビヤに行きました。そこで3年を過ごし、それからダマスコに戻りました。そしてエルサレムへと行きました。そこで短期間、ペテロとヤコブに会い、それからシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。使徒行伝を読むと、彼は自分の生まれ育った町であるタルソにいたことが分かります。そこで7年間を過ごしました。おそらく天幕作りをしながら生活をしていたのだと思われます。しかし、主のみわざが異邦人の間で見られるようになりました。そこでバルナバがパウロを探して、タルソで見つけ、彼をアンテオケの教会に連れてきたのです。それからバルナバとパウロは、アンテオケの教会から遣わされて、小アジヤ地方に宣教旅行に行きました。そして再びアンテオケに戻ってきたわけです。
そして、彼らがアンテオケにいたとき、ユダヤからある者たちがやって来ました。彼らは、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。(使徒15:1)」と言いました。使徒行伝15章を読むと、そのことについて詳しく書かれています。15章2節には、「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。」とあります。彼らが、自分たちがエルサレムから遣わされてやって来た、と言うので、それではエルサレムにおいて、この問題に決着をつけようということになりました。これは、神の救いに関する死活的な問題でした。はたして私たちは、キリストを信じる信仰のみによって救われることができるのか、それとも割礼を受け、モーセの律法を守ることにより、ユダヤ教の改宗者になることによって救われることができるのか、このことにおける決着をつけなければいけません。パウロが、ここガラテヤ書2章1節で語っているのは、使徒行伝15章でルカが記した出来事であろうと思われます。
それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。
パウロは、ユダヤの地域においては、福音を宣べ伝えていませんでした。なぜなら、その地域にはユダヤ人の信者がたくさんおり、まだ律法や慣習を守り行なっている人たちがたくさんいたからです。パウロは、自分自身のために、教会の中に亀裂が走ってほしくないと願っていましたので、エルサレムでは公に福音を宣べ伝えることはしませんでした。しかし、おもだった人たち、つまりペテロやヨハネ、また主の兄弟であるヤコブなど、使徒たちや教会の指導者には個人的に話しました。
パウロはここで、彼らのことを「おもだった人たち」と呼んでいます。それは、ペテロやヨハネやヤコブなどが教会の最高指導者であり、彼らが重要人物であるような考えが、教会の中にあったからです。ペテロもヨハネも、主が地上におられたころにともに生活していたものでした。ヤイロの娘がよみがえったのも、また、高い山にて主の変貌の姿を見たのも、彼らでした。ペテロに対しては、「この岩の上に、わたしの教会を建てます。」と言われました。そして、彼らは主のよみがえりも見ました。このように、彼らは主とともにいた者たちであり、主に愛された者であり、また教会の指導約役割を果たしているということで、神により近い人物というような見方が、教会の中にあったのです。ペテロやヨハネ自身は、そのような考えをまったく持っていませんでした。ヨハネは、黙示録において、「あなたがたの兄弟であり」と自分のことを呼んでいます。彼らも同じ人間であり、主にあってすべての者は同じ神の子どもであることをよく知っていました。けれども、全体の雰囲気の中で、彼らが一番上に立っていて、より重要な人物であるというような、霊的階級制度が目に見えないかたちであったようです。
しかし、これは間違った考えです。イエス・キリストの十字架の死は、私たちのほうには、何ら神から好意を寄せられるようなものは何一つないことを教えています。事実、ペテロは主が死に渡されるとき、とんでもない罪を犯したことが、福音書の中で明らかにされており、彼も私たちと同じ罪人であることを私たちは知ることができます。キリストの死は、すべての人が、どのような重要人物であろうとも、罪人であり、神のさばきに服する者たちであることを教えます。そして、キリストの死による罪の赦しによって、神の御前に立つことができるようになり、その条件はただ一つ信仰であることが分かったのです。したがって、だれがより神にとって重要であるとか、神に近いとかは、恵みの福音の中には存在しないのです。すべての人は、キリストにあって平等にされました。
したがって、パウロがペテロやヨハネ、またヤコブのことを「おもだった人たち」と呼んでいますが、この後に、「大事にであるとされているような人たち」というような言い方をして、実質はそうではないような言い回しをしています。しかしパウロは、彼らの良い評判も引き下げたくありませんでした。主にあって愛している、尊敬すべき人たちでした。そこで、「おもだっているような人たち」という、多少まどろっこしく聞こえる表現を使っています。
しかし、私といっしょにいたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を強いられませんでした。
パウロが異邦人の間でなされた主のみわざを話していましたが、そのおもだった人たちは、それに対して何ら反対の意も、抗議の声も上げませんでした。そしてテトスがギリシヤ人でしたが、彼に割礼を受けさせなければいけない、と教えませんでした。つまり、彼らもまた、キリストにある自由、信仰によって義と認められること、神の恵みを信じていたのです。
実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。
アンテオケに来たにせ兄弟たちは、自分たちがエルサレムから送られてきたと言っていましたが、実は、何の指示も受けていないのに、勝手にそのようなことを行っていたのです。使徒行伝15章において、ヤコブは、異邦人の教会に宛てる書状の中で、「私たちのある者たちが、私たちからは何の指示も受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。(使徒15:24)」と言っています。
私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。
パウロは、人々をおきての奴隷の中に引き入れるユダヤ主義者たちの言うことに、一時も譲歩しませんでした。これは、イエス・キリストの福音が、割礼を受けてモーセの律法を守るところのユダヤ教となるか、それとも信仰のみによって救われるところのキリスト教になるかの歴史的な分岐点でありました。もしここでパウロが妥協していたら、私たち日本人も、いまだ失われた民であるのです。しかし、この福音によって、私たちもイエス・キリストの恵みにあずかることができるようになりました。
2B 各人の働きにおいて 6−10
そして、おもだった者と見られていた人たちからは、・・彼らがどれほどの人たちであるにしても、私には問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません。・・そのおもだった人たちは、私に対して、何もつけ加えることをしませんでした。
パウロにとって、「おもだった人たち」とか「柱となっている人たち」という言いまわしが、自分の信条にはなじまなかったことがよく伝わってきます。私たちは、キリストにあってみな一つなのです。みなが同じように、キリストの十字架のみわざによって救い出されて、みながキリストの御業のみを誇りとするのです。ですから、天において、だれがより優れたことを行なったかというような議論はなく、ただイエス・キリストをほめたたえる賛美のみが聞こえるのです。
それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
ペテロたちも、またパウロも、同じように神の恵みと、信仰による救いを信じていました。キリストにある自由という同じ福音の真理を保っていました。パウロもペテロも、それぞれが主イエス・キリストから啓示を受けたのであり、どちらかが教えて、それに聞き従うように強いることはしませんでした。ここにすばらしい自由と一致があります。私たち人間が一つになろうとするとき、洗脳し、異なる考えの人を排斥しなければいけばなりませんが、福音においてはそのようなことは起こりません。一人一人が、キリストの御霊にふれられて、そして信仰を持ちます。だれにも強いられることはないのですが、それでも一つになっていることができるというすばらしさがあります。
けれども、この恵みの福音のすばらしさは、このように麗しい一致を与えるだけではなく、さまざまな働きを許容します。ペテロは、割礼を受けている者、つまりユダヤ人たちに対する福音宣教に召されていました。そして、パウロは異邦人に対する宣教に召されていました。それぞれが、主に異なった働きをゆだねられており、けれども同じ神がそのことをなさったのです。私たちが、自分たちの行ないによって神の好意を得ることができるという考えに陥ったときに、私たちが基準となってきます。そうすると、自ずと他の働きをしている人たちのことをさばくようになり、受け入れないようになります。しかし、信仰による義を信じている人は、その基準がキリストご自身であり、自分にはないことを知っていますから、他の働きをも認めることができるようになるのです。このように自由があり、一致があり、そして多様性という実を、福音の真理は結ばせるのです。
そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。
すばらしいですね、交わりのしるしとして右手を差し伸べてくれました。これも恵みの福音の中に生きている者どおしが、持つ事のできるものであります。
ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。
パウロとバルナバがアンテオケにいるときにて、ききんがあったとき、ユダヤ地方の貧しい兄弟たちのために、救援物資を送ったことが使徒行伝には記されています。パウロは、貧しい人たちのことを顧みることにおいて、大いに努めて来ました。
2A 相互理解の中に 11−21
パウロは、場所をエルサレムからアンテオケのほうに移しています。
1B 異邦人との食事 (キリストのからだ) 11−14
ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
ペテロが、アンテオケの教会に来たときのことを話しています。ペテロは、かなり前にすでに、ユダヤ人の食物規定を捨てていました。彼がヨッパにいるときに、天からふろしきのようなものが降りてきて、そこにある汚れたものとされる動物をほふって食べなさい、という声を聞きました。ペテロは、「そのようなものは、口にしたことがありません。」と言いましたが、「主がきよくしたものを、汚れていると言ってはならない。」という声が聞こえました。それが三度あった、と書いてあります。ペテロは、それが異邦人であることに気づき、コルネリオの家の中に入って、みことばを宣べ伝えました。このときから、ペテロは、ユダヤ人の慣習を捨てていました。異邦人も、その信仰によって神にきよめていただくことができる、ということを理解していました。そして、異邦人たちとも主にあって交わりをするために、食事をともに取っていたわけです。
ところが、このすばらしい交わりをぶちこわすような行動を、ペテロは起こしてしまったのです。ヤコブのところから来ている割礼派の者たちが、アンテオケにやって来ました。それを見たとき、おそらくヤコブのところから来たということで、身を退かせてしまったのでしょう、異邦人とともにしていた食事の席から離れてしまったのです。パウロは「だんだんと」と書いていますから、だれにも気づかれないように、何気なく離れて行ったのだと思われます。偽りの教えや行動も、このようにして教会に忍び込みます。
そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
ペテロの取った行動は、ドミノのように他の人にも影響を与えてしまいました。相棒のバルナバまでもが、その行動に引き込まれてしまいました。ここに、私たち人間が持つ、肉の弱さがあります。影響力のある一人があることを行なうと、自分もそれに合わせて調子を取らなければいけない、と思ってしまうのです。先ほどの、「おもだった人たち」という見方と同じ類いの弱さです。しかし、これは福音を信じる者たちの間であってはならないことなのです。福音は、人を通したものではなく、神から与えられたものであり、自分と神との間の問題です。私たちが神の恵みの中に生きれば生きるほど、他の人が何をしているかによって動じるようなことはなくなってきます。
しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。
これは、ペテロにとっては、かなり恥ずかしい出来事であったに違いありません。しかし、ペテロは、パウロが言うことをよく理解していたに違いありません。自分が取った行動が、自分が信じていることに反していることをわきまえていたからです。
あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
パウロはまず、彼らの偽善を指摘しています。異邦人と食事を取っていたという、ユダヤ人らしからぬ生活をしていました。他にも、いろいろな慣習を捨てていたことでしょう。ところが、異邦人の食事の席から離れることにより、異邦人の信者たちに、割礼を受けないと交わりにあずかれないような印象を与えました。そうして、異邦人にユダヤ人の生活を強いるようなことをしてしまったのです。ペテロは、使徒行伝15章において、パウロと同じことを話しています。「それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。(15:10-11)」ですから、ペテロはパウロが非難していることを、よく理解していたはずです。
2B 信仰による義 15−21
そしてパウロは、律法の行ないではなく信仰によって義と認められることを語り始めます。
1C 義認において 15−18
私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。
パウロはここで、ユダヤ人が罪人ではない、ということを話しているのではありません。そうではなく、異邦人は神の律法について無知であるのに対して、ユダヤ人は少なくとも神の律法の知識がある、ということです。異邦人は罪意識もなく行なっていた不品行や偶像礼拝は、ユダヤ人はことさらに避けていました。神についての基礎的な知識は持っていました。
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
神のことを知っている、神のおきてを知っているということで、その人が義とされるのではありません。律法は良いものですが、それによって神の前に立ち、私は正しいことをしました、ということはできません。義認という言葉は、もともと法律用語であります。法廷において、人が無罪である判決を受けること、罪を犯していないとみなされることを話しています。そこで、自分が殺人の罪を犯して、今、法廷に立たされていることを想像してください。そこで強盗の罪を犯したという立証が行なわれ、その判決が下されました。私は、そこで叫びます。「私は本当にとんでもないことを行ないました。私は残された家族のために、あらゆる償いをします。一生懸命働きます。良心的な市民となります。あらゆる善いことを行ないます。」と言ったとしましょう。実際に、それらを行なうことは良いことであり、できることかもしれませんが、自分が殺人の罪を犯したという罪状はいつまでも残るのです。それにともなうさばきはいつまでもとどまり、自分が行なったことによって無罪になるのではありません。
パウロがここで話しているのは、このことです。私たちは、神に対して罪を犯しましたが、私たちの行ないによって、自分を無罪とすることはできません。罪は罪として残り、自分は有罪のままなのです。そこで、私たちを義と認めるための、律法の行ないとは異なる土台が必要になってきます。それが、キリストを信じる信仰による義です。私たちが有罪とされましたが、その罰を身代わりに受けてくださる方がいます。それがキリストです。もしキリストに罪があれば、キリストはその罪のために死ななければならないのであり、私たちの身代わりになることはできませんが、キリストは事実、罪を犯すことはありませんでした。したがって、キリストが代わりに私たちの罪を負われて、そして罪人として数えられ、罪の報酬である死をご経験されました。これによって、罪に対する処罰はみな執行されたので、人は無罪と宣言されることができるようになったのです。したがって、キリストを信じる信仰、これが人を義と認めるようにさせます。
しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。
パウロは、この信仰による義、神の恵みについて語るときに必ずと言ってよいほど出てくる質問、あるいは反論に対して答えています。つまり、信仰によって義と認められるのであれば、いくら罪を犯しても、咎められることはないのか。そらなら、肉の欲望のままに、好き勝手に生きてもよかろう、という議論です。パウロは、「そんなことは絶対にありえないことです」と答えています。この議論は、ローマ人への手紙6章にも出てきました。恵みが増し加わるために、罪の中にとどまるべきであろうか、という質問に対して、絶対にそんなことはありません、と答えています。そして、「罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。(ローマ6:2)」と言っています。つまり、私たちが信仰によって義と認められるところの神の恵みを知ったなら、もはや、罪の中に生きようなどというむなしい生活をしたいとは願わなくなる、ということです。信仰によって義と認められるということは、本当に自分の行ないが死んでおり、自分が救いようのないみじめな人間であることを心得ているからこそ、その恵みを知ることができます。主にある新しい関係を知った人はみな、それを壊すような罪の中で生きたいとは願わないはずです。
けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。
「前に打ちこわしたもの」というのは、律法の行ないによる義です。これをもう一度立てるなら、その律法によって自分はさばかれるであろう、ということをここでは話しています。
2C 命において 19−21
ここまでは「義認」というところの焦点を絞っていましたが、パウロは次から「いのち」あるいは「生きる」というところに焦点を当てています。
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
ここのところを少し言い換えています。「私は、律法によって律法に対して死にました。それは神に対して生きるためです。」となります。律法に対して生きるか、それとも神に対して生きるかの二者択一であることをパウロはここで話しています。いのちの源として、自分をどこに結びつけるかを選ばなければいけません。自分がプラグであれば、律法というコンセントか、あるいは、神というコンセントか、どちらかに自分自身を差し込まなければいけません。パウロは以前、律法というコンセントに自分を差し込んでいました。けれども、その律法によって罪に定められ、自分は死んでしまったのです。自分が律法に対しては死んでしまったことを知っているので、そこで、律法ではなく神ご自身に結びつくことによって生きる方法を見出しました。私たちが、行ないではなく信仰によって生きるための道も、ここに備えられています。つまり、私たちが、自分の行ないによって、ある基準に達しようと努力することを止めるところに、信仰によって生きる道が備えられます。自分はもうそのようには生きられない存在、すでに失敗して死んでしまった者であることを知らなければならないのです。もはや失敗して、死んでしまい、これ以上やっても無理であることを知ったとき、初めて、「行ないではなく、神を信じる信仰によるのだ」という真理を発見します。
パウロは次に、具体的に「キリストにつながる道」を教えます。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
私たちは、キリストの死とよみがえりに結びつけられています。私たちがどのように死んでしまっているかと言いますと、キリストとともに十字架につけられたことによって信じています。ここは完了形が使われており、キリストが2千年前に死なれたとき、実は私たちもそこで死んでしまったのですが、その事実は今の自分にも有効である、ということです。私たちは、今も、死につづけているというか、キリストとともに十字架につけられているのです。このことをまず信じてください。したがって、私たちは私たち自身に信仰を置くことを放棄することができるようになります。代わりに、今も生きておられるキリストに信仰を置くことができます。生きておられるキリストが自分のうちに生きておられることを知ることができ、この方に指示を仰ぎ、この方の力に拠り頼み、この方の愛に浴することができます。以前、プロテニスプレーヤーの平木理化選手が、男女混合ダブルスで優勝しました。パートナーがインド人の選手でしたが、彼女は、「私が勝てたのは、この人に頼ったからです。」と話していました。これを見て、私たちの主キリストと、私たちとの関係も同じであるなあと思いました。つまり、キリストがメインのテニスプレーヤーなのです。私たちは、この方のすばらしいテクニックに自分の身をまかせ、この方に合わせて動いているだけで、勝利を自分のものとしていくことができる、ということです。自分の行ないに対しては、キリストにある死を宣言してください。そして、導き、力、知恵、栄光、愛については、よみがえりのキリストを仰いでください。
私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。
イエスさまがゲッセマネの園で、「もしできますならば、この杯をわたしから遠ざけてください。」と祈られたとき、「もしできますならば」というのは、律法による義のことであります。もし私たちが、自分の良い性格で救われるのであれば、キリストは死なれる必要はありませんでした。宗教的になることによって救われるのであれば、それでもキリストは死なれる必要はありませんでした。どのようなことによっても、教育でも、スポーツでも、金でも、民族心を持つことでも、何であれ、それが人の救いになるのであれば、キリストは死ぬ必要はなかったのです。しかし、人間は、どのようなことを行なっても救われようのないほど堕落していたので、キリストは死の道を選ばれたのです。神が、大きな犠牲を払って、私たちを救ってくださいました。これを無駄にすることとは、あたかもキリストの死がなくてもよかったように、自分の行ないによって義と認められようとすることです。そのことをパウロは、「キリストの死は無意味です。」と言っています。
こうしてパウロのペテロに対する非難は終わりますが、こうして見ると、福音の真理がいかに人に自由をもたらし、またそれぞれの働きの多様性と、交わりをもたらすものであるかを見ることができたと思います。おもだった人々を作り上げて、人々に差別を設けるのではなく、だれもが自分い与えられた信仰の確信も基づいて生きることができます。福音の真理、これは、私たちがいのちを張って死守しなければならないものです。
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