ヨハネによる福音書14章4−20節 「わたしが行く道」
弟子たちは、イエスが「わたしが行く所に、あなたがたはついて行くことができない。」と言われたことで心を騒がせた。それでイエスは、父のところ(天)に彼らのために住まいを備え、また戻って来ると約束された。
4−11節: 道なるイエス
「わたしの行く道はあなたがたも知っています。(4節)」: 「知る」には四段階の深さがある。
@ただ事実を知るだけ。
A事実を知って、理解する。(これだけでは救われるためには不足。)
B個人的に、人格的に知る。(例:「アダムはエバを知った。」結婚関係)
Cもっと深い交わり。一つになること。
弟子たちは、すでにこの段階でイエスを知っていた。けれども、頭で整理がついていなかった。
→ 本当に御霊によって生まれた人は、これから読むイエスの言葉が、まるで生きて自分に語られているように感じることだろう。これは知性、感情のすべてを超えた領域だ。
トマスの質問: 「どうして、その道が私たちにわかりましょう。(5節)」
イエスの答え: 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(6節)」
→ イエスは道を示されただけではない。イエスご自身が道、真理、命そのものなのだ。
「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみことに来ることはできません。」
→ イエスは「狭い門からはいりなさい。」とも言われた。天国への道は狭い。
ピリポの質問: 「私たちに父を見せてください。(8節)」
イエスの答え: 「わたしを見た者は、父を見たのです。(9節)」
→ イエスと父が一つであることを教えている。
「わたしが父におり、父がわたしにおられる。(10,11節)」これが、四段階目の深い交わり。人同士であっても、ここまで深くなることはできない。
12−15節: イエスの御名による祈り
「それよりもさらに大きなわざ(12節)」イエスが行なわれたよりも数多くの業を行なう、ということ。例えばペテロの場合、一度の説教で三千人の男がバプテスマ(浸礼)を受けた。
「わたしの名によって求めることは何でも(13,14節)」キリスト者に与えられた、イエス様からの大きな約束。ちょうど、誰かの名を使えば、その人の名声と権威によっていろいろなことができるように、イエスを知っている人は、その名によって願いを聞いてもらえる。
条件:「あなたがたがわたしを愛するなら(15節)」イエスを愛し、イエスの戒めを守る人のみ。
16−20節: もうひとりの助け主
「もうひとりの助け主」: パレクレトス(そばに来て、助ける者)。ここの「もうひとり」は、「同種類の一つ」という意味である。例えば、自動車と自転車は種類が異なるが、トヨタの自動車と日産自動車は種類が同じだ。
→ イエスと同じ性質を持つ方である。弟子たちは、いつもイエスがそばにいて、イエスの助けを受けることができた。例えば、税金を徴収する人が来ても、イエスがペテロに釣りをしたら魚が硬貨を持っていると言われた(マタイ17:27)。イエスが天に昇られても、イエスがいるのと全く同じように、ご聖霊が弟子たちと共にいて助けてくださる。
→ 使徒行伝を読むと、はっきりと使徒たちは独りではなく、主が共におられて、驚くべき業を行なわれているのを認めることができる。
「いつまでもあなたがたと、ともにおられる(16節)」: 旧約時代は、聖徒に聖霊が臨んでくださり、また離れることがあった。けれども新約の時代は、いつまでも共にいてくださる。
「真理の御霊(17節)」: 御霊によって生まれた人でなければ、聖霊の働きを認めることはできない。世は知る由もない。
「あなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」: ここに驚くべき約束がある。ご聖霊は、共におられるだけでなく内に住んでくださるということだ!したがって、信者は、聖霊によってイエス、そして父なる神ご自身が私たちの内に住んでくださるという、究極の交わりをすることができる(23節)!
「孤児にしません(18節)」イエスは、復活されることによって戻って来られる。世は、イエスが十字架にかかって死なれた時にもうイエスを見なくなるが、信じている弟子たちには現れてくださる(19節)。その時に、彼らは御霊によって生きる。
その結果、1)「わたしが父におり」、2)「あなたがたがわたしにおり」、3)「わたしがあなたがたにおる」ことが、わかるようになる!