子としての身分 2001/03/06
「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。」(ガラテヤ4:9)
先週の日曜日は、ガラテヤ書4章を学びました。
ガラテヤ人たちは、本物の神を知ることにより、異教を捨て去りました。異教にあるさまざまなおきてやしきたりは、彼らをがんじがらめにしていたのですが、キリストの恵みによって自由にされました。しかし、偽教師たちが彼らの教会に入り込み、モーセの律法を守らなければ救われないと教えました。その教えを受け入れて、彼らはさまざまな儀式を再び行ない始めました。律法の中に定められている、各種の日と月と季節と年とを守っています。それでは、あなたがたが昔、がんじがらめになっていた異教と何も変わりないのですよ、と言っています。
私たちも、このことに気をつけなければいけません。日本人が行なってきたしきたりはもう捨てました。けれども、教会の中で新たな規則をつくり、その規則にがんじがらめになることがあるのです。私たちが神にお仕えする動機は、ただ神を愛する愛であるべきです。パウロは、神が、「アバ、父」と呼ぶことができる御子の御霊を私たちに送ってくださった、と言っています。(4:6)。神は、小さな子がお父さんを「パパ」と呼ぶような、親密な方となられました。また、キリストにあって神のものをみな受け取る相続人となりました。この関係の中に生きるときに、私たちはさまざまな掟やルールを必要としなくなるのです。
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