ヨハネによる福音書10章 「良い羊飼い」
生まれつきの盲人がイエスによって目が見えるようになり、そのためユダヤ人指導者は彼をユダヤ人の中から追い出した。彼はイエスに会って、この方を主とし神の子として受け入れ、礼拝した。
そこに残っていたパリサイ人に対して、イエスが続けて語られたのがこの「羊飼いと羊」の例えである。中東ではもちろんこの風景は至るところで見ることができ、聖書では王や祭司、預言者を羊飼いに、そして一般の民を羊に例えて話している。
例えばエゼキエル書34章には、神が民を虐げている指導者を、羊を食い物にしている羊飼いに例えて責めておられ、そして、「わたしが、散らされた羊たちを集めて養う羊飼いになる。」と約束された。
つまり、イエスはご自分がその神の羊飼いであられ、生まれつきの盲人を追い出したユダヤ人指導者を偽の羊飼いとして比べておられる。
1−6節: 声を知っている羊
‐ 聞いている人たちにとって、これはありふれた光景であった。通常、町の入口の近くに羊の囲いがあった。壁で囲まれており、門がついており門番がいた。夕方、羊飼いが羊を連れて戻ってくると、門番は門を開けた。そこには、いろいろな羊飼いの群れが入ってくる。
‐ 朝、羊飼いが戻ってくると、門が開けられ、羊飼いは羊の名前を呼ぶ。(ペットのように、羊飼いはそれぞれの羊に名前を付けていた。)そして不思議なことに、羊はその声をよく知っていて、自分の羊飼いの声には付いていかず、自分の羊飼いの声だけに反応して付いていく。
‐ なぜ、自分の羊飼いの声を知っているのか?それは牧者と羊の間に、個人的で親密な関係があるからだ。羊飼いは羊を愛し、養い、導いており、羊は自分が羊飼いを信頼し、頼っているから、その声を知っているのだ。
‐ イエスは、生まれつきの盲人がご自分を信じ、拝したのは、彼がご自分の羊であり、羊飼いに付いて来たからだということを言われている。そして、ユダヤ人指導者は癒しも命も与えず、自分の利益だけのために民衆を閉じ込めているので、「盗人」であり「強盗」なのである(1節)。
7−10節: 羊の門
聞いているユダヤ人たちが、イエスの例えに合点が行かなかったので、さらに詳しく話された。
「わたしは羊の門です」
‐ この囲いは、先に話した羊の囲いとは種類が違う。荒野にある岩だけで作られた囲いがある。町に戻る時間のない時は野宿するのだ。羊飼いは、牧草の近くにあるその囲いの門のところに、杖を横にして、羊が一匹ずつ入るようにさせる。怪我をしていないかその体を調べるためで、傷を見つけたら油で塗る。
‐ そして、羊飼い自身がその門のところに横たわるのだ。それで、羊飼い自身が門になる。羊飼いの上を通らなければ、野獣は囲いの中に入ってくることができない。だから、羊は安心して休むことができる。
‐ 同じように、イエスはご自分のところに来る者たちを敵から救うことができるし、豊かな命を与えることができる。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」
11−18節: 命を捨てる牧者
「羊の所有者」対「雇い人」(11−13節)
・羊の世話は多大な労苦を要する(例:ヤコブ、創世記31:38‐40)。時に、野獣と闘わなければならない(例:ダビデ、1サムエル17:34‐35)。したがって、羊飼いは羊のために命を捨てる覚悟を持った犠牲と献身がある人こそ、良い羊飼いである。けれども「雇い人」は自分の命のために羊を飼い、自分の利益のために飼っている。
・この対比は再び、ご自分とユダヤ人指導者のことを指している。主は命を捨ててくださる。けれどもユダヤ人指導者は自分の利益のために羊を捨て置く。
「知っている」(14−15節)
・羊が羊飼いについて行くのは、追い立てられるからではない。自ずと付いていくのだ。
・羊は、だれかが見守り、世話をしなければならない。野生には決してなれない。牧草地を移動しなければ、食べつくしてしまう。しかも帰巣本能がまるでない、すぐに迷う。だから自分を絶えず導き、養い、守る対象を求めている。
・これが私たち人間の姿であることを聖書は示している(詩篇100:3)。正しく導く羊飼いが必要なのだ。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。(詩篇23:1-2)」
「ほかの羊」(16節)
異邦人のことである。今は、失われたイスラエルの羊を捜しておられるが、後に異邦人をも含めて教会を造ってくださる。
「自ら捨てる命」(17‐18節)
主は、ご自分の意志で命を捨て、そしてご自分の意志で命を再び得る(つまり復活する)。
「いのちを取った者はいません(18節)」:イエスは十字架につけられたが、福音書を読むと、いつでもそこから免れることはできた。(マタイ26:53 − 天使の軍団を呼んで、イエスを捕える者たちを一瞬にして滅ぼすことができた。 ヨハネ19:33 − 息の根を止めるために、兵士がすねを折りに来たが、もうすでに死んでおられた。) → イエスは、あなたのために自ら進んで、喜んで命を捨てられた!
⇒ あなたは、今、どの羊飼いを持っていますか?どの声を聞いて生きていますか?
例:「お金さえあれば幸せになれる。働け。」この世の声、国の指導者の声。
⇒ その羊飼いは良い羊飼いですか?それとも自分のものを奪う盗人ですか?
⇒ 豊かな命に至らせる羊飼いを、個人的に、親しく知っていますか?